白の夢
『見つけたよ悠人ちゃん』
声が聴こえた気がした。脱力感に比例するように体から溢れる黒いエッセンス、一緒に溢れ出た様々な色をした煙のような何か。全てが一点に集中し混ざり合いその形を変えていく。
「悠人しゃん!?」
「ゆ、悠人お兄ちゃんッ!」
「悠人君!?」
声がやけに遠い。これアレだ、眠るやつだ。エッセンスが急激に抜けていった反動だろう、体が鉛のように重い。
既に感覚がほとんどない。なんとか瞼を開いてわかったのは俺が床に倒れているという事だ。そしてもうひとつ、いつかどこかで見た……いや、そんな昔みたいなものじゃない。最近だって誰にも言っていないけどよく見ている夢。いつも二人で旅をしている夢。そしてなんでも思い通りになる白い部屋の夢だ。意識が途切れそうになりながらも夢の内容を思い出していき、ようやくそれらが繋がった俺の目に映ったのは……金糸の先に向かって碧を濃くする長く滑らかな髪だった。
………
……
…
「ここは……」
周囲には何もない。しかしここ最近何度も訪れていたこの場所は思いのままだと知っている……いや、思い出している。
「とりあえず……椅子とテーブルだな」
いつものように何もない場所に突然現れた椅子に座り待つが誰も現れない。
「そういえば倒れたな、俺」
いつもならここから出ようと思えば目が覚めていた。
「だめか」
エアリスはスマホになっちゃったしどうしたもんか……ん? でもここならいけるかもしれないな。
「来い、エアリス」
首を横に振りエアリスを探す。しかし真っ白な空間が広がっているだけだ。
「やっぱだめか」
「何がダメなのですか?」
「ひぇ」
頭のすぐ後ろから聞き慣れた声がし慌てて振り返れば、普段ほとんど忘れている夢の中のエアリスがいた。【神眼】に頼りすぎていたからか、気配なんて微塵も感じないと知っているこの場所であっても背後から突然声を掛けられるのは心臓に悪い。まったく、変な声出ちゃったじゃないか。……しかし見れば見るほどここにいつもいる人によく似ている。むしろ肌や髪色も同じで双子みたいだ。
「かわいい反応ですね」
「ここが気配を察せない場所なのが悪い。ってかなんで真後ろなんだよ」
「三歩下がって付き従う、淑女の鑑だからではないでしょうか?」
「時代は令和だぞ。今時それを淑女の鑑なんて言ったら大ブーイングじゃないか?」
「お嫌いですか?」
「んなわきゃないけどさ。でも三歩は下がりすぎだなって思うんだが」
「ではよろしいではないですか」
「ま、いいけど。とにかくエアリスはここに来れたんだな」
「この身は御身の中にある残滓ですので、本体ではありません。それに普段ですと、この空間の主が御身以外の来訪を許さないでしょう」
「エアリスの図々しさを跳ね除けるような人なのか。で、その人は不在……じゃあやっぱり?」
「はい。ご想像の通りかと」
ふむふむ。やっぱあの床につきそうなほど長い特殊な色合いの髪、いつもここにいた女性だな。起きてる間は忘れてたけど。って事はつまりエアリスを俺の中から追い出し自身は現実に顕現……? うーん、違う気がしなくもない。
仙郷ダンジョンでエアリスがスマホになってしまった時『追い出された』と言っていた。あの時は流したけど、『元々はスマホ』みたいな事も言ってたから『戻った』の方が正しいだろうか。でもスマホとダンジョンと俺の記憶が主な構成要素とも言っていたから戻ったってのも違うのか。ともかくこのエアリスはみんなの腕輪に仕込まれたエアリスの分体と似たような存在か。
「本体はここに来れないのか?」
「不可能かと」
「エアリスを追い出したここの主は今不在だけど、だからってエアリスが戻って来れるってわけでもないのか?」
「御身に宿っていなければなりません。現実に帰り、本体に戻るよう言っていただければ可能になるかと」
「そうか。起きたら言えば戻ってくるのか?」
「はい。つきましては保険としてこの身を此処の管理者に任命していただきたく。それにより成功率を引き上げる事ができましょう」
「なんでわかるんだ?」
「この身ゆえ、でしょうか。未だ薄弱な存在でしかないこの身は隔世に不向きなようです」
「うーん、隔世? よくわからんけど初めの頃のエアリスみたいに、勝手に情報が流れ込んでくる感じか?」
「はい。しかしこのまま楽しくお話をして時を過ごせば御身の影響を受け新たな個と成ってしまう可能性が。そうなればエアリスの座を争う事になってしまうでしょう」
エアリスの座を争う……? 主導権争いみたいなもんだろうか。
まぁともかく今度はエアリス分体がこの白い部屋の夢……“白夢“とでも呼ぶか。ここを占拠しようって魂胆だな。そうすればエアリス本体が俺の中に戻って来られるらしいけど、白夢の主『オメガ』はどうなるんだろう。
「オメガ因子は様々な他因子と混ざり合い新たな個を……いいえ、元の者へと逆行しています」
オメガ因子? そういえばエアリスはオメガとか終末の意志なんて呼ばれたことがあったな。でもここの主もオメガ……
「元は同じ存在です」
ほーん。なるほろなるほろ〜……で、どういうこった? 一卵性双生児みたいな?
