023×空気の読めない騎士
我流は瓦礫の中に埋もれている。
それはまるで墓で。
山なりに連なっている城の瓦礫そのものが、我流の墓標そのものだった。
圧殺されそうな重量に、身動きひとつ取れない。
幸運なのか、それとも不運なのか。
肉塊にされてはいない。瓦礫と瓦礫の間に挟まっているような状態で。横長の瓦礫が、まるでつっかえ棒のようにもう一つの大きな瓦礫を支えている。そのおかげで即死には至っていない。
だけど、右脚が下敷きになってしまっている。ミチミチッと筋肉繊維が磨り潰れる音がする。奇跡的に支えとなっている瓦礫が、時間と共にズレる。ズ、ズズズと、瓦礫が柔らかい筋肉に、深く深く喰い込んでいく。
腕一本でも動かそうとすれば、それ以外の瓦礫も降ってきそうで。ガラリ、と小さな小石が動く音がする。
今の状態はとても危うい。
自力での脱出は不可能だし、他人の助けを借りるにしても慎重に瓦礫撤去しなければならない。
もしも失敗すれば、今度こそ骨は砕かれ、肉はトマトのように潰されてしまうだろう。
「あ……がっ……」
声を出すことすら憚られた。
そんなことをして、奇跡的にバランスを保っている瓦礫が崩れてしまったら……。その先の無残な結果を予想してしまって、息を殺すことしかできなかった。
「私の《ポルターガイスト》は、触れたものを動かすだけの能力じゃない。私は瓦礫に触れた時に、こう思っただけ。『あと3分後に虎徹くんに向かって発射しなさい』……と」
日影が話し出したのきっかけに、司会者のマイクがゴン、と慌てて何かを叩いような音が反響する。動揺のあまり、顔にマイクをぶつけたのだろうか。
「な、なにが起こったのでしょう。今のは……」
司会者ですら、日影がなにをやったのか分からなかっただろう。
カメラもあって、俯瞰できる司会者であっても停止していたのだ。
いきなり上空から攻撃を喰らった我流には、何が起こったのか見当もつかない。
「《ドッペルゲンガー》と、《ポルターガイスト》は全くの異質のようでありながら、元をたどれば同質。どちらも私の心象によって左右されるものであって
どちらも自在に操れる能力であることには変わらない」
私はね、と日影は淡々と感情を込めずに、
「自分の『心』を『切り貼り』することができるんだよ」
と、とんでもない発言をした。
「《ドッペルゲンガー》は、私自身の姿形を思い描いて、それを顕現化しただけのもの。最初に命令を与えておかないと、動かないんだよね。でも、自分のイメージを顕現化するのはかなり骨だから、表層意識を拾い上げるので精一杯。短調な行動しか取れなくて……。臨機応変に対応――なんて、うまくはいかない。もう分かっていると思うから言うけど……。簡易的な指令を実行し終えれば、自然消滅してしまうんだよね」
いつの間にか、音が聴こえなくなっている。
騒がしかった観客たちも、凄惨な光景を見て沈黙してしまった。あれだけ賑わっていたのだから、少しはこの試合期待してくれていたのだろうか。
「《ポルターガイスト》は、手で触れた物体に私の心を移し替える能力。顕現化しないだけ、《ドッペルゲンガー》は複雑な動きをすることができる。だけど、心を移し替える能力だから、最初から心のある人間に対して《ポルターガイスト》をかけることはできないっていう弱点があるんだ」
何か違和感を覚えた。
そうだ。
司会者が喋らないのだ。
本当だったならば、我流がダウンした今。カウントを数えなければならない。TKOで勝負がつかない代わりに、ダウンしたらカウントをとるのが『騎士の饗宴』の掟なのに。
どうしてだろう。
…………ああ、そっか。
そういうことか。
少し考えればすぐに思いつく。
10カウント以内に立ち上がることができれば、『騎士の饗宴』は続行できる。
それをしないってことは、もう結果がわかりきっているからだ。
カウントをとらないのに。
それでもブーイングの嵐が発生しないのは何故か。
ここにいる全ての騎士が、もう終わった試合だと処理しているからだ。
もしかしたら、我流がもっと奮闘してくれることを願ってくれる人だっていたのかもしれない。けれど、きっと期待外れだった。わざわざ足を運んでもらったのに、悪いことをしてしまったのかな。
