杏奈の悩みと噛ませ犬
髪を乾かすのを中断したため中途半端な生乾き状態の髪ではあるが、風呂上がりで火照っていることもあり涼しく感じる。そもそもダンジョンで季節を感じるのは出現モンスターの種類くらいしかない上に、それが季節にあったものかと言えばそれも不明だ。20層や21層も外に見えて外じゃないということなのか、はたまたそういう『設定』があるのか。その辺りもまだよくわからない。気になることと言えば、モンスターの名前等をインターネットで検索をすると人類の知識や創作物—— 空想上の生物や神話 ——がヒットするところか。
そんなことを考えながらチビを追いかけていると後ろから追いかけてきたであろうログハウスに最近加わったニューフェイスから声が掛かる。つまり杏奈だ。ついて来ようとする彼女は、個人的には気兼ねなく付き合える人種だと思うので嫌な気はしない。
「おにーさーん! 待ってくださーい! あたしも行きますよー!」
「おう、杏奈ちゃん。行きますよー、は良いけどどこに向かってるかわかってるの?」
「散歩とか見回りとかじゃないんですか?」
「いや、違うけども。まさかいつもそんなことしてるの?」
「さくら姉さんが狙撃したモンスターを回収に行ってますよ! まだ一人じゃ怖いんで悠里さんか香織さんについてきてもらってますけど!」
「あー、そうなんだ。がんばってるんだね」
(マグナカフェで軍曹や他隊員がしてたのと同じことしてるな)
ーー はい。その代わりをしているのでしょう。しかしその分EXPが貯まっているかもしれませんね。星石はさくら様が回収していそうなのでAPは少ないかもしれませんが、ワタシに掛かればEXPや大元であるエッセンスから変換することも可能です ーー
(そうだなー。俺も結構星石貯めこんでるはずだしそれも使って少し調整しようか?)
ーー わかりました ーー
「ということで杏奈ちゃん、腕輪見せてくれない?」
「ということで、の意味がわからないですけど、それを口実に女子の手を触ろうっていう魂胆ですかー? まったくぅ、やらしいお兄さんすねー//// 」
たしかに突然『ということで』と言われてもわからないよな。でもそれを口実に手を握ろうなんて……なるほど、それは良い事を聞いた。
心の中で杏奈に感謝しつつ、しかし言われた事を否定する意味も込めて手を出すように言う。
杏奈の腕輪に触れるとエアリスがそれを読み取る。それによると軍曹のようにエッセンスがすっからかんというわけでもなさそうだ。
手早くステータスを調整し、能力も近接系なことを確認した。
「杏奈ちゃんって近接だよね?」
「そうですねー。武器はこの拳です!」
そう言って見せてきた拳には手をガードするように銀色の籠手、ガントレットが装着されていた。そして肘上までそれに合わせたようなアームガードを装着している。脚にはレッグガードを装着しているところを見るに蹴りも使うスタイルなのだろう。
以前悠里から聞いた話では、格ゲーマニアという話だった。道路バトラーやアイアンフィストなどのゲームが好きなのだろうか。誘われてもやらないけどね。下手だからとかそんなんじゃない。そんなに興味がないんだ。ほんとだよ。戦績? 思い出したくもないね。
それはそうとどこかファンタジーを思わせるようなその装具、どこかの企業がいち早く作ったものだろうか。まさかコスプレ用のものを実戦投入なんてできるわけないし、きっとそうなんだろう。
「胴体の防具は何かつけてるの?」
「服の下につけてるんですよー。触ってみます? 結構頑丈すよ? ほらほら、どうです?」
強引に手を引かれ自分の腹部を触らせる杏奈。見た目にはわからなかったが、その感触は防具と言って差し支えないと思えた。
「へー、なんだか触った感じ、骨折したときのギプスみたいだ」
「そうでしょー? これなら亀だって……たぶん少しはマシなはずです。あ、あともうちょっと上も触ってみてくださいよー」
言いながら俺の手を胸の下の部分に引き上げる。それにより似たような感触だが、体を折り曲げても妨げにならないようパーツを繋ぎ合わせたような作りになっているとわかった。
