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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最強の男、竜にのぞむ

作者: 夜川総

男は最強だった。


男は生まれたときから力が強かった。生まれたばかりで力の制御などできない赤ん坊は、ただ我が子と触れ合おうとした母親の人差し指をいとも容易くへし折った。

魔獣の子。呪われた子。悪魔の子。

男は、紛れもなく父と母、二人が愛し合って生まれた子であった。しかし、生まれ持った力は、人間の常識の範疇にはなく、呪い子だと森に捨てられることになった。命を奪われなかったのは両親に残った最後の情か、それとも呪いを恐れてか。男には知るすべはないし、考えたこともない。


幼子が森の中で生き延びられたのは、強靭な肉体と、それから気まぐれな妖精のおかげである。

妖精は気まぐれに男を育てた。生き方を、力の使い方を、人間社会に溶け込む方法を教えてくれた。

ただ、本当に気まぐれであったので、男が十歳を超えたあたりでふと姿を見せなくなった。

妖精からは、困ったことがあったら誰かに頼るといいよと言われていたので、男はその言葉に従って森を出て、誰かがいそうな――人里に出ることにしたのである。


多くの人から冒険と言われるような旅路を経て、男は町に辿り着いた。途中で襲い掛かってきた大きな魔獣の死体を引き摺りながら、小さな町の、それにしては強固な外壁にある立派な門の前に立つ大人の人間に、妖精から教わった丁寧な口調で男は話しかけた。


「この町に住むことはできますか」


大人たち、門番は男を見上げてあんぐりと口を開けた。

男は十と少ししか生きていない子供だが、その体躯は大人の男よりもはるかに大きく、また自然治癒に頼りながら森の魔獣と戦っていたため全身が傷跡に覆われていた。妖精も髪の結い方や風呂の入り方は教えてくれたが、服の作り方は教えてくれなかったため、人々が着ているような布の服の代わりに魔獣の毛皮を羽織った男は、それこそ魔獣のようであった。


男が引き摺ってきたその魔獣は、町の人間にとっては脅威だったらしい。

町の人間を何人も葬ってきた恐ろしい魔獣だ。

男は森の魔獣と何度も命のやり取りをしてきた。襲ってきたから、殺した。食われそうだったから、食った。血を流した分、血を流させた。

一方的に奪われるのは苦しかっただろうと思った。人と関わらずに生きて来た“魔獣の子”は、それでいて“人間”だった。


魔獣を倒した男を町の人間は歓迎し、宴を開いた。

笑っている人間がいて、泣いている人間がいた。

何かの味がついた肉の食感が不思議だと思った。茶色く粘性のある汁につけると、強く味がする。森に自生する薬草で揉み込んだだけの魔獣の肉には出せない味とやわらかさだった。


はしゃぎ疲れて眠った子供に母親らしき人間が布をかけてやる。

そっと涙を流す女の肩を抱く片腕の男がいる。

女が自分の身体には合っていない血まみれの服を抱きしめて蹲っている。

槍を手に、子を背に庇う警戒心の強い男と、子供の手を掴んで離さない女がいる。

人の営みがある。

愛がある。

良いな、と思った。


男はしばらくの間、町に滞在した。

暮らしを脅かす賊を捻り上げ、何体もの魔獣を狩った。その度に感謝をされた。狩った魔獣を料理にしてもらった。


そうやって過ごすうち、男はようやく大人と言われる年齢になった。成人の祝いに酒をもらって飲んだが、水に味を付けたようなものだった。男は、大の大人が泥酔してしまうような酒にも酔うことはない。それでも町の人間の気持ちを感じたので、気分は良かった。

蠟燭の炎を眺めながら、干した魔獣の肉を齧り、酒を流し込んでいると来客があった。男は、町はずれの、昔は倉庫に使われていた小屋に住んでいる。町を何度も救った男とはいえ、その魔獣のような風貌は恐ろしく、普段は賊や魔獣などが現れた前後にしか人が訪れてくることはない。


戸を開くと、女がいた。

月明かりの下で見る肌は青白く、絹糸のような髪はしっとりと濡れているようだった。女の身体は微かに震えていて、寒いのだろうかと男は小屋に入るよう促した。女は戸惑う様子を見せたが、やがて、自分の意志で男の居城へと足を踏み入れる。


男は、自分が人より強いことを知っていた。

女が男よりもか弱い生き物であると知っていた。

干し肉は女の顎では嚙み切れないだろうと思い、酒を勧めてみるも、女は酒を注いだ杯を両手に持ち、震えるばかりだった。

女の長い睫毛が震えている。男は目が良いので、その奥の瞳が、涙に濡れていることに気が付いた。

泣く女にかける気の利いた言葉は、妖精も教えてはくれなかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


女が謝っている。

男は女と対面するのはこれが初めてだったので、謝罪の理由がわからなかった。

とにかく、町の男衆がやるように、気遣う言葉をかけてみようと思った。


「どうしましたか」

「……ヒッ……ゥ、あっ……」


女はぼろぼろと涙を流し、喉を引き攣らせた。震える手で強く握った杯からは酒が零れ、女のか細い指を濡らしている。その感触に女は正気に返ったか、杯を傍らに置き、手を揃えて身体をちいさく折りたたむと、床に額を擦り付けた。


