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非日常になった世界でも日常を過ごしたいなと思いまして。  作者: あかさとの
5章 適応する世界でものんびりしたい
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幻魔相剋


ぎゃうん!!


 軽く胸を押されたような感覚の直後、獣の苦痛を帯びた悲鳴が聴こえた。その声は明らかにメガタウロスと俺の間に転移で現れた獣から発せられたものだが、それを理解するのに要した時間は体感で数秒ほどかかったと思う。


 (え? チビ?)


 振り下ろされたトゲ付き棍棒が俺に直撃する直前、チビが目の前に転移して俺を庇った。

 メガタウロスの全力を乗せた一撃はチビに直撃し、棍棒のトゲがチビの脇腹をズタズタに抉る。

 そのまま振り抜かれた棍棒により横へと飛ばされたチビは辛うじて意識を保っている状態、脇腹からは鮮やかな“紫色の血”が止め処なく流れている。それを目にした俺は一瞬体が硬直し思考だけが加速されたような感覚に陥っていた。周囲は色を失い俺の目に映る色を持ったものはチビの血だけだった。


 チビの紫の血、それ以外が白黒となりこの令和の時代に不似合いな白黒テレビを見ているかのようだ。テレビとは言っても画面、もとい視界は動かない。というか動かせない。その固定された視界に映るのは一撃で瀕死となったチビの姿だった。


 (チビが大怪我だ! 血がすごいぞ……色は紫なんだな。エアリス、あれ治るよな? 首輪に不可逆の改竄が付与されてるし大丈夫だよな? あれ? どうしてチビはすぐに改竄しないんだ? なぁ? エアリス?)


ーー けぷっ……落ち着いてくださいマスター。もうお腹いっぱいです ーー


 (お腹いっぱいって何言ってるんだよ)


ーー マスターの負の感情が爆発しそうでしたのでできる限りこちらで処理したのですが…… ーー


 ( ……あ、あぁそういうことか。食べるんだっけ? 嫌な感情)


ーー 有り体に言えばそうですね ーー


 (まぁいいや。ところで体が動かないし周りが白黒テレビなんだが?)


ーー 昭和ですか。マスターの感情の処理を兼ねて思考能力を加速しています。しかし安心してください。マスターの思考を加速しているのではなく、ワタシの演算能力を加速しています。マスターの思考をそこに乗せているので長期運用をしなければ負担はほとんどないかと ーー


 (なるほど。ってそんなことはいいからチビが大変なんだよ)


ーー わかっています。ですから落ち着いてください。現状、擬似時間停止状態であることをご理解ください。よってワタシとマスターの二人きりの夢のような世界とも言えます。お分かりですね? ーー


 (あ、あぁ。少なくともそんな冗談を言えるくらいの時間はあるってことか)


ーー はい。しかしそれも思考のみ。他に影響することはおろか、マスターは動くこともできません。それとチビの血に色が見えるのはマスターがある種のショック状態だからです ーー


 (ショック状態か。にしても視線すら動かせないし。こんな状態で何ができるんだ?)


ーー 予約ならできます ーー


 (何言ってんだ)


ーー 例えるなら、剣と魔法の世界によくある“魔法詠唱”のようなものを完了させた状態で時を動かすことができる、とお考えいただければ ーー


 (……それで何をしようっていうんだ?)


ーー “召喚”というものをしてみようかと ーー


 (召喚……? なにを?)


ーー 玖内道景様を ーー


 (なぜに? っていうかそれとチビの怪我を治すのとなんの関係があるんだ?)


ーー なんの関係もありませんね。しかしチビなら問題ありません。ワタシの分体がすでに改竄の準備をしているところだったようです ーー


 (そ、そうか……よかった。……で、玖内はなんで?)


ーー おわかりになりませんか? メガタウロスの攻撃はまだ終わっていませんよ ーー


 (……玖内を盾にでもする気か?)


ーー まぁ否定はしません。マスターの命が第一ですので ーー


 (それじゃあ玖内はどうするんだよ。そんな肉壁みたいなのが必要ってことは、“不可侵の壁”も間に合わないんだろ?)


ーー いいえ、間に合いはします ーー


 (ますますわからん。間に合うなら防げるだろ?)


ーー 不確定です。先程のチビですが、実は首輪に付与された“拒絶する不可侵の壁”を発動していました。それが意味を成さない可能性を目撃したということになります。ですから…… ーー


 (それなら尚更玖内が死ぬかもしれないだろ! しかもまだあいつにはアイテム渡してないんだぞ!)


ーー 玖内様の能力をお忘れですか? ーー


 (能力……? 幻魔……ソウコク?だったか?)


