act.4
act.3にて花音の怪我の箇所を間違っておりましたので修正いたしました。
正しくは手首→二の腕です。
既読の方は混乱させてしまい申しわけございませんでした。
互いに何も予定がなければ、花音は兄と一緒に登校している。
職業柄、昼夜逆転した生活を送っているためこれから眠る母に行ってきますの挨拶をして、マンションから出ると雨降りというあいにくの天気に、濡れるのが嫌いな花音は気分が滅入った。
こういう天気の日は家から出たくなくなる。
しとしとと小雨が降っているので傘を差して歩くのだが、いつもならそれぞれ傘を差すのに兄は今日それを拒んだ。
傘を忘れたわけでもないのに、玄関で花音が持とうとした傘を取り上げられて、兄の傘に二人で入っての登校。
いわゆる相合傘状態。
花音と兄が持ってくれている彼女のバッグが濡れないようにしているため、兄の肩は雨で濡れていたが彼は気にならないらしい。
花音は眉を顰めて兄を見上げて彼の腕を引いた。
「お兄ちゃん、濡れてる」
「ん?ああ、小雨だし平気だよ」
「もう、だから別々に傘差そうって言ったのに。歩きづらいでしょ?」
濡れるのは嫌だから別々に傘を差そうと訴えた花音に、兄は絶対濡らさないからと押し切ったが、だからといって兄が濡れてもいいわけではない。
不満そうに彼女が頬を膨らませるけれど、兄は取り合わずににこにこと機嫌よく笑うだけだった。
「花音がくっついてくれたら平気だって」
笑うだけで聞く耳を持たない兄にため息をついて、花音は彼が少しでも濡れないように兄の体に身を寄せると、浅く出来た水溜りにはまらないように視線を前方に向けた。
これで自分まで躓いて、びしょ濡れなんて洒落にもならない。
もしもそうなったら兄は花音を助けようと傘を放り出すだろう。
それこそ冗談じゃない。
(もしかしたら、お兄ちゃんには何か考えがあるのかもしれないけど)
ちらりと兄に視線を向けるが、笑みを浮かべる兄からは何も読み取れない。
視線を自分の右手首に落とせば、長袖の制服から覗く細い手首には白い包帯が丁寧に巻かれている。
(けど、杉浦に掴まれたのって、二の腕だからまるっきり意味ないんだよね)
そっちはそっちで湿布を張っている。
家を出る前のことになるが兄が作った美味しい朝食を食べた後、花音は彼に座るよう言われた。
そしてガラステーブルに置かれたのは救急箱。
二の腕には指の痕跡がしっかりとついているが、手首に怪我はしていないのに、兄は嬉々として巻いていたのを思い出す。
(我が兄ながらあの笑顔は胡散臭い)
兄が胡散臭いのは今更だが、この釈然としない気持ちは何なのだろう。
どこか憮然としながら歩いていると、学校の手前の通りで2~3人の女生徒が二人に近づいてきたので花音はそちらへと視線を向けた。
見知った生徒ではない。
可愛らしい色とりどりの傘を差した女生徒たちは皆大人びた容姿をしており、開け放たれたシャツの襟元から覗く白い首筋や、グリーンを基調としたチェックのプリーツスカートから伸びる白く柔らかそうな太ももについつい目がいってしまう。
顔も杉浦悠には及ばないが、美人の類に当てはまるだろう。
(あれだ、ゲーム中に水無瀬柚月が侍らせてた女子生徒のタイプまんまだな)
兄の知り合いだろうと予想していると、彼女たちは思ったとおりにこやかな笑顔を兄に向けた。
「柚月くん、おはよう!」
「おはよぉ、朝から嫌な天気だと思わな~い?」
「ねぇ?おかげで髪が全然まとまらないのよぉ」
朝からハイテンションで憂鬱を訴える彼女たちは、柚月の隣へと小走りで近寄るとそのまま同行する気らしい。
車道側を歩く柚月の隣に滑り込む。
ヘアアイロンで巻かれた髪を摘まむ爪は美しく磨かれ、身だしなみに手を抜かない隙のなさは女子力の高さを示していた。
