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魔人の花嫁  作者: 秋月 忍
第三章 帝都
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うたかたの夢

 ゼクスの帰還祝いのパーティが近づくにつれ、周囲の空気が変わり始めたことにレキナールは頭を抱えつつある。

 屋敷から単騎で素顔をさらし魔術院にやってくるイリスの姿は、あっというまに帝都の人間を虜にした。

 そもそも誰が彼女を醜いなどと言ったのであろうか。

 彼女の頬に傷があるのは事実である。しかし、その顔は傷があっても美しい。

 否。その傷を恥じることなく、背筋を伸ばした彼女の姿は、()()()()()()()()美しいと感じさせる英雄そのものだ。

 つい先日まで、蔑みの対象であった『クアーナ公女』は、あっというまに崇拝の対象に変化した。

 民人だけではない。

 彼女の人となりが知られていくに従い、貴族社会でもイリスの再評価が行われつつある。

 彼女が不当に貶められていたのは事実であり、名誉が回復することにレキナールも異論はない。

 しかし。

「イリス様が、『皇太子妃』候補と噂され始めましたよ」

 ゼクスの執務室を訪れたレキナールは、渋い顔で呟いた。

 机に湯気の上がるラパ茶を置いて、雑然と積み上げられた魔術書を横目で見る。

「不服そうだな」

 ゼクスは、温かそうなラパ茶に手を伸ばした。

 何か夜通しで、調べ物でもしていたのだろう。ゼクスの顔に疲れが浮かんでおり、頬の髭が伸びたままになっていた。

「俺の相手にあがっているうちは、大丈夫だと思わないか?」

「……それはそうかもしれませんが」

 レキナールは大きくため息をつく。ゼクスの言う通り、『皇太子妃』候補に挙がっている間は、イリスに他の縁談がのぼることはあるまい。

 しかし、である。

「皇太子妃をいつまでも『選ばない』わけには参りません」

「なあ、レキナール」

 ゼクスがラパ茶の湯気をじっと見つめながら口を開く。

「……俺が帝位につく必要が本当にあるのだろうか」

 ゼクスが二十五になった時に帝位につく。そのことは、決定事項である。ファルタが帝位についた時、既に決まっていたことだ。

「陛下はまだ、お若い。ご壮健で封魔の力も実務も聡明でいらっしゃる。俺が帝位につくということは混乱を招くだけじゃないのか?」

「ゼクス様」

「俺は、陛下ほど優秀な皇帝になれるとは思えない。大侵攻の時も、俺は慌てふためいただけだった……」

 レキナールは大きくため息をついた。

「そのような弱腰のゼクス様など、イリス様はお嫌いだとおっしゃるかと」

「……だろうな」

 ゼクスの顔に、苦笑が浮かぶ。

「レキの言うとおりだった。時を重ねれば重ねただけ辛い。気持ちがおさえられない」

 ゼクスは持っていたカップを机に置いた。

「封印石の謎を解けば。結界の謎を解明すれば、彼女を救えると思った」

 やりきれない思いが言葉ににじむ。

「結局のところ、彼女を救う方法は、魔人を倒すしかないとわかっただけだ。しかも、彼女から、生を放棄する権利さえ奪ってしまった」

「ゼクス様」

 天人の影が、イリスに告げた言葉は、『人生を謳歌せよ』。残酷なほどに、何の解決にもならぬ言葉だ。

「私は不幸ではないと、彼女は笑った……」

 ゼクスは両手を額に当てて呟く。僅かに見える口元が後悔に歪んでいる。

「あんなに寂しそうなのに、笑うんだ」

 二人の間で何があったのか、レキナールは知らない。

 おそらくゼクスの伸ばした手を、イリスがきっぱりと拒絶したのであろう。

「イリスに笑ってほしいと思った。でも、あんな笑顔じゃない」

「……」

 悲痛なゼクスに掛ける言葉が見つからず、レキナールは窓の外に目をやった。

 窓からのぞく空は、どこまでも青かった。



 マーサが持参したドレスは、コルセットで腰を絞って、パニエでふんわりと丸く膨らませたスカートという、流行のドレスとは全く異質のものだ。

「ラザナルの舞踏のドレスのデザインを取り入れてみたのです」

 マーサはそう言ってイリスの身体にドレスを合わせていく。

「活動的なイリス様は、コルセットなどないほうがよろしいかと」

