演技力は大事2
「じゃあお父様って呼ぶのをやめような?」
「では……ゆ、悠人……様」
潤んだ瞳で美女がこちらをみている。空中で背に負う六翼をパタパタさせながら。しかし戦ったフリもしながら。
目を合わせて恥ずかしがるかのように片方の手を頰にあてくねくねし、それでいて軽くとは言え振るわれたエリュシオンを黒いオーラを纏わせた指一本で弾く。
なんなのこの子、規格外すぎねぇ? エリュシオン、すごく重いんだぜ?
「様とかいらないから……なっ。あとあんまりそういう変な動きしてると……俺たちの関係がバレかねないぞっと」
「カ、カンケイ……ッ!? そ、そんなっ! わたくしと…ゆ、ゆゆゆ悠人様がそのようなた爛れた関係だなどと——」
「ただれてないから普通にそれっぽくしててくれよ、頼むから」
キャーキャー言っている魔王を放置したままエアリスが続ける。
ーー しかし不可侵地域にしてしまってはエテメン・アンキにお客様が来なくなってしまいます。そこで魔王は“ヒト同士の諍いをダンジョン内で行わないのであれば手を出さない”事を、ペルソナ立ち合いのもと宣誓するのです。しかし定期的に魔王に挑む者がいない場合その限りでは無い、と。放っておいても問題ないとなってしまえば無条件のようなものとなり意味を成さない可能性が大きい事から敢えて条件を付けるのです、それも人類側に少々不利な条件で ーー
定期的に挑まなければならない……まるで生贄みたいなシステムだ。
「ダンジョン内で諍いを起こすなってことは20層以外でもってことか?」
ーー プライベートダンジョンまではそれほどの強制力を持たせなくとも良いかもしれませんが、基本はそうなります。もしも破った場合、今度こそ魔王がその者とそれに連なる者を粛清するとすれば良いのです。良く受け取れば仲裁者、悪く受け取れば獲物が罠にハマるのを虎視眈々と狙う捕食者でしょうか ーー
「その場合ログハウスと喫茶店がある階層はどうなる?」
疑問に案を返したのは再び鍔迫り合いに持ち込んできた魔王だった。エリュシオンと魔王の指の間から火花のようなものが散っている。
「わたくしが気に入った場所、ということにすれば良いのではありませんか? わたくしの許可なく主張することはまかりならないとすれば。もちろんペルソナという存在がわたくしの宣言を見届けるのですから、わたくしが宣言を違えぬようペルソナに見張らせるための条件、というもっともらしい理由を付けても良いですわね」
たしかに都合が良いように思える。しかしさらに問題が出てきそうな気がしなくもないな。いくらペルソナが所属しているとは言え、ログハウスだけが得をすると見えるだろうし。
「ペルソナと魔王は宣誓を違えれば即時敵対するとし、クラン・ログハウスはエテメン・アンキの地下を魔王に貸し出す。それによって魔王を監視することになるのではありませんこと? それに異を唱えるのであれば魔王城に攻め込み魔王を討てば良い、と。もちろんその場合は全力で殺しますわよ」
「できれば殺さない方向で頼みたいんだが」
ーー ではウロボロス・システムを適用することにいたしましょう。さらにそこへ宣誓を織り込めば良いかと ーー
「ウロボロスに宣誓……なるほど。魔王に負けた場合、生き返るための条件を加えるとかそういう感じか」
エアリスの口車に乗せられているだろうか? だが他にこれといった代案も思いつかない。
「じゃあ最後の問題だ。どうやってそれを世界に認めさせる?」
今打ち合いをやめていきなり『宣誓しまーす』と言ってもきかないだろう。現に今も進軍が止まっているわけではないし。だからまずは進軍をやめさせなければならずその上で宣誓をする必要がある。ただその宣誓もどれだけ信用されるかという問題もあるのだが。
ーー 宣誓についての信用は問題ありません。EUのほぼ全て、アメリカ大陸の半数以上がその効力を実経験により理解しています。いつもの宣誓により日本国内で平和的活動以外を認めず、実際に実行不可となることはこれまで宣誓をした者が理解していますし、だからこそ日本が関係していない交渉でさえペルソナによる宣誓によって安全が確保できる日本で行われることが増え続けているのです。問題があるとすれば、そもそも各国の進軍をどうやって止めるかの一点かと ーー
