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忍び寄る影


 神父は聖女の顔を見つめた。

 莫大な魔力を持ち、その血に奇跡の力を流す黒髪の聖女は、黒く曇りのない目で自分を見つめていた。

 この黒は、魔石の黒だ。

 産まれたばかりの赤子に近づける、審判の魔石の色だ。

 身に流れる血を、試しているのだ。


「私は……」


 唾を飲み込もうとして不自然に喉が鳴った。口がカラカラに乾いている。

 心が開かれていく感覚に、口からは自然に言葉が零れた。


「私はオストラではありません。貴族の家に生まれ、何不自由なく暮らしてきた、純粋の魔法使いです。

 家では魔法使いこそが聖女に選ばれた人間で、それ以外は人間ですらないと、当たり前のように教育されてきました。

 ですが、末の弟がオストラでした。彼は親からも見放され、ドンプの孤児院へ送られました。

 その時思ったのです。弟は魔法さえ使えれば、そんな目には合わなかったのに、と。聖女は彼を見放したのだと」


 誰にも話せなかったことが暴かれていく。

 神父の魂は、泣く赤子を見つめることしかできなかった十歳の頃にまで戻っていった。


「弟を救えなかった私は、後悔に苦しみました。与えられた人と与えられなかった人を作る聖女様の考えを理解すべく、神父というこの道に進みました。

 崇拝して五十年。気づきました。他人を理解するために、聖女は魔法使いとオストラを産んだのだと。

 聖女様の願いは、他人を愛する思いやりを持つことだと」


 言葉に嘘偽りは無かった。だからこそ自分は(ニール)の言葉に頷き、オストラの町で教えを説いているのだ。


「与えられた人は愛されたからではなく、与えられなかった人は愛されなかった訳ではない。その事を教えることが自分の命題だと思っています」


 オストラを魔法使いにするのではなく、魔法使いから魔法を奪うのではなく。

 足りない所をお互いが手を取り合って助けるために、聖女は魂を二つに分けたのだ。


 黒髪の聖女は、新緑の香りを残して立ち去った。

 神父はそのまま立ち上がれなかった。

 この広い教会こそが、自分の懺悔室だったのだ。





 神父の言葉には、色々考えさせられた。

 神が人を創ったのか、人が神を創ったのか。哲学の問題は百合の苦手分野だ。

 ぼうっと扉を潜ると見慣れない建物の中にいた。思い出したかのようにぐにゃりと視界が歪む。


「おえぇえええ」

「何と聖女らしからぬ声だ」


 またもや空間移動させられたようだ。てっきりこのまま家に帰るのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 高い天井にシャンデリアがぶら下がっている。クリスタルでできたそれは、不思議なきらめきを放っていた。

 壁には品の良い絵画、床には青い絨毯が引かれている。

 置かれた調度品たちは、一つ一つが目立つのに嫌みが無い。この空間の為に、完璧な調和が取られている。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 恭しく頭を下げたのは二人。仕立ての良い燕尾服を着た白髪の男性と、クラッシックなメイドを着たこれまた白髪の女性だった。


「紹介します、執事(バトラー)のローゼスとメイドのメアリーです。こちらがユリ。私の友人だ」

「まぁまぁ旦那様が女性を連れてくるなんて、初めてですよ」


 嬉しそうに目を輝かすメアリーにニールは苦笑いを零す。


「そんなことは無いだろう」

「いえ、私の記憶に間違いはありません。パーティーも開かない侯爵なんて聞いたことがありません!

