024×心の在処
日影朝日は弱かった。
《ドッペルゲンガー》や《ポルターガイスト》の能力を持て余していて、デビュー戦は負けた。
しかも、我流なんかとは比べものにならないほど、たくさんの黒星を重ねていた。華々しいデビューを飾った騎士団長や桐咲と違って、敗北から日影の『騎士の饗宴』は始まったのだ。
我流との違い。
それは、日影は別に負けてもいいということだった。
勝敗には頓着などなかった。
勝負すること。それ自体が好きだったのだ。
ある時、トリニティ騎士団を設立した。
日影と騎士団長の、どちらが先に誘ったというわけでもない。話の流れから、騎士団長と一緒になって『騎士の饗宴』に参加した。
個人で対戦カードを組むだけでなく、たまに開かれる大会なんかにもエントリーして。
騎士団長と日々切磋琢磨し合う。
次第に強くなっていくことを実感できる。
そういったことが楽しかった。
だからこそ、強くなれなかったのかもしれない。変に気負うことなく、マイペースで、着実に基礎を築いていけた。いずれ建設する巨大な城のためには、土台を盤石のものとするためには時間が必要のように。ゆっくりとだが、着実に技術面を伸ばせていけた。
逆に、騎士団長の成長速度は速かった。
あっという間にメキメキと頭角を現していった。
トリニティ騎士団を設立して、一か月も経たない内にアクアダストでは知らない騎士などいないほどに、有名になってしまった。
元々彼は経験者で、なおかつ以前所属していた騎士団より、人数が少なかった分、羽を伸ばせたのだろう。
そして。
騎士団長はかなり異性にモテた。
彼が試合を終えると、まるでアイドルのコンサートが終わった後のように出待ちしている女性の騎士達がいた。
騎士団長は、女性の扱いについては天性のものがあった。ファンへのリップサービスは完璧で。だからこそ彼女たち騎士の心酔度も増していった。
旧知の間柄である騎士団長。
そんな彼がトリニティ騎士団を立ち上げる前。もしくは騎士として駆け出しの頃を思い出すと一抹の寂しさを覚えた。
あの頃。
隣にいたのは日影だけだった。
いや、他にもたくさんいたのかもしれないが、そこまで目につくことはなかった。でも、有名になってから彼の傍には多くの女性騎士の姿が目立った。
前の騎士団にいる頃からそこそこ名声はあったのだ。ああなることは予想できていたはずなのに、胸が苦しくなった。
そんな鬱々とした日々が続いて。
ある日。
あの、運命が大きく揺れ動いた最低最悪の日。
騎士団長は日影に憤怒した。
どうして、本気で戦わないのかと。
特段、手を抜いているつもりなど毛頭なかった。でも、最近心あらずで、試合に身が入っていない。このまま負け続けていていいのか、と何度も諭された。
その原因が何なのかを告白して欲しい。悩みがあるのなら、僕にだけは伝えてくれないかと懇願された。
でも、それは騎士団長にだけは言えないことだった。言えるわけがない。
自分では果敢に挑戦しているつもりでいたが、もしかしたら本気じゃなかったのかもしれない。
全力で挑んでくる相手に対して、手を抜く。
それで相手が勝ったとしても、そんなの嬉しいわけがない。
自分自身を偽っているのだとしたら、怒るに決まっている。逆の立場だったとしても、まるで信頼していないかのような行動に、日影だって怒鳴ったかもしれない。
騎士団長の意見には日影も賛成したし、なにより騎士団長を失いたくなどなかった。彼の周りには、いつだって多くの人間がいたけれど、あの時。
――日影には、グリフしかないなかったのだから。
それから、騎士団長に戦いを挑まれた。
彼とは今まで何度も戦った。
野試合でも、『騎士の饗宴』でも。
だが、今度こそ本気で戦うために。
『騎士の饗宴』という大舞台で、最初から全力全開で戦った。
そして、二人を雌雄を決した。
結果は、散々だった。
まるで爆心地のように、巨大な陥没が至るところにできてしまっていて酷い惨状だった。
試合は、たった数分で終わってしまった。
そもそも《ドッペルゲンガー》を破られない限り、日影を傷一つつけることなどできないのだ。それこそ、《グングニル》のように相性が最悪な能力を持っている騎士以外には。そして、あの試合はそんな例外などあるはずもなく、日影は無傷だった。
試合が終わった後、日影はウキウキしていた。
思う存分、力を開放した。
騎士団長の言うことは正しく。
やはり自分は手加減をしていたのだ。でもこれからは、大丈夫。本気の本気で、いつだって相手をすることができる。リミッターが外れた戦い方をいつだってできる。騎士団長と戦って、なんだか吹っ切れた気がした。スランプから抜け出せたようだった。
初めて勝てたせいか、まるで羽が生えたように全身が軽かった。
もう、誰にも負ける気がしなかった。
そして、戦った後に確かめるのは、やはり新愛の証。
お互い頑張ったよね。
と、スポーツマンシップに則るように。
ありがとう! また戦おうね!