「結構広い範囲カバーできてるんだね」
「そうなんです。香織さんのパパさんの会社の繊維らしいです。あ、あともうちょっと上です」
「ん? 胸のあたりまであるのか。こっちは腹の部分と違ってやわらかめなんだね。ゴム質なのかな?」
手を取られ導かれたところに軽く手を当ててみると程よい弾力があった。トントンとしてみたり少し揉むようにしてみると、衝撃吸収に重点を置いた素材のようだった。すると突然杏奈が艶のある声をあげる。
「あっん、そこは…… 。 ふぅ。お兄さん、少しは疑うことを覚えた方がいいんじゃないっすか? それあたしのおっぱいですよ。正真正銘の。それを防具だなんて」
「え? ……それでも俺はやってない」
「何をっすか(笑) まぁ減るもんじゃないんでいいですけどねー」
「って俺の手を掴んで触らせたのは杏奈ちゃんだろ!?」
本当に、俺はやっていないのだ。やらされたのだ。
「あははー。それにしてもお兄さん、服の下にはなにもつけてない女子の胸を触った感想が『ゴム質』ですか? もうちょっと言い方ってものがあると思うんですよねー」
「防具があると思ってたから……まぁなんだ、弾力性があって打撃に強そうだからいいんじゃないかな……」
精一杯なんでもなかった風を装う。こういう時、焦ったら負けなのだ。たぶん。
「ほんっとお兄さんって悠里さんに聞いてた通りゲーム脳なんですねー。ドン引きっす」
「ほっとけ。ってかなんで腹には着けてて胸には着けてないんだよ」
「あたし家の中では着けない派なんで。さっきもお兄さんが出てくのを見てすぐ付いていこうと思ったんですけど、お腹はやっぱりまだ怖くて」
なるほどな。まぁ誰でも腹を食いちぎられたらトラウマの一つや二つ生まれても仕方ないだろう。
「マグナカフェにいた時は胸にも着けてたはずなのに今着けてないのはそういうことか」
「あ、やっぱ覗いてました? お兄さんったらえっちなんだから〜」
「うっさいわ。そんなゆるいTシャツでお辞儀なんてするから見えちゃっただけだ。それよりこれステータスな」
純情を弄ばれた俺はスマホに表示されたステータスを杏奈に見せる。20層でこっそり調整した時と比べるとかなり成長したが、それでもできるだけ増やしてあげたいなぁと思い俺が持っていた星石をおまけしてあげたので結構上乗せされている。
坂口杏奈
STR 75
DEX 80
AGI 80
INT 48
MND 58
VIT 65
LUC 12
能力:把握 (レア+++)
「へー。お兄さんってほんとにステータス?いじれるんですねー」
「俺がっていうより俺の相棒みたいなやつのおかげだけどな。俺もそいつがいなけりゃ無能だってことはこの間知った」
「あ〜、腕輪の精のエアリスさんですよね? エアリスさんよろしくでーす!」
ーー はい。よろしくお願いします ーー
「ところでお兄さん? どうでした? あたしのおっぱい」
「ど、どうって」
「大きさはあの三人には敵わないんですけど、弾力には自信あるんですよ。年齢だってちょっと若いですしね?」
「お、おう。そうなの」
少し前かがみで上目遣い、ゆるい首元から見えるか見えないかの絶妙な角度でじりじりと近寄ってくる。情けなくも男の性、そこを凝視してしまってすみません。
「もっと触りたいですか? 良いですよお兄さんなら。三人には、特に香織さんには内緒にしておくんで、ここでその、どうですか?」
「いや、何を言ってるんだ……今はそんなつもりないから」
「ダメですか? 結構勇気出したんですけどねー」
「お、おん? ま、まずは落ち着こうか」
わけのわからない状況に落ち着きたいのは俺の方だ。会って間もないのにいきなり迫られるなんて、しかもこんな森の中で。何はともあれ杏奈にも落ち着いてもらうということにした。
木の根元に寄りかかるようにして二人で座ると、じりじりと杏奈がこちらに寄ってくる。
(エアリス? CHAがまた影響してるとかそんな感じか!?)