 お陰で結婚の話もいつだって進まないじゃありませんか。これじゃあ跡継ぎのお子を顔を見る前に私は死んでしまいますよ!」 

「メアリー、その辺りでよしなさい」


 ローゼスに窘められて、ようやくメアリーは口を閉じる。


「申し訳ございません。何分この屋敷は旦那様と私どもしか居ないもので、世話をしたくてたまらない我々には少々張り合いが無いんですよ」

「こんなに広いのにですか?」


 入り口だけでこの広さだ。他の部屋まで手入れをするとなると、人が少なすぎるだろう。


「信頼できる者しか置きたくなくてね。この二人は私がお腹の中にいるときからの家臣だ。

 手入れなんかは魔法でできるので、困りはしないよ。さて、お茶にしよう。その前に着替えかな」


 ニールと別れて、メアリーに先導されて移動したのは広い客間だった。

 天蓋付きの大きなベットと、これまた大きなドレッサーが置いてある。

 トルソーに、青いワンピースが着させられている。


「こちらの部屋は、旦那様よりユリ様専用の部屋にするように言われています。必要な物がありましたら、なんなりとお申しつけください。

 さぁ、汗をかかれたでしょう。湯舟に浸かって下さいな」


 扉の向こうが浴室なのだろう。久しぶりの湯舟に入りたい気持ちもあるが、ニールを待たせるのも申し訳が無い。


「いえ、メーガス侯爵をお待たせする訳には」

「何をおっしゃいます。殿方は待たされるのが仕事なのですよ」


 そういって服を脱がされ湯舟に浸けられた。この世界では貴族は自分一人で風呂に入らないようだ。

 鼻歌でも歌いだしそうなぐらいご機嫌なメアリーを見ていると、前もどこかでこんなことがあったなぁと思い出していた。


 着替えを済ませると、案内されたのは大きな窓のある円形のティールームだった。

 窓からは整えられた見事な庭が見える。大きな窓から強い日光が入っているのに、この部屋は涼しい。

 魔法の力で空調を調節しているようだった。


 ローゼスがアイスティーと、デザートプレートを置いて下がっていった。

 アイスティーは綺麗に透き通っている。百合は一口飲んでティンブラだと確信した。

 こちらに来てからは紅茶ばかり飲んでいるので味の違いも分かるようになってきたのだ。

 とても良い茶葉を使っているようで、バランスが良く、とても美味しい。

 プレートに盛られた茶菓子は焼き菓子で、一口で食べられるように配慮がされていた。


 口火を切ったのはニールだった。


「教会の雰囲気はどうでしたか?」

「そうですね、皆とても熱心でした」

「それだけ多くの人が、貴女に救いを求めているのです」

「求められても困りますけどね」


 神父の説法曰く、国を作ったのは国王だが、魔法を与えたのは聖女だと言う。

 だが、それは百合では無い。

 確かに百合は聖女なのかもしれないが、特に誰かを救うつもりもない。

 エドに認められるような魔薬調合師になって、日本に帰るだけだ。


「そうも言ってられません」


 ストローから口を話したニールが続けた。


「聖女リリーを探すのに、クジャを筆頭に王宮は躍起になっています。王の命は、おそらく長く持たない」


 それは初耳だった。


「病気ですか?」

「原因不明の呪いにかかって長いんです。王国付き魔法使い全員で治療に当たっていましたが――このままでは。王子はまだ幼く王としては不十分だ。国が揺らぐ」

「私を捕まえて、血で延命措置を取らせるつもりなんですか?」

「ええ。でもそれだけじゃありません。

 最近は聖女信仰も過激になってきています。王都に隠れて住むオストラ達の、悪い噂も聞きます。ユリは絶対に聖女であることを誰にも話さないで下さい」

「わかりました」


 こんな所で死にたくはない。深く頷いた。


「そして此処からが本題なんですが、空間移動の魔法を覚えましょう」

「えぇ!! ヤダ!!」


 わざわざ自分で気持ち悪くなりたがる人間がいるものか。素早い拒絶に面白そうにニールが笑う。


「本当に苦手なんですね」

「そのうちニールかヴォルの服に吐くに金貨一枚」

「でも慣れて貰わないと困ります」


 眼鏡の奥の目だけが鋭く光った。


「半年後、魔薬調合師として一人前になった貴女に魔法を教えようと思っていましたが、状況が変わりました。時間がありません。いざと言うときに身を守れるように、魔法を教えます」


 宮殿で、王都で起きている悲惨な出来事。百合が狙われる他の理由。渦巻く陰謀。先手は早く打つに限る。

 実際に起きた「事件」を話はしない。

 自分のせいだと、無駄に傷つけるようなことはしたくない。

 だが、現実はそう簡単に待ってはくれないのだった。


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