上海郊外の闘争
「やっべ」
いつの間にか槍に持ち替え、陸上競技にある槍投げの助走の様な足運びとそれに連動した振りかぶり。槍投げの選手だったんだろうか? などと場違いな感想を持つ程に洗練されたフォームだが、そんな場合ではない。アルチョムとの距離は十メートル少々。飛翔体に気付く直前、アルチョム以外からの射線を切るために高度を下げていた事が災いし、足が街路樹にぶつかる。枝は折れたがバランスを崩した俺は地面に激突するのを避けつつアルチョムの投擲に対処し、飛翔体にも対処するマルチタスクに挑戦するハメになっていた。
優先順位としてはまず飛翔体だろう。俺はミサイルに詳しくないからあの中身がどういうものかわからない。だが、一般人を全く見かけないとは言え、この場所にミサイルが落とされた痕跡を残すのはあまり良くはないと思えた。
次に今まさに後頭部が迫る地面……と言いたいところだが、それよりも威力未知数の投擲される槍だ。一足飛びでビルの屋上までやって来たアルチョムの筋力も侮れないし、突然現れたとしか思えないあの槍自体が能力によるものだと推察できる。能力により生み出されたのであれば“普通に考えて”が通用しないおそれがある。つまり槍と同時にミサイルを防ぐ必要があり、【不可侵の壁】をどう使うかが大事だ。
最後は俺の後頭部をどう守るかだが、まぁなんとかなるだろ。
しかしこの時間がゆっくりになる感覚、思考加速とでも言える状態を意図的に起こせるようになったのはでかいな。今ではほぼ止まっているような感覚にすることも可能で、これだけあーだこーだと考え事をしていてもミサイルはまだまだ遠いしアルチョムは一歩しか進んでいない。エッセンスの消耗は明らかに多く感じるから何かしらの能力のようなものかもしれないが、エアリスには何も言われていないからよくわからない。問題があるとすれば加速されている状態なのは思考だけというところか。
で、だ。このままだと俺の後頭部が一番最初に危機を迎える。次にアルチョムの槍で最後がミサイルだ。全てが“丸く収まる”ための方法として用いる手段に必要なのはタイミングであり、後頭部が最後になるように調整する必要があるが、この長い思考時間で至った最適解はある意味初心に帰ったと言っていい。
発音しやすい速度まで思考加速を緩めていくと明らかに周囲が動き出し、意思を込めて『浮き上がれ』と言葉にする。たったこれだけで体は浮き上がり、街路樹に足が激突したとはいえ慣性はまだあるから、丁度いいタイミングで目標の高度と位置に到達するだろう。
まぁなんて事もない、最適解はただの【神言】である。『言葉にしなくても概念的思考で……』なんて事をエアリスは言っていたが、俺にはまだ確実に、正確にといった点で難しい。普段の日常生活、主に擬似ドライヤーだったり【不可侵の壁】の形状を椅子にしたりクッションにしたりといったログハウス内での慣れた使い方は別として、そうでない事に関してはやろうと思ってもいきなりできるかわからないが咄嗟に無意識的に出来る場合がある感じだ。そんなアテにならない状態ではどちらかと言えば“出来ない”の方が正解だろう。そうでなくとも俺の後頭部の命運が掛かっているとなれば確実性は大事だろう。
色々考え事をしている間に俺は高度と距離を稼ぎ、ミサイルは着弾地点に近付き、アルチョムの槍が放たれるまで残すところ腕を振り切るだけというところまで来ていた。スロー再生で見られたおかげでミサイルの速度がとんでもないことがわかった。モノによって航行速度に違いがあるんだが、今こちらに向かってきているものは亜音速ミサイルだと思われる。ソースはさくらの能力で具現化された銃の弾丸。貫通力を確保しながらも静音設計を目指したらしいそれと同等の速さだ。つまりなかなかの殺意を感じる。
それじゃまぁ準備しますか。
まず位置関係だが、【神言】によって浮き上がった俺は体勢を持ち直すために必要な高度を確保している。そんな俺とアルチョムを線で結ぶと、ミサイルはその中心に落ちてくる軌道になった。
次は俺とアルチョムの間に分厚く大きな正方形に近い【不可侵の壁】を“寝かせた状態”で気合を入れて作り出す。その厚みは二メートルほどで、それはつまり俺に向けられて放たれる槍は二人の距離と同等の三十メートルもの見えない壁に阻まれるという事だ。お互いの間にあるスペースを贅沢に使ったから、槍は投げられた直後に壁とご対面、ってな具合だ。もし貫通するほどの威力だとしても何の抵抗もなく、とはいかないだろうから時間は稼げるはず。
そして最後は着弾直前のミサイル。槍投げ直後に【不可侵の壁】を瞬時に球状へと形状変化させて包み込む。もしも【不可侵の壁】に色を付けたなら、花の蕾のようにも見えるかもしれないが、態々相手に見えるようにしてやる義理はないのでミサイルが爆発するまでほぼ不可視だろう。それで密閉状態にした球状の【不可侵の壁】で起爆したミサイルを抑え込むことができれば“丸く収まる”。球体だけにな!