ーー はい。“幻魔相剋”ですね ーー


 (たしか相手に対して有利を取れる実体を持った幻影を作り出す能力だったっけ。……たしかに強いんだろうけど、許容範囲があるんだろ? 最初はダンゴムシに勝てる程度のしか出せなかったって言ってたし。ついこの間教えてもらった時はライガーと同等までしか出せないって言ってなかったか?)


ーー はい。あの時はライガービーストまでしか対峙したことがなかったようですからね ーー


 (でもいきなりメガタウロスはダメじゃね? だって最初のダンゴムシからそんなに経ってないぞ?)


ーー ものは試しという言葉もあります。それにいざとなれば、多少後遺症が残るかもしれませんがなんとかします ーー


 (後遺症って……)


ーー いいですか? メガタウロスの次の攻撃はマスターの頭を直撃するコースと予測します。マスターはステータスを調整しているにも関わらずそれを防ぐ術はありません。死にます。即死です、間違いなく。あっ、ちなみにもう準備は完了していますので ーー


 (うぅ……つってもよぉ…)


ーー ……えぇい! 決断力が足りないマスターですね! いいでしょう! ワタシが独断でやらせていただきます! ーー


 (ちょっ! おまっ……ッ!)


 そして加速された思考はゆっくりと元の時間へと戻って行き周囲の景色にも色が戻り始めた。チビの滴りかけた血が地面に向かって再び落ち始めた頃、視界の端に捉えていたメガタウロスの振り抜かれた棍棒が再び動き始める。

 それとほぼ同時、こちらへ手を伸ばしていた香織はそのまま俺の頭を胸と腕でやわらかく包み込み、悠里は遠くから【マジックミラーシールド】をメガタウロスとの間に展開、杏奈は【エアガイツ】という近距離にも遠距離にも使える技を撃ち出している。リナはフェリシアをしっかりと抱き抱えたまま、まるでどこかのライダーのキックのようなものを放っていた。俺の頭が香織のやわらかスペースへぽよんと収納され、杏奈とリナの攻撃がメガタウロスへと迫った時、間に割って入ったのはスーツに見える服に黒い外套を纏った青年だった。その青年の背筋はすっと伸び、まるで空気椅子をしているかのような姿勢、右手にはペンを持ち今まさに何かを書いていたことを思わせるお手本のような綺麗な姿勢をした……玖内だった。


 「な、なんなんですかぁー!? って‥えぇぇ!? 牛ぃ!?」そんな事を思ったであろう表情の玖内。なんかすまん。


 混乱気味の玖内は【幻魔相剋】を反射的に発動。玖内の姿が掻き消え入れ替わるように巨大な粘着物が現れた。粘着物はいかにもねばついていそうな質感で、どこかで見たことがある。メガタウロスは一瞬表情に驚きが垣間見えたが、トゲ付き棍棒は止まらない。そのまま粘着物に打ち込まれた一撃は、俺に届く前に勢いを失った。


 押せども引けども動かないトゲ付き棍棒を必死に取り戻そうとしているうちにその大きな手までも粘着物に捕われたメガタウロスの後方から玖内が姿を現しこちらへとやってきた。やわらかさに未練がないと言えば大嘘になるが、顔を埋めたままというのも良くないだろう。


 「あれ? 御影さん?」


 「……お、おう、助かったよ玖内」


 「驚きましたよ……講義中いきなり知ってる声優の声がしたかと思えば目の前に牛でしたし。それに僕、これ使ってる間って消えっぱなしのはずなんですけど」


 「あぁその声エアリスだし、そのエアリスがなんかやったのかもな」


 「エアリス? 御影さんに取り憑いてるっていう?」


 「取り憑いてるというか……まぁ似たようなものかな」


 「え!? 御影さんっていつもあの声が聞けるってことですか?」


 「まぁそうだな」


 「う、う、う……」


 「う?」


 「うらやましい……」


 「そ、そうか。そんなことよりチビは……」


 チビを見ると今まさに起き上がろうとしていたところで傷は塞がっているようだった。

 首輪に仕込まれた【不可逆の改竄】がうまくいった証拠だな、安心した。


ーー ワタシの言った通りでしたでしょう? ーー


 (そうだな。あとはスライムと棍棒の取り合いをしてるメガタウロスをどうするか)


 「御影さん、あの牛は御影さんの獲物なんですか?」


 「そうなんだが……倒せるなら倒してくれていいぞ。むしろ倒してくれ」


 「わかりました! ほとんどログハウスには行けてませんが、僕だってクラン・ログハウスのメンバーのつもりです。御影さんたちには及びませんが、僕も戦えるっていうところ見せないといけませんね。今朝クラン・ログハウスから内定貰ったって教授に報告したばかりですし、それに活躍できずに内定取り消しなんてごめんですから」