「とても楽だわ。これなら封魔のお仕事だってできそうよ」

 イリスは身体を動かしながら、くすりと笑った。

「……我ながら、自分の才能が怖いくらいお似合いでございます」

 マーサは満足げにイリスの姿を見る。

「イリス様を醜いなどと口にした人間に、目にものを見せてやりましょう」

 マーサの意気込みにイリスは苦笑する。

「あなたに恥をかかせないように努力するわ」

 イリスの為に随分と変わったドレスをつくったマーサにとって、パーティでのイリスの評価は、彼女の評価にもつながってくるだろう。

「大丈夫ですよ。イリス様は、イリス様でありさえすれば、美しいのですから」

 ニコリとマーサは笑う。

 コバルトブルーの美しい布地が、柔らかな光沢を放つ。

「社交界の流行が、一変すると思いますわ」

 マーサは自信たっぷりだった。



 パーティ会場は、いつにない緊張に包まれていた。

 皇太子の帰還祝いというのは、『皇太子妃』選びのパーティであると皆が認識していたからだ。

 壁に掛けられたランプと、テーブルにおかれた燭台が作り出す、しっとりとした明るさ。美しいメロディを奏でる楽団たちに、香しい料理。

 そのすべてが、特別な夜を演出している。

「来たな」

 壇上に作られた玉座に座ったファルタが顎で一人の女性をさした。

 皇帝の隣に立っていたゼクスは、そちらに目を向けて、息をのんだ。

 結い上げた銀の髪。ラザナルの舞踏衣装によく似たドレスは、コバルトブルーで、身体のラインを美しく見せつけている。

 流行とは全く違う。美しいイリスの白い背中が大きくあいたホルターネック。胸元は締め付けずに、双丘の形にふくらんでおり、みるからに柔らかそうだ。

 腰は自然にくびれている。スカート部分は、すらりと長く緩やかに落ちていて、歩くたびにひらりと花開き、白い足がちらりと見える。

「これは、上々」

 ファルタが満足げに呟く。

 男も女も、イリスに目を奪われている。その目が、好奇から称賛へと変化していくのにそれほど時間はかからなかった。

 ゼクスは、ファルタに頭を下げ、ゆっくりとイリスの方へと足を向けた。

 イリスはといえば、いくぶん表情が硬い。それはそうだろう。彼女はこういった社交の場に出るのは初めてであるし、衆目を浴びているのだ。

「イリス」

「この度は、お招きいただきありがとうございます。また、帝都へ無事にご帰還なされましたこと、心よりお祝い申し上げます」

 美しい仕草で頭を下げ、イリスはそう言った。

 いっしょに『帝都へ入った』のに、『帰還の祝い』というのは変だ。

 イリスにとって、公的には、あの旅はなかったことなのだろう。

「陛下のところへ」

 ゼクスはイリスの片手を取り、軽くキスを落とす。社交界としてはごく当たり前の挨拶ではあるが、イリスの目が見開く。

 ゼクスは、イリスが社交儀礼上断れないことを承知で、腕をとって歩き始めた。

「……ゼクス様、いけません」

 このパーティでゼクスのエスコートを受ける意味は、イリスにだってわかっている。

 戸惑いながら小声で抗議した。

「俺の相手だと思われている方が、面倒にならん」

 ゼクスはイリスの耳元で囁いた。周りから見れば、愛のささやきに見える可能性があることも計算済みだ。

 イリスの目が複雑な色を帯びて、ゼクスを見上げる。

 ゼクスは、それに気が付かないふりをしながら、イリスをエスコートして歩いた。

 周囲にどよめきが生まれ、あるものは憧憬を、あるものは嫉妬の目で二人の姿を追う。

「陛下、クアーナ公女をお連れいたしました」

 ゼクスの言葉に、イリスは、優雅に頭を下げた。

 ファルタは、イリスに微笑むと、ゆっくりと立ちあがり手を上げる。

 楽団の音とひとびとの話し声がすうっと止んだ。

「みなに紹介しよう。クアーナの公女、イリスだ。先の大侵攻の折り、ラキサス公とともに最前線で戦った勇者である」

 ファルタの声が、響き渡る。

「本来ならば、敬い称賛されるべき彼女が、今日(こんにち)まで、言われなき嘲りを受けていたことは、この皇帝である私の不徳とするところだ」

 ファルタは、ゆっくりと周囲に視線をめぐらす。

「このルクセリナ帝国に、封魔で負った傷を醜いなどという輩は、恥じ入るがよい」

 朗々とした声に、幾人かが思わず下を向いた。

「ゼクス」

「はい」