……さてと。自分だけの思考の中で緊張をほぐすための一滑りは済ませたのでいざ実践である。ちなみに大きさ以外は慣れた作業だ。言葉にする必要もなければ【不可侵の壁】が現れるまでのタイムラグも気にする必要はない。
思考加速を緩めていき適切と思われるタイミングで【不可侵の壁】を発動する。加速中にエッセンスを広げるイメトレをしていたおかげか一瞬で展開される。
エアリスがミスリルの加工を練習だと言っていた理由がよくわかるな。ハッキリと聞いたかどうかは覚えていないが、エッセンスの操作さえできればほとんどの能力は再現出来るのだろうと思う。俺が持つ“言葉を現象化する”という能力をもある程度真似てしまえる香織の能力は、もしかするとエッセンスの操作能力と言い換えることができるかもしれないな。エアリスが敢えて固有の名称を付けたのには理由があるとは思うが、根本は同じだろう。
展開された【不可侵の壁】は、アルチョムが槍を放ったタイミングで形状変化させればミサイルを包み込める。完璧な調整過ぎて我ながら天才なのでは? などと思ったが、どうやら勘違いだったようだ。
「邪魔……ずるなあああああ!!!」
放たれた槍が向かう先は俺ではなく、上空のミサイルだった。その軌道は普通は見えない速度のミサイルに命中するのは間違いなく、俺はアルチョムへの警戒を三段階ほど一気に上げ、同時に形状変化を開始した。
そして槍はミサイルを貫く。しかも一本の槍で二発とも串刺しだ。同じタイミングで形状変化は完了し、大きな球体となった【不可侵の壁】の中心付近でミサイルが爆音と衝撃、そして熱を解き放った。そこで直感が働き、上部に穴を開ける。穴の空いた上部から光と熱、衝撃波が上空に放たれ、【不可侵の壁】を内側から撃ち破ろうとした。数秒後爆発が終わり、直後に強い風が吹いた。気圧の減った【不可侵の壁】内部へと上方の穴から空気が流れ込み、その内圧が爆発的に上昇する。掛かる力は爆発時よりも劣るものの、それにより今度こそ【不可侵の壁】はガラスの割れるような音と共に砕け散った。
着弾地点はより厚く、今できる最硬にしてあったが、正直アルチョムの槍が迎撃しなければ着弾時に貫通もあり得た。貫通されなくとも【不可侵の壁】の崩壊もあり得たかもしれない。
「燃料気化爆弾ってやつか……?」
気付かなかったら終わってたな。こんなのを、俺を殺すためだけに撃ったのか。しかも一応ここ、大陸の国の領土内なんだけどな。今は国家主席以下重鎮が姿を眩ませていて国家運営自体が停止しているとは言え、戦争が起こってもおかしくないぞ……あっ、侵攻って戦争か。ともかく、どうやら俺は北の国上層部にとって相当に邪魔な存在らしい。
おそらく今のミサイルはエアリスが干渉できないタイプだ。リアルタイムでの誘導がされておらず、搭載されたコンピュータによってオフライン制御されていたと思う。根拠としてはエアリスが無反応な事と、まだ誘導が利く上空の時点で俺は移動したにも関わらず、軌道修正されなかった事だ。この場所を狙えたのはアルチョムら軍人をビーコン代わりにしていたか、軍事衛星なんかで今も見ているからだろう。そう考えるとエアリスが把握・干渉できない兵器は多いと思っておいた方が良さそうに思えたが、ひとまずなんとかなったので今は良いだろう。
「なんとかなったか……よっと」
結果を見届け、慌てて後方宙返りで地面に足を向ける。勢いを殺すために地面を踏みしめるとそのまま後方へ数メートル、土埃を巻き上げながら滑るようにして止まった。
二発のミサイルを抑え込んだことにより、破壊力に特化された爆風はこれと言って周囲に対して被害を齎さなかった。強いて言えば上空に向けて爆風を逃した事により、少しだけ周囲の気温が上がった事だろうが、それもすぐに元通りになる。
