021×光速を超えた神速
「《グングニル》」
当然の如く、最初から全力全開。
手の内はお互いに晒している。ならば、余計な小手調べはいらない。
今まで日影と戦ってきた試合の結果は公式、非公式問わず、全てにおいて負けている。
だから。
少しでも手を緩めたら、試合は即座に終わらされてしまう。
そう思って試合に臨むべきだ。
《グングニル》を渾身の力を持って放擲する。
闇雲にではなく、日影が避けるであろう位置を意識する。
日影と戦ってきて気がついたことがある。
彼女は手で触れたものを、自在に動かすことができる。どういう理屈は分からないが、それが最も破壊力がある攻撃だと言えるだろう。
彼女の武器を封殺する、最も有効的な手段は何か?
それは――そもそも彼女に武器を与えないことだ。
確かに日影は強い。
だがそれは、射出する物体があるからこそ。
何もないところから強力な攻撃を繰り出すことはできない。
そういった要素だけならば、樹を顕現できる桐咲や。
空気の弾で狙撃してきた騎士団長。
武器をいちいち調達せずに済む、この二人の騎士の方がよっぽど厄介だったと言える。
激しい攻防を続けながら、城郭からより遠く離れた場所へ自然に誘導する。
そのために、徒手空拳で戦い合う。
こちらとしては、強力な武器である《グングニル》を振るいたいところだが、《グングニル》を使うと必要以上に日影との距離が離れてしまう。
それは、《グングニル》のリーチや投擲武器としての性能上しかたない。
そうなれば、元の位置取りをするのが困難となって、彼女の動きを制御できなくなってしまう。
なにより、日影も我流の最大の武器を使わせないように接敵してきている。牽制として入れた最初の《グングニル》も影響しているのだろう。
くそっ、とわざとらしく小声で悔しげに嘯いてみる。
利害は一致している。
しかし、それを安易に悟られてはいけない。
肉弾戦ならば互角。
とまではいかないまでも、それなりに戦えることは実証済み。
チラリ、と日影が横を――城壁を一瞥する。
思ったとおり。日影は拮抗状態を打破するために、武器を求めているようだ。彼女が右に動けば左に、左に動けば右に我流は動く。そして、日影から有効打をもらわないために、一定の距離を保つ。近すぎても遠すぎてもだめだ。消極的だがこの作戦は成功している。
そして、我流の後ろ足が――壁に当たった。
「なっ!」
驚愕の声を上げる。
どうして? 一定の距離を保っていたはずだった。だが、日影を城壁から引き離すことに固執するあまり、自分が追い詰められていることに気づけなかった。日影の動きに合わせて、我流も動いていた。左右非対称に。
そうやって城壁から離れることは成功したのに、思いの外離れ過ぎたのだ。壁に激突するまでに。
こちらが気がつかないように、徐々に、日影は空間を削っていた。
足の動きや目線で、こんなにも簡単に壁際まで誘導されていた。
巧みに日影を操っているつもりでいた。
だが、操られていたのは我流の方だった。
そんなことができたのは、圧倒的実力差があるからだけではない。こちらの狙いを読んでいたからだ。城から離れるために躍起になって動く我流は、行動パターンを狭めてしまっていた。だからさぞ読みやすかっただろう。
パニック状態に陥った我流の心臓に、左の正拳突きが突き刺さる。
がはっ、と一瞬呼吸が止まる。
我流は地面に片膝をつく。
ついたその膝に、日影が足を乗せてくる。
攻撃ではない。
それは、我流の膝を踏み台にする行為。
この態勢から繰り出される攻撃パターンは限られてくる。
まさか、と思考が脳を過るよりも先に、日影はシャイニング・ウィザードをしてきた。
「うおっ!」
膝をさらに屈伸させて、まるで死神の鎌のように振るわれた蹴り技を避ける。掠った側頭部が、チリチリと熱い。いくらなんでも、いきなりそんな大技が直撃してたまるか。