【真言】を使って強制してしまうか? いや、悪手だろう。それをしたのがペルソナと知られてしまえば一時的にでも敵対したと見做されかねない。それにペルソナが無条件にどんな場合でもそれを人類に向けるということを、想像はされても実際にするわけにはいかないのだ。
他にもあくまでペルソナの能力は言語に関してのものということになっているため、実はその言葉自体に力を持つと言うことが知れるのは困る。
公表はしていないし現状知っている人たちは言いふらすようなことをしていないとは言え“悠人”としての能力を知る誰かから何らかの方法で漏れないとは限らない。そういったことが重なりペルソナと御影悠人の能力が同一と判定されてしまえば……ペルソナは御影悠人だという事まで知られてしまうことになり本当に困る。もちろん超絶個人的な理由で。
どこかの副将軍みたいに家紋の刻まれた印籠を出す前の『静まれ静まれぇ〜い!』があったら楽なんだけどなー。
ーー マスターが自由にのんびりとするための尊い犠牲がペルソナです。もしもペルソナが請け負っている国からの依頼、主に宣誓を“悠人として”することになってしまうと、マスターの知名度が高くなりすぎてしまい香織様とのデートが気の休まらないものとなってしまいます ーー
ごく最近に限っては変に緊張したりドキドキしたりでそれ自体が気が休まらないのだが、まぁそれはいいだろう。ともかく御影悠人とペルソナは別人でなければ都合が悪いのだ。越後のちりめん問屋が権威を示しつつも副将軍だとバレずに解決しなければならないようなものなのだ。
鍔迫り合いと打ち合いを繰り返し、時々魔王が戦車を真っ二つにした黒い光を放ってくるがその動きは緩慢でありどこを狙っているか知らせてくれているような動きだ。というか実際そうなのだろう。俺はそれを【拒絶する不可侵の壁】を纏わせた手で払うようにして防ぎ、眼下の人々にあたらないように動く。
突然思いついたように魔王が手の平を上に向けると、そこに赤熱した球体を生み出した。
「こういうのはいかがでしょう? 派手さはありますわよ」
放たれたそれを【拒絶する不可侵の壁】によって受け止める。するとその球体は四散し、眼下の人々にもその爆風と共に拳大の火の粉が降り注いだ。
ーー ルクス・マグナの爆散型ほどではありませんが、この距離で熱波が届きましたか ーー
火の粉が当たってしまったり、生み出された熱波によって火傷を作っているのが窺えた。
「進軍が止まる程度の影響くらい与えられると思ったのですが……あの嵐を使う者の仕業ですわね」
見れば必死の形相で強風を起こし、熱波がそのまま届くのを防いだであろう派手な髪色を逆立てる嵐神がいた。その顔には“出禁は勘弁”と書いてある。
実際にあんなものをまともに受ければ人が死んでもおかしくないわけで、『一人も死なせるな』というほぼ命令に近いお願いをしっかり聞いてくれているということだろう。
一方魔王はというと、涼しい顔で次はどうしようかと考えていた。そして次に思いついた事を実行する。
「悠人様、わたくしが脅威と見做されればよろしいのですわよね?」
「まぁそうだな」
「では少々本気を出します。えいっ!」
かわいらしい声、しかしエリュシオンは軽々と弾き上げられ胴体がガラ空きとなる。ほぼ反射的に【拒絶する不可侵の壁】を局所多重展開したが、魔王は俺を狙わずさらに上空へとその六枚の黒翼を羽ばたかせ舞い上がった。
嫌な予感を覚えそれを全力で追おうとするが魔王の六枚の黒翼による上昇速度が速く追いつくことはかなわない。
そしてその細い両腕を眼下の人々に向けた魔王がよく通る声で言い放つ。
「人間ども、我が力を知るが良いっ!!」
呼応するかのように魔王のか細い腕にエッセンスが纏い、天へと向けた掌に集まり凝縮していく。やがて黒い稲妻が見えたかと思った時、魔王がそれを解き放った。
「【破局之暴君】」
それは大いなる黒き光。常に明るいはずの20層が一瞬で闇に染まる。
破局齎す暴君の黒光は魔王の眼下にいる人々を遍く標的としていることが【神眼】により理解できた。
