026×眠り姫
我流は爆睡していた。
日影との『騎士の饗宴』を終わった後。
地鳴りのような歓声と、洪水のような拍手を耳にしながら、フラフラと壁にぶつかりながら歩いた。控え室まで死にそうになりながらもたどり着いて、そして気がついた時にはベンチ倒れ込んでいた。
思えば、連戦。
休む暇もなく、桐咲。騎士団長。それから、日影との激戦をくぐり抜けてきたのだ。疲労困憊して、意識喪失しないほうがおかしい。たとえ、涎を口の端から流して、あまりにもうるさい自分のいびきのせいで覚醒したとしても、そんなものは当然のことなのだ。
我流は、ちょっと前から起きている。白雪姫よろしく目を瞑っているのは、王子様のキスを待っている。……なんて、そんな童話じみた設定を持っているわけでは全くなく。
ただ、単純に起きるタイミングを逸してしまっただけなのだ。
「まだ……我流くんは寝てるの?」
騎士団長が心配したような声を投げかけてくる。
独り言というわけではない。
この部屋には騎士団長の前に訪問してきた先客がいた。
「……そうだね。まだグッスリ寝てるみたい。さっきまで、盛大にいびきかいてたし」
日影がいた。
それも、我流の寝そべっているベンチに座っていて。互いのポジショニングはおかしく、日影の尻が眼前にあった。かなり近くて、身動きがとれない。身じろぎしてしまえば、前に座っている日影の尻に顔面が当たるか、後ろにのけぞればベンチから転がり落ちてしまうか。
そのどちらかの末路しか待っていない。
どうしてこうなったのか。
起きた時には、控え室に日影がいて。えっ、と唖然としてしまって。大丈夫? と日影がこちらの容態を気にしているようだったから、全身が気怠いままでも空元気を発揮しようとしたのだ。目覚めようとしたのだ。
そしたら、そこに騎士団長が登場。
あっという間に、この控え室の主役であるはずところの我流を置いて、どんどん事態は推移していったのだ。タイミングが悪いことこの上ない。
ああ、うーん、と子芝居じみた唸り声を上げながら、起床することも一考した。けれど、金縛りになったみたいに身動ぎできない。
「身体は……大丈夫?」
「アハハハ。いきなり、なにそれ? 大丈夫だよ。さっきまで気絶していたのは虎徹くんだけじゃなくて、私もなんだけどね。なんたって鍛え方が違うから。『騎士の饗宴』に出なくなっても、ずっと鍛錬だけは積んできたんだ。習慣がついていたから、つい……ね……」
そうだ。
試合とはいえ、我流は日影にかなり深手を負わせてしまったのだ。謝罪するのは逆に失礼な気がするが、気絶するほどまでに追いつめてしまった。
意識がなかったわけではない。
今度の『騎士の饗宴』は逆にクリアな意識のまま戦うことができた。無我夢中で。とにかく日影から教わったことを全部出し切ることだけを考えた。
だから最後の《グングニル》を投擲した時に、真っ直ぐつっこんでいった。もし準備万端で待ち構えられていたとしても、自分を信じて。減速することなく空洞の中を突進した。
「……ごめん。ほんとうは、ずっと謝りたかったんだ。僕のせいで、朝日は……ずっと独りぼっちだったんだよな。僕が立ち上がることができたら! 君の手を掴んでさえいれば! あの時僕が自分の弱さを直視できるだけの強さがあれば! ……君に寂しい想いなんてさせずに済んだのに……」
どんな過去あったのかしらない。
でも、二人が喧嘩別れするほどの確執があったことは確かだ。
「それだけじゃない。いつでもいいから、朝日の傍にいればよかった。大勢の騎士達に批難されているのを知りながら、僕は君の元に駆けつけることをしなかった。これ以上近づいたら、また君を傷つけてしまうかもしれないっていう、嘘っぽい大義名分を掲げて。そんな後ろめたい嘘をついてまで、自分の身を守ろうとしていたんだ」
