011×瞳に写るもの
蔓の下敷きになった我流は、倒れたまま微動だにしない。
強くやり過ぎてしまった。
だが、手加減して勝てるような相手でもない。特に体を動かす速度は段違いだったから、攻撃を当てるのには苦労した。反射神経や勘も相当鋭い。
桐咲が『騎士の饗宴』で戦ってきた騎士の中でも、上位に食い込むだろう。
正面からでは剣を掠らせることが関の山。
だから、切り札であるはずの《草薙の剣》を囮として使わせてもらった。
個々の身体的性能では目を見張るものはある。
だが、実戦経験の乏しい我流では宝の持ち腐れというものだ。全てはこれから。まだ土壌を開拓した程度。そこからどんな芽がでるかは、これからの我流次第だろう。
フゥ、と桐咲は両の眼を閉じて、安堵の嘆息をつこうとした。
……が。
《グングニル》が桐咲の顔面目掛けて飛来してくる。
グイッと目を眇めながら、反射的に首を捻る。
左頬を僅かにかすった。
流血してしまった原因は、不意をつかれただけじゃない。
「……速い」
想定以上の速度で投擲された《グングニル》は、太い木樹に突き刺さる。メキメキッ、と悲鳴を鳴らながら倒壊した木の音に混じって、猪のように猛進する足音が鳴る。
左側面から襲いかかってきた我流の《グングニル》を《草薙の剣》で受け止める。視線が桐咲に釘付けだ。それじゃ、さっきまでと何も変わらない。
地中から生やした蔦で、我流の腹部を叩く。
ミシッと嫌な音がする。
更に蔦を生やすと、ピンボールのように我流を吹き飛ばす。
何の策もなしに飛び込んできたのは、一種のパニック状態になっているからか。木の密集地帯にいる限り、こちらの優位は揺るがない。
我流がそのためにまずやることは、距離をとることだろう。ピンチになったら、まずは体制を立て直す。それが『騎士の饗宴』の基本戦術。
こちらの不意をつくことができたならば、後ろに退くこともできたはずだ。にも関わらず、我流は突進。セオリーとは真逆の一番最悪の手を打ってきた。
これならば、何も怖くない。
《草薙の剣》で追い討ちをかける。
あちらは、吹き飛ばされ、中空にいるせいで回避行動も取れない。
しかし。
我流は地面に《グングニル》を無理やり突き刺した。土砂を撒き散らしながら、吹き飛ばされていた総身を減速させる。そのまま《グングニル》を発射台変わりに、こちらに突進してきた。
「なっ――!」
矢のように特攻してきた我流の《グングニル》を、かろうじて《草薙の剣》で迎撃する。
衝撃を吸収しきれず、腕が斜め上に跳ね上がる。腕が痺れるが、《草薙の剣》だけは手放さない。手放したら終わる。そんな予感を感じさせるほどに、今の我流はどこか異常だ。
懐に飛び込んできた我流に、鳩尾に肘を喰らわされた。
苦悶の表情で口を歪ませながらも、残った片腕で《草薙の剣》を振り下ろす。
我流は黒い柄で、ガキンと斜めに受け止める。そのまま力比べと思いきや、すぐさま《グングニル》を霧散させる。
突如抵抗感の喪失した桐咲は、当然つんのめる。我流は《草薙の剣》の軌道を避け、その遠心力を利用して裏拳を放ってくる。桐咲の顔面にクリーンヒットし、頬が赤く腫れる。
「動きが……変わった」
堪らず距離をとるが、それもあちらの思惑の範疇。《グングニル》が本領発揮できる距離。凄まじい打突を繰り出してくる。今度はこっちが防戦一方。気圧され、連続突きを受けきるので精一杯だ。
迷いもなく突いてくる。
ここが林の中だという認識はあるのか。
開き直ったところで、こちらが有利。
桐咲が避けた《グングニル》の一撃が、樹皮に突き刺さる。よしっ、と思わず声を上げる。隙ができるはずだった。だが、一瞬で《グングニル》を霧散させ、ビデオの逆再生のように再構成する。
そして何事もなかったように、《グングニル》で突いてくる。
練習ではみたことがないほどに、我流の動きがガラリと変化した。まるで別人のようだ。先刻まではかなり速いスピードの体捌き、という印象しか受けなかった。
でも、今は違う。
こちらが後手に回っている。
今まで経験したことがない尋常でない攻撃速度。
「まさか……これが……」
そうだ。
これこそが、我流のトップスピードだ。
いつもの体の堅さがとれた、とんでもない動きだ。
先程までですら常人離れしていたというのに、あれはまだウォーミングアップに過ぎなかったのか。
どんな人間にだって、いくつかの攻撃型がある。得意不得意。もしくは好みによって人の動きというものは、無意識的に動きを反復させる。
攻撃の癖が表面化する頻度は人によって違う。
我流は、人よりも型に依存した戦い方をしていた。
