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魔人の花嫁  作者: 秋月 忍
第一章 呪われた生
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サルダの城

 クアーナ公国の都であるサルダは、ラパの紫の花が咲き乱れる畑を越えたレイナス川沿いにある。

 五年前には、壊滅的とまで言われるほど、魔に破壊つくされた街だ。崩れた石垣や石畳に残る焦げた跡は、大侵攻の爪痕であろう。だが、街の人の目は、活気を取り戻しているようだ。商店に並べられる品数は豊富で、あちこちから食べ物のにおいが流れてくる。人を呼び込む声や、買い物する人たちの話し声。賑やかな日常がそこにある。

 商店街を通り抜けると、サルダの城へとたどり着き、ゼクスとレキナールは、イリスの案内で城へと招き入れられた。

「本当に何もないので、お招きするのはお恥ずかしいのですけれど」

 二人は入口にある吹き抜けのホールで待つようにと言われ、所在なく立ったまま、そっとあたりを見回す。

 天井のステンドグラスから、柔らかな夕日が差し込んで、大理石で作られた床に鮮やかな色を落としていた。

 堅剛な造りの城だ。しかし、不思議と武骨一辺倒ではない「やすらぎ」を感じさせる造りになっている。ホールから二階に続く階段は、意匠を凝らした手すりがのびていて、非常に美しい。念入りに磨かれた床も、光が差し込む窓も、全てに清掃が行き届いていて心地よさを感じる。

だが、建設時に作られた装飾以外に絵画のようなものは一切ない。公爵の居城としては簡素すぎる印象を受けた。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」

 案内された部屋は、既にランプに火が灯され、暖炉にも火が入っていた。

「この季節、夜は冷えますので」

 メイドが言いながら、カーテンを閉める。

 部屋は、二部屋続きになっており、寝室と居間になっていた。簡素な印象を受けたホールと違い、品の良い調度品が置かれており、くつろぎやすい暖かな雰囲気の部屋であった。活けられた花が、客人へのもてなしの心を控えめに伝えている。

「お隣に、お連れ様のお部屋を用意しましたので」

メイドに案内されてレキナールが部屋を出ていくと、ゼクスは柔らかなソファに腰を掛けた。

先日訪れたウェルデン公爵の居城とはずいぶん違うな、と思う。ウェルデン公爵の城は、豊かさを見せつけるかのように、何かにつけて豪華で華美であった。

ーーまるで、公女の人柄の違いのようだ。

ウェルデン公の娘、オリビア公女は、帝国でも指折りの美女だ。その美しさは帝国の開祖アレンティア女帝にせまるとも言われており、ゼクスもそのことを否定する気はない。

オリビアは確かに美しい。

 現在、適齢期の皇族や公女は六人ほどいるが、彼女に並び立つほど美しい女性はいない。彼女はそのことを自分でも理解していて、表情は自信にあふれている。豪奢な金髪を結い上げ、美しいレースをあしらった絹のドレス。光り輝くネックレスをし、華やかなパーティで艶然と笑みを浮かべるオリビアの姿を思い浮かべた。

 封魔士の鎧をまとい、怯むことなく妖魔の戦いの飛び込んできたイリスとはまさに対照的だ。

ーー結局、大侵攻のせいか……。

隣り合う二つの公国。ほぼ同世代の公女の生き方の違いは、大侵攻に起因するところが大きい。

「ゼクスさま、入ってもよろしいですか?」

 レキナールの声に、ゼクスは思考の海から引き戻された。

「お疲れになられましたか?」

  レキナールの気づかいに首を振る。

「いや。あの時、俺がもっとしっかりしていたらと考えていた」

 ゼクスの父が倒れた時、封印石に亀裂が入ったことに気づいた。しかし、彼の力では、亀裂を広げないようにするだけで精いっぱいで、それによってできた結界の綻びを修復するまで手が回らなかった。叔父ファルタの迅速な手当てがあって、なんとか結界は修復したが、既に被害は大きいものになっていた。

