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「たまたま」こそが、日常を揺らす最もリアルな魔法

現実世界は、幻想でできている。

作者: さんご

有休とは、「休む理由」を誰にも説明しなくていいという、唯一無二の贅沢である。


旅行? いいね。

疲れたから? わかる。

推しのイベント? 尊い。

では、「理由は特にない」場合は?


本書に綴られているのは、そんな「とくに理由もない有休の昼下がり」に起こった、いや、起こりかけた、ささやかな物語である。


主人公はいたって普通の人間。ただひとつ、空腹と好奇心にだけは逆らえなかった。

舞台はファミレス。

敵は――紙袋。


そう、紙袋。


ただそれだけで、一人の男の心がここまで揺れるとは。

「唐揚げ定食」と「紙袋」と「脳内100億円」、その化学反応をどうぞお楽しみください。


読後、あなたの目にも、ファミレスの荷物置きが少し怪しく見えてくるかもしれません。

有休を取った平日の昼下がり。僕は部屋でぼんやりしていた。

休みの理由なんて、特にない。

疲れていたわけでも、旅行でもない。彼女とのデートなんか言うまでもない。

ただ、世界が取れというから何となく取ってみた。


日差しがカーテン越しに差し込み、時計の針が午後を指した頃、腹の底が小さく鳴った。

(ぐぅ~)

「俺…朝から何も食べてなかった」

休みで何もしていないのにお腹は減るものだな。二回目のお腹の音は虚しく部屋に響いた。

冷蔵庫を開けてもすぐに食べられそうな物はない。納豆1パックと飲み物ぐらいだ。

レトルトでもいいが主食になるものがない。


なら、外に出るしかないか。あそこだ。あのファミレス。少し気合いが必要な場所。

休みだし丁度いい。

着替えながら、なぜか少しだけ胸がざわついた。

何かが起こるわけじゃない。ただ、ご飯を食べに行くだけなのに何か謎めいた感覚を覚えた。


商店街の近くのファミレスは、思った通り混んで大繁盛していた。

入口を開けた瞬間、にぎやかな話し声と食器のぶつかる音が波のように押し寄せてきた。

会話、食器のぶつかる音、厨房の油が弾ける音、子どもの笑い声。

まるで温風のようにぶわっと僕を包み込む。

並ぶ人の列はレジ前から折り返し、店員の「3名様、少々お待ちくださーい」の声が忙しなく響いている。

ざわつく空気に包まれながら、僕は、慣れた感じで順番表に名前を書き無言で順番を待った。

それに気づいた店員さんは「お一人様ですねー、少々お待ちください」と声をかけてくれた。

待つのも慣れている。それだけ価値のある場所だ。


20分程して名前が呼ばれ、案内されたのは2人掛けのテーブル。窓際、壁を背にした特等席だ。

暖かい日差しを背に店の中が一望できる。

メニューは店に来る前から決まっていたので、すぐに伝えた。

目の前の通路を人が行き交い、奥の厨房では店員の威勢のいい声が飛んでいる。

にぎやかで、店員さんは少しせわしなく動いている。でも不思議と落ち着く。

唐揚げ定食の香ばしい匂いが思い出のように鼻に届いた。


座ってすぐ視界の隅に何か白いものが映った。

少し離れた席。テーブルの足元近くにある荷物置きに白い紙袋が置いてあるのが見えた。


最初はなにも気にはしなかった。でも、人が通るたび、その白が目立ち、ちらちらと目に入ってきて、次第に気になって仕方がなくなった。


紙袋はやや角張っていて、ふくらみがある。

少し開いた口の隙間からは、紙のような物が入っているように見えた。

雑誌のようでもない、どこか妙に整っている印象だ。


(え?…これ、忘れ物?オカネ?)