 ゼクスは返事をしながら一歩前に歩み出た。

「今宵は、おまえの帰還を祝う宴ではあるが、イリス公女にとっては不慣れな帝都。しかも社交界デビューでもある。皇太子として帝国の英雄をエスコートせよ」

「……承知いたしました」

 ゼクスは一瞬、驚いたものの、ファルタの表情をみて納得する。

 これだけ公然と皇帝が命じてしまえば、イリスの隣に常に皇太子がいても不審に思うものはない。イリスに不必要な縁談が持ち上がったりしては、皇帝としても面倒な話なのだ。

 一夜くらい、薄幸な公女に『公女としての』思い出を与えたいという気持ちもあろう。

 ゼクスは再びイリスの手を取った。

「踊ろう」

「……でも」

 ためらうイリスを強引にゼクスは引っ張る。

「今夜だけは、夢を見ないか?」

「ゼクス様……」

 イリスの顔がほんのりと赤らみ、戸惑いながらも頷いた。二人は、ゆっくりとダンスの輪の中へと入っていく。

 すると、楽団の音楽が突然、軽快で激しいリズムのものに変わった。非常に難易度が高いことで有名なナンバーである。

 ゼクスは思わず眉をしかめた。選曲に悪意を感じた。

 誰かが、イリスに恥をかかせようとしているようだ。

「大丈夫か?」

「平気です」

 イリスはくすりと笑った。社交界にデビューはしていなくとも、公女として教育を受けている。ダンスはひととおり踊れるし、実は得意だ。

 激しい曲がはじまると、二人は軽やかに舞った。実践で鍛えているゼクスとイリスは、激しいステップを踏んでもまったく疲れが見えない。

 一曲、踊り終えた時、気が付けば周囲から称賛の拍手が巻き起こった。

 高揚した気持ちのままに、ゼクスは、イリスの手にキスを落とす。イリスも気持ちが高ぶっているのか、頬を赤く染め、肩で息をして微笑んでいる。

 喝采の中。不意に、ゼクスはゾクリとする視線を感じた。

 目をやると、恥ずかしげに顔を赤らめたイリスの背に、ウエルデン公国の公子、ザルクが暗い目を向けていた。



 ウエルデン公女である、オリビアは、歯ぎしりしたい気分で、声援に包まれているゼクスとイリスを睨みつける。

 皇帝の命であれば、ゼクスがイリスをエスコートすることに文句を言うわけにはいかないが、どう考えても納得がいかない。

 昨日まで『もっとも美しい』と言われていたのは自分のはずである。否、今だって、オリビアの方が美しいはずだ。

 豪奢な金髪、整った顔立ち。なにより肌には傷もしみもない。ドレスだって、宝石をちりばめたきらびやかなものだ。

 それなのに。

 イリスを見るゼクスの目は、かつてないほど甘く優しげだ。

 何より周りがそれを容認しているかのようなこの雰囲気は何なのだろう。

 オリビアこそが皇太子妃に相応しいと昨日まで言っていたはずの人間が、手のひらを返したかのように、祝福に満ちた目で二人を見つめている。

 オリビアは、ぐっとドレスのスカートをにぎりしめた。

「ウエルデンの公女殿は、ご機嫌斜めのようですね」

 いやみったらしい声をかけてきたのは、エリアリナ公子であるルパートであった。

 さらりとした栗色の髪。整った顔立ち。社交界で、ゼクスと人気を二分する貴公子であるが、オリビアはこの男が嫌いであった。

 この男は、オリビアを他の女と同列に扱う。それだけでも腹立たしい。しかも、オリビアに興味もないのに、このタイミングでわざわざ声をかけてくる。

「何のご用でしょうか」

 不機嫌さを隠そうともせず、オリビアはルパートを睨みつけた。

「別に。お美しい公女殿にご挨拶申し上げただけです」

 美しいとは全く思っていないことがまるわかりだ。オリビアは思わず唇を噛んだ。

「イリスは五年も苦しんだ。今日一日、主役になれないくらいで拗ねるアンタが想像もできない修羅の道をな」

 ルパートは大きく息を吐く。

「彼女にとっては、ひと夜の夢だ。邪魔をしないでやってくれ」

「何を……」

 言っているの? と、言いかけて、オリビアはルパートの目が、切なさを帯びてイリスを見つめていることに気が付いた。その瞳のいろの深さに、オリビアは息をのむ。

「明日になれば、夢は消えてしまうのだから」

 仲睦まじく微笑みある二人を見つめ、ルパートはポツリと呟いた。



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