「だめだよ、虎徹くん」
開口した日影から出た言葉に、ゾクリと背筋が氷点下まで一気に凍りつく。
パラパラと、コンクリート片が落ちる音がする。
「君は私の蹴りを避けちゃだめだったんだ」
直後。
猛スピードで飛んできた岩石が、背骨を直撃する。
んなっ!? と、勢いを殺すために前転する。どうして、後ろから攻撃が? 日影は壁に――武器になるようなものに触れた様子などなかったはずなのに。
「もしかして、手で触れただけを射出できると思い込んでた? 私は手だろうと足だろうと、自分の身体に触れたもの全てを私の支配下に置くことができるんだよ。……こんな風にね」
蹴りの衝撃で崩れ。それから地面に転がっていた壁の欠片を、日影は無造作に蹴り上げる。
蹴るといっても、ほとんど触れる程度の衝撃。
だが、物理法則を超えた速度で、石礫が顔面に飛来してくる。首を捻って向かってくる石の欠片群を、最低限の被害でやり過ごす。
城壁から引き離すために、《グングニル》を封印する。なんて、悠長なことを言っている場合じゃない。
もう、武器は与えてしまったのだ。
こっちが素手で相手をしていたら、即座に負けてしまう。こちらの最大戦力である《グングニル》を生成しようとすると――
「えっ、消えて――」
忽然と、日影の姿は消えていた。
いきなり透明人間になったわけではない。我流が石の直撃に備えて顔を背けていた間に、日影が死角へ移動しただけだ。
言葉にすれば、ただそれだけのこと。
なのに。
まるで煙のように消えたと思わざるを得ないほどに、速かった。首の動きよりも速く、我流の視界から外れる場所まで動く。そんなこと、我流にだってできるわけがない。まともな人間の動きじゃない。
スッ、と手を背中に添えられる。
超スピードで動いた日影に、また後ろに回り込まれていた。
「いっ――いつの間に」
ぐん、と見えざる手に首根っこを掴まれるみたいに、日影から引き剥がされる。添えられた手に力は入っていない。
我流の背中に触れていただけだ。
なのに、まるで発勁を使われたかのように吹き飛ばされてしまった。
今までの戦闘経験上。
日影が射出できるのは、城壁等の無機物だけだと思い込んでいた。だがそれは間違いだったのか。もしも本当に、全ての物を――我流みたいな人間すら弾丸のように発射できるのだとしたらそれは脅威だ。
しかしそうなると、疑問が発生する。
今までの戦闘で、その能力をフルに使っていないのはあまりにおかしい。もっと多様した方が試合を楽に進めるのに。手加減されているのか、それとも様子見なのか。とにかく戦いの中でそれを見極める他ない。
《グングニル》を繰り出そうとする。
だが日影は飛び上がる。クルクルと遠心力をタップリとつけた旋風脚が襲いかかってくる。我流は咄嗟に腕でガードしたが、勢いを殺しきれずに壁に激突する。バキバキッ、と壁の表面は化粧のように崩れる。
ただの蹴りの威力じゃない。
プラスアルファ、彼女は自身の能力を使用しているに違いない。
日影との野試合を思い返す。
彼女は、拳よりも蹴りの方を決め技として使っている。蹴り技は片足を上げるためバランスがとりにくい。そのリスクを負って彼女は好んで蹴り上げている。それだけ絶対の自信があるということだ。
だから日影に頬を殴られる時は、そこまで痛くなかった。それは、そこまでパンチは得意ではなかったということ。
それは正しくもあり、間違いでもあった。
日影が肌に触れた時はそこまで痛くない。だが、直接肌に触れず、服を介した時にだけ威力が倍増しているような気がする。同じ拳でも、触れた個所が服と肌では吹き飛ばされる距離が恐らく違う。
拳の時は顔面。蹴りの時は腹部を狙われることが多いから今の今まで気が付かなかった。
だが、なんとなく日影の能力の全貌が見えてきた。
