022×速さと遅さ
もしも、『騎士の饗宴』が全うなスポーツ競技だったならば。審判の存在する類のものだったら、とっくの昔に試合は強制的に終わらされていただろう。
我流はTKO負けになっていただろう。
それだけ満身創痍で、誰の目から見ても限界だった。試合の流れは日影に傾いていて、ここから挽回することなど不可能だ。
だけど、これは『騎士の饗宴』で。
我流は騎士だった。
そしてなにより、この試合だけは。
騎士になってからずっと熱望していたこの試合だけは、無様に負けるわけにはいかない。降参するわけにはいかない。自分から終わらせたくない。
野球に例えるならば。
今までは日影の攻撃の回だった。
だが、ここからが我流の攻撃の回。
日影が守備に回る時間。
今こそ、反撃の時だ。
「最初、日影の能力は高速移動だと思いました。その後に瞬間移動。でも、それだと説明がつかないんですよ」
「……どう説明がつかないの?」
「その――足跡です」
地面には、日影の足跡がくっきり残っている。
《グングニル》は、日影の手によって何度もキャンセルされた。だが、そのことによって、茶色い地面や草花の上に、黒い砂が上から降りかかっていた。
そのおかげで、日影がどんな風に足跡を残したのか。どういう動きをしたのかが、はっきりと視認できることができた。
高速移動ならば、日影が消えた場所から動いた足跡があるはず。
瞬間移動ならば、日影が消えた場所から動いた足跡などないはず。
そして、消えた場所から足跡はなかった。ならば、日影の能力の正体は後者かと一瞬疑った。だが納得する前に、異常なことが一つ。それは、日影の足跡が多すぎるということだ。
足跡の形状からして、彼女がつけたものであることは確定している。が、それにしては多すぎて、まるで我流や日影以外の誰かがこの場にいるような足数なのだ。それによく観察してみると、消えた場所からまるで、普通に動いたような足跡もあった。
そうなると、瞬間移動ではおかしい。
だが、消えた足跡もあるから高速移動でもない。
そうやって考えられる可能性を消去していくと、残されたのはたった一つの事実だけになる。
日影は普通に動いて。
そして普通に消えた。
ただそれだけのことのだった。
「無駄だと思っていた《グングニル》の多用は、私の能力を看破するために――!?」
そもそも日影が一人きりだという前提が間違っていた。
目くらましのための一瞬だけだっただろうが。
日影は二人いたのだ。
「日影の能力は、自分の『分身体』を『顕現する』能力……そうですよね?」
あまりにも速すぎるために生じた残像。
しかしそれは残像ではなく、本当にそこに存在していたのだ。
日影の分身体が、そこにいた。
だから攻撃した瞬間質量を喪失したのだ。
「――正解」
ブゥン、とテレビの画面がぶれたみたいに、日影の身体の輪郭がズレる。すると、まるで幽体離脱したみたいに、もう一人の日影が生まれる。
「《ドッペルゲンガー》」
凝視しても、全く区別がつかない。姿形が一緒で、どちらが本物なのか看破することなどできない。
片方の日影の強烈な横蹴りを、腹筋に力を入れてわざと受け止める。ズサッー、と地面を滑りながらも、ガシッ、と女らしい細い足首を掴む。足を引き戻される前に、骨を折るために肘を打ち下ろす。
が、それは《ドッペルゲンガー》で、偽物。
本物の日影は偽物の影に隠れていた。
肩を掴まれ、本命である飛び膝蹴りを喰らってしまう。
偽物だからといって、攻撃できないわけではないらしい。威力は本物と同等。日影が倍増するのだから、攻撃の手も倍増することになる。
こちらが蹴りでも拳でもいいから、攻撃すれば《ドッペルゲンガー》は消えるようだ。が、それでもこんなの相手にできるのか。
相手の攻撃は当たっても、こちらの攻撃が本体に当たらない。
巧みに偽物を配置して、身代わりにしている。
なにより。
日影は最初から《ドッペルゲンガー》を隠す戦い方がうまかった。最初のデビュー戦の時も、こちらが目線を切らしたその瞬間。
《ドッペルゲンガー》を使った。
まるで、彼女自身が高速で移動したかのように。
他の騎士ならば、ここまで《ドッペルゲンガー》を使いこなせていたか。
……恐ろしい。《ドッペルゲンガー》の能力が恐ろしいのではなく、能力を完全に使いこなせている日影本人が恐ろしい。
「相手の能力が分かったからといって、勝てるわけじゃない。そんなの、騎士として当然のことだよね」
日影の分身体が生まれる。
どちらが本物か分からない。《グングニル》を生成する余裕はない。落ちていた石を投擲すると、日影はバランスを崩しながらも避けた。本物ならば避ける素振りすら必要ないはず。ということは、あっちが本体か。
倒れそうになっている今がチャンスだ。
勇み足で踏み込もうとすると、《ドッペルゲンガー》が本物の日影の手首を掴む。そのままジャイアントスイングするみたいに、勢いをつけて本物を投げてきた。
今まで見たことのないような動きに反応できず、蹴りが喉に入る。
