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気づかれなかった男

 ウェイトレスとして働くこととなった藤井陽菜ふじいひな。彼女の仕事ぶりはまだたどたどしい。しかし陽菜のようなうら若き少女が注文を聞きにきてくれる……それだけで『米騒動』の常連客達には新鮮な事件だった。



「お待たせしました。バナナジュースです」



 陽菜は緊張しながら、中村のテーブルにバナナジュースの入ったコップを置いた。



「ほんと藤井さんの娘は立派やないけ〜?アタシが高校生の時なんて夏に労働しようなんて微塵も思わんかったがに〜偉いわ」


「いや〜。えへへ。ありがとうございます」



 陽菜は少し照れた。銀色の丸いトレーを両手で縦に持ち、顔の下半分を隠すような仕草をしている。



「それにしてもお洒落で可愛いちゃねえ〜その服。よう似合っとるわ」


「これですか?可愛いですよね」



 陽菜は制服のスカート部分を掴んで広げてみせた。



「陽菜ちゃんが着てるような制服を私もいっぺんは着てみたかったわぁ〜。でも待ってよ……今からでも着れるかね?どうマスター?」



 コーヒーメーカーに豆をセットしていたマスターは、中村がウェイトレスの格好をしてる姿を一瞬想像してしまった。そしてブルっと体を震わせた。



「いやっ!中村さんは、今の服が似合ってるよ。その大きな虎の顔がプリントされた黒い半袖シャツが、とてもいいと思うな。」


「あらぁ〜マスター!またお世辞が上手やねえ〜。オホホホホホ」



 陽菜も何度も頷きながら同調する。



「ですよね!中村さんのその虎って、めっちゃ渋いです」


「あっらぁ!笑顔が不自然極まりないけど、立派な子やわぁ〜。藤井さんのところの教育がいいがかねぇ」


「ど……どうも」



 時々、引っかかる発言をしてくるものの、中村という名の恰幅の良いオバサンに好印象を持った陽菜。中村はどこか高岡大仏のようなドッシリとした安心感を漂わせているのである。一瞬、後光が射しているように見える時もある。


 世話焼きな中村は、常連客達を陽菜に紹介することにした。



「えっとね。カウンターでチキンカレーを食べてるのが西田さん。そんで向こうのテーブルでトマトジュースばっかり飲んでるの林さん。覚えれた?」


「あ……はいっ。西田さん、林さんですね。よろしくお願いします」



 するとさっそくテーブル席の林が手を上げる。実はこれが8度目である。



「あの……。その林です。さっそく注文すいませ〜ん」



 陽菜は少し不安な表情を浮かべる。その様子はまるで始めてみた秋田のナマハゲに怯える保育園児のようである。そんな陽菜を中村なだめた。



「まあ……確かにあの人は異常者の側面もあるけれども、まあ基本的には……普通のオッサンだちゃね。安心しられ」


「は……はいっ」



 トレーを抱えて恐る恐る林の席に向かった。彼の口の周りにはかなりのトマトジュースが付着しており、ドラキュラを彷彿させる姿をしている。



「お待たせしました」



 耳をポリポリと掻きながらオッサンはメニューを見ている。



「えっと……。何度も悪いね。やっぱりトマトジュースを追加してください」


「かしこまりました〜。トマトジュース1つお願いしまーす」



 陽菜はかなり戸惑っていた。何しろバイトはじめて30分が経過したのだが、林からの注文回数が際立っているのだ。しかもトマトジュースばかり注文し続けているのが不気味だった。『密かにトマトジュース何杯飲めるかっていうギネス記録に挑戦してるのだろうか?』と疑問に思う。



 見かねた西田は後ろを振り返って林に小声で注意する。



「貴方、何杯トマトジュースを頼む気なんですか。これで8杯目ですよ。そもそも貴方そんなにトマトジュース好きじゃないでしょ。目的はなんなんですか?」


「ほっといてくれ。夏だからカリウムを摂取したいんだ。ついでにリコピンも」


「とっくに過剰摂取でしょう!だいたい彼女と会話したいのなら他にだって方法ありますよ。貴方、小学生なのか!っていうかオッサンの下心が見えすぎでしょ」



 本心をあっさり見抜かれてしまった林は、ハンカチを取り出し額からにじみ出る汗を拭く。



「失敬だな。独身の40代だからって見くびってもらっちゃ困るね。若い子に下心なんざないさ」



 彼は遠い目をしながら語りはじめた。



「あの子はなんて言うか、僕の初恋の子に似てるんだな。その子はトマトジュースを一気飲みできる豪気な男子が好きだった。それだけですよ」


「どんな子なんだ……。いや。っていうか貴方の青春時代のリベンジを、いたいけな未成年相手にやらないでくれます?なんか怖いから」


「悔いが残るのは僕はそもそもトマトが苦手だったことだ……」


「マスター大丈夫ですか?この人を放っておいて問題起きません?」




 カウンターの中でマスターは笑っていた。




「いやいや。こちらはどれだけ注文してくてくれても構わないから」




○○○


 時刻は午後6時半。常連客達はカレーを食べながら、くだらない話題で盛り上がっている。陽菜は店の銀食器を磨きながら常連客達の話題に聞き耳を立てたが、そのディープな会話には全くついていけなかった。慣れない状況に少し疲れた陽菜は、スプーンに映った自分の顔をボウっと眺めた……。