「ごめんなさい、む、無理です。わたし、私、こ、こわくて、ごめんなさい」

「何が、ですか」

「……あ、ああっ、あなたがっ! こ、こわいの! あなたと、ど、どうにかなるとか、嫌、むっ、む、む、無理……っ」


女が細かく紡ぐ言葉から得られた情報を整理すると、どうやら、女は町長から男に贈られた“成人の祝い”だったらしい。

町を何度も救った英雄であり、それだけの力を持った脅威である男を繋ぎとめておくための、贈り物である。


「こ……殺さ、ないで……」


そうか、と男は思った。


人の営みに憧れた。

妻を得られたら、それは幸せなことだろうと思った。町の人間のように、自分の子を慈しむ暮らしも、素晴らしいものに思えた。

男は、自分が人より強いことを知っていた。

女が男よりもか弱い生き物であると知っていた。

自分が人の営みの輪に入れないほどだとは、今の今まで気が付いてはいなかった。


額を床に擦りつけたままの女の横を通って、男は小屋を出た。


人を頼れと妖精は言った。

妖精は色々なことを教えてくれたが、たまには間違うこともあるか。そうだ。服の作り方なんかも教えてくれなかった。知らなかったからだ。完璧な存在ではないのだ、誰も、間違うことだってある。

男は思う。

考える。

自分で考える。

自分がどうしたいのか。そのためにどうするべきなのか。


町にはいられないと思った。自分の存在が、女を傷つけた。

夜も明けぬうちに男は町を出た。いつものように、門番は男を何も言わずに通した。男が外に出る時は敵を倒すときだったので、今回もそうだと思っているのだろう。しかし、男がこの町に戻ることはない。その後町がどうなるか、どうなったかは、町の人間しか知らない。


男は歩いて、歩いて、森を抜けて、山を登った。

襲いかかってきた魔獣の体を素手で引き裂いて、硬く血の滴る肉で腹を満たし、川の水で喉を潤した。火を起こして肉を焼いてみたが、町の人間が作ってみせた料理のようにはできなかったので、手間を考えて、生で齧った。

男が歩けば、出会うのは恐れを知らぬ魔獣ばかりである。小鳥も、野兎も、男を恐れて逃げ出してしまう。可憐な囀りも、温かな毛並みも、男は触れたことがない。

自分の強さは人の範疇にないと、男は自覚した。

十を数える年で妖精が去っていったのも、つまりはそういうことだったのではないかと思うが、今更考えても仕方がないことだ。


生まれつき、愛を求めていた。

人と人とが愛し合って生まれ、人から愛されずに捨てられた哀れな子供だ。

感謝されるのは、喜ぶ人を見るのは、男の心にあった隙間を少しずつ埋めていた。男も、今の今まで気付いてはいなかったちいさな隙間だ。

その、再びぽっかりと空いてしまった隙間を埋めようと、男は歩き続けている。


西の険しい山に住むらしい、数千年を生きる伝説の人喰い竜を倒せば、町の人間だけでなく、国の人間、世界の人間に感謝されるだろうか。

感謝されたら、もうそれで、いいか。男はそう思って、更に旅を続けた。


地面から槍のように突き出た岩を足裏で砕きながら、男は山を登る。有毒なガスが噴き出る山肌は、時折爆発が起きる。無論、清浄な空気もない。命あるものは近寄りもしない過酷な環境の中で、小山ほどの大きさの竜は寛いでいた。


「あなたが、人間を食べる竜ですか」

「ン……? ……生きた者を見るのは久方ぶりだな……」


竜は人語を解するようだった。

男の質問には答えずに、竜は身体を起こし、興味津々に男を眺めた。


「人のようなカタチをして、人の言葉を話せば、人か?」


男は何も言わず、ただ顔だけを竜に向けている。自身を見つめる男の瞳を覗き込んだ竜はフンと鼻を鳴らした。近くにあった最後の枯れ木が一本、粉のように吹き飛ぶ。


「くだらぬ」


竜は再び身体を地面に横たえた。

男は、襲って来ないものを襲ったことがない。困った、と思った。進むことも、引き返すこともできない。ただぽつんと、そこに立ち竦む。


「……我の元に来るものは皆、欲のある瞳をしていた。その者が持つ一番強い欲が、瞳を輝かせるのだ」


竜はどこか遠い目をしている。


「竜を倒した名誉が欲しいか? 人喰いは許せぬという義憤か? いいや、貴様はどちらも望んではおらぬ。貴様のような自分を誤魔化した瞳は、相手をしてやる気にもなれん」

「誤魔化す」


誤魔化しているのか。

そういえば誰かに自分がどう見えているか聞くのは初めてだな、と男は思う。

誤魔化しているらしい。自分の望みを。欲望を。


「自分の……欲に正直になれば、あなたは相手をしてくれるということですか」

「ム……? ああ……まあ、いいだろう。たまの退屈しのぎだ。人の相手が煩わしくなってここを寝床にしているが、わざわざこんなところにまで来たのだ、そのくらいは約束しよう」


竜は大きく口を開けてあくびをした。空気が揺らめいて、焦げるような匂いがする。

男は少しだけ、数秒ほどの短い時間考え込んで、それからまっすぐな足取りで竜に近づいた。


人の敵を倒したいわけじゃない。感謝されたいわけじゃない。人の愛を見たいわけじゃない。


「私は、誰かを愛したいです。誰かに愛されたいです」


竜はその大きな目で男を見つめた。


「人間が私を愛するのにも、私が人間を愛するのにも、私は強く、それを実現するのは難しいです」


竜は身体を起こして、硬い鱗に覆われ鋭い爪を持つ腕を男に伸ばした。

並の人間であれば腕を伸ばした風圧で倒れ込むか。簡単に握りつぶされてしまうか。いいや、そも、ここに立ってはおれぬか。竜は笑った。


「竜は約束を守る。相手してやろう。お主の命が尽きる、瞬きのような時間だけ」


竜の首元にぎゅうと抱き着いた男の背を、竜はその爪で優しく撫でた。


ちなみに人喰い竜は人喰ってません

脅威に思われて色々と話に尾鰭がついた様子

そんなのも竜にとってはどうでもいいことです

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