016×壊れた理性
我流は気絶している。
吹き飛ばされた衝撃で、一時的に昏倒したようだ。背中の形にひしゃげた鉄骨に、埋まるようにして目を瞑っている。一時間もすれば起き上がれるまでには回復するだろうが、やはり心配だ。頭を打っている。
早めに病院に連れて行かなければ。
一応、精密検査を受けた方がいいだろう。
桐咲にでも手を貸してもらおう。
一人きりで、意識なき人間を担ぎ上げるのはかなりの苦だ。踵を返して、股を広げて足を突き出す。迅速に助けを呼ぼうとする。
だが。
後方から飛んできた豪腕が、虚空を切る。
左頬をかすらせた拳が、鮮血を散らす。
頬に付着したのは返り血だ。
立てるはずがないと断定していたが、振り返った先には我流。
平然と立ち上がっていた。
あれを喰らって、こんなに早く意識を取り戻すなんて。
それどころか、不意打ちをするだけの余力が残っているなんて。
ほとんどホラーだ。
まるで屍のように、筋肉をだらりと弛緩させている。
額からはドクドクと、複数の筋を作って流血している。見た目は派手だが、そこまで深い傷じゃなさそうだ。だが、そんな傷よりも不穏にさせることが、彼の表情だ。
昏倒するほどの一撃を喰らった直後だというのに。
僅かに笑んでいる。
瞳孔を開き切った瞳は、赤い亀裂が入って血走っている。
フラフラになりながらも、石のように強固な拳を作っている。
まだ戦う意志は萎えていないようだ。
未だ何一つ有効打を与えられていないというこの状況で、血を流しながらも戦うというのか。
「《グングニル》」
我流は《グングニル》を、橋と垂直に突き出す。
単純な攻撃だったが、容易に避けられはしなかった。軌道が読めていたというのに、直撃する寸前だった。明らかに速度が上がっている。
戦闘が始めれば、体力は確実に落ちる。
人にもよるが、ほとんどの人間は試合を開始して数分。体がほぐれたきた頃が、動きのピークだろう。
だが、強烈な一撃を喰らった人間の動きがガラリと変貌するなど、経験上あり得ない。
初心者は、本来ならば試合が長期的になればなるほど不利になる。どんどんボロが出てくるものだが、どうやら我流は長引くと危険な騎士らしい。
即座に終わらせたいのは山々。
だが、我流は適当に《グングニル》を振り回してくる。そのせいで反応が遅れてしまって、この戦いを短期決戦にできない。
普通ならば、槍は突くものだ。
そうしなければ、槍は本来の威力を発揮しない。
横に薙いだところで剣ではないのだから、有効的な外傷を与えることはできない。
それに本来の使い方から外れた攻撃の仕方をすれば、すぐに槍は壊れてしまう。
だからこそ、槍の使い手は突きに徹する。
実際、『騎士の饗宴』で戦ってきた槍を使う騎士達は、槍を刺突するためだけに扱っていた。
それが十二分に槍の性能を活かす。
経験者ならば誰でも知っているセオリー。
それを無視した我流の槍の使い方は、杜撰としか言い様のない。だが、それゆえに読みづらい。こんな戦い方、騎士団長は教えてない。日影や桐咲との戦闘で、戦闘スタイルが徐々に崩れていったのか。
騎士歴が長日であればあるほどに、我流の特異な槍捌きには対応しづらい。
しかし、無意識的に我流は、正中線より右側を狙っているからまだかろうじて捌ききっている。
ギプスをはめているため、騎士団長は右側の動きがどうしても鈍重になってしまう。弱点を徹底的に狙うのは悪くない。だが、それだけでは、攻撃がルーティン化する。
次にモーションの大きい一撃を避けた瞬間。
こちらから打って出る。
そして、その一撃が――きた。
空間を抉るような突きを避ける。
動きが読めていても総毛立つ。
《グングニル》はリーチが長い。だからこそ、突き出した時には、腕の戻りが遅い。突いて、引く。その一連の動作よりも、こちらが腕を押し出す方が速い。――なのに、我流の拳打が騎士団長の顔面を捉える。
「な――に――――!」
視界の端に見えるのは、サラサラと霧みたいに散滅する《グングニル》だった。
そうか。
《グングニル》の大振りな突き自体が撒き餌だったのか。
全力で突くと見せかけたフェイント。
こちらが釣り出されたタイミングで、《グングニル》を消滅させた。最初から振り抜く気はなかったのだろう。そのまま身軽になった我流は、ショートフックで騎士団長の顎を豪打した。
グラリ、と視界が斜めに傾く。
脳みそが揺れるみたいに、足が一時的にうまく動かない。三半規管がうまく機能しない。次の攻撃が来る。まずい。次に一撃でも喰らってしまったら、致命的な一手になりかねない。
それほどまでに我流の一撃は重い。
でたらめな突き方なのだが、威力はかなりある。
力の伝え方を。
筋肉の使い方を本能で知っている。
そういう人間は騎士の中でも稀だ。だからこそ、たとえ『騎士の饗宴』後輩であっても絶対に慢心しない。
まずは冷静に戦力分析をする。
槍を突く、振り回す。
それから、槍を霧散させるフェイント。
と、今まで繰り出してきた攻撃パターンが多数あることは確か。だが、それら全ては完全に脳内にインプットされた。もう通じない。フェイントにだけ注意して、あとは避け続けるだけでいい。
左手の力を使って、移動する選択肢も視野に入れた。だが、騎士団長には考えがある。このままリスクを負って、我流の攻撃を受け続けることに意味を見出した。
嵐のような槍の猛攻。
それら全てをいなす。