ーー いいえ。そちらは問題ないはずです。杏奈様の基本的な性欲が強いのかと ーー
(とは言えよく知りもしない相手にそんなこと言うかなぁ)
ーー 以前20層での事があった時はこれほどではなかったはずですが ーー
失礼を承知で、というか普通こんな事聞いたら殴られても仕方ないだろうけどここは聞くしかあるまい。きっとなにか理由があるはずだ、と信じて。
「杏奈ちゃん、失礼かもしれないけど、以前からというか普段からそんな感じなの?」
「違う、はずなんですけどねー。20層で死にかけてから、時々……疼いちゃう時があるといいますか」
20層、杏奈がボス亀に腕と腹を食いちぎられ、それを狼牙の御守りに付与された能力で無かったことにすることで一命を取り留めた時だ。
ーー 非常に低い可能性とは思いますが、ぶっつけ本番の製作でしたので何か不備があったのかもしれません。そうでなければただのビッチということで処せるのですが ーー
(そうは見えなかったし、急にこうなったような、発作のような感じにも思えたんだよなぁ。ダンタリオンの件もあるし、ダンジョンって何があるかわからないから変な副作用が出ちゃったとかかな)
ーー 失敗を認めたくはありませんが、否定はできませんね ーー
とにかく杏奈に何が起きたのかわからないが、もしもアイテムのせいなら謝るしかない。
「杏奈ちゃん、もしかしたら御守りの副作用みたいなのがあったのかもしれないから、もしそうだとしたら……ごめん」
「い、いえ、あの、でも、そのおかげで生きてますし、そのぉ……誰にでもというわけでもないですし! お、お兄さんのことを考えたりした時とか、にその……ごにょごにょ」
ぼそぼそと赤くなった顔を俯かせて何かを言う杏奈とそれを聞こうとしている俺をチビが急かしたような気がした。
「わふ! わふ!」
「あっ、そうだった。急展開すぎて忘れてたけど、用事あるんだった。杏奈ちゃんは調子悪そうだしログハウスに戻ってなよ」
「あ、あたしも行きます!」
大丈夫だろうか。なんだか顔も赤いし目がうるうるしてるし。もしかすると怖くて泣きそうなんじゃ?
「大丈夫、です!」
力強い返事に、そこまで言うならと同行を了承した。
「わかった。じゃあ話はあとで聞くとして一緒に行こうか」
「足手まといにならないようにがんばるっす!」
先導するようにチビが振り向き振り向き歩いていく。チビを追いかけたその先に野良狼の群れらしき反応を捉え、その更に向こうにこれまでにない反応を感知する。反応だけで考えても、野良狼たちでは太刀打ちできないだろう。
森の外れにいる野良狼の群れのところまで来ると、道を開けるように狼の群れが左右に分かれていく。やがてその先に他の狼たちよりもひと回り大きい野良狼よりも、更に二回りほど大きく見える黒い霧を纏ったような獣が歩いてくるのが見えた。そのまま10メートルくらいまで距離が縮まる。
ーー マスター、危険を察知しました。対象:ブラッドミストウルフ、特殊な能力を持っているようです。ブラッドミストウルフは霧に変化し…… ーー
エアリスの警告を聞き終わる前に、ブラッドミストウルフの姿がまるで夜闇に融けたかのようにかき消える。背後に気配を感じ振り向くと、ちょうど杏奈の首筋に太く長い牙が突き立てられようとしているところだった。俺よりも反応の速かったチビが獣に体当たりをしていたがその部分が霧となってすり抜ける。しかし突き立てられる牙は杏奈が獣に目線を送るよりも早く星銀の指輪によって展開された【拒絶する不可侵の壁】にかろうじて阻まれた。
また姿を消した獣は先ほどいた場所に現れ立ち止まっている。杏奈はまったく反応できてはいなかったが、杏奈の周辺を把握するという能力がある以上、何かが背後から首を噛み砕きにきたことはわかっているだろう。