「――今更懺悔? もう……いいよ……そんなの昔のことでしょ? それに独りぼっちだったのは私だけじゃない。グリフだってそうでしょ? ずっと……虎鉄くんたちが入団するまでは、独りでトリニティ騎士団に残ってくれた。私は逃げ出したっていうに、グリフだけはずっとトリニティ騎士団を……私たちの居場所を守ってくれてたんでしょ? ありがとう……ほんとうに……ありがとう」
息が詰まったように騎士団長は一瞬黙ると、
「やっぱり……君たちは似ているな……」
「……ん?」
「いいや。こっちの話だよ」
それよりも――、と騎士団長は言葉を紡ぐ。
「朝日はこれからどうするんだ?」
これからどうするか。
それは日影の自由だ。これ以上我流の我が儘で、彼女の行動を縛り付けることなんてできない。でも、それでも日影にはまた騎士として活動して欲しい。もっと活発的に。
今までの小休止が、より高い跳躍をするためにしゃがんでいたように。更なる躍進をしてもらいたい。そうでなければ困る。なんたって、これからの我流のモチベーションにもかかわることだ。
勝負の間。
何度も手を抜かれていたのを感じた。だから、試合の最初から全力で向かってくる日影と、是が非でも戦いたいのだ。もしも日影が騎士をこのまま引退してしまうのだとしたら、やる気がめっきり削がれてしまう。
一つの区切りがついてしまった。
だから、日影がどんな答えを出してもおかしくはない。
「そうだね。可愛い後輩ちゃんもできたことだし、戻るとしますか。――トリニティ騎士団へ。もっとも、騎士団長様がそれを許してくれるっていうんならね」
「もちろん、喜んで」
おどけたように言う日影。
そしてそれを苦笑しながらも返答する騎士団長の声色を聴いて、もう二人とも大丈夫だと確信できる。関係は修復されている。完全にとはいえないだろうが、それなりに打ち解けている。
もともとは二人きりでトリニティ騎士団を立ち上げた関係なのだ。ちょっとしたきっかけで、また元のように仲良くなれるのだろう。
それはきっと、我流と日影みたいな、ちょっと壁があるというか。上下関係を伴う接し方などではなく。同世代同士、もっと砕けたいい感じの雰囲気を醸し出すことができるような関係性だ。
例えば、その、恋人とか、そういう関係性になったりしないのだろうか。
だって。
妙に親密そうな話の掛け合いを聞いていると、そうなってしまってもおかしくないように思ってしまう。騎士団内での騎士と騎士が恋仲になるのは、そこまで珍しいことではない。
同じ時間を共有するのだ。
そうしていると、自然に異性との距離は縮まる。
もしもこのまま急接近すれば、二人はお似合いの、美男美女としてとても絵になるようなカップルになる気がする。障害があればあるほど燃え上がるだろうから、きっと情熱的な恋をすることだろう。隣合って街中を歩く姿を容易に想像できてしまう。
「………………」
「………………」
しっとりと、沈黙の時間がゆったりと流れる。
その間こそが、なんだか大人っぽくて。たった二歳しか年の差がないというのに、我流にはとても真似できなかった。まだまだ中学生だった頃の青臭さが抜けていのか、ただ息苦しい時間に過ぎなかった。
「それじゃあ、僕はこれで。我流くんが大事にはいたってないみたいだから、安心したよ」
「うん。分かった。……バイバイ」
そう言って、あまりにもあっさりと。
騎士団長は去る。
それでいいのか。
せっかく仲良くなったのに、もっと話すことはないのだろうか。
ガチャとドアノブを回す音がして、そのまま去ろうとした。薄目をうっすら開けて、見送ろうとした。だが、騎士団長は逡巡するようにして、そのまま立ち止まってしまった。
「……どうしたの?」
日影がそんな騎士団長のことを見かねて質問すると、
「あのさ――僕はずっと……君のこと好きだったよ」
呼吸が停止した。
ついでに心臓も、一秒にも満たなかっただろうが確かに止まった気がした。何の意味もなく、瞼の裏でゴロゴロ眼球を忙しげに動かす。
「うん、私も」
