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瞳の陰り

 広い部屋にはニールとユリだけ残された。

 ローゼスが、次は温かい紅茶を用意してくれた。空調によって少し冷えていた体にありがたかった。


 温かな紅茶を飲み息をつくと、最近胸に残っていたことが頭をよぎる。

 エドの過去の事だ。

 聞いていいものかどうか百合が迷っていると、心を読んだかのようにニールが口を開いた。


「何かあったんですか?」

「何か、とは?」

「エドと。まさか襲われでもしましたか?」

「そんなわけあるか!」


 とんでもない発言に、思わず口調が崩れてしまった。

 慌てて口を閉じるが、ニールは気にしていない様子だった。


「ヴォルやエドと話している時みたいに、楽に話してもらって結構ですよ」

「いえ、年上でしょうし……年上ですよね?」


 そういえば三人の年齢の話をしたことが無かった。


「私が三十歳、エドとヴォルが二十一歳です。ユリは? と聞きたいところですが、女性に年齢を尋ねるのは失礼ですね」

「いえ特に気にしていませんが、二十三歳です。エドは年下って何となく分かってましたけど、ヴォルもか」

 

 ユリの言葉にニールの動きが止まる。


「異国の顔立ちとはいえ、随分と若く見えるものですね」

「私の世界でも日本人……母国の民族は特別若く見えるようですよ」


 欧米人のような顔つきの多いアブ・フレイラの村人達に比べると、やはりユリはおぼこく見えてしまう。


「エドは二十一歳ですか……」


 八年前は十三歳。その年で一人暮らしを始めたのか。


「何か聞きましたか?」

「エドが八年前にあの森に来たって話をしていました」


 ニールは驚いたように目を見開く。


「そのきっかけの話もしていましたか?」

「少しだけ……お母さんが自尽なさって、後妻さんに殺されそうになった所を逃げてきたと」

「なるほど……」


 ニールが目を伏せる。髪の毛と同じ銀色の睫毛が、眼鏡の奥で揺れた気がした。


「あの子は貴女に心を開いてきてるんですね」

「でも、その後は特に何も」

「心を閉ざしていれば、母君のことは言わなかったと思いますよ」

「そうなんでしょうか」


 一瞬だけ見れたエドの横顔。それは何も映していなかった。悲しみも、怒りも。

 百合は、彼の中ではまだ過去になっていないんだと気づいた。

 思い出すことも出来ないぐらいの傷は、まだ瘡蓋にもならずに心の真ん中に残っている。

 それは孤独だった。

 百合にはそれが解った。

 異世界に飛ばされて勝手がわからない中でも、人に恵まれこうして今まで命を繋いでいる。

 けれども、百合の心は今でも帰れるか分からない日本に置いたままだった。

 父も母も兄弟も、友人も。百合の望む何もかもそこにある。

 思い出せば慟哭と共に心を切り刻むだろう。だから簡単には思い出せないのだ。

 百合も一緒の思いを抱えている。


「あの子の母親に貴女は似ている」

「私が?」

「髪の色と、目の色が一緒です。黒髪黒目は数は少ないですけど、国内に居ないわけではないですから」


 エドの輝くような金糸と、空色の目を思い出す。エドは父親に似たのだろうか。


「私の姉だったんですよ、エドの母親は」


 驚いた百合は顔を上げる。

 ニールは過去を思い出すかのように窓の外を眺めていた。


「九歳上の姉でした。母親が違うので顔は似ていませんでしたがね。

 忙しい母の代わりに、私の面倒をいつも見てくれていました。

 優しい人でした。優しすぎたからこそ、死んでしまった」


 一度目を伏せて百合を見つめる。


「傍にいてあげてください。あの子にはそれが必要だ」


 それをすることによって、エドの心が救われるのだろうか。

 むしろ面影に過去を重ねて、自分を責めてしまうのではないのだろうか。

 百合は何も言い返せなかった。




「ただいま」


 エドの家に戻るとエドは居なかった。時刻は鐘三つ時――三時頃だった。

 一階で調合しているのかと思い顔を出すが、そこにも居なかった。ファレノプシスの所か、温室で世話をしているのだろうか。


 探すのをやめて、百合は居間に戻った。そこで裏庭の井戸から汲んであったぬるい水を一杯飲み干して、ソファーに座った。

 居間は暑い。完璧に冷やされたニールの家から帰ってきたからなおさらそう感じる。

