003×強盗犯と婚約者
「ちょっと……あれ」
桐咲の指差した先へ視線を投射する。
フェリー乗り場から少し離れた店の前。
そこには粗暴な顔をした男達がズタ袋を、懸命に車へと運搬している。すぐ近くには電柱にぶつかり、バンパーがひしゃげているワゴン車があった。色は黒と白のツートンカラー。
現金輸送車だ。
どれだけ厳重な仕掛けで金庫を守ろうとも意味などない。搭乗している人間をナイフ片手で脅せばいい。命の危機を感じれば、警備の人間も現金を引き出すしかないだろう。
警察が未だに到着しておらず、そこまで騒ぎになっていない。
ということは、かなり手際がいい。
手馴れた様子だ。
警備員の人達は素直に従っているようだから、怪我はなさそう。少なくとも外傷らしい外傷は見られない。怪我しているとすれば、電柱にぶつかってしまった時に負ったかもしれない打撲程度か。
だが、犯人に同情してしまう。
どうせ牢屋に拘束監禁されるからだ。
高度経済成長前の日本ならいざ知らず。
技術が発達した今。
市民が警察となっている。野次馬たちはカメラでパシャパシャと、フラッシュを焚いている。きっとマスメディアも顔負けの伝達速度で、瞬く間に情報は拡散される。彼らは覆面もしていないようだから、身元の特定にさほど時間はかからないだろう。
それに髪の毛一本でも見つかったら、海外ドラマなどでよくある科学捜査とやらで犯人は発覚する。指紋でもいっしょだ。
だから強奪犯たちの将来について悲嘆していたのだが、そのうちの男の一人が怪訝な顔をして一瞬立ち止まる。ひとしきり現金を詰め込め終えた車を、強盗犯の男たちが今にも発進させようとしたその時。
小学生ぐらいの少女が立ちふさがった。なにやってるの! と、凛とした声を木霊させる。
子どもだから。
無知だから。
正義は勝つと信じている。悪は正さなければならないという使命感に、メラッメラッと瞳の中に覚悟の炎を馬鹿馬鹿しく燃やす。
純朴すぎる彼女を、特に感慨もなく男は殴り飛ばす。もちろん、手加減など一切ない。早急に現場から離れなければ、通報から駆けつけてきた警察に手錠をかけられることになるからあちらも必死だ。でも――
「やり過ぎだろ」
少女のもとに駆け寄ろうと一歩踏み出しそうだった騎士団長を、横から追い抜く。
殴打した男はナンバープレートを隠した車に乗り込むと、あろうことかそのまま少女を轢こうとしている。道幅が狭いわけではない。ただ報復のために。ウザイ餓鬼に世間の厳しさを教える。
そのためだけに、五、六歳ぐらいの小さな女の子に車体をぶつけようとしている。衝突したら痛いどころの話じゃない。
少女はガタガタと震えて避けようともしない。
へたりこんでいて、恐怖のあまり動くこともできない。殴られるとは思っていなかったのか、頬をさすっている。
そんな彼女を突き飛ばすようにして、我流はヘッドスライディングをかます。少女の身代わりになるようにして、車の前に飛び出た。……まではいいが、回避行動に即座に移れる体勢ではなくて。
スピードの乗った車は我流の身体を紙片のように吹き飛ばし――
車体は豆腐みたいに真っ二つに切断された。
我流の肉体と衝突しようとしていた刹那。
斬鉄された車の残骸は、一般人を傷つけることもなく爆散した。
車内に乗り込んでいた強盗犯達は無事では済んでいないだろうが、少女は無事だ。
我流が強めに突き飛ばし過ぎて、街灯の鉄柱にぶつかったらしく。ううう、と痛みを訴えて頭を抱えているが、一応外見上は無傷だ。
「ありがとな、桐咲」
桐咲は、炎上する車を背景に格好よく立っている。女にしておくのには勿体ないぐらいの、絵になる人助けシーンだ。というか、完全に配役が逆だった。
「そっちの子は大丈夫そうですけど、先輩は無事ですか?」
