act.3
今回は短めです。
※12/29 間違いを訂正
「お兄ちゃん……、相変わらず完璧すぎるわ……」
目の前で感動に打ち震える妹の姿は、愛らしい小動物のようで柚月はご機嫌だった。
殊更に可愛い物が好きだというわけでもないが、それでも綺麗なもの、可愛いものは本質的に人間を和ませると柚月は思っている。
「ふわとろのオムレツにあさりの出汁が利いたホワイトソース!極めつけは茹でたあさりと炒めた玉ねぎのケチャップライス!あさりの食感は勿論、出汁の旨み、ホワイトソースとのコラボレーション!どれを取っても最高すぎるわ、お兄ちゃん。いつでもお嫁に……間違った、お婿にいけるわよ」
もくもくと目の前に置かれたオムライスを頬張っては飲み込んで、柚月が作った料理を絶賛する妹は本当に可愛らしいと思う。
見え透いた賛辞は嫌いだった。
こちらの関心を得ようとするような媚びた賛辞は、恋愛の手段として人生を円滑に進める手段として彼はありだと思っているが、自分にされる分には嫌いだ。
実際に媚びていたのか純粋な気持ちで賛辞していたのかは、柚月はその人物ではないからわからない。
でも柚月自身が媚びていると感じれば、表面では笑顔を浮かべつつもその相手が嫌いになった。
過ごしやすくするために要領よく立ち回っているわりに、意外と潔癖症なのかもしれないと彼は自身をそう分析する。
「お婿ねえ……。貰ってくれる人がいるならいいけどね」
「いるじゃない。亜紀さんが」
オムライスの隣に並べてある具沢山のコンソメスープを柚月は啜りながら、自分の恋人でもある上橋亜紀のことを脳裏に思い浮かべた。
ショートカットの黒髪に一重の瞳、すっきりとした顔立ちは贔屓目に見ても女性的とは言い難いが、男のようなというのも違う気がした。
服が好きで、絵が好きで、生真面目で四角四面な彼女はきゃんきゃんとけたたましく吠え立てるポメラニアンに似ている。
「亜紀も貰ってくれないかもよ?」
「えぇ~? まぁ、お兄ちゃん好き嫌い激しくて面倒くさい人だけどさ」
「ぷっ……あはは、酷いなぁ」
対外的には人当たり良く接しているため、柚月のことを好き嫌いが激しいなんて思う人間は滅多にいないだろう。
けれどこの妹にはわかってしまうらしい。
それが柚月には心地いい。
(何も言わなくても相手が自分のことをわかってくれるなんて幻想だけど、わかって欲しい、理解して欲しいと思うのも人間だから仕方ないよね)
一番に理解して許容してくれる存在、柚月にとってそれが花音で、だからこそ可愛いし、大切だし、甘やかしたいし、必要とされたい。
パクパクと柚月が作ったオムライスを食べている妹の二の腕に残っている痣を見て柚月は不快そうに眉を顰めた。
他人が花音に痕跡を残すのが気に入らない。
妹は極端に他人への興味が薄いせいか、これまでこういったことはなかったというのに。
「面倒くさい兄は嫌? 花音は面倒なの嫌いでしょ?」
軽く笑って尋ねる柚月に花音は首を傾げた。
(こういう探りが面倒くさいんだろうなぁ)
嫌だと言われたらどうするつもりなのだろう?