がはっ、と蹈鞴を踏んでいると、日影がまた《ドッペルゲンガー》を作り出す。防御のために身構えていたが、日影はすぐには向かってこない。
腰を落として、両指を合致させる。
弧を描くように合わせた両手を裏返す。
もう一人の日影は、その重ねた両手に足をつける。腰を落としていた日影は、力を込めて上へ持ち上げるようにして投げる。
いっせーの、と掛け声を上げるまでもない。
二人の意識はシンクロしているのだから、絶妙のタイミングになるは必然だ。そのままジャンプしたのは、本物の日影だった。
《ドッペルゲンガー》は目的を果たしたように消える。もしかすれば、《ドッペルゲンガー》を顕現できるのには、一定の持続時間があるのかもしれない。
だが、そもそも一体今の一連の行動に何の意味があるのか。
手負いの我流に追撃した方がいいに決まっているのに。
日影の向かった先に視線をやると、そこには――
「騎士は自分の能力をできるだけ隠すもの。それは弱点があるから。対策を立てられないように、極力能力を晒さないようにしている。でも、私の場合は違うんだ」
頑強な城が聳えていた。
失敗した。
追いかけようと跳躍するが、時すでに遅し。日影は城壁を殴打し、崩れた瓦礫を中空にいた我流を狙い撃ちにする。
「私が最初から《ドッペルゲンガー》を使ってわないのは、使ってしまったらすぐに試合が終わってしまうからだよ。だって、私の《ドッペルゲンガー》を防ぐ手立てなんてないんだから」
ガラガラと、城郭が徐々に崩れていく。
日影が能力を使用するから、その度に城が抉れて、壊れて。
より武器化しやすくなってしまう。
仕切りの壁とは比べものにならないほどの威力。
巨大すぎるもの。――城そのものは飛ばせないようだが、我流の身体以上の城壁が飛んでくるようになった。投擲できる武器の質量が大きければ大きいほど、その威力は増す。
なんとか止めたい。
だが、こんなの、もう近づくことすらできない。
「そうだね。騎士の先輩としてアドバイスするなら、こういうのはどうかな。本物と偽物との相違点を見つけるとか。それか……《ドッペルゲンガー》を使う際に、本体である私が無意識的に使っている癖を探してみるとか。そういうありきりたな攻略法で、区別すればいいんじゃない?」
仕草と癖とか。
そんなものあるわけがない。
《ドッペルゲンガー》は日影本人そのものだ。少なくとも一見しただけで看破できる代物ではない。
我流のような初心者ならば、日影の助言した攻略法も有効的に働くだろう。だけど、日影のような経験者が弱点をなくす努力をしていないわけがない。
特に、《ドッペルゲンガー》を使う際は過敏になって、仕草や癖を失くそうとするはず。
だから、二体になった日影のどちらが《ドッペルゲンガー》なのか。
それ見破るために神経を磨り減らすのは無駄なことだ。
「残念だけど、君に勝ち目はないよ」
「《ドッペルゲンガー》」
再び、日影の《ドッペルゲンガー》が出現したとその直後。
我流も自分の武器を口に出す。
「《グングニル》」
ずっと肉弾戦で挑まれていたから《グングニル》を創り出すことができなかった。
だが、あちらが遠距離主体の攻撃となっている今だけが、《グングニル》を生成できるチャンスだ。
そして《グングニル》を、適当に投擲する。
投げた先には何もない。
まるで、一方的にやられてきた鬱憤を晴らすためだけに《グングニル》を投擲した。
「あー、ついに《グングニル》出されちゃったね。でもせっかく生成できた《グングニル》を、どこに投げてるの? あてずっぽう? 一応教えてあげるけど、そこには本物も偽物もいないよ?」
二人になった日影は攪乱させるために、二手に別れる。それからあっという間に、我流を挟み撃ちする。落ちている瓦礫を再利用することによって、一気に決めるつもりだ。
だが、我流はフッ、と余裕の微笑がこぼれる。
二人いる日影の内の一人に、黒い影が落ちてきた。
「投げたはずの《グングニル》がこっちに向かってきて――!」
斜め上に投擲した《グングニル》は空中で軌道を変えて、日影に襲いかかった。肩をかすった《グングニル》は地面に突き刺さると、灰のように空気中に散布される。
「消えない。……ってことは、あなたが本物ってわけですね」
「……どうやって……?」
偽物の日影が動揺したような顔のまま、煙のように消える。
「俺、いつも騎士団長に注意されたことがあるんですよ。『我流くんはいつも実力を出すのに時間がかかり過ぎる』って。でもそれって仕方ないんです。俺の《グングニル》の特性上、エンジンがかかりきるには絶対時間がかかってしまうんですよ」
《グングニル》が消えた後に残された黒い砂。
そして、本物の日影へと、引き寄せられるように動いた《グングニル》。
その特性から構成物質を割り出すことなど、これまで戦ってきた日影ならば簡単なことだろう。
「……砂鉄?」
「――そうです。俺の《グングニル》は地面や鉱物の砂鉄を固めた得物なんですよ。そして磁力と磁力を引き合わたり、反発させることができるです」