「無事も無事。超無事だ。お前が助けてくれたからな」
「まっ――かせてください。騎士団のお荷物である先輩を助けるのには、随分慣れましたから!」
「お荷物言うな!」
事実なのが涙を誘う。
「糞ガキども……よくも邪魔してくれたな」
底冷えするような声。
黒煙の中から這い出てきたのは、頑強そうな男が一人だけ。あとの強盗犯は倒れ附しているようだった。
車を包み込むように燃え上がっている火の粉が、男の掌に収束していく。ギュルギュルと、自転車のチェーンみたいに歪な形をした輪を焔が描く。
「《円月輪》」
高速回転しながら、《円月輪》は桐咲に向かっていく。
だが、身構えた桐咲には当たらず、カクンと折れ曲がる。一体何が目的なのかと思いきや、勇気ある少女に焔の刃が差し迫っていた。《円月輪》は回転しているせいで殺傷力が上がっている。
少女に直撃した直後、火山が噴火したかのように火柱が上がる。街路樹にも焔が燃え移って、バキバキと根元から倒木する。
「はーはっはは! ざまーみろ!」
か弱い人間。
瞬時に片付けられる者から消した残忍さは、強盗犯以上のことを普段からやっているようだ。危険すぎる男は、次の標的を定めるみたいに、ぐるりと身を翻してこちらを見やる。
逃走することなど、もう微塵も脳裏を掠めていないようだ。
とにかく憂さ晴らしに、我流達を焼き付くそうとしている。だがしかし、我流達は慌てない。なぜなら――
「女の子に手を出すなんて、君……最低だね」
ここには、他の誰より頼りになる人間がいるから。
燃え盛っていた業火は、一瞬にして喪失する。
騎士団長はただ棒立ちになったまま。
だが、彼は傷一つついていない。少女は呆然としたまま、庇うように立っている騎士団長を見上げていた。
「俺の《円月輪》が掻き消え――いや、それどころか全ての焔が――。その力……お前まさか……トリニティ騎士団の騎士団長か! アクアダストのナンバー2騎士が、なんでここに……」
ということは、と強盗犯はぐるりと首を回すと、
「そこの女はデビューしてから6戦全勝中のルーキー、桐咲芽映だと! くそっ、なんどこんなところに! 俺達はなんてついていないんだ!」
いやあ、照れますねぇ、と頬をかく桐咲。
その反応は少しおかしい。
というか。
我流について何も言及されないのは、ちょっと寂しい。デビュー戦を一回こなしただけ。そして大敗しただけだから、知っていてもわざわざ口にだすような騎士でもないのは分かっているが……。
「それを知っているってことは、騎士崩れかな?」
ギプスのはめていない左手をおもむろに持ち上げる。
すると、騎士団長は何もしていないのに、嵐のような突風が吹き荒れる。
ただでさえ乗車していた車が大破し、満身創痍なところを、思いっきり壁に叩きつけられた男。彼は意識を保っているのも困難だろうに、騎士団長を憎々しく睨みつける。
「残念だよ。それだけの力を持っていれば、きっともっと強い騎士になれたのに」
「ふざけるな……そんな理不尽な力を持っている奴に……俺の……俺達の何が分かるって言うんだ……」
――分かるさ。僕にも。
そんな風に聴こえた気がした。
あまりにも小さく騎士団長が独りごちたせいで、それは少女の無邪気な声に上書きされてしまった。ありがとう、お兄ちゃん! と喜色満面の顔をして騎士団長の足元に抱きつく。
少女に結婚しようとか言われて、慌てることなく騎士団長は、じゃああと10年したらね、と慣れたように言葉を返している。罪作りな人だ。他にもああいうことを普段からやっていそうで怖い。
だけど。
我流はそんな微笑ましげな彼らよりも、何故か倒れ附している強盗犯の方が気になって。パトカーの音が鳴り響くまで、ずっと強盗犯のリーダー格らしい彼のことを黙視していた。




