002×トリニティ騎士団
『騎士の狂宴』。
それは、闘技場で開催される騎士達の聖戦。
騎士の資格に必要なのは2つ。
1.騎士団に入団していること。
2.騎士として戦場に立つ覚悟があるもの。
騎士達はただ――最強――に至るために戦った。
一ヶ月前に騎士デビューを果たした少年――我流虎徹がいるこの地。
アクアダスト市は陸の孤島と呼ばれていた。
交通機関が全く整っておらず、バスは一日に数えるほどしか発車しない。テレビをつけても、マズそうなグルメリポートや、古いドラマの再放送しか流れない。
完全に日本列島から隔絶された土地。
明治の初めに独立を果たした海沿いの街。
それがアクアダスト市だ。
昔はもっと堅苦しい名称だったらしいが、合併を期に名称をもっと現代風にしようとお偉いさん方が発案したらしい。若者がとっつきやすそうな、オシャレなカタカナ表記! そんな寒いアイディアは実らず、観光客に大きな変動は見られなかった。
閉鎖されたアクアダスト市は、土地がかなり安い。
そのせいか、ドーム型の闘技場の大きさは、他の市と比較しても遜色ない。そのせいか。娯楽が少ないアクアダスト市には、『騎士の饗宴』の熱狂的なファンが大勢いる。
今日も騎士の誰かが決闘しているようで。
観客たちの歓声が、闘技場の敷地外にいても届く。
その観客達の声に混じり合うような、穏やかな潮騒が耳朶を打つ。
フェリー乗り場。
乗用車を搬送できるだけの大きさを誇る、巨大なフェリーが停止している。一日に二、三回しか出発しないが、他の小さな島を行き来する人間にとっては結構重要。学校に通うために毎日フェリーに乗りこむ学生もいる。
塩気を含んだ風が横から吹きつけてくる。
10月。
季節は肌寒い秋。
通っている高校では二学期が始まっていて、風邪防止のために予防注射をしたばかりだ。夏には宝石のように陽光を乱反射していた海面も、変わり果てたように黒ずんでいる。木枯らしが舞っていて、どこか寂寥感を覚える。
だが、我流はこの季節が嫌いじゃない。
天地万物が老化していく姿は、逆に生命が躍動していたことの逆説。一瞬の瞬き。だからこそ儚く尊い。緩慢な動作で目を眇める。
ああ。
だけど。
我流の財布の中身も、すっかり空っぽになってしまっていて。
とても寂しい。
この悲哀さは秋の趣深さと――全然似ていない。
「ああ、あれもどうですか? せんぱーい! こんな時期にきなこアイスですって! もちもちっとした感触が売りらしいですよぉ! ね、おいしそうですよお! 食べましょ! 食べましょ!」
目頭を揉む。
同行者の一人である彼女に、どこからツッコミしてあげればいいのやら。
指差す先には、確かにきなこアイスとやらが売っている出店がある。
「いや。もう充分奢ってあげたよね、桐咲。まだ食べるの?」
桐咲芽映。
彼女はトリニティ騎士団で一番の新人。
つまりは、我流の後輩にあたる。
前を歩いている彼女は、かなり危なかっしい。右手にはビニール袋。その中にはシュークリームの箱があって。左手には豆大福の入った紙袋を提げているというのに、これがまた動く動く。
くるくるとバレエでもやっているかのように、陽気に回っている。晴れやかな路上で大好きなスイーツを頬張りながら歩くのが、よっぽど楽しいらしい。
両側で縛っている髪の毛が、回る度にぴょんぴょんうさぎの耳のように動いていて。一度引っ張ってみたい衝動に駆られる。
手に持っている袋を、ハンマー投げのように振り回している腕は華奢そのもので。
見開いている瞳は大きい。
容姿的や背丈、体格的には我流よりも幼く見える。
それもそのはずで、彼女はまだ中学二年生だった。
第三の目が開眼したり、包帯を巻いた手が疼き出す多感な時期だ。桐咲は幸いにも奇行に走る兆候はなさそうで。見ての通り、とにかく元気モリモリ。彼女がその場にいるだけで、雰囲気は一気に華やかになる。
天然なムードメーカーといったところか。
彼女が笑っているだけで。
飛び跳ねているだけで。
こっちも楽しさを御裾分けしてもらっているような気分になる。ストレスフリー。それどころか。柄にもなく、自然と陽気に笑い返してしまう。
「トーゼンですよ。これは罰です。騎士団長の待機命令を無視して、勝手に『騎士の饗宴』に出場した先輩への。私だって本当はこんなことしたくないんです。家じゃあの母親がいるせいで食べづらいから、ここぞとばかりに奢ってもらおうだなんて全然考えてませんからっ!」
と言いつつ。
彼女はシュークリームをパクパクと、掃除機でも搭載しているかの如き速さで口内に吸い上げていく。
器用だし、速い。
噛まずに食べているんじゃないのか。そんな食べ方したら太ってしまうと指摘したかったが、彼女の着ているシャツは真っ平らだ。腹部も、それから胸も。とてもスレンダーで、ダイエットなんて言葉とは無縁そう。
「……両手いっぱいに、それだけ甘いものを抱えられても説得力がなあ……」
フェリー乗り場だからだろうか。
お店のレパートリーは他の場所に比べて豊富。
レンガ舗装道に、これからお祭りでもやり始めそうな屋台まで並んでいる。雑貨や装飾品を売るためにシートを広げている人もいた。
フェリーの中にも、食べるところは……食堂はあることにはある。