「大侵攻の事を言っておられるので?」

「大侵攻がなければ、イリス公女は今頃、社交界で男たちを魅了していただろうなと思ってな」

オリビア公女のように華やかなドレスをまとい紅をさした唇で、優雅に微笑むイリスの姿を夢想し、胸が潰れるような息苦しさに襲われる。

「それは、姫に失礼です」

 レキナールの指摘に、ゼクスは頷いた。

 それは理解している。

 イリスは現在を恥じてはいない。誇りをもって生きているからこその輝きがあり、美しさがある。

「わかっている。俺のただの感傷だ」

「ゼクスさまが、ご自身を責めても、何も解決しません」

 あれから五年。

 封魔の技と武術に打ち込み、開祖アレンティアの結界以上のものを捜し続けるのは、未熟だった自分の罪を償いたいからだ。

「お食事の用意ができました」

ノックとともに、扉の向こうから、メイドの声がした。

「クアーナ公に会うのは久しぶりだ」

ゼクスは立ち上がった。その顔を見て、レキナールはほっとしたように微笑した。




案内された食堂は、かなり広かった。暖炉に火が入り、食器の準備がされている。

大きな丸テーブルに広げられた白いテーブルクロスは、見事な刺繍が施されている。大きな暖炉の上には、開祖アレンティア女帝の横顔をモチーフにした、白いレリーフが飾られていた。

「ゼクス殿下、お久しぶりです」

 すでに席についていた男性、ラキサス・クアーナ公爵は立ち上がって、二人を出迎えた。

「突然押しかけまして、申し訳ない」

 頭を下げるゼクスに、ラキサスはにこやかに微笑する。

「突然すぎて、歓迎の用意がまったくできませんでした」

そういいながら、丸テーブルに座るように勧める。レキナールは主であるゼクスや公爵と同じテーブルにつくことをためらったが、ラキサスは同席するよう求めた。

ラキサスは、ゼクスと同じ二十二歳だが、落ち着いた雰囲気がある。

 大侵攻の折、まだ公子だったラキサスは、最前線で戦った勇者だ。大侵攻で公爵夫婦が戦死したため、傷が完全に癒えぬうちに公爵となった。もっとも、実際に爵位を与えられたのは、現皇帝ファルタが帝位についた一年後だったが。

 ファルタが帝位についたルクセリナの帝都アリルの祝祭で、ゼクスは、ラキサスに初めて会った。

 同年代であった二人は、意気投合した。以降、ラキサスが帝都に訪れるときは、ともに語らう仲である。

「イリス公女と似ておられますね」

ラキサスとは初対面であるレキナールがゼクスに囁いた。言われてみれば、男女の違いはあるが、面差しや印象が似ている。

「そうか。気が付かなかったのは、迂闊だった」

ゼクスは苦笑した。会ったことがあるような気がしたのは、ラキサスの妹だったからだ。

「ウェルデン公は、ご壮健でしたか?」

テーブルにつくと、ワインが運ばれてきた。それを勧めながら、ラキサスは問うた。

「まあ、元気だな。あのタヌキ親父は。突然の訪問で迷惑しただろうに、それをおくびにも出さん」

ウェルデン公爵は、愛娘オリビア公女をゼクスの妃にと企んでいる。

ゼクス自身は、オリビアは美しいとは思うがそれ以上の感情を抱いたことがない。むしろ、ウェルデン公の権力欲の強さや腹黒さが鼻につき、オリビア本人に罪はないが、敬遠したい気持ちがある。

「ザルク公子は?」

「そうだな。元気だとは思うが、あまり話をしていない」

 ウェルデン公爵が強烈な人物だけに、その息子のザルク公子の印象は薄い。オリビアの兄だけあって、美形ではあるが、寡黙で陰気な影をまとっている。それなりに女性に人気はあるようだが、妹のように周囲に人垣ができるようなことはない。政治の舞台にも表に立つことはないため、ほぼ同世代ではあるものの、まともに会話をしたことがないに等しい。