言葉にならない声が喉でくすぶる。


足元近くの荷物置きに視線を固定するのは、女性のお客もいるお店なので怪しく思われてしまう。

だが、謎めいた紙袋の不思議な力には抗えなかった。

興味と慎重さがせめぎ合い興味がじわじわと優勢になる。


そんなことをしている内にその席に女性が座ってしまった。

OLのようでブラウスの袖を小さくまくった彼女は、やや乱れた呼吸のまま席に腰を下ろした。

肩から滑らせるように外したバッグをほとんど無造作に荷物置きに投げる。

軽く揺れるベストの裾と、香水とも整髪料とも言えない微かな香りが、ふっと空気を撫でていった。


そして、まさにその「バッグ」が、さっきの紙袋を隠してしまった。


「見えなくなった……」

思わず声に出して言いそうになったが、押し殺した。

余計に足元近くの荷物置きに視線を固定するはやばい。


バッグの影に、白い紙袋はすっかり埋もれてしまった。

(もうこの角度からは何か見えないな。俺のでもないし…いや、関係ないか)

心の中で言い聞かせた。


興味は完全に消えていない、自然と目線はあの場所を見てしまっている。

見えなくなるほど、ますます気になってしまう。

まるで隠されるほど見たくなる、不思議な衝動だった。


でも、女性の足元をチラチラ見るわけにもいかない。

良く分からないもので、トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。

この葛藤に打ち勝たなくてはいけない。


お昼時とあって店内は変わらずにぎやかだ。

その中で僕だけが、ひとつの紙袋にこんなにも神経を尖らせている。


あちらでは高校生の笑い声、こちらでは老夫婦がメニューを覗き込んでいる。

メニューを見てるだけのはずが、老夫婦の視線が気になった。


(僕が先に見つけたんだ。)