とにかく、ガードする時には手を使った方が賢明だ。
そして《グングニル》で状況を打破しようとするが、日影に即座に肉薄される。反撃するよりも前に、日影の手が触れただけで、我流はハンマーで叩かれたような衝撃を受ける。
まだ形も整っていなかった中途半端な《グングニル》は消失する。
「くそっ」
速すぎる。
速すぎて、手でガードするのが間に合わない時がある。
抵抗という抵抗もできずに、重い一撃を喰らってしまう。
我流は桐咲や騎士団長に、総合的な実力では大きく劣っていた。しかし速度だけには自信があった。速さがあったからこそ、奇跡的であろうとも二人に勝てたのだ。
司会者が『騎士の饗宴』が試合開始前に、光速のなんとか、と我流に対して枕詞を添えてくれた。それが例え、ただ観客を喜ばせるためのおためごかしと分かっていても心地よく聞こえた。そんな大袈裟な、とか内心で苦笑しながらも、悪い気分じゃなかった。
だけど。
そんなちっぽけな優越感は塵芥と化してしまった。
懲りずに《グングニル》を生成しようとするが、残像すら瞳に写る速度で日影は動く。
「……考えもなしに《グングニル》を生成してどうするの? そんなもの殴ってくださいって言ってるようなものだよね。相手の隙を作った時や、充分な距離がある時に《グングニル》を生成しなきゃ、反撃を喰らうのは当然でしょ?」
日影がまるでガトリングガンのように、拳を乱打してくる。
互いの拳の打ち合いになるが、まるで話にならない。時折フッ、フッ、と蝋燭の火が絶えるように日影の姿が消える。すると、いきなり日影が死角から現れて、猛烈な一撃を浴びせるのだ。相打ちすらままならない。
おかしい
速すぎる。
いや。
速いという定義に収まる速さではない。
日影は高速移動しているという仮説自体、間違っているのではないか。
彼女の能力の正体について薄々感づいていた。
だが、認めてしまえば、我流の手に負えないから考えないようにしていた。いや、我流だけではない。この世の全ての騎士が束にかかっても勝てない能力。
――瞬間移動だ。
どれだけ殴打しようとしても、まるで幽霊のように姿を消すことができる。動きが速いのではなく、一瞬で空間を跳躍できるのだとしたら。
誰ひとりとして日影に勝てない。
勝敗以前に、勝負として成り立たない。
これじゃあ、一方的なワンサイドゲームだ。
抵抗する気力すら失せてしまいそうになるが、必死になって《グングニル》を生成しようとする。
だけど、その度に邪魔が入る。
日影のハイキックが顎を直撃する。
「もっとも、どれだけ遠くに逃げても私は一瞬で距離を詰めることができる。だから、《グングニル》を生成するためには、私の攻撃自体を止めなきゃいけないよね。止められるかな? 虎徹くんに」
何度やっても結果は同じ。
何度も。
何度も。
《グングニル》を生成しようとするが、それを許すほど日影は甘くない。全ては砂になる。
ここまで差があるのか。
それでも諦めきれず、馬鹿の一つ覚えのように《グングニル》を生成する。素手ではかすりもしない。唯一のアドバンテージだった速さに依存することもできない今。
《グングニル》という、残されたたった一つの武器に縋っていた。
「だから、無駄だって。学習能力がないのかな?」
呆れ果てるような日影。
もう辞めてしまえばいいのに。
そんなに懸命に《グングニル》を生成しようとしても、失敗して。ただただ黒い砂が広がっていくだけなのに。
そう言いたげな日影に対して。
我流は――
「はははははははは!!」
中空に響かせるように、どこまでも大声で笑った。
笑うしかなかった。
だって、見てしまったのだ。
もうどうしようもないと俯いたその視線の先にこそ、この最悪の状況を打開できるだけの突破口があることを。
「……なにがおかしいの?」
「ようやく分かりました――日影の能力の正体が」