「ウェルデンとの関係が随分冷え切っているようですが」

レキナールが遠慮がちに口を開く。

「イリスからは何も?」

 ラキサスはゼクスとレキナールの表情を確認すると、苦笑を浮かべた。

「大侵攻から一年後ぐらいに、ザルク公子とイリスとの縁談話が破談になりました。冷えたのはその後です」

「縁談?」

 そういう話があったとしても、おかしくはない。

ゼクスは陰気なザルク公子の横で微笑むイリスを思い浮かべた。

 ひょっとしたら。彼女の孤独の影の正体がザルクなのかもしれないと考えて、胸が締め付けられる思いになり、そんな自分に驚く。

「書面でこちらからお断りしたのですが、ザルク公子自らイリスに会いに来て下さって……」

「兄上。その話は」

 落ち着いた声が制止する。

「イリス。ああ、きちんと着替えてきたな」

 ほっとしたようなラキサスの視線の先に、ドレスに着替えたイリスが立っていた。

「先ほどは失礼をいたしました」

 丁寧に優美なしぐさで、イリスが頭を下げる。

「……」

ゼクスは言葉を失い、ただ、イリスを見つめた。

ふっくらとした唇に、ほんのりと紅がのっている。夜の室内のやや暗い光の下では、左の頬の傷はほとんど目立たない。シンプルな青いドレスは、豊かな胸とくびれた腰のラインを鮮やかに浮かび上がらせて、彼女自身の美しさを存分に引き出していた。

「天女のようです」

 レキナールが絞り出したような声で呟いた。

 くすり、とイリスが笑う。

「レキナール様は、お世辞が上手ね」

 慌ててゼクスは立ち上がって、イリスの椅子をひいた。イリスは、ほほ笑みながら礼を述べ、優美なしぐさで腰を下ろす。

「封魔隊の鎧姿も凛々しいと思いましたが、そのドレスは、とてもお似合いです」

 レキナールがもう一度褒めると、イリスは苦笑した。

「ドレスなんか着たの、本当に久しぶりなの。お世辞でも嬉しいわ」

「実は、先ほど封魔隊の正装でここに来たので、着替えてこさせたのです」

 ラキサスが呆れたように肩をすくめた。

「いくらゼクスさまが寛大な方とはいえ、礼儀知らずにもほどがある」

「俺は、別にどちらでも構わないが」

 ゼクスは、イリスから目が離せない。意識するまいと思えば思うほど、イリスを見てしまう。

「むしろ封魔隊の正装の方が良かったかも」

 思わず呟いたその言葉に、その場にいた全員が凍り付く。

「私のような者が着飾っては、ご不快でしたでしょうか?」

 イリスの顔が曇る。ゼクスは慌てて首を振った。

「いや、そういう意味ではなくて。その、この国に来た目的を見失ってしまいそうで」

 イリスから目をそらしながら、ゼクスは顔に熱が集まるのを意識した。

「その……。単純にラキサス殿と語らいに来て、妹御を紹介されている気分になってしまう」

 イリスは目を丸くした。

「ごめん。気にしないでくれ」

 羞恥心を振り払うようにゼクスは、視線を落とす。

 だが、予想に反して、しんみりとした重たい空気がテーブルを包み込んだ。

「紹介された妹が私では、話のタネにしかなりませんね」

 くすっと笑いながら、イリスがようやくに口を開く。

「イリスは話のネタは山ほどありますが、淑女にはほど遠い。女性としてでなく、珍獣として紹介せねば」

 明らかに意図的に明るい口調で、ラキサスも続けた。

「私が珍獣なら、兄上だって」

 イリスは大げさに口を膨らましてみせた。

 あまりにも不自然に、話をそらしている。ゼクスの好意をやんわりと拒絶しているのだ。

「ひょっとして、イリスさまには、どなたか意中の方でもいらっしゃるのですか?」

 見かねて、レキナールが口をはさむ。

「そんなひとはいません。ただ、私はたとえ冗談でもゼクスさまに、淑女として扱っていただけるような人間ではありませんから」

 イリスは、視線を落とした。

「イリス様の傷は、小さくはありません。でも人目を忍ばねばならぬほど醜いわけではありません。むしろ、傷を恥じず、凛として生きるお姿は、本当にお美しい。そこまで卑下なさる必要はどこにあるのでしょうか」

レキナールは強い口調で言い切った。ラキサスとイリスは戸惑っているようだった。

「そんなふうに、感じてくださるなんてとても嬉しいです」

イリスは、寂しげに微笑む。そしてそっと頬に手を当てる。

「この傷がただの傷なら良いのですけど」

 碧い瞳に孤独が映る。肩が小刻みに震えている。ゼクスはイリスを抱きしめたい衝動に駆られた。

「食事が終わったら、全てをお話しします」

イリスは、明らかに無理に笑顔を作って、その話を打ち切った。

 そして、陽気に美味しいラパ茶の入れ方について解説を始め、ラキサスもそれに合わせるように、試作段階の試飲の苦痛について、面白おかしく話し合の手を入れた。

ゼクスとレキナールは、重苦しい雰囲気を忘れたふりをした。



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