007×強者の指針
日影の突きが炸裂する。
拳を固めるのではなく、手首近くの骨ばった箇所を使っての掌打。
公園の遊具。ジャングルジムまで力づくで押し込まれた。
ゲホッ、と我流は空気の塊を吐き出す。
休息もつかの間。
風を切るような豪打を顔に放たれる。
回し受けで即座に払って、斜め下の軌道から鞭のようにフリッカー。鼻腔を捉えたが、日影の前蹴りがミゾにめり込む。相打ちの次に何がくる、と全身の筋肉に力を入れていると、くるりと彼女が翻る。
距離を取るつもりか。
せっかくジャングルジムにまで追い込んだというのに。
背後を敵に見せる行為に当惑してしまう。これじゃあ、好きに攻撃してくれといわんばかりだ。今まではチェスのように、次の一手を計算しつくされた動きが多かった。一つ一つの動きに意味があった。だからこっちも必死になって食らいついていけたのだ。
なのに。
なんだこのあまりにも杜撰な逃避は。
あまりに不意をつかれた我流は一瞬動きが止まったが、すぐに距離を詰めた。だが、それが失敗だった。
後ろ回し蹴りが腹部を直撃した。
日影の脚は細長く、より内臓へと突き刺さる。
虚実めいた攻撃を狙ったのか分からないが、踏み込んだ分カウンターでもらってしまった。
悶絶している我流に、日影は容赦ない。
スカートをはためかせながら、まるで落雷のような高速かかと落とし。地面にめり込むのではないか? と、疑ってしまうぐらいの威力で叩きつけられる。
噛んでしまった砂をペッと吐き出すと、諸手を挙げて降参の意を示す。
「……負けました」
「これで15回目ぐらいだったかな?」
額についた土を払いのけながら、やおら立ち上がる。
「デビュー戦を含めなければ……そうですね。この一週間のうちに、15戦0勝15敗。……俺ってやっぱり弱いですか?」
なんでも命令を聴いてくれる。
ならばリベンジマッチをするしかない! そう意気込んでみたものの日影はまるで乗り気じゃなく。そして我流が負った怪我も癒えていなかった。それでは『騎士の饗宴』ほどの、真剣試合をすることはできない。
だから。
こうして軽い試合形式を取ることにした。
場所は、充分な広さを持って、尚且つ人気の少ない公園。
『グングニル』等の能力の使用は禁じ、体術だけのもの。スパーリングみたいなもので、どちらも本気を出していない。だがそれでも実力差は如実にあらわれる。
「うーん。筋はいいと思うんだけどね……」
「それって、特に長所がない人間に対する優しい嘘ってやつじゃないですよね?」
「アハッ。違う、違う。そうだねー。鍛え方が間違ってるのかな」
「鍛え方って……。騎士団長の教え方が悪いってことですか?」
指導者のことを悪く言われるのは、気分のいいものではない。
まして騎士団長本人がいないところで。
陰口のようにグチグチ言われるのは。
「そうじゃないよ。悪いわけじゃなく、ちょっと間違ってるだけ。虎徹くんの戦い方を観れば良くわかるけど、防御中心に鍛えられてるよね。柔道初心者に最初に教えるのが投げ技じゃなく、受け身であるように防御はとても重要なんだよね。だからグリフの教え方は悪くはない。むしろ最高の指導だけど、最適の指導ではないって言ったほうがいいかも。そうだね……もっと手っ取り早く、分かりやすく言うなら――」
日影が突然目潰しを仕掛けてきた。
二本指で突き刺すようにではなく、バラ手で擦るように。視力を奪うための。即効性の高いその目潰しは――速い。完全に本気の速度。
だが、寸止めに終わった。
話の腰を折った奇襲。
しかし、日影は悪びれる様子はない。
「……こういうことかな。これが私の……自己流な適性検査みたいなもの。不意打ちの攻撃。しかも目潰しなんて、人間の大事な五感の一つを奪うかなり危険な攻撃。それを喰らおうとした時。人間がどういう反応をとるかは十人十色。目を瞑って反射的に顔を背ける人間。腕を上げて防御する人間。……多分ほとんどの人間がこういった反応をする。だけど君は――」