 「お、おう」


 (正直殺されるところだったからマジ助かった)


ーー そうですね。ところで香織様の胸はやわらかかったですか? あのままではその感覚が冥土の土産になっていたと思われますが ーー


 土産としては一流の土産だな、などと思ったがとにかく無事でよかった。


 (そうだな。香織ちゃんも無事でよかったよ。玖内には感謝しないとな)


ーー その玖内様を喚んだのは? ーー


 (……ありがとな、エアリス)


ーー いえいえ! マスターのために存在していますから当然です! ーー


 玖内が作り出した質量を持った幻影である巨大スライムはメガタウロスの全身を飲み込み消化していく。スライムは半透明で、その様子が丸見えなのだ。俺たちだけでなく、周囲の探検者たちも顔を顰めていた。

 やがて消化を終えると、スライムはさらに透けていき消えてなくなった。


 「牛討伐完了しました!」


 討伐完了を玖内が元気よく宣言すると、周囲の探検者たちから大きな勝鬨が上がった。そこで漸く多くの視線に晒されていた事を認識した玖内は、俯いたまま膝を抱え羞恥に耐えていた。


 「すごいスライムだったな玖内」


 「み、御影さぁん……人がたくさんいるなら教えてくださいよ……なんかすっごい恥ずかしいぃ」


 「いいじゃん。堂々としてなって。実はさ、あの牛、メガタウロスっていうんだけど、殺されるところだったんだよ」


 視線に弱い玖内を元気付ける意味も込めて助けられた事を伝える。


 「え? 殺されるって誰がですか?」


 「俺が。っていうか俺と香織ちゃんが」


 「ええ〜!? ログハウスでの実力筆頭ともっぱら噂の二人が!?」


 「そうそう。どこでそんな噂があるのか知らないけどそうなんだよ」


 「学校のオタ友とかの間で噂ですよ。ログハウスのメンバーには雑貨屋連合の美女三人在籍していて実力も兼ね備えている。その中心になってる御影さんの存在も知られてて、その友達は『ハーレム王しね!』っていつも言ってます。あっ、僕はそんなこと思ってないですよ。むしろペルソナさんのファンなので」


 「ほぉ。っていうかペルソナのファン? なんでペルソナのこと知ってるんだ?」


 「たまたまとある国際会議の情報を目にして……それから調べてみるとその後に世界各国から代表団が来日して会談をしているのはペルソナさんが日本にいるから、という事らしいじゃないですか。それで、すごいなかっこいいなって」


 「……それって一般には公表されてないはずだよな?」


 「はい。……え? あっ!」


 「……そういうことはあまりしちゃダメだぞ?」


 「あはは……」


 「だめだぞ?」


 「……はい」


 「それはともかく、ほんと助かったよ。ありがとな」


 感謝の言葉にあどけないが満面の笑みで答えた玖内青年は、周囲に多くの探検者がいることを思い出しまた俯いていた。


 (うーむ。それにしてもリナだけじゃなく玖内もか)


ーー 正体を明かす日が楽しみですね! ーー


 (ぜんぜん楽しみじゃない。がっかりされたらどうすんだよ)


ーー 問題ありません。その時は……そうですね、改竄しま…… ーー


 (物騒すぎるからやめなさい)


 その後、玖内には新しい服や暗器などの装備を渡しエアリスにより元の場所へと戻された。講義中に喚んでしまって申し訳ないが、玖内は召喚されたことを秘密にしたままなんとかやり過ごすと言っていた。召喚について、他の探検者たちにも知らせないままにしてある。知られて不利益を被ることがないようにとエアリスの助言に従ったのだ。実際俺も面倒ごとはなるべく避けたい。

 ちなみに玖内が現れた時に羽織っていた外套には暗器が仕込まれており、転送召喚のついでにエアリスが換装したのだという。そのエアリスは全身換装させた状態で召喚する目処が立ったと喜んでいた。


 「香織ちゃん、さっきはありがとね」


 「何事もなくて本当によかったです。でも玖内君のおかげですし。香織は悠人さんを久しぶりに抱っこしただけですね」


 「よかったわね〜香織。悠人君? 私も久しぶりにユウトニウムを補給したいわね〜」


 「え? あー……あはは…」


 「うふふ〜」


 さくらがにじり寄ってくる。なぜか首のところにあるファスナーに手をかけているんだが……まさかここで? さすがにそれは周囲の目が怖すぎるんだが……

 尻をついたまま後退る中、目についた人物に助けを求めるように視線を送る。


 「相変わらずモテモテですねぇお兄さん? どうです?たまにはあたしにもモテてみません?」


 こいつもダメだ。どうすれば、どうすれば良いんだ。玖内の学友が言っていた通りの印象がここにいる探検者が俺に持つ印象だった場合、俺はすごく叩かれる事になるだろう。主にネット掲示板で。そんなわけのわからん炎上は嫌だぞ。クラン・ログハウスはこれからだってのに……


