森の中の生活
季節は夏本番を迎えた。
朝は、日が出る前に起き上がり、ファレノプシスの世話と畑の世話をする。
朝食を食べ少し休憩を挟んだ後は、温室の薬草をし、エドの調合に必要な葉を摘み取る。
昼食後は、三日に一回は薬の配達に行く。それ以外の日は、森の中に入って魔薬の素材の採取をする。
合間合間でエドが魔薬を作るところを見させてもらって、必死にメモを取る。
日が暮れたら夕食を食べ、眠る。体も頭も使ったせいで、ベットに入るとものの五分もしない内に眠りについてしまう。
本当に毎日が勉強だ。この世界で暮らすための基礎や、魔薬の調合など。覚えなければいけないことが山ほどある。
だが百合は充実感覚えていた。
日本で仕事をしていた時はルーティンワークで、毎日が単調だった。勉強といえば、資格手当の為にしぶしぶするものだけだった。興味もないものを嫌々こなすだけで、特に楽しいとは思えなかった。
だが今は違う。
見て聞いて、学ぶ何もかもが目新しく、頭が痛くなるほど知識を詰め込むのが楽しかった。
ここで暮らして一ヶ月、ここで百合の意外な才能が明らかになる。
昼食を終えた二人は、家の裏手の森に入っていた。
夏を迎え、虫が大声で騒いでいる。
田舎育ちの百合は、虫は怖くない。刺されると痛い蜂のような虫は嫌いだが、エドが調合してくれた虫よけの香水を体に振りかけたおかげで、日中森で活躍していても虫刺されに悩まされることはない。
深い森の中をずんずんと歩いていく。
この森はどこまで続いているのかは、エドも知らないらしい。彼が引っ越ししてきた時にファレノプシスに乗って散策に出たらしいが、森の奥は緑が濃く馬が入れなかった為、引き返したそうだ。
もしかしたら魔獣の巣や他部族の村があるかもしれないので、この湖の手前までしか入らないように言われている。
「これは」
「毒」
「もしかしてこれも?」
軍手をつけた百合が差し出したのは、小さな赤い実だ。風船のようにころんと丸く、可愛いので少し拝借したのだ。
百合の方をちらりと見たエドは、深く被った麦わら帽子の下の目を見開く。
「どこにあった」
「向こうの湖の北の方、あ、ちょっと待ってよ!」
百合を無視し、エドはずんずんと歩き出す。呼び止める声には止まってはくれなかった。
長い脚が恨めしい。半ば走るようにして後を追いかけた。
エドは一本の木の前で立ち止まった。百合の身長ほどの細い木で、先ほど採った赤い実が固まって沢山実っている。
その実にそっと触れて、エドは話す。
「良くやった。これは毒空木だ」
「毒空木……ってことは……?」
「お前が見つけてきた中で一番の猛毒だな。
実だけじゃなくて、葉にも茎にも毒がある。あまり流通していない貴重な素材だ。春先に花が咲いて、今の時期には赤い実になる。これがもう少し後になると真っ黒の実になり、更に毒が強くなる。
まさかこの森に自生してるとは思わなかった。株を取って温室に持ち込むか? いや栽培が難しいと読んだことがある。これだけ自生しているのであれば、必要ないか……?」
後半は一人でぶつぶつと、心持ち興奮した様子で話し出したエドを尻目に、百合はがっくりと肩を落とした。
そう、百合の意外な才能とは、毒草を見つける能力が異様に高いということだった。
魔薬調合師が素材を手に入れる方法としては、専門店で購入することが一般的だ。
だが魔薬調合師が一人しか居ないアブ・フレイラ村では、素材を扱う専門店など勿論ない。
なのでエドは自分で温室を立て栽培すると同時に、この広い森の中を歩き回って調達していた。
ここ一ヶ月、百合は魔薬の材料になる薬草の種類を覚えていた。辞書を片手に、効能と、どんな魔薬に使用するかを片っ端から暗記していった。
今日のように素材採取の為に森に入り、辞書とエドの話をまとめたノートを手に、面を探し回る。採取する時期によっては、辞書とは微妙に異なる姿形をしているので、特に注意しなければいけない。
やっとこさ目的の物を手に入れて、他に何か無いかと見回すと、見たことのない植物がある。それをエドに報告するとほとんどが毒草だった。
だが有毒なものも正しく使えば薬になる。
例えば今日手に入れた毒空木は、誤って食べると脈をすごく早めるが、その作用を利用すると、強力な心臓のになる。
早速家に帰って調合しよう、と帰り支度をするエドの隣を歩きながら「この森には毒草の方が多く生えてるんじゃないか……」と百合は疑い始めていた。
鐘が三回鳴った。今はだいたい午後三時ごろだ。
自宅に戻るとそこには来客がいた。
「おかえりなさい」
優雅に紅茶を飲んでいたのはニールだった。
「来てたのか」
「えぇ、ユリの様子を見に。体調等いかがですか?」
「すごく元気です」
実際百合は元気だった。
規則正しい生活に肉体運動をしているおかげで体は引き締まった。この世界に体重計が無いのが残念だが、鏡に映った姿を見た限りでは三キロぐらいは落ちてそうだ。
長時間のデスクワークで起きる肩こりもないし、今まで生きていた中で一番元気と言い切れるぐらいに絶好調だ。
「それにしても、貴方たちすごい汗ですよ」
木が日を遮ってくれているとはいえ、今は真夏。森の中を長時間歩き回った二人は、前髪毛が濡れる程汗をかいていた。
優雅な仕草で立ち上がったニールは、杖を取り出す。
「水の流るる清らかさを――洗え」
杖から勢いよく水が噴き出し、エドと百合の頭から滝のように降り注ぐ。悲鳴も上げれずにびっくりして固まったその後に「春風の心地よさ――乾け」と唱えると、ごうっと暖かな風が吹き、髪の毛も服もあっという間に乾かしてしまった。
「綺麗になりましたね」
さっぱりとした体に驚くと共に感動した。実はここ丸々一ヶ月、風呂に入った気がしなかったからだ。
水道の無い村での生活で、風呂は贅沢なものだ。普段は髪は桶で洗い、体は温めたお湯に浸したタオルで拭うだけだ。
風呂釜付きの浴室は離れにあるが、薪を燃やし湯を沸かす五右衛門風呂のようなもので、燃料が無駄になるのでとびっきり寒い冬場しか使わないそうだ。
温かい湯舟にゆっくりと浸かることが当たり前の、生粋の日本人の百合には耐えれなかった。
エドの反対を押し切り湖で水浴びをしたが、湖の水は昼間でも震える程冷たく、体調を崩してしまったので諦めざるを得なかった。(その時飲まされた風邪薬はこの世のものとは思えないぐらい不味かったが、体調はあっという間に戻った)
この時ばかりは、王宮の豪華な風呂が恋しかった。
しかし善意とはいえ、人に水を掛けてにっこりと笑うニールに、どこか腹黒さを感じてしまうのは百合の気のせいだろうか。
じっとりと睨みつける二人を無視し、ニールは本題に入る。
「明日は安息日でも特別な『聖女の日』ですよ。エドのことだから教会の場所を教えてないと思って、誘いに来ました」
聖女の日とは何だろう?
聞いたこともない言葉に口を開きかけるが、ニールに目で制された。
「エドも行きますか?」
「畑と馬がいるのに、安息日もクソもあるか」
ニールの向かいに座ったエドが答えた。
「ではユリだけでも連れていきますね。信徒にとって月に一度の礼拝は、欠かしてはいけないものですから」
エドの隣に座ったユリにも紅茶を差し出して、ニールは頷いた。




