act.2
内容は短編と同様です。
昼休み、第一体育館に繋がる廊下には野次馬がたむろし、彼らは騒ぎの中心である悠たちの行動を、固唾を呑んで見守っている。
ざわざわとしたざわめきには困惑や嘲笑、好奇が混じっていて離れた場所に立っていたので周囲の人間に当事者とは思われなかった花音ですらひたすら居心地が悪かった。
(これでゲームの主人公でもある高郷ほのかも一躍有名人)
やさぐれた気分で花音は心の中で呟いて、悠と対立するように立つ高郷ほのかを見た。
ゲーム中ではほわほわとした、けれど芯は強く頑固なテンプレ癒し系の主人公だったはずなのに、敵意をむき出しにしてこちらを睨み付ける彼女はその片鱗すらない。
緊張感が高まる中、予鈴がスピーカーから響いた。
花音はハッとし、周囲を見渡せば彼らもそわそわと視線を動かし、友人たちと顔を見合わせていた。
次の授業の準備をするために教室に戻りたいが、この展開も気になって立ち去り難いのだろう。
攻略対象、それに準ずるキャラクターはこの学校で有名人で、そのいざこざは美味しいネタなのだ。
「あれ~?どうしたのっ?ほのかちゃん!」
それでも一人二人と教室に戻るために踵を返す中、近づいて来た疫病神の声が響き渡り花音は頭が痛くなる。
(……最悪)
何故、今この場所へ向かってくるんだ。
次は体育じゃないだろう。
男子生徒の明るい茶色の髪の毛は奔放に跳ね、活発そうな緑の瞳は好奇心を隠さずに悠や悠にくっつかれた地村、そして対峙するほのかに向けられる。
すれ違う際、花音ともばっちり視線があって彼女はそそくさと視線を逸らした。
厄介なのが来たと花音は思ってげんなりしたが、それは悠も同じ気持ちだろう。
新たに現れた彼は子犬のような甘い顔立ちにほわほわとした笑みを浮かべながら、野次馬を身軽にすり抜けてほのかの隣に立った。
喜色を浮かべるのは主人公の高郷ほのかだ。
「颯くぅん!」
「ほのかちゃん、どうしたのさ?姉さんも地村先輩も」
高郷ほのかに颯くんと呼ばれたのは正真正銘 悠の弟である杉浦颯。
花音や主人公の高郷ほのかと同じ今年入学した一年生で、攻略対象キャラクターの一人でもある。
彼は甘えたように腕に縋り付くほのかを笑顔でいなし、明るく快活な青年は姉に視線を向けて笑顔を浮かべた。
「酷いのよぉ!颯くんのお姉さんったらねえ!」
「うんうん、ひとまず予鈴なったからね。後でたっぷり聞かせてよ。原因はわかりませんが、他の人も行き交う場所で騒がしくしてすみません。姉に代わって謝ります!皆さんも予鈴が鳴ったので移動したほうがいいですよ!」
ぱらぱらと困惑した表情の生徒たちが動き出すのを見て、にこにこと笑う杉浦は満足しているように見えた。
(じゃあアンタは予鈴なったのに何でここに来たよ。同じクラスなんだから、次は世界史なのに)
誰も彼の行動の不可解さを指摘しないが、花音は釈然としない気持ち悪さに眉を顰めた。
彼という人物がどういう人間かわかっているため行動の意味はわかる。
だけど理解するのと納得するのは別物である。
だいたい、彼が謝る意味がわからない。
騒ぎになったのは確かだが、それなら悠も地村もほのかも同罪となるだろうに、彼は姉に代わってとだけ言った。
仲裁のようだが、花音にはまるでこの騒ぎは、悠に全ての責任があるのだと言っているように聞こえる。
高郷ほのかは、彼は自分の味方だと嗅ぎ付けたのだろう。
杉浦が現れたことで彼女の機嫌は上向いた。
そもそも攻略対象キャラは自分のもので自分の味方であるのが当たり前だと思っているのかもしれない。
そうでもなきゃ狙っている男性の身内に敵意をぶつけるなんてことはしないだろう。
普通に考えれば身内を味方につければ心強いはずなのだから。
悠や地村、高郷ほのかも教室に戻るために動き出したので、花音も慌てて動き出した。
杉浦が現れたことでほのかの興味は彼に移ったのか、彼女は彼にべったりとくっついて先ほどの出来事を、身振り手振りを交えて誇張して訴えている。
その後ろを悠や地村とさりげなく並んで歩きながら花音は溜息をついた。
「ゲーム展開まっしぐらな面倒な弟さんですね」
「そうなのよね。全然可愛くなくてさ」
小声で話しながら見上げた悠の横顔は不機嫌に歪められていた。
黒板にピンクのチョークで書かれた歴史上の人物の名前を赤ペンでノートに書いて、花音は斜め前の席に座る杉浦颯の後ろ姿を見つめた。
退屈な授業に早々に飽きた彼はうつらうつら船を漕いでいるようだ。
攻略対象の彼と同じクラスだと知った花音は、入学当初から彼をさりげなく避けている。
何故なら、興味がないし面倒だから。
(せっかくここまで杉浦颯に意識されずにいたのに……)
姉の悠とはこの世界観がゲーム『恋は戦争』と同じだと知っている同志だが、彼女とは外で会っていたため颯とは高校に入るまで面識はなかった。
面識があったのは、兄の柚月、悠の彼氏の地村だけだ。
彼は花音が颯の姉の悠と交流があるということすら知らないだろう。
そしてこれからも杉浦颯には花音を意識せずにいてくれればよかったのだが、
(目、合ったよね。合っちゃったよね?)