これで問題解決……とはいかないようだ。ここまで俺を全力疾走で追いかけ、高速で突っ込んでくるミサイルに槍を投げ当てたアルチョムが、体から湯気を上げながらこちらを睨んでいる。それに他の軍人たちも迫ってきており、その表情から自分たちが巻き添えになっていたかもしれないなどという不安や恐怖は感じられない。
「なるほどな。そっちにもヤバいやつがいるってことね」
精神汚染・洗脳が思っていた以上に強力だ。エアリスがどういった手段で打ち消したのかわからないが、それがいつまで持つのかはわからない。
「やれるうちに減らすか……『回れ右して帰りな』」
ほとんど大きな建物が見当たらないこの場所から、軍人たちが乗る一般車両は【神言】と【覇気】の合わせ技によって文字通り回れ右をして上海市内に戻っていく。しかしやはりというべきか、アルチョムは依然としてその場に佇んでいた。
「どうしてミサイルを狙った?」
「邪魔、だがらだ!」
「そ、そうか」
「お前ど、戦うだぁー!!」
うわぁ……こいつ洗脳されてるとはいえ戦闘狂すぎん? ってかなんでそんなに俺に執着すんの? 洗脳されてるから? だからって普通、槍でミサイル迎撃とかするかよ。【ルクスマグナ】なら俺も撃ち抜く自信はあるけど、槍って。ありえん。そもそもあのミサイルはどう考えても俺を狙ってた。なら、こいつはミサイルを撃ち落とそうとしたのは間違いなはずだ。いや、洗脳されてても自分の命は惜しい? いやいや、こいつ言ってたじゃんか。邪魔だ、って。
「とんだ化け物だな」
「バケモノじゃねーだ! アルチョムだぁああ!」
「お、おう。アルチョムか」
【神言】で他の軍人たちは戻って行ったのにアルチョムにはまるで効果なしだ。相変わらずここぞって時に効果ないよな【神言】君。
「いくど!!」
アルチョムの右手に馬鹿でかい片刃の剣のような武器が現れる。実物を見たことなんてないからわからないが、斬馬刀ってやつだろうか。横に構えこちらへ向けて走り出すアルチョムだが……遅い。さっきまでの速度はどこにいった?
好奇心がむくむくと起き上がるのを感じる。こんなのがバレたらみんなに“また”と呆れられそうだけど、幸いここにみんなはいない。それに初見の相手がどういう攻撃をしてくるか知りたいのはもう病気みたいなものだ。子供の時分からのゲームプレイスタイルでもある。ダンジョンがある今が現実なのはわかっているし怪我をすれば当然痛いのもわかっている。腕やら足が吹っ飛んだことだってあるしな。でも俺の能力の汎用性は欠損を治すこともできるわけで、つまり即死じゃなければ問題ない。
ということで試しに打ち合ってみようと思い巨大な大剣、エリュシオンを取り出した。横から力任せに振られたアルチョムの斬馬刀を真っ向から迎え撃つ。
「なっ……」
「うごあー!!」
フルスイングしたエリュシオンは、アルチョムの斬馬刀に力負けという結果に終わった。押し返されたおかげで助かったが、エリュシオンが切られるほどの切れ味なんてものがあったら俺に届いてたな。危ない危ない。
しかし疑問だ。さっきより明らかにパワーが上がっているように感じたが、助走はお世辞にも速いと言えるものではなかった。最初にビルの屋上に現れた際の跳躍力も今はなさそうに思える。それに加えてあの時はもっと繊細な一撃だったように感じた。
「もしかして……」
ただの肉体強化能力なら、俺のように物理現象を歪めて物を仕舞っておける保存袋があったりゲームやラノベでお約束のインベントリやら収納魔法的なものでもない限り、武器が突然手元に現れるなんてことはないはずだ。それに多少武器を変えたからといって、同等の重量がありそうな武器を持ち替えただけでパワーやスピードが変化するのも不自然だ。
悠里あたりからまたゲーム脳と言われそうな発想だが、アルチョムが持つ武器に“補正”のようなものがあるのでは。もしくは……
「喚び出した武器によってステータスが変化する……?」