『お母さんからは話は聞いてたけど……。オジサン達の話がちょっとマイナー過ぎて無理かも……』



 彼女が理解できなかった話題の1つは『尖山』の話である。日本人の99.99%には縁遠い『尖山とんがりやま』とは富山県立山町に存在する標高559メートルの円錐形の山だ。(立山黒部アルペンルートの要である立山駅に向かうには必ずこの『尖山』の傍を通るのであるが、この山の存在を知る人はさほど多くない。)


 この山の特徴は美しい円錐形をしていることである。それがために「ピラミッド説」や「宇宙人の基地説」などが主張されている。というわけでこの山は県民の一部にはミステリーな山として知られている。しかしこの山の存在をしっていたのは、喫茶『米騒動』の常連客の中でも林とマスターだけだった。


 鍋の中のカレーを混ぜながら、マスターは意外な様子で中村に尋ねた。



「高岡の人達は知らないの?」


「これが知らんがやぜマスター。私だけかねぇ。皆、尖山とか知っとる?知らんやろ?」



 中村オバサンの問いに、西田も首を捻った。もちろん尖山など知らない陽菜は心の中で『私も!』と手を上げて中村に同意していた。


 尖山は全世界的に有名な山だと思っていたマスターはこの状況を残念に思う。



「あれ。皆さん知らないの。僕は知ってると思ってたのにな〜。だってピラミッド説のある山なんだよ。面白いじゃない、富山にピラミッドがあったらさ」



 マスターの発言を受けて、さきほどから胃腸の調子を崩してテーブルに突っ伏していた林に突然スイッチが入った。突然体を起こすや、真顔でクソどうでもいい疑問をぶつけてきたのだ。



「ゲップ。実は私はその説に納得がいかないんですな。なんで古代の富山県民はあんな紛らわしいピラミッドをあんな場所に作ったんですかマスター。いくら終わりなき雪かきで鍛えられた県民性とは言え、それは不毛すぎませんか」


「ど……どゆこと?」


「山間部に、山と見紛うようなピラミッドをわざわざ建設した意味が私には全く分からない。付近の山と同化しすぎて、もはや完全な山ですよ。あれじゃせっかくピラミッドを作っても観光資源にもならない」



 陽菜はこっそりとカウンター席に座る中村に耳打ちして尋ねた。心なしか中村は既に頼れる親戚のおばちゃんのように思えならない。



「あの……。林さんって、いつもこんな感じなんですか?それとも尖山に何か恨みがあるとか」



 中村は首を横に振った。



「今日はちょっと特別かもしれんわ。トマトジュース飲みすぎたがかな。いっそ同じ量の青汁でも飲ませれば治るかもしれんちゃね」



 困ってしまったのはマジで疑問をぶつけられてしまったマスターである。



「ゴホッ。そんなこと言われても。そりゃあ……南の平地の方で作業するにしても常願寺川が氾濫したから、ピラミッドを造れなかったんじゃないの」


「だけどマスター。超巨大ピラミッド作ってる暇があったら富山県民たるもの、常願寺川の治水工事やってた方が……」



 西田は呆れて、マスターにアイスを頼んだ。



「もう林さんの持論はいいから。よくそんなくだらない着眼点を持てるな貴方は……」



  皆が林に冷たい視線を送っていたその時、窓際のテーブル席からポツリと誰かが呟いた。



「誰か剣岳ピラミッド説を唱えないかな……」


「おお!?斬新な説を打ち出したね……って……あれ?」



 豪快な説を打ち出した客を、皆が一斉に注視したのだが……。常連客達は反応に困った。何しろ知らない客がいつのまにか窓際テーブル席に座っていたのである。林、西田、中村の3人は慌ててカウンター席に集まり、ヒソヒソ話をはじめた。