確かに脅威と思われれば良いとは言ったが、人死には無しってのがどっかに行ってると思う。
「無茶しすぎだろ……っ!!」
これは俺なら半分も防げないな。とはいっても最近腕を怪我してしまったことを教訓として今日は最初からエアリスが対処することになっている。ということは俺にとってオートモード状態、現状ではそのオートモードの方が優秀だと思うのでお任せする。
ーー 【拒絶する不可侵の壁】を“並行多重展開”。全ては防げません。一箇所展開が間に合いません ーー
時間の流れが止まったかと錯覚した一瞬の間に、エアリスの思考が流れ込んでくる。ある程度は四人ののんべえたちに任せ、それでも防ぐことのできないひとつに対処する。
エアリスが咄嗟に必要最低限のサイズだけ【拒絶する不可侵の壁】を展開することで放射状に放たれた幾千もの光から人々を守ることに成功するが、地面に落ちる斜線、その付近の人間に被害が出ない、もしくは軽微とエアリスが判断したものについては無視だ。それでいてのんべえたちに肉壁として手伝わせている。それはつまり正直余裕はあまりないということ。
そのうちのひとつが探検者のいる場所へ向かって抜けていってしまう斜線だったため、不可侵の壁をその場に残したまま【転移】し、探検者の女性の前に立ちはだかりエッセンスを流し込んだエリュシオンを振り抜き打ち消した。エッセンスを流し込まれ淡く光を放つ大剣、その腹には指先ほどの穴が空いていた。それはつまりエリュシオンを貫通したということで、実際は打ち消せていなかったということ。しかしその黒光は体に届く直前に星銀の指輪により発動された【拒絶する不可侵の壁】によって防がれていた。
背筋を冷たい汗が流れたように感じた。
ふと後ろの探検者の女性、二人組を見ると片方は見知った顔だ。この女性たちはどうやら巻き込まれたようでなんだか申し訳ないような気分になったが、それどころではないのですぐに上空へと【転移】で戻る。
魔王が掲げた黒い光が収まると20層にいつもの明るさが戻ってくる。
それにしても“並行多重展開”? たしかに黒い光線を防ぐ事ができるサイズの小さな不可侵の壁、しかし広い範囲をカバーするものとは段違いに不可侵と言えるそれを無数に。しかも多重展開したことによって難易度が高そうに思えるがその割には反動がないように思う。といっても最近は不可侵の壁に関してはほとんど反動を感じることはなかったが。もしかすると本来はこういう使い方の方が正しいのだろうか。だからエアリスが使ったのに反動が来ない?
……いや、今考えることじゃないな。そもそも考えてわかるかと言えば現状ではわからないことだけはわかる。
眼下では黒い光が直撃した地面が爆弾でも爆発したかのように抉れており、その現象を目の当たりにしたことにより各国軍の進軍は止まっている。そして皆一様にこちら側、上空を見上げていた。中には腰を抜かした者やズボンに染みを作っているもの、頭を抱え蹲る者も多くいた。それらは各国の軍に多く、自衛隊や探検者のほとんどは服を汚さずに済んでいる。やはり昨日今日来たばかりの人間とは違っているということか。
ちなみにのんべえたちだが、天照以外が自らの肉体も使って壁としたことで結構ボロボロな見た目になっている。天照だけは『さっすがっ! やるじゃ〜ん⭐︎』などと言いながら舞っている。こんな時に暢気な、と思うかもしれないが、あの舞踏に何かしらの意味があることは明白だった。その証拠に周囲の広い範囲に黒い光の余波すら見当たらない。
とは言え。
やりすぎだと声を掛けようとした時、口元を手で隠すようにした魔王が先に言った。
「この舞台の終幕ですわ」
その言葉と同時、防ぎきれず地面に吸い込まれた黒い光が吹き上がった。地を裂くような光とともに地震のような揺れが起き、人々はもはや立っていることもできないようだ。
直下の黒い光はすぐに収まったが、遠くの地面から空高く黒い光があがって大地を無理やり引き裂いているかのような轟音がこちらまで届いてくる。そしてそれは全方位からだ。
「なにをしたんだ!?」