ピタリ、と寸止めしていたのは日影だけではない。
我流も、相手の水月に直突きするつもりでいた。もっとも、殺気の孕んでいない瞳だったから、こっちも拳を止めたのだが。
「――相打ち狙い。これはね……とんでもないことだよ」
大仰に言ってのける日影。
それほどのことでもない気がするが。
ただ単に反撃しようとしただけだ。
「多大なリスクを伴うにも関わらず、君はとにかく一撃を当てようとした。そんな君が、防御を覚えようとするのは間違いだよ。君はあまり防御に向いていない」
そんなこと誰にも言われたことがない。
実戦が不足しているから、弱点が浮き彫りにならなかっただけか。
だが、日影と何度も組み手を交わしあって、ようやく見つかったということか。もしくは最初から弱点は丸分かりだったのかもしれない。
騎士団長ならば優しいから褒めることしかしないし。
遠慮のなさで言えば天下一品の桐咲。しかし彼女は経験が浅く、ここまで細かく分析できないだろう。
ほんとにこの人は、印象通り教師とか保育士とか、そういった指導者に向いているかも。
「虎徹くんは攻撃している時に脇が甘くなる悪癖がある。だからグリフも防御を徹底したかった。それが彼の戦闘スタイル。だから教えるのだって得意だよね。それに君の体のことを第一に考えてのことだよ。だけどその癖は、君の性格そのもの。それを変えることは誰にでもできない。たとえ、君自身であってもね」
騎士団長の戦いのスタイルを見たことがないから、いまいちピンとこない。
組み手だったら何度もあるのだが、あれは全然本気ではないだろう。だが、そう言われてみれば、片腕だというのに防御力は凄かったような気がする。恐らく、日影よりも回避能力は上だ。
「君は自分がどれだけ傷ついても、それほど痛みを感じない。痛んでもまるで他人事のように傷を眺めるようなタイプでしょ? 実際傷ついた手を見てもそんな反応してたし」
「い、痛かったらちゃんと痛いって思いますよ。あのナイフの傷は本当にそこまで痛くなかっただけです。でも、そこまでボロカスに言われると防御の鍛錬をしたほうがいいように思えるんですけど」
「さっきから言ってる通り。人には向き不向きがあるの。グリフは後の先。敵の攻撃を分析して相手の弱点をつく攻撃が得意だから、防御は必須。実際彼は頭がいいからね。でも、君はまるで逆。とにかく猪突猛進。考えるよりもまず、手が先に出てしまう野生児。でもね……その弱みを強みに引き上げることもできるんだよ」
「弱みを強みに?」
どうにも要領を得ない。これでも初心者である我流に分かりやすく噛み砕いて話してくれているのだろうけれど。
「そう。攻撃が最大の防御っていうよね。とにかく攻めて攻めて攻めまくって、相手に反撃する余裕を与えない! これがベストかな」
「……でも、日影には結構反撃されてますよね……」
悔しいが、体術の速度はあっちがかなり上のようだ。どれだけ拳を交わしても、どうしてもあっちの方が手数が多くて、被弾してしまう。
「それは経験者と初心者の違いかな。経験者は思考から行動に移るまえでのタイムラグが少ないんだよ。経験を積んでるからすぐに手がでる。考えるよりも先に攻撃や防御に転じやすい。だから経験者は経験者っていうだけで、大きなアドバンテージを持ってるってことになるんだよね」
初心者は、思考の過程がどうしても生まれる。
これでいいのか。
それともこうした方がいいのか。
そんな風に悩んでいるうちに、相手の打撃を受けてしまうということか。
「でも、君は恐れなく攻撃出来る。それは他の初心者が持っていない武器だよ」
「え、それは――」
さっきと言っていることが矛盾しているのではないか。
結局、どうしたら経験者、日影のような動きができるのかを聴きたい。
「あー、ごめん。さっきのは一般的な話で。君自身の問題点はまた別。君は攻撃的な性格をしているけど、グリフから教えられた保守的な戦い方がごっちゃになって、身体がうまく動かないって感じかな」
「……つまり、もしも動きが良くなれば今よりもっと?」