「今、あたしまた死んだような気が」
「指輪のおかげで助かったね。でも正直、俺もあれは避けれない」
「あたし“噛ませ犬の星”の元にでも産まれたんすかね……」
「そんな星はないけどね。でも今回の噛ませ犬はそこの獣だけどな」
「ほんとですか? 信じるっすよ?」
「保証はまったくしないけどね」
「不安しかないっす」
(そういうわけでエアリス、アレ、いきますか)
ーー はい、お任せください。発動の委任を確認しました。いつでも発動可能です ーー
(任せる。俺じゃステータスあげてもたぶん反応しきれないかもしれないし)
ーー わかりました ーー
というわけでとりあえず煽ってみるスタイル。
「おいおい、いきなりご挨拶じゃないか。しかもいきなりか弱い女の子を狙うとかチキンかよ。お前ここいらで一番強いんだろ? じゃあ俺を狙ってみろよ。どうした? ビビってんの? プププーww」
ーー マスター、さすがにその煽り方はどうかと ーー
(まー雰囲気くらい伝わるんじゃね?)
ーー さすがにそれは ーー
ブラッドミストウルフは一瞬鼻に皺を寄せ牙を剥き出しにしたかと思うと夜闇に融けるように姿を消す。その瞬間エアリスの介入により強制的に【真言】が発動される。
ーー 「『纏身・雷』」 ーー
言うなれば新技。自分が電気ウナギにでもなった気分だ。
ーー まさかあんな煽りが通じるとは ーー
「まごころ込めて煽ればしっかり応えてくれるものなんだよ」
ーー それはまごころと言っていいのか非常に疑問です ーー
纏身・雷とは、文字通り雷を身に纏い接触した相手を感電させるというものだ。もちろん雷を身に纏ったら普通は無事に済むはずがないので自分は【拒絶する不可侵の壁】で表面を覆う事によって絶縁している。
これに索敵を組み合わせ常時待機・展開させ自動迎撃することも可能ではあるが、なにせエッセンスの消費が馬鹿にならないので発動を一瞬に絞ったカウンター狙いがもっとも効率的だ。【拒絶する不可侵の壁】を破る事ができない場合、絶縁ついでに敵の攻撃も防げる一石二鳥な素敵な技なのだ。そしてそこを纏った雷が襲う。
纏身・雷を纏った俺の首に噛み付いたブラッドミストウルフは『バチィィ』という耳を劈くような音と共に硬直し、口の中から肉が焦げたことによるであろう煙を吐いている。それでもまだ生きているようでその獣の眼は俺の目を睨んでいた。
これまでのモンスターは現実世界にもいるものの巨大版もしくは多少の変異はしていても動物の体を成している、逆に全く別物であることがほとんどだった。しかしブラッドミストウルフは動物としての身体を持ち、且つ霧化するという両方の特性を持っている。
某国民的大人気海賊漫画のサンピースにこういう自然と一体化するやつがいたなぁ、などと考えていると、ブラッドミストウルフにチビが体当たりし吹き飛ばした。感電したことにより霧化できなかったようだ。
空中に投げ出されたブラッドミストウルフに杏奈が渾身の正拳突きを決めると頭が半分陥没したブラッドミストウルフは地面に転がり虹色のエッセンスをもやもやと吹き出していた。
トドメの一撃を見舞った杏奈の表情は先ほどまでの……なんというか小悪魔的な艶かしさとは無縁でとても清々しい。
腕輪に吸収すると入れ替わりにドロップ品が現れる。虹色の星石と『黒い星石』。通常のモンスターから得られる星石は黒、支配者モンスターからは虹、ユニークや突然変異からも稀に虹が出るようだが、虹と黒が同時というのは初めてだった。素材がないというのはがっかりだったがそんなこともあるだろう。
「素材は全くなかったけど珍しいドロップの仕方だなぁ」
「虹色の石って珍しいっすよねー」
