わたしのはなし に
人は誰しも低能である権利があるが、それ以前に有能である義務がある。
わたしのはなしをしよう。
わたしは勇者である、名前はない。
いや、あるにはある。あるのだが、生まれてこの方呼ばれたことがない。こうなるとそれは名前ではなく記号だ。意味のない記号ですらない記号としての記号。便宜上用意されたに過ぎない、使われることのない音節。それが私だ。名は体を表すというが、その言に則って言うならば私は名実ともに存在しないのだ。そんな者が勇者だ。きっとわたしはこの先、ずっと勇者という名に縛られるのだろう。名は体を表す。勇者以外に名がないわたしは、その存在意義に則り魔王を討ちに行く。
と、ここで少々気になることができた。魔王。魔の王。魔を統べるもの。魔の術を統べるもの。魔を統べる術をもつもの。そいつはどんな名をもっていたのだろうか。ひょっとしたら魔とは関係のない名であったのかもしれない。他者から押し付けられた名によって魔に堕ちたのかもしれない。そう思うと少しだけ親しみを覚える。奇妙な話ではあるが。
そんな魔王を倒す勇者であるところのわたし、そのわたしが街を出て、一番にやったことは、そう、意中の相手であるところのかれを殺したのだった。
「……」
そのときの胸中を思い出そうとしてみれば、しかしかなり衝撃的な出来事にあったにもかかわらず思い出せない。理由に心当たりがあったので思い出せないことに驚愕をすることはないのだけれど。
なんにせよわたしはかれを殺した。刺殺した。絞殺した。撲殺した。呪殺した。爆殺した。溺殺した。斬殺した。毒殺した。轢殺した。惨殺であった。先程、感想を思い出せないと言いはしたが、光景はいまだに覚えている。しかし、光景と言っても抉られた地面の光景だけなのだが。
当然の話である。突然な話でもあるかもしれないが、私の対人における戦闘能力はかなりのものである。女であることの身体的な不利はあるものの、そんなものは勇者として選ばれた瞬間から皆無に等しい。勇者はそれほどのものであるし、しかしこれほどの加護は他の国には望めないと思うと、少しだけ得をした気にはなる。本当に微々たるものではあるが。まあそんなことはどうでもよくて、こと対人戦においてわたしは相手を跡形もなく消し去ることが可能ということだけを認識してもらえればいい。だから、光景は周囲の環境だけ。抉られた地面。舞い上がる塵。鼻をつく臭い。耳に残る爆発音。それだけだし、そんなにもだった。かれは少々耐久性が高かったらしい。
そして、わたしはその場から立ち去った。この場に用は既にない。そもそもこの場にいたのはかれが呼び止めたからである。先日お別れの挨拶をして、いつもどおりの受け答えをしたかれ。もしかしたら見送りにきてくれるかもと思い、しかしそれは無理なことだと自身に言い聞かせ今日をむかえた。そうして、ふたを開けてみれば見送りどころか、かれはわたしたちを追ってきたのだ。いつもどおりに、まるで街中で声をかけるような調子。“――よう、おでかけかい”なんて風に。だからこそわたしはかれをころした。一見というか一聴すると全く論理性に欠けた行動であるように思えるけど、わたしは王にあらかじめ命じられていたのだ。“国をでる際に追跡者がいた場合、問答無用で殺せ”と。だから殺した。仕方ないことである。殺さなければわたしが殺されるのだから。
そこからのわたしの足取りは別段重いものではなかった。たしかにかれを殺したのは痛みではあるが、殺すのは王の命令であった。つまりそこに正当性を主張する余地がある。姑息療法のようで釈然としないだろうが、精神的衛生を保つための手段である。魔王を討つためにはこんなことで立ち止まってはいられないのだ。だから、そのあと襲ってきた魔物どもとも平生のように相対することができた。肉を切る感触でかれを思い出したりはしない。相手に呪いをかけるときにかれの顔を思い出したりはしない。相手を爆散させるときにかれの肉片を思い出したりは――しない。してはならない。するはずがない、のである。多分、おそらく、きっと。
そんなこんなで、何事もなかったわけではないが、わたしは次の街へ着いた。そのころには、かれの死はこれからの旅路を進んで行けるかどうかの試練だったのだ、なんていう自分勝手な妄想すら持っていた。頭の痛くなるはなしである。なんでかれの死から成長するのだ。人の死は糧にするものなんかじゃないのに。それじゃあまるで、私が人間じゃないみたいではないか。
そんなことを思っていたからだろうか、その街に私たちの故郷の街と似ている点ばかり目についた。いや、実際に似ているのだ。道路も家の造りも街の雰囲気も。と、そこでこんな言葉が口をついた。あまりにも似すぎていないか。歩いて一日のところにあるからと言ってここまで似ているのはおかしいだろう。前にきたときはこんな感じではなかった。
しかし、わたしはそんなことは些事とばかりに街をみつめた。この雰囲気、この感覚。これは、いまにもかれが――――
「――よう、おでかけかい」
いつのまにかわたしの前に表れたかれはそう言った。