彼女たちとは反対側にいる花音は口を挟まずに兄を見上げると、柚月はにこやかな笑みを浮かべて女生徒に対して口を開いた。
「おはよう。髪がまとまっていないなんて、そんな風には見えないよ。魅力的過ぎて男が放っておかないだろうね。それと、俺は雨は嫌いじゃないよ。こうして妹とくっつく大義名分が出来るしね」
女性に関しては相変わらずだなぁとぼんやりと考えていると、突然兄から視線を向けられて花音はギョッとした。
兄しか見ていなかった女子生徒たちも、そこで初めて柚月の右隣にいる妹の存在に気づいたようで視線を向けてくる。
面倒くさいことになったと花音は瞬時に事態を把握してうろたえた。
過去、兄と付き合った女性陣からは何度、敵愾心を向けられたことか。
今の彼女以外の歴代の恋人たち全員が口にした「妹と私とどっちが大事なの!?」という台詞に兄が「妹」と迷いなく答えるものだから、花音は何度、目の敵にされたか把握出来ていない。
もっとも、妹という存在と恋人という存在を同じ土俵に上げること自体、間違っているだろうと花音は思っているし、そういった場合、兄の味方だから別に兄を責めようとも思っていない。
が、避けられるトラブルは避けるべきだとは思っている。
花音は彼女たちに気づかれないようにさり気なく兄の腕を抓った。
(おにいちゃああああん!なんでお兄ちゃん目当ての女子に妹アピってんのよぉぉぉぉ!アピるなら彼女でしょうがあああああああ!)
女生徒の嫉妬の矛先を兄の彼女に押し付けているあたりで、さりげなく酷いことに花音は気づいていない。
寄り添って見つからないように腕を抓る花音だったが、抓られている当の本人は表情には出さず、笑みを浮かべているだけだった。
「照れてるんだよ。この子はあまり年上の女性には接したことがないからね」
「そうなの?」
「噂には聞いてたけど、可愛い妹さんねえ」
それぞれ傘を差しているので覗きこまれることはなかったが、それがなかったらそうされていたかもしれない興味津々ぶりだった。
珍獣になったようで妙に気分がささくれ立ってくる。
一体、兄は何を考えているのだろう。
腕を抓り続けながら花音は忙しなく頭を働かせた。
兄は馬鹿ではない。
賢いというか、むしろずる賢いというか、小賢しいというか、とにかく馬鹿ではない。
いつもならもっと上手く彼女たちをあしらって、妹の存在をここまであからさまに感知させず、さよならしているはずなのに。
妹の送る重い念に気づいていないのか、はたまた気づかないふりをしているのか、兄は憂いを帯びた表情を浮かべると妹を見下ろした。
その表情に目ざとく気づいたショートカットの女子生徒が「どうしたの?」と心配そうに聞いた。
「いや、妹が心配で……」
「何かあったの?」
質問した女生徒をしっかりと見つめた兄の深刻そうな声に3人の女生徒は調子を合わせながらも興味津々のようだった。
ピクリと花音の体が跳ねる。
兄は困ったように笑みを浮かべて彼女たちを見つめた。
「ああ、ごめんね。気が滅入るような天気にこんな話は……」
「私たち、柚月くんの力になりたいの。迷惑?」
「そうよ、相談にしか乗れないかもしれないけど」
「私たちに何か出来るなら……」
よくないよねと続けようとした兄の言葉に被さった女子生徒たちの言葉。
善意からのように見えるが、花音から見るとどう贔屓目に見ても彼女たちは獲物を狙う捕食者に見えた。
この場合、獲物はものすごくクセモノだが。
「ありがとう。……妹が怪我をしててね」
女生徒たちの探るような視線が花音に向かい、やがて彼女の手首に巻かれた包帯を見てそれぞれ得心したようだった。