我流が速く動けるのは、ただ筋力に頼っているからだけではない。
そんなことで、桐咲や騎士団長の差を埋められたはずもない。
地面に撒かれた砂鉄を使い、磁力の特性であるところの引力と、斥力。その二つの力によって速度の限界値を引き上げていた。
「でも磁力を使うには条件があるんです。それは、《グングニル》を生成する時に使った砂鉄じゃないと、磁力を使えないっていう条件が。だから、俺が生成した後に残った砂鉄が地面に広がってないと、速度を上げられないんです」
逆に言えば、一度制御下においた砂鉄は自在に使用できる。
ということは。
地面に敷かれている砂鉄は、未だ我流の支配下にあるということだ。
「そして、日影さんは踏みましたよね。俺が生成した砂鉄を。その砂鉄を磁力で日影の靴にくっつけてるんです。そしてその砂鉄に引き合わせるように、新しく生成した《グングニル》の磁力を操ればいい。そうするだけで、俺の《グングニル》はあなたに命中します」
目を瞑って投げたとしても、我流の《グングニル》は、目の前の日影が本物か否か嗅ぎ分ける貫くことができる。それに靴だけでなく、日影の至るところに砂鉄は付着している。無論、彼女が気づかないよう極小なものだが。
「つまり、俺の《グングニル》は絶対不可避の黒槍なんですよ。どちらが本物の日影なのかは、とっくに識別できていたんです」
《草薙の剣》を破砕した時。
まず《グングニル》の砂鉄を《草薙の剣》に擦り込ませていた。
だからこそ、同じ軌跡を描くことができたのだ。
そうでなければ、全く同じ槍の突き方をするなんて神業、初心者であるところの我流にできるはずもなかった。
「普通の騎士なら。いや、どれだけ強力な力を持った騎士であっても、《ドッペルゲンガー》の能力の前じゃ、日影に傷一つつけることなんてできなかったでしょうね。でも、俺の黒槍なら……。この《グングニル》だったら……日影の体に届く!!」
《グングニル》以外の磁力を操るのには、かなりの神経を使う。
制止した状態。
例えば座り込んだ状態ならば、もっと楽に砂鉄を操ることはできる。だけど、戦闘中のように、磁力を操る以外にも意識を裂く状況下では、連続して《ドッペルゲンガー》を看破するのは難しい。
それに。
磁力を自在に操って《グングニル》を日影の足元に出現させて、不意打ちをする。なんて、そんな高度な磁力操作は、今の我流にできない。よしんばできたとしても、神経を集中している間は、完全なる無防備状態。
倒してくださいと言っているようなものだ。
だからこそ、ハッタリをかますしかない。
《ドッペルゲンガー》をもう使用させないように。使用されたら、かなり分が悪い。
「相性的には最悪ともいえますよね。《グングニル》に対しての《ドッペルゲンガー》は。天敵といってもいい。この優位性は絶対に覆せないですよ」
「…………」
日影が何か言い返してくる。
そう覚悟していたのだが、彼女は無言のまま踵を返す。態勢を整えるために距離を図っているのではない。背中には殺気が漲っていない。
もう、戦う気力なんてどこにもないようだった。
向かう先は、出口。
まさか、退場するつもりか。
奥の手であろう《ドッペルゲンガー》を破られた今、日影には勝ち目がない。痛い目に見る前に棄権しようというのか。
「ちょっと、どこに行くんですか? まだ試合は終わってないですよ!」
「……虎徹くん。君は光のように速いね。でも、私は遅い。まるで自分の影。分身体のようなものを使って、ようやく君の速度に追いつける。速いように錯覚させて、どうにかこうにか君の動きに合わせることができている」
こんなの、子ども騙しみたいだよね、と背中越しに言ってくる。制止した声は届いているはずなのに、歩く速度は遅くならない。
退場するつもり満々だ。
「私は遅い」
日影は自己を完全に否定するように、断言する。
「いつだって遅いんだよ。ここに来ることだってそう。あんなことがあって、騎士を辞めようとしていないのも。いつも、いつも。ズルズル決断するのが遅れていた。でも、虎徹くんは即断即決で、迷わないよね。それは私にとって、とても羨ましいんだ」
「…………」
「でもね。遅いからといって、速い騎士に負けるなんて限らないでしょ?」
ポツリ、と何事もないかのように呟く。
「《ポルターガイスト》」
瞬間。
目を疑った。
大きな城壁の瓦礫が、我流のすぐ頭上を覆っていたのだ。直前、日影は何も触ってなどいない。そして、《ドッペルゲンガー》の姿もなかった。あったならば付け焼刃であっても、我流は《グングニル》を発動していた。
どうやって――!?
疑問が解消されることはなく。
まるで瓦礫が、自身の意志を持つように動いていた。
そして。
受け身も。
回避行動をとることもできず。
ドゴォオオン!! と、車に惹かれた蛙のように、我流は下敷きになった。
「君の最大の弱点は……集中し過ぎると、周りが見えなくなることだよ」