日影が反応できないほどの速度で動ければ。
自身に合った戦い方を身につければ。
「そう、君はもっと強くなれる」
拳を固く握り締める。
グツグツと血管に溶岩が流し込まれたみたいに、血が沸騰するみたいに滾る。どうすればもっと強くなれるか。独りでは、その糸口しか見つけることはできなかった。
日影には当たって砕けろの精神で勝負を挑んだ。
だが、手合わせした今ならわかる。
一週間前の日影との再戦が仮に実現していても、我流は負けていただろう。だからこそ、ずっと焦燥していて。
でも、努力のやり方が。
自分の進むべき方向すら分からず。
五里霧中で。
迷ってばかりだった。
けれども、ようやく自分が強くなれる可能性を見つけることができた。そしてその可能性の全力で挑めるだけの道を見つけられた。
「強くなるためにやれることはいっぱいあるよ。まだまだこれからだって!」
もしかしたら、師として仰ぐ人間は多ければ多いほどいいのかもしれない。その人数分だけ考えがあって、その数だけ強くなるための参考になる。
自分にないものをどんどん取り込んでいって。
そしてそれから、本当の自分らしさ。
オリジナルな戦闘スタイルを確立することができたらいいな。
「えーと、ちょっと待ってね」
そういうと、持ってきていたバッグを日影は漁り始める。
かなり大きめのバッグだ。汗を拭くためのタオルや水分補給に水筒でも持ってきているのだろうか。
中身が気にはなっていたのだ。
いつもは持ってきていないから。
そして、日影と一緒にベンチに座る。
「今日は休憩にって思って、持ってきたんだ。遠慮せずに食べていいよ」
取り出したのは、手軽に食べれるサンドイッチ。
サラダやらツナやらチーズやら、ヘルシー志向なものばかり。
それじゃ足りないと思ったのか、唐揚げがゴロゴロと脇に転がっている。食べやすいように、プラスチック製の楊枝が刺してある。動物の絵柄が持ち手に描かれている可愛らしいやつだ。
それから、ミニトマトなんかも添えてある。飽きさせないように。それから栄養バランスについて配慮されたメニューだ。こんなもの近くのコンビニに売ってあったか。
「えっ、いいんですか? その……いくらぐらいでしたか? 払いますよ」
「いいの、いいの」
「そんな悪いですし……。せめて半分はお金出しますよ」
「だからいいって……」
何故か元気がない。
疑問に思っていると、
「これ作ったの、私だもん……」
消え入るような声で囁く。
耳を澄ましていなかった聴こえなかったらほどに声は小さく。赤面しながら頭を垂れる。
「え? そ、それは、ほんとうに……あ、ありがたき幸せ……です」
「プッ。ククク。なにそれ?」
からかうように声のトーンを上げる。
そりゃあ、こんなに充実したメニューどこにあるのか。そもそもどこからこの弁当箱は調達したのか。コンビニとかで購入したやつを移し替えるなんて、手間のかかることするのか。
そんな疑問は湧いてできていたが、まさか手作りなんて想像だにしていなかった。
そして想像通り水筒は持ってきていて、蓋を開ける。
「はい。ちゃんと温かい紅茶も持ってきたから」
こぽこぽと流れる紅茶は湯気をたちのぼらせる。
寒い今の時期にはうれしい。とくにサンドイッチみたいに温かくない食べものを食べる時には。
ありがとうございます、とお礼を言うと、無遠慮に飲み干す。
「はあ……」
幸せのため息をつく。
野試合の直後ということもあって、こういう安穏とした空気がより一層心地いい。
いつまでも。
いつまでもこんな空気が続けばいいのに――。
「あ――――!!」
それを全部ぶち壊す。
耳を聾する甲高い声が公園の空に響く。
女性の声だが、日影ではない。
公園の入口から彼女は近づいてくる。
「最近騎士団長との組手が終わったら、そそくさどこかに行ってると思ったらこんなところで、しかもなんでよりにもよってその人と……正気ですか? 先輩……」
それは、手にみたらし団子を持っている桐咲だった。