と、にこにこ最高の笑顔で、仰向けに倒れていた騎士団長に手をさし伸ばした。
『騎士の饗宴』の面白さを教えてくれた騎士団長と、この感動を分かち合いたかったのだ。
でも、その手を掴まれなかった。
というか、露骨に視線を落とされたような気がする。青く変色した唇を噛みながら、今は顔を見られたくないみたいに。
目が合ったはずなのに、何故か無視されたような気がした。そんなありもしない勘違いを日影はしてしまった。
あれ?
と、首を傾げたが。とにかく何も深いことなど考えず、無遠慮に再び手を伸ばした。でも。
その手は振り払われた。
騎士団長は慌てたように、ご――ごめ――と謝罪の言葉を言っていた気がしたけど、その声があまりにも遠いものに聴こえた。ただ不協和音の耳鳴りが鼓膜から全身に伝わって、よろめいてしまう。
そして気がつく。
闘技場が異様に静かであることに。
観客たちは一人残らず蒼白な顔をして、日影のことを眺めていた。どうして仲間に対してそこまで情け容赦なく倒すことができるのかと、戦々恐々としていた。
倒れていた騎士団長の右腕は、グシャリと潰れていた。
もしかしたら、騎士として再起不能。それどころか、日常生活を普通に過ごすことすら困難かもしれない。
そんな傷を負っている相手に、自分は一体何をした。
何をしでかしてしまった。
騎士団長がどんな気持ちでいたのか、それを少しでも考えたのか。ただ自分の欲求を満たすために戦って。そして、騎士団長を傷つけすぎてしまったことを誤魔化すためだけに、その手を伸ばしたのではないのか。
闘技場から去るために、背中を向けた。
そこに日影の居場所はなかった。
制止の声が聴こえた。
騎士団長が喉を嗄らさんばかりに、声を張り上げてくれた。でも、追いかけてはくれなかった。片腕が潰れていても、足は健在だったというのに。
その気になれば、日影の肩を掴んでこちらに振り向かせることができたはずだったのに。
追いかけてはくれなかったのだ。
そう。
あの時、日影は学んだのだ。
戦うことは虚しく。
本気で戦ったところで、相手には不快感しか残さない。
強くなっても、ただ独りになるだけだ。
それなのに、何も分かっていない我流は意味のない言葉を重ねている。
強くなりたい、と。
未だに純粋な彼に、二の轍を踏ませるわけにはいかない。
「強くなって……どうするの? 強くなった先のことは考えてるの? 考えてないよね? 強くなってしまったら、仲間と手を取り合うことすらできなくなるんだよ?」
騎士団長との戦いが終わってからも、日影は本気で戦うことにした。
日影は弱いと称されていたのだ。
当然、こぞって挑戦者が試合を申し込んできた。フロックで騎士団長を下したらしい日影を倒せば、自分こそがアクアダスト最強の騎士になれる。
そんな夢を見ていた騎士達を、日影はことごとくなぎ倒した。
騎士団長が教えてくれたように。
手心を加えることなく、勝ち星を拾っていった。
それにあっさり負けてしまったら騎士団長の立場がなくなる。倒した彼のためにも、狂ったように毎日戦い続けた。
日影と戦ってから、騎士を引退する人間は一人二人で留まることなく大勢いた。泣き叫びながら、戦いの最中に敵前逃亡する者もいた。
そんな彼らを瞳に写していながら、確実に止めを刺していった。戦意喪失した背中に、痛恨の一撃を与えることもあった。心が傷まなかったわけではなかったが、真剣勝負の結果そうなるのは仕方ない。騎士となるからには、それ相応の覚悟を持っているはずだ。