「もっとも、心の弱い人間に対してある程度の自由を奪えるかもしれない。強く念じれば、その人間の思考を操れるかもしれない。でもまあ、そんな恐ろしいこと、私は試したことなんてないんだけどね」
本当に恐ろしいのは、能力を試すか、試さないかじゃない。
そもそもそんな発想に至ることが恐ろしいのではないか。
『心』を『切り貼り』するなんて危険な能力を持っていたとして、それを存分に扱おうとする騎士が、いったいこの世にどれだけいるのだろうか。いくら表層意識だけだとしても、自ら心を引き千切るなんて。並みの神経では到底できない。
苦痛は伴なわないのか。
痛くないのだとしても、常軌を逸している。
いつか心が壊れてしまうのではないのか。
それとも、人間を洗脳できるかもしれない。なんて発想している時点で、もうとっくに壊れてしまっているのではないのか。
「随分と。本当に随分と久しぶりだったよ。ここまで私が戦えたのは。他の騎士さんが相手だとすぐに試合が終わってしまうから、こんなに充実して戦えたのはとても嬉しかったよ。本当に……ありがとう。《ドッペルゲンガー》をあそこまで完膚なきまでに破られたのは、初体験だったしね。いいリハビリになったよ」
初めて会話した時から、今までずっと……。
日影は年上で騎士の先輩で。
なんだかいつも対等じゃなかったような気がする。こうするんだよ、って師匠のように教えてくれていた。試合の中でも助言めいたことを授けてくれていた気がする。
《ドッペルゲンガー》も《ポルターガイスト》も。
本来ならば、説明する必要なんてなかった。
それなのに懇切丁寧に解説してくれるのは、日影にとって、我流が生徒で自分は指導者という関係性だからなのかもしれない。
いつになったら、一人の騎士として見てくれるのか。
「もう心配なんてしなくていいよ。君がそこまで懇願するんだったら、また一緒に戦おうか。正直、『騎士の饗宴』ではもう戦いたくないけど。野試合だったらいいよ。まあ、君がまた私と戦いたいって思ってくれたらの話なんだけど……そんなこと、ありえないよね」
戦えます!
また戦いましょうよ!
なんて、お気楽に即答できていた我流は、もう死んでしまった。残酷なほどに実力差をその身に刻んだ我流は、瓦礫の墓に埋まっている。
「もう私とは、少なくとも公式の場では戦いたくなんてないよね。……うん。でも、それでもいいんじゃないのかな? だって、虎鉄くんはこの戦いで得るものはあったんだから。『負けて得るものなんてない』なんてグリフなら言いそうな台詞だけど、私の考え方は違うよ。強くなるためには、負けなきゃならないんだよ」
また、負けてしまった我流。
もしかして。
勝利者が直々に慰めの言葉をかけてくれるのだろうか。だとしたら、とてもありがたいことだ。
「だって、私だって負けてきたよ。勝つことよりも負けることの方が多かったよ。負けて、負けて。そして強くなれたんだよ。負けることは恥なんかじゃないよ。最初から強い騎士なんているのかな? きっと……強い騎士が強いんじゃなくて。勝った騎士が強いんじゃなくて。負けても立ち上がられる騎士が強いんだよ」
そんな風に軽く言ってくれると、正直助かる。
だって、我流はまだ公式戦で二回しか負けてないのだから。
きっと日影の言っていることは経験則に基づいた本当のことで。アクアダストで一番強い騎士が、そう言ってくれるのだから自信だってつく。
「大丈夫。虎徹くんなら、きっといつか強くなれるよ。それは私が保証してあげる」
一ヶ月前。
日影に敗北したあの日。
我流はきっと後方から、《ポルターガイスト》の不意打ちを喰らってしまったのだ。そしてそのまま昏倒してしまったのだ。
あれから、何一つ変わっていない。
一週間毎日のように日影と組み手をして。
それから。
桐咲と。
騎士団長と。
強い騎士達と本気で戦ってきた。
それが強くなるための近道であると信じて、ここまできたのだ。仲間同士で争うことは身を引き裂かれる想いだったけれど、その先にある日影との『騎士の饗宴』だけを見据えて進んできた。
でも、もう立ち止まる時だ。
この一ヶ月で、我流は結果を変えることができなかった。同じ相手で、同じステージで、同じ結果をもらって。
もうどうしようもない。
でも、こうやって『騎士の饗宴』で戦うことによって、日影と打ち解けることができたように思える。