老夫婦が紙袋を気にしているわけではないはずなのだが、少し被害妄想が入る。


紙袋が気になり過ぎていて時間を忘れていた。

あっという間の感覚で注文した「唐揚げ定食」が届いた。

でも、その時は僕の心はまだ、足元の紙袋に半分ほど囚われていた。


目の前には、黄金色に揚がった唐揚げ。外はカリカリ、中はジューシー、定番にして至高のランチ。

もちろん、ご飯にみそ汁付きで少しのお漬物が付いている。

ご飯は無料で大盛にした。そう、それがこの店の流儀だ。


でも、箸を割る手が、なぜか少し鈍い。

唐揚げに目が行くはずなのに視線は勝手に斜め左下、あの紙袋へと吸い寄せられる。


最初は、ほんの気まぐれだった。

人の流れでちらっと目に入ったに過ぎない、忘れ物か、誰かの荷物か、それだけのはずだった。


…けれど今は違う。


もう頭の中は紙袋でいっぱいだ。食事どころではない。

紙袋は、まるでこちらに話しかけてくるかのようだった。

「見てみろよ、中身を。ちょっと覗くだけでいいんだ」

そんな声すら聞こえてきそうな気がした。


きっと、誰かが忘れた現金の束だ。

あの厚み、あの角ばり方。紙幣の集合体じゃないなら、いったい何なんだ。


1センチで100万。たしかそういう話をテレビで見た記憶がある。

なら、あの袋は……3センチくらい?いや、もっとあるかもしれない。微妙に段になってるようにも見えるし……。


ぞくり、とした。


心の奥底に、普段は姿を見せない何かが、もぞもぞと這い上がってくる。


「……俺が取ったって、わからないんじゃないか?」

頭に浮かんでしまったその一文に、思わず箸が止まった。

バカな。自分の中の自分が、食欲に勝るナニカがなにを言ってるんだ。


変なことを考えていたからか、相席になったスーツ姿の男性に気づかなかった。

後から来たはずなのに、すでに黙々と唐揚げを食べている。

昼休みが短いのだろうか、彼は僕より早く食べ終え、会釈もせずに立ち去った。


男性が立ち去ったことで妙に視界が広く感じた。

座っていたはずの女性の姿も無かったからだ。バッグも見当たらない。


そして…

紙袋の口が、さっきよりも開いていた。


中には、人の絵。いや、人物写真のような紙が見える。

そして、紙袋には白地に青い文字で○○銀行のロゴ。

この辺りじゃ聞き覚えがない銀行の名前。


「……まじで、やばいやつじゃないか?」


心臓の音が店内の雑音で消されていて助かっている。

唐揚げの肉汁のように、額からは妙な汗がじわじわと出てくる。

緊張からかスパイシーな味だけが、やけに生々しく舌に残った。


食後のコーヒーを運んできた店員が「どうぞ、ごゆっくり」と言った瞬間、なぜか「時間はたっぷりある」と言われた気がした。


「!!」


俺は今日、有休なんだ。

今後の予定はあのお金を確認するだけで他は何もない。逃げ道も、言い訳も、お金もない。


そして、女性が戻ってきた。

さっきと同じ、ブラウスの袖を軽くまくり、肩からすべらせたバッグを乱雑に荷物置きに置いた。

その動作で、さらに紙袋の口が開いた。

なのに、彼女は一切、それを気にしていない。


僕の中の理性が、ぎりぎりのラインで踏みとどまる。


「見ちゃダメだ」「手を出すな」

でも、好奇心は、脈打つように大きくなっていく。


女性は、ご飯を急ぎ足でかきこんでいる。たぶん、昼休みの終わりが近いのだろう。


「…帰れ、早く帰ってくれ!」

そんな念を心の中で何度も唱えた。

それが呪文のように届いたのか、彼女は食べ終わると足元に置いたバッグを手でガサゴソ探し、紙袋を気にすることなくバッグを取ると帰って行った。


(やっと帰った。お店も少し落ち着いてきたようだな。)


僕は、ひとつ息をついた。


僕は少し安堵しサービスのコーヒーを謎に勝ち誇ったように飲んでいた。

コーヒーのいい香りで勝利を噛みしめていた。


お昼休みも過ぎたのか、混雑も和らいで僕は、いざ紙袋へと思った

…その時だった。


店の入り口の方から小さなスニーカーの足音がパタパタと近づき、息を切らしながら男の子が叫ぶ。


「あった!。はぁ~。よかった♪ママに買ってもらったお金のメモ帳。」

その声は、さっきまでの妄想をあっさりと断ち切るほどに明るく、澄んでいた。


雑念のある僕は、思わず、吹き出しかけたコーヒーを、どうにか飲み込む。

ああ、そういうことか。最近のメモ帳は、札束みたいにリアルなんだな。


苦笑いと安堵のまじったコーヒーの香りが、静かに午後の空気に溶けていった。


気づけば、14時近く午後の光が、窓辺にやさしく差し込んでいた。

さっきまでのざわめきは遠のき、店内は落ち着き少しだけ静かになっていた。


紙袋は、男の子が抱えて去っていった。

もう、そこには何もない。興味は全て男の子が持ち去った後だった。

空っぽの荷物置きがあるだけ。


僕は残ったコーヒーをひと口すすった。

その苦みはさっきよりも丸く、少しだけ甘く感じた。


…きっと、今日という日は、なにかが変わる一日だったわけじゃない。

でも、確かに“揺らいだ”一日だった。


日常の輪郭がほんの少しだけにじんだあの瞬間を、僕はきっと忘れない。

誰にも語ることのない、ささやかな、けれど確かな“物語”が、あの紙袋の奥に確かにあったのだ。


伝票を持って席を立つ。


店長か分からないがレジを打ちながら言う。

「唐揚げ定食と大盛ごはん、コーヒーで……お会計、100億万円です」


一瞬間が空き、

僕は、ドキッとした。

今までのことが見透かされていた感じがした。


彼はニヤリと笑い。

「…という冗談。税込890円になります。」


財布から小銭を取り出す手が止まった。


「お客さん大丈夫ですか?」


店員さんから心配される始末。


我に返った僕も笑って、小銭を差し出す。「100億万円にはちょっと足りないですけど……これで」


会計のレジ音が、カシャン、と軽やかに鳴った。


扉を開け外に出ると、からりと鳴るグラスの音が、背中にやけに響いた。


「またお越しくださいませ」

振り返らずに手を振って、僕は店を出た。


たぶん、またここに来るだろう。

そして…今日のような「余白」を、またどこかで探している気がした。

あの日、たまたま入ったファミレスで、ふと見えた紙袋に心がざわついたことがありますか?

何の変哲もない白い袋。でも、ほんの少し角ばっていて、口が少し開いていて…


「もしかしたら中身は、札束かもしれない」


そんな妄想が膨らむまで、きっと30秒もかからなかったでしょう。

人は誰しも、たった“3センチ”のズレに心を持っていかれる生き物なのかもしれません。


この短編は、日常の中にある“ささやかな非日常”を描こうと思って書きました。

ごく平凡な昼下がりのはずが、視線ひとつでこんなにも物語になってしまう。

その滑稽さとスリル、そしてちょっとした恥ずかしさに、

くすっと笑っていただけたなら、これ以上の喜びはありません。


読んでくださって、ありがとうございました。

それではまた、どこかのファミレスで。

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