だから、一心不乱に戦い続けた。
そうしていれば、いつか騎士団長が追いかけてくれると信じていた。どれだけ遅くなるとも、騎士団長は迎えに来てくれるはずだと。
「デビュー戦とは違うんだよ? あれから一ヶ月経ったんだよ?」
いつの間にやら、誰からも試合を申し込まれなくなってしまった。
『騎士の饗宴』にエントリーするためには、まずどこかの騎士団に入団しなければならない。
だから、新人騎士がどれだけ世間知らずだといっても、先輩騎士から忠告されるはずだ。
日影朝日とは戦うな、と。
それなのに、常識知らずの馬鹿が一人だけいた。
「もう充分すぎるほど、力の差は思い知ったでしょ?」
日影はまた勝ってしまった。
それから、試合登録センターで。
その中での交流ホールで。
いつものように、日影は独りぼっちでいた。
騎士達が自分たちの騎士団と和気藹々している中、日影のところだけドーナツのように穴が空いていた。誰もが露骨に近づこうとしなかった。だけど、完全に無視されていたわけではなかった。
騎士達が遠巻きにジロジロ見ているのが、肌を通じて伝わった。
なんで、こんなところにあいつが? 聴いたか? 昨日あいつ、新人をいじめたんだって。手も足も出なかったそうだ。なんて可哀想なんだ。
とか、そんな声が聴こえて。
背中を丸めて、必死に耐えていたけれど。
我慢しきれずに席を立とうとした。なのに。
ずっと探してた……。
そう、確かに彼は呟いた。
日影と戦った相手は、一人残らず戦闘意欲など失せるはずなのに。『騎士の饗宴』を続けたとしても、また日影と再戦しようとするなんて暴挙出るはずがないのに。
探してくれた。
求めてくれた。
他の誰でもない日影朝日を。
「『騎士の饗宴』だけじゃない!! 組み手をした時にだって、虎徹くんは一度だって私に勝てなかったじゃない!!」
我流の申し出は青天の霹靂ではあった。
だけど、そこまで不快ではなかった。
それどころか、我流と一緒になって組み手をすることが楽しくてたまらなかった。身を挺して強盗の残党から守ってくれた我流と、一緒にいる時間が永遠に続けばいいとさえ思った。
騎士としてではなく。
まるで一人の女のように。
平々凡々な望みが叶えられたよう。
そんなことさえ思った。
思ってしまった。
「もう……いいでしょ……。これ以上……私は見たくないの……。これ以上、私の目の前で傷つく人を見たくない!! 私は、私のせいで壊れていく人を見て、それでも平気な顔をして生き続けるなんてできない!!」
日影と出会ったばかりに。
我流はトリニティ騎士団の騎士たちと戦う羽目になってしまった。桐咲や騎士団長との関係に亀裂が入ってしまった。
戦いたいと言ってくれた我流の申し出を、断ることだってできたはずだ。心の底から訴えれば、我流は退いてくれたはずだ。
なのに、気がつけばこっちから折衷案を提案していた。
好意に甘えていた。
我流とは早く縁を切るべきだったのに。
「私は……最低な騎士なんだよ……。全部……私のせいなんだよ……」
騎士団長や、我流だけじゃない。
それこそ、星の数ほどの人間の人生を狂わせてしまった。
その全ての責は日影にある。
「私は……私は……」
でも、もしも願っていいのならば。
こんな最低の人間が望みを言っていいのならば。