面倒なことになった、と花音は頭を抱えた。
兄との件や昼休みの出来事で主人公には目を付けられた。
主人公はしょっちゅう杉浦に会いにこのクラスに来るというのに、本当に面倒くさいことになった。
元々、ゲームの展開ではクラスメイトでもある花音と杉浦だが、仲が良くもないが悪くもない間柄だと思う。
主人公が杉浦狙いになればこの教室に足繁く通うことになるが、その時に花音の描写があるでもなく、また柚月ルートに入れば主人公が妹である花音に会いにこの教室に来ることにもなるが、その時も当然杉浦の描写はない。
恋愛ゲームではイベント以外に無駄な描写を挟む余地がないわけで、狙ったキャラ以外の描写というのはされず、変わらずそこにいるはずなのにいっそ残酷ですらある。
そんなことだから予想はしていたが、この世界でも花音と杉浦の関係は良くもなく悪くもなく普通といったところだった。
この学校で有名というところは一致しているものの共感する部分も別になく、事務的な話があるならばするが、特に自分から話しかけるということは互いにしたことがない。
「水~無瀬っ!」
なかったはずなのに。
授業が終わり、SHRも終えてぱらぱらと生徒たちが帰り始め、掃除当番がのろのろと掃除道具を取出し始めた時に、杉浦がにこにこと笑って話し掛けてきた。
落ち着かない気分を宥めるために通学バッグの紐をひたすらネジネジしていた花音は思わず、「へ?」と間抜けた声が出そうになるが、それに被さって杉浦といつもつるんでいる男子生徒たちが話し始めたので周囲に聞こえることはなかった。
「颯~、帰るんじゃねえのかよ」
「水無瀬と話があるから、先帰っててくれる?」
「おー、告白か~!?」
「さあね?」
「水無瀬さん、嫌だったら嫌って言いなよ」
「俺が颯をとっちめてやる」
「いいからさっさと帰れよ!もう!」
杉浦以外の男たちはどうも花音が気になって仕方ないようで、賑やかしく話しながらも彼女に視線をちらちらと向けていた。
茶化す友人たちを杉浦は笑顔でいなして帰らせると、再び花音に向き直った。
にこにこと人懐こい笑みを浮かべているものの、目が笑っていないことに花音は気づく。
正直、気づきたくはなかったとげんなりした。
「さ、行こう?水無瀬」
「やです行きたくありません御遠慮します」
「ん?」
息継ぎなしに、やです。行きたくありません御遠慮しますとばっさり切り捨てたつもりだが、柔らかな態度のはずなのに何故か有無を言わさない杉浦の圧力が増した気がした。
この距離で花音の拒否が聞こえなかったはずがないだろう。
なのに、彼は黙殺するつもりらしい。
ぐうたらしたいのに。
面倒なことは嫌いなのに。
今、この瞬間に兄が迎えに来てくれたら、騒ぎになったっていいから頬ずりして感謝するだろう。
兄に関して面倒くさいことならまだ許容できるが、この人物に関して面倒くさいのは嫌だ。
関わりあいたくない。
ワンコ顔も好みじゃない。
なら逃げの一手あるのみと決意した花音だが、事もあろうに杉浦颯は花音の机上から彼女がひたすら紐をネジネジしていたバッグを取り上げると、さっさと廊下に出て行ってしまった。
(人じ……違う、物質が取られた!!)
こうなったらついていくしかない。
あうあうと半泣きで杉浦の後を追いかけて花音は廊下に出る。
花音の荷物を取り上げて颯爽と廊下に出た杉浦の行動と、ついていくのを渋るような花音の反応は、教室に残ったクラスメイトからすれば彼女思いの彼氏と恥ずかしがり屋の彼女のように見えた。
次の日には杉浦が花音に告白したのではという噂が学校を騒がせることとなるのだが、この時点の花音はまったく気づいていなかった。
人があまり寄り付かない体育倉庫の裏手に連れてこられたのだが、ここはよりにもよってゲーム中最終イベントで攻略対象キャラが主人公を呼び出す曰くつきの場所だった。
(何でゲームの告白のメッカに連れてくんだよ!この馬鹿!)