口々に心配そうな声を上げるので、花音は辟易として早く学校につけばいいのにと願うが相合傘の相手の歩調はちっとも速くはならない。
後数十メートルの距離だというのにそれがもどかしい。
「昨日、朝は何ともなかったんだけど、一緒に学校から帰るときにはもう痛めてたみたいでね」
「学校で怪我したってこと?」
柚月の言葉に難しい顔をした女生徒は顎に手を当てて深刻そうに言った。
やっと正門を通って学校の敷地内に入ったが、3人の女生徒は騒がしくしかも声が通るので校舎に向かおうとしている生徒たちの視線を集めることとなって花音は居心地が悪かった。
何より3年の有名人のうちの1人、水無瀬柚月が深刻そうな顔をしているということで、注目をさらに集めることとなる。
「そう。でも妹は怪我したことも理由も俺に隠してたんだ。きっと俺に心配を掛けないようにと思ったのかもね。でも、こういう怪我がまたあったらと思うと心配なんだ」
早く校舎につけばいいのにと兄の腕をぐいぐい引っ張るが彼はそ知らぬふりだ。
「そうなの。それは心配ね」
「怪我の原因は話して貰ってないの?」
そこで困ったように微笑んで見せた兄に花音は歯噛みしたい気分だった。
「見かけたら妹を気にかけてやってくれると嬉しい」と優しげに微笑んで締めくくって、学校に到着した花音たちは昇降口で別れた。
こちらに手を振る兄にまとわりつく女生徒たちを見送りながら、吐きそうになるため息を噛み殺して階段へと歩き出す。
1年生の教室は3階に存在するため毎日毎日階段を上って、体育があればグラウンドや体育館に向かうため、購買や食堂を利用する場合、上り下りをしてと非常に面倒くさい。
(それにしても……)
何となくだが兄の考えが読めてきたような気がして、兄は二の腕の痕について結構怒っていたんだなと改めて自覚する。
そしてこれから起こるであろう未来を想像してげんなりとした。
兄との相合傘でいつもよりゆっくり歩くはめになり、そこへ兄の知り合いの女生徒たちと会話をしながらの登校で歩みはさらに遅くなり、余裕を持って家を出たはずが教室に入ったのはSHRまで後5分という時間だった。
いつもよりかなり遅いが、まぁ遅刻ではないからよしとする。
まかり間違っても階段を駆け上がる気がない花音は、ゆったりとした仕草で階段を上がり教室へと入ると雰囲気がおかしいことに気づいて眉を寄せた。
(……何だろう?)
スライド式のドアを開けた瞬間、教室内はしんと静まり返り生徒たちがこちらを見た。
その視線は一様にすっと視線は逸らされ、何事もなかったようにSHR前の友人とのなごやかな会話が繰り広げられるが、どうにも空々しくぎこちない。
不審に思いながらも席に向かう花音だったが、ちらちらと窺うような視線がこちらに向いているのを確かに感じた。
おかしい、どういうことなのだろう。
元々、色々とおかしいクラスではあるが、今日は更に変だ。
内心、首を捻りつつ、席に着くと斜め前の席に座る杉浦が、友人と話していたのを中断してこちらを振り返ってにこりと微笑んだ。
ぞわりと背中を這い上がる悪寒。
顔は確かに無邪気に微笑んでいるのに、寒気しか感じられない花音の腕には鳥肌が立った。
教師が入ってきたため、すぐに彼は視線を逸らしたけれど杉浦がこちらに視線を向けた瞬間、教室中の視線がこちらにむいたのを花音は確かに感じる。
それは教師が入ってきてからも同じで、期待を込めた目で花音や杉浦を探っては教壇の教師にばれないようにこそこそと囀る。
漏れ聞こえてくる「やっぱりそうなのかなぁ?」、「そうでしょう?だって杉浦くんが優しい微笑み……」、「昨日のはやっぱり告白……」というクラスメイトの言葉でやっとこの原因に気づいて頭を抱えた。
(ああっ!今の今まですっかり忘れてたっ!)