「神殿地下にあった魔素を利用しましたの。ほぼ全て使い切ってしまいましたが、これで力を示すことくらいはできたと思いますわ。悠人様と、それに悠人様の僕共の反応が早かったために犠牲はいないようですわね。まあわかっていましたけれど」
口元を手で隠しおほほと魔王が笑った。
魔素……エッセンスのことか。呼び方は人それぞれとは言え、何かに統一した方がわかりやすいな。しかしそうは言っても、ほとんどの人間はそれを感じることすらできないし、そもそもそれほど広く知れる共通した呼び方が必要かと言えばそうでもないように思えた。エアリスがエッセンスと言っていたから俺たちはそう呼んでいるし、一方で魔王はそれを魔素と呼んだ。魔王として存在している身として、やはりそれらしい呼び方になるのだろうと勝手に結論付けた。ま、ベータが教えたんだろうけどな。
ーー ワタシがエッセンスと呼ぶのはそれがダンジョンの“全てを構成している素”となっているという考えからです。魔王は、やはり魔王が存在しているような創作ファンタジー世界ではマナ、エーテル、魔力、魔素と言ったような言葉がよく使われるということもあり、似合うからでしょう。要するに雰囲気です。規格外ではありますがファッション魔王なのです ーー
エアリスも魔王が魔素と呼んだ事について俺と同じ見解らしい。
そういえばエッセンスという呼び方について以前もエアリスが言っていた事を思い出した。全てを構成している素とは言うが、そのエッセンスの素も感知できないだけで存在してはいるようだし、まだまだダンジョンについて知らない事だらけだ。
突然何かに気付いたようにエアリスが言う。
ーー あの地下には大地を割るだけのエネルギーを生み出すに足る量のエッセンスが溜まっていたのでしょうか ーー
一瞬なにを言っているのかわからず思わずエアリスに聞き返してしまう。
「は? 大地を……割る?」
【神眼】でご確認を、と言われそれに従う。するとここを中心に周囲数キロ先の地面が深く抉れており、エアリスの言った通りまるで大地が割れたかのようだった。
「地面が揺れてるみたいだけど、それも魔王が?」
「それほどのことはしていないはずですわ」
「そうか。にしてもやりすぎだ。少し気をつけてくれ……頼むよほんと」
「もぅ……わかりましたわよぉ」
呆れたように言うと魔王は困ったように返事をする。どのくらいのことができるのか、自分でもよくわかっていないのかもしれないな。まぁ俺もそれに関しては強く言えないけど。
それにしてもなんだかほんと変な世の中になったもんだ。一年前の自分からは考えられないな、人間やめたみたいな戦いを“演技”ですることになるなんて。
それからしばらくの間、俺と魔王は激しい戦いを繰り広げた……という演技をしながら三人で作戦を練った。
その間も揺れは続いており、地上を見ると時折足を縺れさせていたり座り込んだりする人が散見されるようになっていた。遠くを見ればワイバーンがたくさん住んでいる岩山のある地帯から山脈が生え出している。猫の森にも変化があり、“新たに古そうに見える木々が生え”単純に森が広がっていっているのに加え地面が盛り上がり山ができていく。遠目でもわかるくらい巨大な滝が山の山頂付近にできており、その水量は山が高くなっていくにつれて増えているようだった。
他にもいろいろと、何かの遺跡跡やピラミッドのようなものも地面から生えるようにして発生していた。それについてエアリスは仮説を立てたようだったが、確信には至っていないようなので今はその事を一旦忘れるように言った。
派手な戦闘を演じるのもなかなか大変だったが、そこは魔王が見た目だけ派手な攻撃で地面を少し抉ったり炙ったり、未だ進行を続ける少数の軍人には持っている武器を戦いの余波に見せかけて破壊したりを繰り返した。それにより空中で戦う俺たち以外の日本人やそれに味方する者はエテメン・アンキ周辺に避難が完了しており、そこでは悠里が【マジックミラーシールド】を汗だくになりながら超広範囲に展開していて、そのおかげか周囲の人々は無傷のようだった。
一方各国軍は武器を失っていくにつれてここに来た目的を忘れていくように、悪あがきをする四天王とそれを余裕の表情であしらうのんべえたち、そして俺と魔王のパフォーマンスにその目を奪われているようだった。