それは騎士団長が基礎を徹底的に教えるタイプの人間だったからだろう。《グングニル》の突きが最も威力が出るように教えたのも、騎士団長で。
我流はまだ始めたばかりだから、何の疑問もなしにそれに従っていた。
騎士団長の教えは確かに正確だった。
正確すぎるが故に、こちらとしても読みやすかった。
今の我流は騎士団長の教えだけではなく、自分自身の考えで戦っている。複数のスタイルをミックスさせ、そこから新たな動きを見せるようになっている。
いったい彼の心境にいかなる変化があったというのか。
この戦いの間で、一気に秘めていた能力が開花したような感じだ。
「また……俺は戦い方を間違っていたのか。このままじゃ……日影に顔向けできないよなあ」
ギシッ、と心が軋む音がする。
今戦っているのは自分なのに。
それなのに我流の眼球に桐咲は反射していない。どこか遠くの方を見ている。それも、同じ騎士団ではない。敵であるはずの騎士に心を傾けている。
それが無性に腹が立つ。
悩みがあるのならば、まず自分に一言相談して欲しかった。そうしてくれれば、こんな戦いせずに済んだかもしれない。騎士団長にだって話を通しただろう。
そうだ。
自分は。
どうしようもなく、日影に嫉妬していたのだ。
そうでなければ、これほど意固地になって我流と戦わなかっただろう。
それなのに、あんなに楽しく日影と一緒になって組手をやっているものだから。
ついつい声を荒げてしまった。
だって付き合いはこっちのほうが長い。それに同じ騎士団に所属する仲間だ。
それなのに、どうして自分のことを視野に入れてくれないのか。
戦いの最中。
他の人間なんかに心が移ろわないよう。しっかり視線を自分に縫い付けてやりたい。注意散漫させる余裕なんて与えたくない。
「……今……先輩が心を寄せるべき相手は、誰なんですか?」
負けたくない。
そこまでこの戦いには狂騒する価値などなかった。乗り気じゃなかった。でも、今は違う。
勝ちたい。
どんなことがあっても――絶対に。
「私は全身全霊を懸けて、いつだって先輩のことだけを考えていますよ」
あのデビュー戦からいつも見ていたように、我流の動きを細部まで徹底的に観察する。
我流の動きは確かに速い。
その速さは桐咲以上だ。だが、それでも鍔迫り合いのように、《草薙の剣》と《グングニル》が交差する。
均衡を保っている。
それができるのは、我流が執拗に同じ角度から攻撃を狙ってくるからだ。いや、狙わせていると表現した方が正しい。
《草薙の剣》の破壊力を未だに我流は意識している。
だから多少大袈裟に避ける。
それも全部――左側に。
利き手である右手を庇って、左へ避けている。一撃でもまともに喰らってしまえば、《グングニル》を満足に突くことはできくなるからだ。
そうすれば、こちらがチェックをかけることができる。
そして突きを仕掛けてくるのも、反撃を恐れて左側からだ。
いくら柔軟な体運びができても、向かってくる角度がずっと同じならば対処できる。それは意識してのことではない、無意識でのこと。
だからこそ自分から修正するのは不可能に近い。
我流の動きも、眼が段々と慣れてきた。
速射砲のような連続突きの一つを完全に見切った。《草薙の剣》で切っ先を滑らせてから、一気に畳み掛ける。
――つもりだった。
《草薙の剣》が、ガラスのように粉々に破砕された。
桐咲は瞠目する。
攻撃がワンパターンだったのは、武器破壊のためだった? こちらの動きが早く、有効打を与えることができないと判断した。だから、攻撃力もあり、防御の要でもある《草薙の剣》を破壊することに注力していたのか。
剣は正面からの攻撃には強い。
だが僅かに軌跡をづらせば話が違ってくる。しかも、寸分違わず同じ箇所を打突してきた。そのせいで完璧に破壊されてしまった。
「ああ……。俺もお前を倒すことだけを、この戦いの間考えていたよ。じゃなきゃ、桐咲に失礼だもんな」
日影のことを呟いたのは、彼女との特訓を想起していたから。でも、その理由は特訓のどの部分を活かして、桐咲を打倒するか。それだけを思考していたのか。
もっと全力で、集中して戦闘をして欲しいと願っていた。
だが、本当の意味でこの戦闘に熱中してなかったのは、自分の方ではないのか。
「く、《草薙の――》」
「遅い!」
再び《草薙の剣》を創造しようとした。
が、それよりも速く《グングニル》の石突きが肋骨の間隙を摺り抜け、桐咲の体を浮かせた。
くの字に折れ曲がっている桐咲に、容赦なく握りこぶしを振りかぶる。
そのまま顔面に突きを入れられると、鉄板のように硬い木の幹にぶつかるまで桐咲は飛ばされた。