「戦っていいのかな? 本気になっていいのかな? 楽しいって思っていいのかな? 独りぼっちじゃなくていいのかな? 幸せになっていいのかな?」
どうしようもなく都合のいいことを、ペチャクチャと口走っているのは自覚している。
そんな資格なんてないことは、一番身に染みている。
振り返ってみれば、犠牲の山があった。
眼を瞑れば、今でも怨嗟の声が聞こえる。
自分が存在していい場所なんて、どこにもない。
「なに……言ってるんですか?」
だから、我流から詰られるのは当たり前のことだ。
力なく。
ぶらん、と手をだらけさせる。
この手は返り血で染まっている。どれだけ後悔したって、その手で摘み取ってきたものが復活することはない。
時間は元に戻せない。
失ったものを取り戻すことなどできない。
だが、その手を。
あろうことか我流は――
「そんなの、当たり前じゃないですか」
握ってくれた。
それも、力強く。
「戦っていいんですよ。本気になっていいんですよ。楽しがっていいんですよ。みんなと一緒にいていいんですよ。幸せになっていいんですよ」
日影は自分の『心』を『切り貼り』して戦う。
それは心のほんの一部にしか過ぎない。だから精神に影響はないはずだ。だが、日影はたくさんの人間に勝ってきた。
しかも、圧倒的に。
負けた人間の心が砕けてしまうことが分かっていても。
それでも、勝ってきた。
心のある人間がそんな風にできるはずがない。だが、この湧き上がってくる気持ちは、どう形容すればいいだろう。
ポッカリと穴の空いていた胸が、どんどん埋まっていくような。
そんな気がするのだ。
「俺には日影が必要なんです。日影がいてくれてから、また立ち上がることができたんです。こんなに強くなれたんです」
だから、と我流は前置きをすると、
「本気で戦ってください。トリニティ騎士団の騎士として」
その瞬間――。
わっ、と会場が地震のように揺れた。
観客たちが活気のある声援を始めたのだ。
「なんで……」
その声援には、劣勢に立たされている我流だけじゃない。ずっと毛嫌いされてきた日影を応援する声すらあった。
そもそも日影が孤立していた原因は、誰も手が届かないほどに強いかったからだ。それが、この試合を通して認識を改めざるを得なくなった。
いくら相性が悪いからといって。
デビューしたばかりな雛のような我流を倒しきれない日影を見て、ようやく親近感が湧いたのだ。
だから応援してくれている。
……そんな悲しい想像しかできない自分が嫌になる。自分のことすら客観視してしまうぐらい、悲しいぐらいに冷め切った心しか持っていない。けれど、誰かに応援されて戦えるなんて思いもしなかった。
「……そうだね」
まだ、『騎士の饗宴』は始まってすらいなかった。
もう手遅れかもしれないけれど。
遠回りしてきたから、ようやく日影朝日は日影朝日になれた気がする。みんなが認めてくれるならば、本気で戦うことができる。
だったら。
今度こそ本気で戦うために、自己紹介をしなければならない。
ここからが、本当の自分だ。
偽りの自分ではなく。
正真正銘。
騎士としての日影朝日だ。
「トリニティ騎士団。騎士団員ナンバー02。日影朝日。――《ポルターガイスト》」
「トリニティ騎士団。騎士団員ナンバー03。我流虎徹――《グングニル》」
そして。
本当の『騎士の饗宴』は始まった。