そういえば昨日、杉浦に呼び出されたのは生徒もたくさん残る放課後の教室だったことを思い出す。
昨夜の美味しい兄のオムライスと昨夜の兄の妙な情緒不安定さと今朝の兄のことで頭がいっぱいで本気で忘れていた。
花音は両手で顔を覆う。
(間違いなくクラスメイトは杉浦が私に告白したと思ってる)
しかも、先ほどの杉浦の(花音にとっては邪悪な)笑みがダメ押しになった気がする。
(腹黒卑屈わんこは何考えてんだあああああああぁぁぁ!嫌がらせか!?それとも何も考えてないの!?いや、私も忘れてたけどさっ)
チクチクと刺さる視線に花音は帰りたいと心底願った。
ふかふかの布団にダイブして潜り込んで噂が収まるまで巣篭もりしたい。
人の噂は七十五日だから二月ちょっとしたら帰ってきますと心の中で呟いた花音だったが、帰って巣篭もりしたとしても、噂を耳にした兄による災厄は避けられないことに気づいてまた落ち込んだ。
(杉浦めえええええ)
のほほんとした気性の持ち主だったはずの花音は憎憎しげに杉浦の背中を睨みつけた。
スピーカーからチャイム音が鳴り響いて一限目の数学が終了する。
いつもなら生徒たちはさっさと授業道具を机に仕舞い、移動して友人たちと話したり、ふざけあったりするのだが今日は何故か動きが鈍い。
教壇に置いてあった授業道具をまとめている数学教師も少し疑問に思ったようだが、結局のところ何も言わずに教室から出て職員室へと戻っていく。
彼ら教師陣も授業のために1階に戻ったり3階に上ったりと、ある意味生徒よりも大変だなと花音は教師だけはなるまいとぼんやりと思った。
何はともあれ10分休みに突入したのだがどうするかと彼女は考え込む。
授業中にもどうやったら面倒くさくなく、かつ必要最低限の動きで事態を収束できるかと考えたが何も思いつかなかった。
いっそ何か別に大きな事件が起きればそっちに生徒の目がいくのだが、花音は策謀家でもないしそこまで動く気概がある人間でもないので却下だ。
(中学までこんなこと一切なかったのに……)
何故、こうなった。
あれか、やっぱり主人公様様がいらっしゃるからか。
俯いて鬱々と考え込んでいると目の前がふっと翳ったので、疑問に思いながら花音は顔を上げた。
目の前には笑顔を浮かべた杉浦が立っていて、花音はその笑顔を見た瞬間やはりゾッとした。
クラスメイトの期待の篭った視線が二人に集中する。
「水無瀬、昨日の……」
「颯くぅん!」
教室の後ろ側の戸から颯の名前を叫びながら入ってきた高郷ほのかに花音と杉浦はギョッとし、クラスメイトたちは新展開にハラハラとした視線を高郷ほのかに向けた。
相変わらず他のクラスの教室に入ることに全く躊躇せず、イノシシのごとく杉浦に一直線に向かってきた彼女は彼の体にダイブするように腕に縋り付いた。
「ほ、ほのかちゃん?」
咄嗟に引き攣った笑みを浮かべる杉浦の声は若干上ずっている。
彼女はぎゅうぎゅうと彼の腕をあまりふくよかとはいえない胸元(花音もこれに関しては人のことを言えない)に抱き寄せると涙を浮かべた目で彼を哀れっぽく見上げた。
「颯くんが柚月先輩の妹に告白したって!嘘だよね!そうだよね!」
「ほのかちゃん、落ち着いて」
彼女のあまりの剣幕にタジタジになっている杉浦は何とか宥めようとしているようだった。
この修羅場をクラスメイトどころか、廊下から覗き込んでいる輩さえいることに杉浦も気づいているのだろう。
いつもなら笑顔を浮かべながら上手く彼女をコントロールしている彼だったが、高郷ほのかの興奮は収まらない。
(というか……)
真正面で繰り広げられる修羅場。
(これって私、当事者になってる?)
花音はちらりとクラスメイトや廊下から覗いている生徒たちを窺ったが、どうも自分にも視線が向いている気がする。
しかも廊下の生徒の会話には高郷ほのかと杉浦と花音は三角関係なのでは?という憶測が飛び交っていて、思わず花音は奇声を上げそうになった。
つまり彼らからしたら花音←(片思い)杉浦←(片思い)高郷に見えるらしい。
(冗談じゃない)
「だってっ!颯くんと私とすっごーく仲良しだったのに!」
「俺は告白なんてしてないから」
「じゃあ何で皆、颯くんが告白したなんて言うのよぉ!」
確かにこのクラスに高郷ほのかはよく遊びにきていたし、杉浦とは仲がよかったのだろうが、彼らは付き合ってはいないはずだ。
なのに、告白したこと(実際はしていないが)を恋人でもない人間から詰られて杉浦は本当に困惑しているようだった。
それでも宥めようとしているのは、これで自分の評判が落ちるのを避けるためだろう。