言いたいことはたくさんあるものの、さっさとバッグを返して貰わないと兄と帰れないし、兄に男子生徒と二人で告白のメッカにいるのを見られたら大変なこととなることは請け合いだった。
教室にいる時は心底兄の登場を願ったが、今は心底来ないで欲しい。
女子生徒に囲ま……れての足止めは兄の彼女の亜紀に申し訳ないから、教師に説教……も要領がいい兄には有り得ないし、教師に用事を頼まれるなんて愚行を犯すはずもないので、役に立ちそうな足止めが非常識の塊 高郷ほのかくらいしか思いつかなくて花音は唸った。
(あれに兄が迫られるのは心底嫌だ)
想像するだけで面倒くさい。
彼の手に握られた通学バッグを取り返すべく手を突き出した花音に杉浦は微笑んだ。
「昼休みはごめんね?」
「バッグ、返して」
「水無瀬もいただろ?現場に。姉はいっつもとんでもないことを仕出かすんだ」
「バッグ返してってば」
何を言っているんだろう、こいつは。
話はまったく聞こうとしないし、そもそもあれは高郷ほのかが地村に手を出したからああなった。
それでもこの男にはそういった諸事情は関係ないのだろうと花音は察した。
攻略対象は顔がいいものの、とことん面倒くさい人間が揃っている。
恋愛シュミレーションゲームの一時的な仮想恋人気分を味わうのにはいいが、現実に恋人として付き合うのは面倒な人間の坩堝だと花音は常々思っている。
そういう花音の好みは攻略対象の1人でもある生徒会長―――ではなく彼を陰日向からフォローする有能地味顔副会長だ。
態度にムラがある恋愛対象どもとは違い、普通だし、会話の端々にユーモアも感じられるし、普通だし、誰にでも優しいわけではないが対応は人として誠実で、普通だし、地味な顔立ちで有能というギャップに非常に惹かれる。
大事な事なので普通は3回言っておいた。
(と、私の好みはいいとして……)
花音はげんなりとして目の前の子犬のような愛らしい顔立ちに目をやった。
杉浦颯、今年新開学園高等学校に入学した一年生で入学当初から裏表ない性格と人懐っこく愛らしい容姿で人気者。
運動が大の得意で勉強は苦手。
また才女 杉浦悠の弟としても有名。
つまり境遇は花音と似ている。
似ているのだが、『恋は戦争』というゲームに世界観が酷似していると知っている姉がいたにも関わらず、花音の兄とは違い彼の恋愛イベントフラグはビンビンにアンテナをおったてている。
「明るい性格ってのを装っているけど、実はすんごい根暗なのよね。文武両道・才色兼備のお姉さんと比べられてどんどん卑屈になってっちゃって。でも、それでお姉さんが嫌いで、寛容なふりして少しでもお姉さんを貶めようとするなんて、小っちゃいというか、何というか……んん?」
ついつい考え込んでいた花音は彼の手に握られていた彼女のバッグが地面に落ちた音で我に返る。
「え?」
何が起きたのだろうと杉浦を見上げれば、目の前の青年が驚いた顔で彼女を凝視していることに気づいた。
唇に指先を添えて少し考えた花音はやっと気づく。
「あ、あれ?声に出てた?」
無意識に彼のウイークポイントをゲシゲシ足蹴にしてしまっていたらしい。
目の前の彼は呆然としていたが、やがて我に返ったのか、花音の言葉を咀嚼したのかは知らないが、顔を真っ赤にして彼女を睨み付けてきた。
「おっ、まえ!!」
咄嗟にとぼけることも出来なかったのだろう。
彼の反応は花音の言った言葉が図星だと知らしめているようなものだが、目の前の青年には当然その余裕はないらしい。
(はわわわわ~!やばいやばいやばい~!)
バッグを引っつかんでわたわたと逃げ出そうとした花音だが、荒っぽく二の腕を掴まれた。
柔らかな皮膚に指が食い込んで痛くて顔を顰める。
「いたっ」
「何で知ってんだよ!」
逃げようと腕を引っ張るとさらに指が食い込む。
「いたたたたっ!」
地味に痛くて涙が滲むのだが、目の前の男には余裕がないせいか、人懐っこい表情が般若のようになっている。
(たまに欠点を突かれて主人公を気に入る攻略対象がいるけど、リアルだとやっぱこういう反応なんだよ!普通は欠点突かれたら怒るって!)