僅かにタイミングがずれた刺突は、掌でガキン、と受け止める。
その瞬間――我流の意思とは無関係に《グングニル》が唐突に消える。それに驚くでもなく、間を置かずに我流は《グングニル》を新たに生成して動きを速める。
これで二撃目。
我流は異常が発生しても何の疑問も挟み込まないタイプ。特に頭を打った直後では、意識が完全に覚醒してはいないのだろう。
無我夢中で戦っている。
だからこそ、それほどまでの槍の速度を繰り出せる。
敵に対して重い一撃を与えることができる。
だが、そういう野生で戦う騎士ほど、騎士団長にとっては御し易い。
足が動く。
ようやく自分の体を自由意思で扱えると思った矢先――《グングニル》が下から突き上げてきた。
「なっ――」
本来ならばありえない角度からの黒い軌跡。
読みきれずに、咄嗟にギプスを盾にする。
バキバキッ、とギプス亀裂が入るが、うまく肉体に直撃コースだった軌道をずらす。槍がかすった耳からは、赤い鮮血が中空を舞う。
まさか。
単調な腕の動きで、こちらに少数の攻撃パターンを刷り込ませていたのか。
一本の《グングニル》を腕で振るって、上半身に意識させた。そのあと、密かに生成したもう一本の《グングニル》を――足の爪先で突いた。
今の今まで一本だけの《グングニル》で戦っていたのだ。そんな不意打ち対応できるわけがない。
突き上げた《グングニル》を片手に、そしてもう片方には最初から持っていた《グングニル》。両手に持った槍を、まるで剣のように扱う。デタラメにメッタ斬りにしてくる。
一本の槍の時よりも精細を欠く。
だが、手数ではあちらが圧倒している。
騎士団長は徐々に後ろに下がっていく。
「なんで……」
いったい、何がここまで我流を強くしたのか。
自分が知らない間に、どうやって急成長できたのか。
予測の範疇外のことをやってのける我流の姿が、彼女とダブる。あいつは……あいつらは、どうしてハードルを一足飛びに乗り越えることができるのか。
我流や日影よりも先に、自分の方が『|騎士の饗宴』を始めていたというのに、どうして自分だけこんなにも成長の伸びしろがないのだろうか。
騎士団長は、小さいながらもジュニアの大会で何度も優勝したこともある。
トロフィーや賞状もたくさんあって、家の玄関先に飾ってある。
表彰台の真ん中は居心地が良くて。
家族や友人や先生から誉められる度に、誇らしかった。
だが、自分には何かが足りなかった。
決定的な何かが。
我流達のように、ガムシャラになって試合をすることができない。いつもチェスをするように先読みして、そこから最善の一手を絞り出す。
それが一番強い戦闘スタイルだと、ずっと信じてやってきた。
だが、それだけでは勝てない相手がいた。
ある日。
生まれて初めて挫折というものを味わった。
なんの障害もない人生だったというのに、一気に転落した。
どれだけ先を読もうとしても、なにせ対戦相手は何も考えていない。理性よりも本能で動く野生児のようなもの。
そんな奴らを相手にして、正気を保っていて勝てるはずがない。
――狂気。
それこそが、最も騎士団長が欲しくて欲しくてたまらないもので。
そして我流達が持っているものだ。
壊れなければ。
崖の前で立ち止まるのではなく、奈落に飛び降りるような。
そんな必死の覚悟で挑まなければ、眼前の騎士に喰われる。
だったら。
喰われる前に、喰ってやる。
バキバキバキッ、と破壊音を立てる。
頑丈に固定されていたギプスは、蛹が脱皮するみたいに完全に取り払われる。動かないと医者に断定されていた右腕を動かすぐらいに、狂ってみせなきゃならない。
そうしなければ、下から追いすがってくる者を蹴落とすことなどできない。上の席はまだ譲るわけにはいけない。
「《ケルベロス》」
突き出した両の掌に、二つの口が出現する。
パックリと大きく裂かれた口からは、白い歯が剥き出しになる。
獰猛な歯が大きく開いて、我流が突き出してきた《グングニル》の全てを吸収する。
《グングニル》そのものだけでなく、その破壊力すらも《ケルベロス》は取り込むことができる。
「――三擊目」
両手にできたのは大きな口。
そして顔の口を合わせれば、三つの口。まるで三つ首の犬のようなそれは、あまりに異形。
久々の感触だ。
我流はまるで自分の武器を。
《グングニル》を使い捨てにしている。
それが悪いとは思わない。
が、自分の武器に執着しないものが、強さを極められるのか。
《ケルベロス》を自らの肉体と一体化する。
だから捨てようと思っても、捨てられない。
使い勝手がいいとは言えないが、だからこそここまで能力を昇華することができた。これこそが、自分にとっての絶対の武器。
《ケルベロス》を晒した以上、誰にも敗北しない。
いや。
あいつ以外には敗北しなかったというべきか。
「《グングニル》がまた消え――いや――喰って――!?」
一擊目は既に喰っている。
かなり前だが、どれだけ時間が経過しようとも《ケルベロス》は記憶している。
ボォオオ!! と拳に燃え盛る炎を纏わせる。
《円月輪》と《グングニル》。
二つの武器性能を完全に複写。
そしてどんな能力であっても、複写した能力を合成することができる。
胃袋に収まったものを三倍にして一気に返す、後の先。
それが、騎士団長の《ケルベロス》。
利き腕である右腕で放った、乾坤一擲の一撃が我流の躯を破壊した。




