運び屋
二人の正面、何もない広場の風景からニョキっと頭部が生えた。
肩をはねさせた百合は、持っていたコップを落としてしまった。
コロコロと転がったコップは本来なら男の足にぶつかる筈だが、そのまま遠くへ転がってしまった。視線の先には慌ただしく歩く村人の姿がある。
褐色の肌に燃えるような赤髪と、黒曜石のような黒い目をした青年は、いたずらが成功した喜びで歯を見せて笑っている。
「いやーニールから聞いたけどマジでエドが女の子の弟子を取るなんてな!」
「弟子じゃない。押し付けられたまでだ」
エドは慣れたようにそのまま会話をしているが、風景に浮かぶ生首は正直言って怖い。心臓がまだドキドキと音を立てている。
百合が横で顔をひきつらせていると、それを感じたエドが「ちゃんと姿を現せ」と言ってくれた。
「へいへい」
そういって空間から現れた青年は背が高かった。エドもニールも背は低くないが、青年は190センチ近くあるんじゃないだろうか。
体格も非常に良く、体の分厚さが目についた。紺色のズボンについたサスペンダーがきつそうに胸筋にめり込んで見える。
シンプルな白いシャツに、目と同じ色の黒いローブを羽織っていた。
「よっ、オレはヴォルガング。みんなからはヴォルって呼ばれてるからそう呼んでくれ。この町で運び屋をしてる」
「はじめまして、私はユリです。運び屋? あの、さっきのって魔法ですよね」
ようやく落ち着いたところで、百合はヴォルガングに問いかける。
ここはオストラの村のはず。何故魔法使いがいるのだろうか。
「あぁ、オレは誓いを立ててるからな」
ヴォルがシャツの胸元にぶらさげていたペンダントを掲げる。
先端にはしずく型の黒い石がつけられている。
百合はその石から何かの気配を感じとった。上手い表現が見当たらないが、気味が悪い。絶対に触るな、と本能が叫んでいる。
「これは「誓いの魔石」だ。
この村にある教会の神父は村長も兼ねてるんだが、その人とオレの間で「この村の場所、存在、その他の秘密を誰にも口外しない」という誓いを立てている。このペンダントは誓いの破棄をしない限り外せないから、ぶら下げている内は村に自由に出入りできるってワケだ」
「ちなみに誓いを無視した場合どうなるんですか?」
「簡単だ、魔石から炎が出て全身を燃やす。長い時間じっくり焙られて死んだ後、最後に舌だけが残る。その舌には「口は禍の元」って文字が浮かんでいるらしい。実際に見たことのある人間は「誓いの魔石だけは絶対に使いたくない」って口を揃えるそうだ」
百合は黙り込む。その光景がありありと思い浮かんだからだ。誓いが重いことはわかるが、グロテスクが過ぎないか。
「まぁ破らなければ良い話だ」
あっけらかんとヴォルは言い放つ。
「ちなみにオストラは免除されるぞ」
「どうして?」
「そもそも魔石は魔力のある人間にしか使えないからな。オストラに同じような制限を掛けようと思ったら、呪いを掛けるしかない。それに、死にそうになりながら辿り着いた安住の地を、わざわざ手放す馬鹿がいるか?」
「なるほど」
話さないことが、国から自分を守る唯一の手段なのか。
「オレは運び屋として、届けて欲しいと言われた手紙であったり、王都でしか手に入らない物を買って配達したりして小銭を稼いでるんだ」
「そんなに真面目に働いていないだろうが」
フン、とエドは鼻で笑う。
「王都に家族がいても、自分が生きていることも、村のことも話せないから手紙は書く人間が少ない。王都にある便利な物だって、使うには魔力が必要だからオストラの人間が使えない物の方が多い。そうなると朝の新聞配達以外こいつは大体暇している。だから俺の家に入り浸ってる」
「手紙の配送よりエドの頼みで魔薬の素材を買ってくる方が多いのは確かだな」
豪快に笑い飛ばしたヴォルにエドが話しかける。
「ヴォル、こいつの買い物手伝ってやれ」
「え? でももう買い物って終わったんじゃ?」
戸惑う百合を置いて、頭上で会話が進む。
「りょうかーい、金は?」
「ここに入れている」
エドは綺麗な赤色の鞄を背負っていた革袋から取り出し、百合に差し出した。
百合が受け取ったのを確認すると「帰りは送ってやれ」といってそのまま厩の方へ歩き出してしまった。
「え、え、ちょっとエド!」と声を掛けても振り返りもしなかった。
「行っちゃった……」
「ちなみにいくら入ってる?」
斜め掛け鞄の中を見ると、巾着袋が出てきた。こちらは紙幣が無いから、財布はこのタイプが一般的なのだろう。口を緩めると、金貨が十枚入ってた。
ヒューと横でヴォルが口笛を吹く。
「さっすが村唯一の魔薬調合師。稼いでるなぁ」
「こんな大金受け取れないわ」
金貨十枚というのは、買い物を済ませた百合の感覚では、約十万円だ。人から簡単に受け取れる金額ではない。
「まぁまぁ、今から生活していくのに色んなものが必要だろ? だから買ってきなさいってこった。いくら大荷物になっても、空間移動できるオレが居れば軽々運んでくれるから、気にするなってことだ。ファレノプシスじゃ運べる量に限界があるからな」
そこまで考えてくれていたことに百合は驚いた。
「……分かりづらい人」
無表情、不愛想、強い口調と相まって非常に誤解されそうだ。
この綺麗な色の鞄だって、わざわざどこかで買ってくれたのだろう。どう見ても男の人が使うデザインではない。
「そういう男なんだよ、昔からな」
ヴォルの黒い目が懐かしそうに細められた。