「離してっ」
「卑屈で小さいってずっと俺の事馬鹿にしてたんだろ!お前なんかに俺の何がわかるんだ!」
興奮しているせいか二の腕を掴む手の力がどんどん強くなっていく。
ぎりぎりと二の腕を締め付けられる痛さに耐えかねて花音は杉浦を睨みつけた。
「痛いってば!知らないわよっ!杉浦のことついつい口にしたのは悪かったけど!ごめん!それは謝る!でもあんたのことお姉さんと比べるほど興味もないし、好みじゃないし、興味のない人をずっと馬鹿にするほど私はそんなに暇じゃないっての!」
いつもだったら面倒だからこんなにはっきりと言うことはないのだが、痛いし、近くで怒鳴られるし、そもそも物質を取られるわで腹が立った
捲くし立てた花音を見て、顔を真っ赤にして怒っていた杉浦はぽかんと口を開けた。
わんこのような笑みもなければ、先ほどの怒りもない素の表情だった。
「……水無瀬のどこが大人しい美少女だよ。詐欺だろ」
「は?」
「しかもっ!興味ない興味ないって言いすぎだろ!」
「だって興味ないもの。お互い様でしょうが」
「……」
むっつりと黙り込んだ杉浦の興奮は収まったようで、彼はやっと花音の腕を離した。
おそらく痕になっているだろうなとも思ったが、まぁいいや帰ろうと思い花音は地面に落ちたバッグを手に取った。
「おい」
「何よ」
「どこに……」
「帰るに決まってるでしょうが。杉浦は悠先輩を貶めたかった。私は杉浦の言ったことも杉浦のこともどうでもいい。はい、杉浦のしたいことはここで打ち止め。意味がない。じゃあ帰ります」
歩き出すと後ろから杉浦がついてきた。
杉浦はバッグを持っていないから校舎に戻るためについてきているんだろうが、それでも一緒にこられるのは非常に面倒くさい。
(こんなとこ、兄に見られたらどんなことになるか……)
兄自身は恋人がいるものの、妹に近づく男は害虫だと思っている節がある兄のことだ、間違いなく機嫌を損ねることになる。
溜息を噛み殺しつつ校舎に戻った時、昇降口前にいた柚月と目が合って花音はビクリと体を竦ませた。
バッドタイミング過ぎる。
「お、おおお、おおお兄ちゃん!?」
「花音、電話しても全然繋がらなかったが、どこにいたんだ?」
全然携帯しない花音の携帯電話はバッグの中に沈んでいる。
いつもなら兄と帰る前に確認するし、携帯電話をバッグに入れたままにすることを知っている知り合いはメールで連絡を寄越すので問題ないのだが、今日は確認すら出来なかった。
「……待っててくれたの?」
兄はにっこりと優しげな笑みを浮かべた。
本当に杉浦のわんこ顔とは違うタイプの甘い顔立ちのいい男だと思う。
ただし花音の好みではないが、兄としてはとても好きだし、待っててくれたのは凄く嬉しい。
「花音が何の連絡もなしに先に帰るなんて有り得ないからな」
そして兄は花音の後ろに立つ杉浦に視線を向けた。
「彼といたの?花音」
「う……」
「君は一年生かな?」
「……水無瀬と同じクラスの杉浦です」
「そ。花音から名前を聞いたことはないなぁ。ということは親しくはないってことか。じゃあ今後とも花音にも俺にもよろしくしないでくれ」
ばっさりと目の前の男に興味がないと切り捨てた兄は、花音より要領もいいが妹が関わると非道だったりする。
花音が親しい相手にはそれなりに気も使うのだが、勘もいい男なので杉浦のことを気に入らないのだろう。
あんまりな言い草に杉浦が目を見開く。
「お前に似すぎだろ……」
嫌そうな顔をして花音に言う杉浦だったが、酷く気分を害したようで苛々としているのが表情でわかった。
いつもの人懐っこい笑顔を浮かべている外面は完璧に剥がれ落ち、別の意味で子供っぽいわかりやすさを露にしている。
こういう相手をゲーム中で主人公は諦めずに宥めて宥めて宥めて「貴方は貴方よ!」と宥めすかしたんだから、その気の長さは癒し系うんぬんより悟りを開いた坊さんなのではないかと思う。
花音はゲームならともかく、そんなことをするのは真っ平ごめんだった。
「花音と俺が似てるとしても君にはまったく関係ない」
「…………関係ないって蚊帳の外に出されんのってこんなにイラつくもんなんだな」
「は?」
杉浦がぼそりと呟いた言葉は花音には聞こえなかった。
問い返したが、杉浦はむっつりとした表情のまま水無瀬兄弟から離れていった。
家に帰ってストレス発散のために掃除をしまくった花音だったが、二の腕のあざを兄に見咎められて洗いざらい事のあらましを喋らされることとなったのである。