自分が優位の位置にいて姉を少しでも貶めたいのに、評判が落ちてはたまらない。
(おお、推察している場合じゃなかった)
これ幸い、真正面で騒ぎ立てる高郷ほのかの注意は杉浦に向いていることだし逃げよう。
そろそろと立ち上がって横にスライドしようとすると、彼女の視線がこちらに向いた。
「…………」
「…………」
(ぬお!目が合ってしまった)
どうやら逃げるのは下策だったようだ。
杉浦の腕に縋ったままポカンとした高郷ほのかだったが、中腰のまま固まった花音を認識した途端、顔を嫉妬で真っ赤にして睨み付けてきた。
「アンタ、何でここにいるのよっ」
「え?ここは私の教室で、ここは私の席ですが……」
ずっと目の前にいたのに気づいていなかったのは自分だろう。
さすがに八つ当たりに近い文句を付けられて花音は困惑したが、逃げるのも無理そうだし中腰では疲れるので再び座ることにする。
スカートが皺にならないように丁寧に座り直す態度が、余裕と取られたのか高郷ほのかはきゃんきゃんと噛み付いてきた。
彼女は杉浦の腕から手を外すと(ちなみに杉浦のシャツの腕の部分は皺くちゃになっていた)花音の机をバンと叩く。
「ちょっと、ほのかちゃん……」
「颯くんに色目使ったんでしょ!どういうつもりよ!柚月先輩といい!」
(仮にも狙っている男の前で他の男の名前を出すなよ……)
案の定、止めようと高郷ほのかの腕に手を掛けた杉浦の体が固まって、信じられないものを見るような目で彼女を見たが、彼女は気づいていない。
ため息をつく花音。
「色目を使った覚えもありませんし、兄のことは具体的にどういう事を指しているのかわかりかねます」
「柚月先輩と仲良いじゃないっ!」
感極まったように叫んだ高郷ほのかだったが、周囲は理解不能だったらしくシンと静まり返る。
その中には杉浦も含まれていた。
水無瀬兄弟の仲がいいのは今更で、それは他人に咎められるような事柄には思えない。
兄に群がる女子生徒について妹が悪し様に言ったという噂は聞いたことがないし、邪魔をしたというのも聞いたことがないので、クラスメイトや廊下から覗いていた生徒たちは困惑する。
花音はちらりと視線を黒板の右横に掛けられた丸い壁掛け時計に走らせた。
もうそろそろ、世界史の教師がこの教室に訪れるだろう。
咳払いしてこちらを睨み付けてくる高郷ほのかを毅然とした表情で見返した。
「兄と仲がいいからそれが何か?とにかく、私は杉浦くんには告白はされてませんし、彼は好みの異性のタイプでもありません」
彼女の言いたいことを察してはいるが、そ知らぬふりをして花音はきっぱりと言った。
兄と花音の仲がいいため恋愛イベントが起きない。
だから何だ。
自分は水無瀬花音、水無瀬柚月の妹で彼のことを兄妹としてとても好きだから仲良くしている。
それを非難される謂れはないし、そこは譲れない。
高郷ほのかが反論しようと口をパクパクさせた瞬間、前の扉から世界史の教師の声が聞こえて教室にいる人間はハッと体を硬直させた。
それは高郷ほのかや杉浦も同様で、彼らは一様に扉を振り返った。
「何だ、こんなに廊下に集まって。もう授業が始まるぞ。? 何だ、どうした?」
ずれた眼鏡を直しながら教室内に入ってきた教師は、教室内に漂う妙な雰囲気に首を傾げた。
チャイムがスピーカーから鳴り響く。
「まぁいいか、席に着け。ん?そこの生徒はこのクラスの生徒じゃないだろう。確か……」
顎に手を当てて悩み始めた太めの中年の教師に高郷ほのかも慌てて「ごめんなさいっ、戻ります!」と現れた時と同じように風のように去っていった。
(もしゲームのとおりだったら成績も上げていかないと生徒会長は落とせないもんねぇ。そりゃあ慌てるでしょうよ)
ゲームでは勉強のコマンドを選ぶだけでよかったが、このゲームに似ているこの世界ではそうもいかない。
教師は不思議そうだったが気を取り直して「始めるぞ~」と声を掛けると、授業準備どころではなくて机に世界史の教科書を出していない生徒たちにさっさと出すように注意する。
夢から覚めたばかりのような生徒たちはのろのろと教科書を机や机横のフックに掛けたバッグから取り出した。
入学して間もないのに早々にロッカーに入れっぱなしにしている生徒は慌ててロッカーに向かう。
そんな光景を見ながら何度目かわからないため息を花音はついて教科書を机から取り出した。
(……もう帰りたい)
花音はうな垂れた。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。