 「まったく杏奈は……」


 「悠里さんも素直になればいいんすよ〜」


 「な、何を言ってるわけ!?」


 揶揄う杏奈に悠里が得意のハリセンで応戦する。その様子に「あらあら〜」とさくらが悠里を宥める側に回った事によって炎上の危機を脱する事ができた。やはり悠里はありがたい存在だな。見事なスケープゴートっぷりだ。

 立ち上がり周囲を見やる。


 「リナは大丈夫? フェリも大丈夫か?」


 「大丈夫でーす! フェリちゃんを守る任務完了でーす!」


 「ちゃんと守られたよ! あっ、そうそう忘れてた。ちゃんと宣言しないといけないね」


 宣言? と言う事はつまり。


《イベント、深淵の侵略者終了。探検者諸君の勝利だよ! ご苦労様でした!》


 フェリシアにより勝利を宣言された探検者たちは再び勝鬨を上げ、地面が揺れたかと錯覚するほどだった。

 それにしても……


 「イベント?」


 「うん。せっかくだからイベントっていうことにしようって“あいつ”が言ってたからそういうことにしておいたよ。あとボーナスっていうのはエッセンスのことだよ」


 フェリシアの言葉に続くように黒い霧、エッセンスが地面から湧き出る。それがその場にいた全員の腕輪に吸い込まれるように消えていくと、各々が驚きの表情を浮かべていた。その様子からおそらくステータスに反映された事がわかるくらいの違いがあるのだろうと自分のステータスをエアリスが照会すると、案の定メガタウロスに力負けしないために限界まで上げていたSTR以外が軒並み上昇していた。


 「フェリの同僚はゲーム好きって言ってたもんな。それはそうと……さて、これからどうしようか」


 目の前に横幅五十メートル程の次なるダンジョンの入り口がぽっかりと開いている。しかしその入り口は徐々に狭くなっているのがわかる。もしかすると今しか入るチャンスがないかもしれない。


 「今日はもう帰らないっすか? 汗でベタベタするんでお風呂入りたいっす」

 「私もでーす」

 「そうねぇ」

 「ゆ、悠人さん、さっきはあの……汗くさくなかったですか?」


 「え? 全然。むしろいい匂いがしたけど」


 失言だっただろうか。急にしいんとした様に感じ焦りを感じた。ダンジョンに入れなくなるのではという焦りも相まって目を泳がせていると、視界に横からフェリシアが入り込む。


 「悠人ちゃん、焦らなくてもこの“塔”は逃げないよ?」


 なら今すぐじゃなくても良いって事……だよな? なら一旦帰っても大丈夫か……


 「……じゃあ一旦帰りましょう。悠人もいいよね?」と悠里が言い、それに同意する。


 「うん、そうだな。一休みしてからまた来よう」


 あれ? また静まりかえったような感覚。変な事言っていないよな、俺。


 「……さすがに明日とかの話よね?」


 一旦帰るって、そういう事か! 今日はもう帰るのか……そうか。

 明らかにがっくりと肩を落としているように見えたであろう杏奈が肩に手を置き言う。


 「お兄さん、ログハウスにお風呂だけ入りに戻ってまたすぐ来るつもりだったんすね……」


 残念そうな目でこちらを見る杏奈。一日一回は残念な杏奈からそういう目で見られるのはちょっとな……。とりあえず誤魔化しておこう。


 「い、いやぁまさかそんなわけないじゃんあははははー」


 言い逃げし、そういえばチビを褒めてない事に気付く。俺を身を挺して守ってくれたからな、褒めねばなるまい。

 

 「チビ〜。さっきは大丈夫だったか? 痛かったよな〜、よしよし〜」


 「わっふわふ!」


 帰ったらワイバーンステーキを焼いてやると言うと、褒めていた時よりも尻尾が力強く振られていた……。


 マグナカフェの軍曹たち、そして探検者たちを“空間超越の鍵”を使いマグナカフェへと送り届け、俺たちもログハウスに戻ることにした。明日はこの深淵を思わせる入り口のダンジョンを攻略しに来ることに思いを馳せ、ダンジョンの入り口を背に「また来る」と呟くと、『待っているぞ』と深淵を思わせる声が聴こえた気がした。



読んでくださりありがとうございます。

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