 (かまど)のあるキッチンなんてもっと暑い。

 魔法使いの家では、空調が完璧に管理されている。一方、オストラの家では、窓から入る風でしか涼を感じられない。


「アブ・フレイラから、ベルブレイユ王国から出れば、電気があるのかなぁ」


 ドンプの住む国なら、電気があって冷蔵庫があって、クーラーがあるのか。


「この国に住むから、オストラはつらい思いをするんじゃないのかなぁ」


 いっそのこと国から出てしまえば、魔法の使えないオストラは、魔法の使えないドンプと同じ条件で生きられるのに。

 それとも、国を出るというのはやはり難しいことなのだろうか。


 じわじわと蝉が鳴いている。ただひたすらに暑い。

 浮いては消える疑問を呟いていると、そのまま瞼がゆっくりと落ちていった。



「おい、こんなところで寝ていると夏とはいえ風邪をひくぞ」


 揺すられて目が覚める。

 ぼうっとしたまま辺りを見回すと、部屋の中はオレンジ色に染まっていた。いつの間にかソファーで寝てしまっていたようだった。


 目の前にはエドの空色の目があった。その目が驚いたように少し見開かれる。


「何だ……嫌な夢でも見たか」


 言っている意味が解らず首をかしげる。エドが傍にしゃがみこみ、親指で百合の頬を拭った。


「泣くな。俺は泣き顔に弱い」


 温かい指だ。薬剤が染み込んで、指先の色が少し変わっている。

 エドの努力の証だ。

 右頬、左頬、どちらも拭ってくれるが、涙は困ったことに止まってくれない。


「……お母さんに似てるから?」


 涙を拭う手が止まる。

 はぁ、と重苦しいため息を吐いて、百合の隣に腰かけた。


「ニールかヴォルどっちだ」

「ニールさん」

「あのおしゃべり好きめ……」


 はぁ、とエドの形の良い唇から再びため息が零れた。


「一人でこの家に来た時、寂しかった?」


 小さなつぶやきは、二人だけの部屋に響いた。


「さぁな、八年も前の事なんて覚えちゃいないさ」

「私は寂しい」


 ここで一ヶ月間、夢中で頑張ってきた。頭の中に知識を詰め込み、朝から晩まで働いて、嫌なことは考えないようにしてきた。

 家族のことも、友人のことも、故郷のことも。


「寂しい」


 エドは八年前、ここにやってきた。

 エドに比べると百合がここで過ごした時間は、まだまだ短い。

 十三才の彼は、どんな気持ちで毎日を過ごしてきたのだろうか。寂しかったのだろうか。辛かったのだろうか。


「……寂しいと、思っている暇は無かった。

 俺はそれまで一人で暮らしたことは無かったし、料理も作ったことが無かった。面倒は周りの大人が勝手に見てくれていたから、生活する上で困ったことは無かった。

 母は気を病んでから、部屋からまったく出てこなかったから、俺が会いに行くしかなかった。元気になる魔法を掛けようにも、母親譲りで魔力が無いオストラだったから、魔薬を勉強した。沢山薬を煎じて、飲んで貰って、元気になって欲しかった。

 でも結局母は自ら死を選んだ。俺は止められなかった」


 エドの強く握った拳が細かく震えていた。

 大きくて節ばった男の手だ。でもそれが固く握られるたびに、幼い頃のエドもこうして掌を握りしめてきたのだと思うと、やるせなかった。

 百合はそっと拳の上に掌を重ねる。


「母の葬儀が終わってすぐに、第二夫人に毒を盛られた。俺はここで死ぬんだと思った。――死なせて欲しかった。俺を愛してくれる唯一の母が居ない世界に、未練は無かった。

 でもニールとヴォルが俺を助けた。お前には成すべきことがあるだろう、と生かした。

 俺は、俺は。助けれなかった母親の命を、他の誰かの命を救うことで助けた気になっているだけだ」


 ますます固く握られた拳を、ゆっくりと摩る。


「エド」


 百合は手を握ったままソファーの下に降り跪く。

 エドの顔を見上げるようにしてのぞき込む。


「助けてくれてありがとう」

「……」


 エドの胸に抱きしめられ、大きく息を吸う。

 首元に温かい雫が伝った。

 居場所を失った二人が互いを慰めあうように寄り添いあう。

 夕日は完全に沈んだ。

 薄暗い部屋の中で、帰れない過去を思って二人は少しだけ泣いた。


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