「あの文学青年みたいなの……誰?」


「知らない。林さん、貴方の知ってる人じゃないの?」


「私は知らないですよ。中村さん、彼を見たことある?」



 中村もジーッと青年を見つめた後で、ブンブンと必死に首を横に振った。



「知らん人やわ。っていうか、いつのまに店の中にいたがけ彼は!?」


「瞬間移動でもできるのか彼は」



 マスターは少し呆れたように常連客達に説明した。



「いや、彼はさっきからあそこにいたよ」


「いましたっけ!?全然気づかなかったな」


「藤井さんが入ってきた直後に入ってきたからねえ。皆、彼女の方に気を取られて彼には気づかなかったんだな〜」


「しかしマスター。彼をずっと放ったらかしにしてたんですか!?」



 マスターは自分のおでこをピシャっと軽く叩く。



「ついウッカリ。でも恐ろしいほどに存在感消してたんだよね彼。某国のスパイかと思ったよ。お陰で僕も途中から存在を忘れちゃったなあ、こりゃ失敬」



 陽菜もテーブル席の眼鏡の文学青年の存在に気づいてなかったことに焦った。バイトでの初めての失敗である。



「すいません!私もオーダー取りに行ってませんでした」



 慌てて注文を取りに向かうと、客に向かってペコリと頭を下げる。



「し……失礼しました!お待たせしてすいません。それではご注文の方を……」


「そんなに恐縮しなくていいですよ藤井さん。僕ですよ。佐伯です。夏休み中に会うなんて奇遇ですね」



 客は全く怒っていなかったことに陽菜はホッっとした。しかも佐伯と名乗る青年はキラキラした笑顔で答えてくれる。しかし陽菜は『なんて素敵なお客さんなんだろう』とは思わない……。『なんでこの文学青年は自分から名乗ってるんだろう?』と不思議に思いつつ……彼の言葉を流してしまう。



「かしこまりました。それではお客様。改めてご注文の方を」


「あ……あの……。だから僕は佐伯なんですけど……君のクラスメートの」



 そう言われてみると彼女は文学青年のメガネにどこか見覚えがあるような気がする。



「では……お客様、ちょっと失礼してもよろしいでしょうか?」



 陽菜は恐る恐る顔を近づけて客の顔を確認してみることにした。



「はっ!貴方はもしかして……中学の同級生の山田くん?」


「ち……違います……。本当に分かんない?藤井さん。よくみて」


「違うの!?」



 陽菜は改めてまじまじと青年の顔をみる。青年が少しだけメガネを外して、その麗しい瞳をみせるとようやく誰か分かったらしい。



「じゃあ上市の佐伯くん……?」


「あ、はい。良かったぁ〜当たってくれて……。完全に忘れ去られたのかと、めっちゃ怖かった……」



 安堵のガッツポーズを取った彼は佐伯という青年は陽菜のクラスメートであった。彼は非常に女子達から人気のある爽やか好男子なのであるが……。彼の放つ眩い男前オーラは何故かこの店内では通じないらしい。誰もが「なんだあの変なやつ」という目で見ていた。


 青年の正体が校内No.1人気男子の佐伯だと気づいたものの……歓迎する気配はない。陽菜は両手で顔を覆い、彼にだけ聞こえる小声で呟いた。



「ちょっと〜!なんで佐伯がこの店に来とんがんけ。また私の自転車の跡をつけてきたん?マジ最低やねアンタっ」


「ちょっ!急にその感じですか藤井さん!?」


「危ない。早急に警察に電話しなきゃ……。携帯はカバンの中だから……」



 キラキラ青年はカウンターに戻ろうとする陽菜を引き留めようとする。



「待って!誤解がある!これは偶然なんだ。僕は家の近くを散歩してたらたまたまこの店に立ち寄っただけで……。だからこれは数奇な運命だと思ってほしい。信じて藤井さん」



 白々しい言い訳をした青年を陽菜は睨みつけた。本当は「もう帰って!」と叫び出したいところだが、バイト初日からやらかすわけにもいかずグッと堪えてクリップボードを握った。



 常連客達も若き2人の妙なやり取りが気になった。



「なんながアレ?林さん分かる?」


「知り合いなんですかね。陽菜ちゃんが何を喋ってるのか僕にはさっぱり聞こえないけれど。でも富山弁が出てるっぽいな。由々しき親密さを感じる」


「となると意外にお似合いの2人……でもないか。うん変な奴やわやっぱし」



 すると腕組みをしたまま目を瞑って耳を研ぎすませていた西田が解説してみせた。



「一応……あの男は藤井さんの同級生らしいですな。しかし上市からここまで来るとは……。話から察するにストーカーかもしれないな」


「え。西田さんてば今の2人の会話内容が分かったが?意外な特殊能力を持っとるがやね」


「ふふふ。私は魚津市民の中で1,2を争うほど耳がいいんですよ。『地獄耳の西田』が中学の時のあだ名です」


「恐ろしい人やね……」



 林は何故かショックを受けて、俯きながらテーブルをドンドンと叩いた。。



「イケメン同級生が相手だと富山弁が出ちゃうんだな〜くっそぉぉ。僕にも方言で話してくれよぉぉ」


「どうでもいいでしょ。そもそもマトモに会話してないでしょ貴方は……」




 こうして喫茶『米騒動』に新たなる珍客がやってきたのであった……。

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