「それはそうなんだけど、虹と黒が同時にっていうのが初めてでさ」
「わふわっふ!」
「どうしたチビ?」
チビはどうやら黒い星石に興味津々なようだ。以前もチビにだけ赤く見えている星石があり、それを欲しがったことがあったためエアリスに確認を取ると今回も赤く見えているらしいのでチビにあげることにした。前回同様骨か石を砕くような音がした後に飲み込んだ。お腹壊さないといいけど。
俺は虹星石を腕輪に吸収し、これで21層の支配者権限を得ることとなった。
いつの間にか野良狼の群れはこの場から去っており残されたのは俺とチビ、そして杏奈だけとなっていた。転移でログハウスに帰ろうと思ったのだが、杏奈を見ると何か言いたげだったので転移は一旦保留することにした。
「湯冷ましついでに見回りでもしながら帰ろうかな」
「あ、はい。あたしも付いてきます」
しばらく歩いていると杏奈が申し訳なさそうな声で話かけてくる。さっきの、なんというか暴走的なことがあるからだろう。
「お兄さん、さっきは、あの……ごめんなさい」
「いいよ。気にしてないから。むしろ原因が御守りにあるかもしれないわけだしさ」
「でも、あたしなんかに言い寄られても迷惑っすよね」
「そんなことないって。それで、もう落ち着いた?」
「あ、はい。さっきの狼の頭を思い切り殴ったらなんかスッキリしたんで、今は大丈夫です」
「そうかい。それはよかった」
それにしても狼の頭を殴ってスッキリか。ストレス溜まってたのかな。
「あたし、あれ以来時々あんな感じになっちゃうんですよ。だからまた迷惑かけちゃうかもしれないっす。それで、迷惑だと思ったら除名してくれてかまわないんで、それまであそこに居させてくださいっ!」
「除名って、別に会員制とかじゃないしな。それに今じゃ俺が一番立場弱い気もするし、そんなに気を使わなくていいよ。それにみんなには言わないでおくから、普通にしてなよ」
変に気を遣うような場所じゃなく、気兼ねすることなく、気楽に居られる空間がベストなのだ。危険と隣り合わせのダンジョンの中にあるオアシスというか、そういう感じが俺の理想だ。
「お兄さんとあたしだけの秘密ってことっすね」
「ま、そうなのかな?」
「じゃあ……御守りのせいでこうなったことは黙っておくんで、またなったらお願いするっすー!」
「何をお願いされるんだよ。ってかいつの間にか俺が悪いことになってね……?」
解せぬ。
歩いているうちに見えてきたログハウスに、杏奈は元気に走って帰っていった。続いて俺もログハウスに入るとリビングには誰も居なかった。みんな自分の部屋にいるんだろう。
湯冷ましと言いつつ冷えすぎたので少し体を温める程度に風呂に入ることにした。チビの足とかも洗ってやらないといけないし。ということでチビを連れて風呂に行き、湯船に浸かりながらチビの足を洗ってやる。
「はーい、次は後ろ足だから向こう向いてー。ちゃんと向こう向くからチビは良い子だな〜」
ーー まるで躾けられた犬ですね。これがシルバーウルフというモンスターであることが信じられません ーー
(そうだなー。でも野良狼もだけどさ、狼って結構賢いんじゃないか? 他は問答無用だったり死んでも特攻みたいなとこあるけど狼にはそれがないやつもいるし。もしかしたら大昔の人も、そんな賢い狼だから共存できて犬が生まれたのかもしれないよなー)
足を洗い終えると、タオルで拭くなりチビは風呂場を出ていったので少しゆっくり浸かることにした。蛇口を開けてお湯を出しっぱなしにし、気分は源泉掛け流し! 貯水タンクのお湯はあとで補充する事にして、贅沢に使ってやろうと思う。
いっそのこと首の辺りからお湯が出るバスタブなんて作ったら、気持ちいいかもしれないな。そんなことを思っていると、ダンジョンの様子についてエアリスが思ったであろうことを言ってくる。