騎士団長の一大決心の告白だったはずなのに、日影はそっけなく応える。
会話をぶつ切りにするどころか終わらせて。
ちょっと意味ありげに立ち止って、あえて軽妙な言い方をしたのは、照れがあったからではないのか。
それは、本気で告白したってことなんじゃないのか。
そして日影は――。
まるで騎士団長が立ち止ってそんな言葉を吐いてくるのを、ずっと待っていて。そしてずっと考えていた返答をさらりと返すみたいな簡潔さだった。
どちらも相思相愛で、これで円満解決と、そうなるはずだ。
それなのに、気になるのは。
好きだった――と、騎士団長の言葉が過去形だったということだ。その言葉が真実ならば。表向きの言葉だけを汲み取ったならば、今も好きだとはいえない。むしろ嫌いかもしれない。憎んでいるかもしれない。他に好きな人ができたのかもしれない。
ごっそりと、肉付きすべき言葉が削がれている。
もっと語り合うべきだ。
でも、騎士団長はまるで憑き物が落ちたようにスッキリとした顔になった。彼には、全部が。日影の言いたいことを間違いなく分かったかのようにため息をついた。
「そっか……そうだよね」
騎士団長は今度こそ迷いなく控え室から出る前に、
「それじゃあ、また明日ね」
と、たった一言。
トリニティ騎士団の騎士である日影に、明日もまた会おうという裏の意味を持たせた言葉を残して去っていった。
告白というよりは、決着に近かった気がする。
自分の中で何か決着をつけるために、騎士団長は想いを告げたようだった。我流だって、日影との試合の終わらせることができたから、今の心中は真っ青の空のように透き通っている。
終止符を打つというのは、それだけ心にゆとりを生む。
なあなあに。
適当に茶を濁して。
答えを出さずに、半端に生きるってことは決着からの逃避行だ。
我流にとっての『騎士の饗宴』は、一つの終焉を迎えた。そのせいで、少しばかりではない虚無感が心を支配している。余りある達成感のせいで非常に自覚しづらいが、それでも一種の物寂しさが付き纏っている。
終わるというのはそういうことだ。
夏祭りや文化祭だって、どんな盛大な行事になるのかとワクワク準備している時が一番楽しい。終わった後の、キャンプファイヤー。使い終わった資材を燃焼させ、濛々と立ち込める黒煙が、闇の空と同化する。四散していく灰が瞳に入ったせいか、地味に痛くて涙ぐんでしまう。でも、その涙の要因はそれだけではなくて。
なんだか終わってほしくないと思えたからか。
我流が一番好きな季節は秋だ。
冬になればあらゆる植物や生物が死滅する。生命が終了する過程が見れるから好きだ。そして終わりの次に始まりがくるように、躍動の春が到来する。
でも、それは、一切合財全てが泡沫のようになってからだ。
一度下線軌道を限界値まで描いたからこそ、上昇した時のギャップが大きくなる。終わりが来るのは辛いけれど、決着を着けなければ明日はやってこない。春は来ない。きっと、騎士団長はそれが分かっていたようだった。
かつての自分との決別のために。
そして、未来を歩く。
そのためにあんなにも迂闊に告白したのだろう。
それはきっととても、とても重い告白。それなのに、
「つん、つん」
何故か、日影に頬をツンツンされている。
人差し指を差してくるのだ。
一瞬、眠りこけていてまだ夢の中にいるのかと思ったが、明らかに現実に起こっていることだ。
どうしてさっさと帰ってしまわないのか。我流の安否を確認するだけでは飽き足らず、辱めようとしている。これでは起きれない。
「起きてますかー? フフフ、寝てますねー」
寝起きドッキリ企画でもやっているのか。
カメラでも仕掛けられているのだったら、迂闊に起きることもできない。どんなおいしいリアクションをとればいいのやら。お笑い芸人じゃあるまいし。こういう時、どんな反応をすればいいのか全く見当がつかない。