しかし、うどんだとか、おにぎりだとか、極めて普通のメニューしかなく。味もそこそこなので、そこまで人気がない。きっと食堂でガッツリ食べるよりかは、野外でちょっとした腹ごしらえする輩が多いのだろう。お財布事情の厳しい学生の客が散見されるのも、偶然ではないだろう。
それなのに。
乗る予定もない桐咲が、買い占めてしまっていいのか。
フェリーに乗るのか、4歳児ぐらいの男の子が母親に連れられていた。が、引っ張る母親の手に、必死になって抗っている。
甘いもの好きな子どもが恨ましそうな眼で、桐咲の口元に熱視線。そこにはクリームがついてた。それからお母さん、あれ欲しい、欲しい! と駄々をこねている。おいしそうに頬張る彼女の姿は、見ている方が食欲をそそられる。
風評被害極まれりだ。
我流の財布の中身どころか、あの家庭の家計に打撃を与えてしまっている。自重して欲しいものだ。
「それにしても、先輩っていう言い方は辞めて欲しいんだけど」
「じゃあ、虎徹さん」
「……名前で呼ぶのも禁止」
女子に名前で呼ばれるのは不慣れだ。
妙に違和感がある。
「それだったら、どうすればいいんですか? よう、我流って声かければいいんですか?」
「それも嫌だな……。フランク過ぎるし。なんかこっちが年下みたいだし」
苦い想いをしたあのデビュー戦が終わった直後ぐらいに、入団希望してきた桐咲。
威厳を持って指導してやりたかったのは山々だったが、彼女は初戦を見事に完封勝利で収め。それから鮮烈なデビューの興奮も覚め切らないうちに、バッタバッタと敵を倒していき。
もう。
我流とは比較にならないほどの実力をつけている。
これじゃあ、先輩として矜持もへったくりもない。
むしろ、戦績的には上の立場の象徴である『先輩』なんて呼称をされると虚しくなってしまうのだ。
「もう、先輩でいいんじゃない? 僕は芽映ちゃんのその呼び方に慣れちゃったから、今更変えられても戸惑うしね」
トリニティ騎士団の騎士団長。
秋風グリフレット。
王冠のような金髪を靡かせている彼は、まるでおとぎの国の王子様。
早朝。
白馬に乗って、口にトーストを咥えながら道の角を曲がってきても全く違和感がない。
アメリカ人と日本人の祖母祖父を持っている。つまりクォーターである彼は、鼻梁が綺麗に整っている。
日本人離れした、スラリとした背丈で。
なんというか、骨格、体格から違っていて八頭身。
あまりにも完璧過ぎて人形じみている18歳の青年。同じ高校生とは思えないぐらいに、精悍な顔立ちをしている。
ファッション雑誌とかに載っていそうな騎士団長は、見た目に反して英語が苦手らしい。祖父と祖母も一緒に暮らしているらしいが、家ではみんな普通に日本語を話しているとのこと。外人に駅までの道とかを時折訊かれて、返答に窮することがあって大変らしい。
そしてもっとも特徴的なのは――右腕。
ギプスを装着している。
邂逅した時からずっとそうしている。
かなり怪我が長引いているようだ。病院で定期的に検査した方がいいだろうに、騎士団長は頑なに行こうとしない。
気持ちはわかる。
病院独特の消毒剤の匂いや。
咳き込んだりしている患者。
それらの要素がより一層、体調が悪くなってしまう。治療するところなのに、症状が悪化してしまいそうな場所で、我流はあまり好きではない。それでも行くべきだと思うが、それは個人の自由だ。
「芽映ちゃんの手本とならなきゃいけない先輩くん。随分散財したみたいだから、今回だけは勝手に『騎士の饗宴』にエントリーした件について許すけど。……次はないよ。分かってるね?」
「分かってます。もう無断で『騎士の饗宴』にはエントリーしませんよ」
そう。
しかたなしに窘めている騎士団長は、とても優しい。あまりにも優しすぎて、つけこまれやすそうな人だ。
詐欺に合わないか心配になる。
でも、まるで菩薩の心を持つ彼のことを騙すような人間はきっと少ないだろう。
誰だって息も詰まるような芸術品を、自ら壊そうとするだろうか。頑丈なガラスで囲って鑑賞したいと思うはずだ。
壊れそうだからこそ。
誰も手をつけようとしない。
それがいいことなのか、悪いことなのかは置いといて。とにかく彼はそういう人だった。
「……そういえば、エントリーする時に受付の人がトリニティ騎士団のメンバーが四人だって言ってましたね。間違いですって、何度も訂正したんですけど、登録上そうなってますの一点張りで……」
「ああ。それ私も気になってました! なんで人数違うのかなって」
我流と桐咲の問いかけに、騎士団長は一瞬眉を潜める。
それはね、と不必要なぐらい真剣な顔をした騎士団長は前置きを置くと、
「間違った人数を騎士団発足時に登録してしまったんだけど、手続きに時間がかかるからそのまま放置してるだけだよ。なんだったら今すぐにでも変更してくるけど」
「いや、別にいいです……」
そんな言い方をされてしまったら、こちらとしても無難に答えるしかない。猿も木から落ちるというが。騎士団長でさえもケアレスミスぐらいするのか。意外だ。
自分よりも遥かに優れている騎士団長だって、失敗するんだって解って。
そして、間違いを正そうとすることに怠惰であることを知って。
天上人だと崇めていた騎士団長のことを、今まで以上に身近に感じた。