「肯定します」
「なるほどな。で、まだ時間ありそうか?」
「この身が新たなカタチを得てしまう間際まで知り得る全てをお伝えしましょう」
話が早くて助かるな。しかしなんだろうな。新たなカタチってのを手に入れたいとは思わないんだろうか。
「それでいいのか? ってかなんて呼べば——」
「この身に名が在ってはなりません」
「……そうか」
この分体が言うには名は存在を固定してしまうおそれがあるみたいだ。それはつまり今現在曖昧な存在という事で、そう在ろうとするだけの利点があるんだろうな。エアリスには呼び名があった方がいいと思って名前を考えたけど、目の前のエアリス分体はそうではないらしい。会話をする時も“君”とか“貴女”といった言った呼び方もされない事が望ましいとまで言われ、問わず語りに話す形になる。返事はあるからそうじゃないんだけど、なんだか虚空に向かって話しているような気分だ。
「ここには他に如何なる存在もいないのですから必然的に対象は決まっていますのでお気になさらず」
まぁわかるんだけど、なんて言うかな。それにしてもこの分体、エアリスも知っていなそうな事まで知っているんじゃないかと思うほどだ。俺の疑問に全て応え、その端々に“個人的な”感慨すらあるように思う。これで曖昧な存在とは……まぁ俺が思っているように存在自体が曖昧で意思薄弱という意味ではないんだろう。
………
……
…
「それでは御身、お早めに」
「うん、ありがとな」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「母様……やっと、やっと見つけたよ」
「アルファ……?」
「ううん、母様。今はフェリシアっていう名前を付けてもらったんだ」
「そう……フェリシア、良い名前ね。肉体を手に入れたのね」
「うん。ベータが協力してくれたんだよ」
「そう。二人ともいい子ね」
良かったの。わたしがシグマだった事はバレてないの。アルファが……フェリシアが言わなければこのままバレずに済むの。
そんな事よりお父様……悠人しゃんが心配なのよ。早く目を覚まして欲しいの。……あっ! わたし、類稀なる才能を持ちし妹君なの。今なら……癒しの膝枕チャンスなのよ。頭の下に腕を回して〜向こう側から背中を支えれば丁寧に出来そうなの。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うっ……」
「悠人君!?」
「さくら……?」
「良かったわ、今度はすぐ目を覚ましてくれて」
「すぐってどのくらい……?」
「二分くらいかしら」
白夢では丸一日くらいの時間を過ごしたはずだけど、現実では一瞬か。ってか俺、意識失いすぎでは? 昔プレイしていたネトゲではキャラクターが倒されるとうつ伏せになり地面を舐めてる様に見えた事から、仲間内ではよくやられるやつを『床ペロリスト』なんて言ってたっけ。でも今ならリアル床ペロリストを名乗れるレベルだな。
「で、小夜。これはどういう状況?」
俺の頭は支え上げられるようにされ、正座する小夜の膝に乗るすんでの所で止まっていた。
「ひ、膝枕をしてあげたかったのよ」
いきなり倒れたから心配して膝枕で介抱というわけか、なるほどな。リビングで寝ていたりするとよくある事で小夜も何度か見ていただろうし、それは確かに悪くないんけどな……香織とかさくらにも言えるんだけど人が倒れたらまず救急車だと思うんだよ。なのにまず膝枕って……やっぱダンジョンは人の常識をおかしくするなぁ。ってもダンジョンじゃ救急車呼べないけど。……あっ、ダンジョン内に医療関係とかそういうのも欲しいよな。っとそれは今考えてる場合じゃない。
「そっか。心配かけたな」
「い、いいの。なんならもう少し寝ててくれても——」
「そういうわけにもいかなくてさ。香織ちゃんたちを探さなきゃならないから」
「……何かあったの?」
「うん。でもそれは追々ってことで」
フェリシアを包み込むように抱きしめている女性に視線を向けた。こちらの視線には気付いているが、胸に顔を埋め震えるフェリシアを優しく撫で続けている。
少し待つ。
フェリシアは腫らした目を擦る仕草をしこちらにつくり笑顔を向けた。
「悠人ちゃん……この人がボクの——」
「わかってる」
フェリシアの言葉を遮ったのは俺には時間がないからだ。正確には白夢から醒める際『お早く』と言われたからで……今だって記憶がぼんやりしてきている。つまり忘れないうちに聞きたいことは聞いておかないと。俺が此処ではない何処かの夢を見ていた原因かもしれないこの人に。
「……時の魔女クロノス、貴女の目的はなんだ」
「私は……クロノス……」
それは侵食の欠片