桐咲や騎士団長だって思うところはあるだろうが、このまま日影をトリニティ騎士団に連れて帰ってもいいだろう。最初はちょっとギクシャクするだろう。でも、なんだかんだいって誰とでも積極的に話せる桐咲。それからまとめ役である騎士団長がいれば、うまい具合にキチッと収まるだろう。
「皆さん。二戦目にしては健闘した我流虎徹に、大きな拍手を!!」
いきなり司会者がそんなことを言って、観客たちは躊躇う。だが、少しずつ。ほんの少しずつだが、パチ、パチ、とまるで静電気が発生しているみたいに音が響いていく。
みんな、祝福してくれている。
そうだよ、もう充分だって。ここまで頑張れる奴が、俺達騎士の中にいるか? 凄いよ、あいつは。いい試合だったな。ちょっと……私感動しちゃった、とか、そんな声が聴こえてくる。
嬉しい。
ここまで褒めちぎってくれている。きっと我流なんか、日影の足元にも及ばない。騎士としてずっと長く戦ってきた人たちが褒めてくれているのだ。拍手をして、まるで自分のことのように、我流のこれまでの戦いを認めてくれている。
ああ、満足だ。
ぬるま湯に全身がつかったみたいに怠い。
全身が痛かったのに、それがどんどん引いていって。なんだか思考するのが面倒で。全てを忘れて眠ってしまいたい。
とてつもなく魅力的な睡魔が襲いかかってきて、そして――
「っが、頑張れぇえええええええ――――――――――――!!」
この場にいる何百、何千にといる騎士たちに決して負けない。
たった一人の騎士の声が、全てを打ち消した。
眼蓋を瞑って、闇の中に身を委ねようとした我流に光を注いでくれた。誰もがこの試合終わったと決めつけていたのに。我流本人ですら、もう心底諦めきっていたというのに。
空気をぶち壊したのは、よりにもよって桐咲だった。
「立て――――――! そして、勝ってください!! 先輩!!」
おい、誰だあれ? あれって、トリニティ騎士団の桐咲じゃないのか。なんでだよ、あいつ仲間じゃないのかよ。どうしてそんな酷いことが言えるんだよ。休ませてやれよ。あいつ……もう……死に体だろ。鬼だよ。もう試合結果なんてどうだっていいだろ、とか。
そんな観客たちの批難めいた声が伽藍洞の心に響くけれど。
それに負けない声で、
「行けぇえぇえ!! 我流くん!! 僕ができなかったことを、君が、君こそがやってくれ!! 僕はあの時! 立ち上がれなかったけれど! きっと君だったらできる!!」
騎士団長が叫びまくっている。
そんなキャラじゃない。我流のイメージではこの『キャッスル』のステージのような家に住んでいて。テラスで紅茶を飲んでいるような印象。声を荒げるなんて人種じゃない。
優雅に過ごして、いつだって冷静でいる。
そんな人間性の持ち主じゃなかったのか。
そして、解消されない疑問がまだある。
二人とも我流が日影と戦うのに苦言を呈していた。
適当に流すこともできたのに、衝突してくれた。
自身ですら見限ったというのに。
絶望的な状況にいる我流を。
見捨てずにいてくれた。
この場にいる全ての騎士を敵に回しても。
それでも。
桐咲と、騎士団長だけは我流の味方でいてくれたのだ。信じてくれたのだ。
――まだ、我流虎徹という騎士は戦えると。
「あああああああああああああ!!」
口が裂ける勢いで、咆哮する。
砂鉄がまるで竜巻のように舞い上がって、あれだけ重々しかった瓦礫を彼方へと簡単に吹き飛ばした。
「どう……して……? なんで立ち上がってこれるの? いや、なんで立ち上がるの? そんなことしたって、どうにもならないことは誰の目から見ても明らかなのに。戦っても無駄なのに。私と戦いんだったら、ちゃんと準備すればいいのに。実力をつけて、強くなって、後日また立ち上がればいいのに。……どうして?」
まだ視点が定まらない。
全身が傷だらけで。
足からは大量の血が流れている。
騎士団長との戦いよりも追い詰められている。
今までの。
一ヶ月前の我流ならば、立ち上がることなどできていなかった。
だが、今は違う。
変わったのだ。
強くなったのだ。
「いつか強くなりたいんじゃない」
我流は力強く立ち上がる。
ただ。
勝つためだけに。
「今、強くなりたいんだ!!」