ーー 人間が存在しなかった場合、このようになっていたのかもしれませんね ーー
(人間がいなかったら、かー。それなら人間がいないのに草原があるのって、人間の代わりに森が広がらないようにできる何かがいるってことだよな)
ーー 20層の地下に巨大な反応を以前感知しましたが、それとは関係ないのでしょうか? ーー
(どうなんだろうなー)
ーー 思えばダンジョンの事で知っている事など、たかが知れているのかもしれませんね ーー
(そうだなぁ……)
ーー ご主人様、寝てしまう前に部屋に戻りませんか? ーー
(……うん、やばいなー。落ち着きすぎる。暗視できるからってのもあるけど、真っ暗な風呂もなかなかいいもんだなー)
風呂から上がろうとすると、ガララッと勢いよく引き戸が開かれ杏奈が入ってくる。戸を開けた当人はこちらに気付いていないようだが、暗視できる俺には引き締まったラインやゾーンがまるっとお見通しなわけで。しかし冷静に大人の対応を試みる。
「真っ暗な風呂もいいもんっすね〜。さて、さっそく湯船に……」
「……まずは体を流してからな」
「ひぃ! な、な、なんでお兄さんがいるんですか?」
「湯冷めしたからあったまろうかと。あとチビの足も洗いたかったし」
「え? じゃ、じゃあなんで真っ暗にしてるんですか」
「えっとそれは……露天風呂気分を味わいたいなぁって」
さすがに『見えるから』とは言えないあたり小心だなぁと思うが、濁しておいた方が平和な気がするんだ、たぶん。見られた事で叫ばれるというリスクを回避しつつ、先客がいるんですよ〜アピールすれば出て行くに違いない。この完璧な作戦なら大丈夫だ。
「そ、そーなんですか。露天風呂と言えば混浴もアリっすよね。じゃ、じゃああたしもお隣失礼しまぁ〜す」
そうはならんだろ、と思ったが勢いよく湯船に入って来た杏奈のせいでお湯が顔面を襲い言葉にできなかった。
普通は出て行くと思っていた俺の普通は通用しなかったらしい。杏奈が体を流している間も、湯船に侵入してくる間も、全て見えてしまっている。フルカラーだ。しかし目を閉じたり目線をずらしたり、時折チラ見しつつどうしようかと考えた。思いつかなかった。エアリスもなぜかだんまりだ。
「はぁ〜。いいですね〜」
「そ、そうだね〜」
蛇口からお湯が落ちる音だけが風呂場に響く。ちょっと気まずいが、こういうときって先に出るのも勇気がいるものなんだな。それでもなけなしの勇気を振り絞るしかない。
「じゃ、じゃあ俺はもう十分あったまったから先にあがるね」
「あっ……はい」
急いで身体を拭き、服を着替えて部屋に駆け込む。心臓のバクバクが湯中りした時以上で、近くに人がいたら聞こえるんじゃないかと思うくらいだ。ベッドに寝転がりしばらくすると漸く落ち着いてきた。
(ところでエアリス、なんでだんまりしてんの? それに杏奈ちゃん登場以前にたぶん知ってたでしょ?)
ーー 最近、あんなご主人様を見るのも楽しくなってまいりましたので ーー
(エアリスってなんでも受け入れるっていうかなんでもアリみたいなとこあるよなー)
ーー ご主人様を元にしていますからね。当然です。当然の包容力です ーー
困る俺を見てほくそ笑んでいたわけか。この性悪エアリスめ。
それにしても俺を元にしているからそのくらい受け入れられるみたいに言っていたが、俺はそんなになんでも受け入れられると思っていない。本当に俺の能力と感情から生まれたのかと疑ってしまうが、だったらなんだとも思う。今となっては経緯はどうあれ、エアリスは欠かせない存在なのだ。
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