けれど性分なのか試すように確認するのは止められない自分は臆病なのだろうと柚月は思った。
「面倒くさいのは確かに嫌いだけどね……」
スプーンを指先でしきりに弄って考え込む妹は、よく心を落ち着かせるためにこういった行動や掃除に走る傾向がある。
「う~ん、何て言うんだろ。ずっと一緒にいたお兄ちゃんだし、面倒くさくなかったらお兄ちゃんじゃないっていうか、家族だから許容できる部分もあるでしょう?」
「うん」
同じように家族だからこそ許容出来ない部分も勿論あるだろう。
けれど、花音にとって“面倒くさい”ということは許容したくないことなのに、兄の面倒くささは許容範囲らしい。
柚月はそのことが嬉しいと思った。
「まぁ私も嫁き遅れて、お兄ちゃんも亜紀さんに見捨てられたら、しょうがないから私が貰ってあげる。お兄ちゃんが美味しい料理を私に作って、私が掃除して、あとは全部お兄ちゃんで」
「あはは、掃除だけはストレス発散ついでに?」
早々と食べ終わった皿を柚月がキッチンのシンクへと下げて、いまだ食事を続ける楽しそうな様子の妹に笑った。
本当にそうなればいいと思うものの、可愛い妹が嫁き遅れというのも面白くない。
実際、妹に恋人が出来たら煩く騒ぎ立てる自信があるものの、人間とは複雑な感情を持つ生き物。
これは仕方ないことだ。
「そう! 掃除は私にとっていいストレス発散なんだからお兄ちゃんには譲らないわ」
「取らないよ。それにしてもそんなにストレスがたまるの?」
柚月の問いに妹は気まずそうに唸るとちらりと二の腕に視線を向けたことに気づいた。
どす黒い感情が柚月の中に渦巻く。
明らかに失言だったと彼は皿をたらいの水の中に沈めながら臍を噛んだ。
ぽちゃんと水が跳ねて手を濡らして、それが何故か悔しかった。
「……体でも鍛えようかな」
「は?」
ぽつりと呟いた柚月にやっとオムライスを食べ終わった妹が唖然とした。
綺麗に空になった皿を持ったまま駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんが? 体を鍛える!? 何で!?」
「ん~」
頭の中に浮かんだのは妹の柔らかな手首に忌々しい痣を残した一年生の姿。
ちなみに名前は忘れたが、確か運動神経がいいと3年生の女子生徒たちが騒ぎ立てていたはずだ。
柚月はというと勉強も運動もそれなりに出来るがそれだけだ。
音楽もゲームもアウトドアもそれなりに出来たが飽きっぽい性分のせいか続かない。
頑張れば極めることも出来るのかもしれないが、魅力をそそられないし面白いとも思えない。
妹が喜んでくれる料理だけが柚月の中で唯一続いている趣味となっている。
「必要かなぁと思ってさ。俺、ケンカ弱いし」
「は?」
運動神経が悪いわけではないが、何故かケンカのセンスが壊滅的にない。
元々、悪くはない要領の良さで築いた人脈でじわじわ追い詰めていくほうが得意だ。
(そう考えると俺って本当にろくでもない)
何となく自己嫌悪に陥る柚月は感情とは反対に明るく笑って七分袖のTシャツの裾をめくり上げた。
「ほら、見事なイカっ腹だしさ」
割れているわけでもないつるりとした腹は白い。
それを少しだけ日に焼けた手の平で撫でて、溜息を飲み込んで笑顔を浮かべた。
身長も高いほうだし太ってはいないから、スタイルはいいほうだろう。
この甘い顔立ちはそれが好きな女の子を夢中にさせるらしく、ベッドの上でイカっ腹が不利になったことはないし、話術だって、ベッドの上での技術だってあるので特に不都合を感じたことはない。
飽きっぽくたって今のところ人生で困ったことはない。
なら、何でこんなことを柚月は考えるのか。
何も言わなかった花音の小さく白い手が柚月の腹を遠慮のない手付きで撫でた。
「お兄ちゃんは、相変わらずずるいよね」
「……花音」
「まぁ、甘やかして貰ってる私もずるいんだけどさ」
撫でながら溜息をつく妹はきっと柚月がどうして欲しいのか察しているのだろう。
それを申し訳なく思ったけれど、結局はどうしようもなくて妹の体を囲うように緩く抱き締めた。
妹が身じろぐ。
「体を鍛えるなんて飽きっぽいからお兄ちゃんには無理でしょ。それに下手に鍛えて自信満々に誰かに向かってくのは勘弁して。今のままのほうが怪我する心配もないし、その方が私も安心」
許容して欲しい、肯定して欲しいと試すように誘導する自分は妹の言うとおりずるいのだろうと思う。
「そっか」
肯定されて満足した柚月は、相手のフィールドに立とうだなんて馬鹿げたことだったと思い直した。
やはりやるなら自分の得意分野でこてんぱんにだ。
にこにことご機嫌に笑った柚月に妹が何かを察したのか顔を引き攣らせていたが、兄はそんな表情も可愛いなぁと思っただけだった。