騙すのだったら、我流ほどつまらない人間はいないだろう。
あ、何しているんですか? とか、そんな面白くない答えしか思いつかない。いっそのこと。うわああああ、とか情けない声を上げながら、発狂したように転がればいいのか。……できない。我流にはそんな真似決してできない。
お酒など未成年だから飲んだことなどないが、酔った勢いであってもできそうもない。誰でもいい。この地獄から救いの手を――。
「せん―――――ぱい―――――っ!!」
鼓膜が破れそうな大音声。
それは、もう、目を開けるまでもなく桐咲だった。
相変わらず、といったところ。
世界で一番空気の読めない奴が来てしまった。
いや、だからこそ来たのか。
慌てたように、ツンツンさせていた指を日影は引っ込めた。状況は先ほどより良くなった、と楽観できることはできなく。
あ、終わった。
そんな感想が自然と脳内で湧いてきた。
「大丈夫ですか? あのゴリラ女に痛めつけられて」
「ゴ、ゴリラって誰のことかな? 桐咲……さん……だったかな?」
「ああ。すいません。もう、ここにいるなんて思わなかったので。私は全然そんなこと思ってなかったんですけど、つい……チョコバナナとか食べるかなって思って。食べますか? ゴリラだけに」
「チョコバナナが、どうしてあるの!?」
「いやー、おやつにどうかなと思いまして。先輩にお弁当を作ってきたので、ついでに。ど・う・し・て・も! 先輩がど・う・し・て・も、『私が』作ったお弁当を食べたいっていうので、今日はバッチリ気合い入れて! 朝5時に起きました! お弁当を作ってきました!」
最後の一文が重いし。
それに、頼んでなどない。
「……それ、本当に虎徹くんが頼んだのかしら? そうやって、ムリやり作ってあげても、虎徹くんは喜ばないと思うわよ。むしろ困ると思うけど。苦笑いしながら、ああ。ありがとう、おいしそうだね、って気を遣うと思うの。そんなことになったら、虎徹くんも、それからあなたも、いい気分にならないよね」
流石、日影だ。
年上だからこそのこの察しの良さだ。桐咲の意図を完全に読み取った上に、我流がどういう反応するかも予測している。
これが年の功か。
ちゃんとした心遣いができていて、桐咲などまるで話にならない。
そんな大人な日影は、だから――と言葉を続けると、
「私が虎徹くんのために作ってきたお弁当を、食べさせてあげないと」
ん?
と、我流は寝ながら首を傾げたくなる。
おかしいな。
日影に頼んだ覚えはないのだが。
「そ、そっちこそ本当に先輩が望んだんですか?」
「そうだよ、もっとも私が作ってきたのはあなたのよりもずっと美味しい自身があるけどね」
「わ、私はちゃんと料理上手なお母さんに頭を下げて料理を習ったんです。自分で言うのも憚れますが、かなりおいしいお弁当を作ってきました! ぜぇ――たいに、あなたの料理よりずっと美味しいです!!」
ああ、そうか。
桐咲は完全にではないが、母親と和解できているようだった。やっぱり母親にとっての得意分野、料理とかそういう話題を出すのはいいのだろう。特技、それから好きなものに対して、人は饒舌になる。それに母親だから、娘に頼られて悪い気がしないわけがない。
手とり足取り教えてくれたのだろう。自分が優位に立って、子どもに何かを教えられるのなら、それは母親冥利。
そんな祝福すべきことなのに、我流はまだ起き上がることができない。女子同士特有の、ねちっこい悪口が聞こえてきて。聴くに耐えなくて。でも、寝ているという体でいるので、耳を塞ぐ行為もできなかった。
――もう少し寝ていよう。
そんな問題の先送りをして、目を瞑る。台風や地震といった災害が起こった時に、人間ができることなど限られている。諦観して、事流れ主義に徹することしかできない。それと同じことだ。
それから無理やり口を開けさせられて、日影と桐咲の試食会が始まるまで、我流虎鉄はずっと寝たふりを続けていた。




