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赤い髪の精霊

 グレイヴァは、水晶玉が飛んで行く方へ飛び付いた。無理に横へ飛んだので、足をひねったような痛みを感じたが、気にしている余裕はない。

 グレイヴァはただ、水晶玉だけを見ていた。

 つかんだ!

 手の中に、水晶玉の冷たさを感じた。地面へ落ちる前に、妖精の水晶玉を受け止めたのだ。

 しかし、ほっとしたのも束の間。

 水晶玉を掴んで着地したグレイヴァの身体は、バランスを崩す。足を着いた場所が、昨日の雨でぬかるんでいた。

 それだけでなく、急ではないが、斜面になっていたのだ。

 足をすべらせたのが、はっきりわかった。さっきひねった足首に、今度こそ痛みが走る。

「うわ……」

 体勢を戻すのは無理だった。身体が(かたむ)き、そのまま倒れる。それだけではなく、グレイヴァの身体は斜面を転がり出した。

「グレイヴァ!」

 遠くで、フィノの声がした。グレイヴァの身体は何度も木にぶつかったが、それでも止まることなく転がり続ける。(ゆる)くても坂なので、加速すると簡単には止まらない。

 グレイヴァは何かに掴まろうとしても、自分がどういう状態なのかすらよくわからなくなってきていた。

 ふっと身体が浮く。

 え……地面がない?

 このまま谷底に落ちるのかと思ったが、浮いた身体はすぐに地面へ叩き付けられた。

 それ程の高さはなかったらしい。せいぜい、テーブルから床へ投げ出されたくらいの衝撃。

「……っつ」

 木にぶつかるうちに、頭を打ったようだ。それに、全身が痛みでしびれている。

 グレイヴァは、自分の右手を見た。そこには、妖精の眠る水晶玉がある。

 あの斜面を転がり落ちても、グレイヴァは水晶玉を離さなかったのだ。

 よかった……。割れてない。

 起き上がろうとして、途端に目の前が真っ暗になる。

 グレイヴァは気を失った。

☆☆☆

 家の中だ。ついこの前まで住んでいた、オタウの村の、自分の家。

 離れてまだそんなに月日は経っていない……よな。どうして、こんなに懐かしく感じてしまうんだろう。

 何も変わっていない。いつもと同じ場所に、あるべき物はちゃんと置かれている。

 家具の位置も、棚の上の置物も、小さい頃に自分が付けた扉の傷も。

 全てが以前のままで、とても心地いい空間にグレイヴァはいる。

 なのに、ひどく頭が痛い。額の右、少し上あたり。ズキズキとうずいている。

 どこかで転んだのだろうか。そんな覚えはないがこんなに痛いのだから、もしかしたら記憶がとんでしまう程、強く打ってしまったのかも知れない。

「まぁ、グレイヴァ。あなた、どうしたの、その傷は。どこかで転んだの?」

 家の奥。きっと台所。いや、台所のはず。

 そこから女性が一人、現れた。

「母さん……」

 間違いなく、グレイヴァの母ペールだ。

 豊かな黒い髪をふんわりと後ろで一つにまとめ、父グルドが作ってくれた髪飾りを付けている。

 触れれば折れてしまいそうに、きゃしゃな身体。柔らかな笑顔。優しい緑の瞳。

 グレイヴァの緑の瞳は、母親ゆずりだ。そのせいか、周りにはよく母親似だと言われた。

 女の子に生まれていればきっと美人になってただろうな、残念だ、などとからかわれたりして。

 細めの体格も、母親に似たのだろう。グルドは息子がやせているのをかなり気にして「もっとしっかり食え」としつこいくらいによく言った。

 ペールも一緒になって「ほら、母さんの分も食べなさい」などと言いながら、皿をグレイヴァの方へと差し出した。

 おかしいな。母さんって……死んだんじゃなかったっけ。あれって、夢? うん、そうだよな。母さんが死ぬはずない。いやな夢を見て、それが本当だと思ってたんだ。だって、母さんはちゃんとここにいるんだから。頭だって、こんなに痛い。これが夢のはず、ないんだ。

 母の顔が、やけに高い所にある。

 そう思ってから、自分の背が小さいせいだと気付いた。

 自分が今、何歳なのかもよくわからない。きっと幼いから、まだ自分の年齢がわからないのだ。

「泣かないのね。えらいわ、グレイヴァ」

 傷薬の入った箱を持って、ペールがこちらへやって来る。

「それ、しみる薬だろ」

 友達とケンカしたり、転んだりしてつくった傷は、ペールがいつも手当てしてくれた。でも、その時に使う消毒薬がやたらとしみるのだ。

 それをつけられる(たび)に、いっそのこと、放っておかれた方がずっとましだ、と思っていた。

「放っておいたら、後でもっと痛い薬をつけられるのよ。その方がいやでしょう?」

 後で痛いのもいやだが、今痛いのもいやなのだ。

 そうは思っても、傷をこさえてくる自分が悪いのだから、文句を言っても通じない。

「大丈夫よ。痛いのは、ほんの少しの間だけだから」

 ペールはグレイヴァの額にキスをし、それから綿に薬を染み込ませる。

 それを見ているうちに、やっぱりいやだと思ったグレイヴァは、その場から逃げ出した。

「あ、待ちなさい、グレイヴァ」

 一生懸命走っているつもりなのに、なぜか足が思うように動かない。前へ進めない。

「駄目よ、グレイヴァ。遊びに行くのは、手当てが済んでから」

 家から逃げ出す前に、あっさりとペールの手がグレイヴァを抱えてしまった。

 イスに座らされ、傷に薬が染み込む綿を押し付けられる。

「痛いっ」

 いつもなら多少の痛みはがまんして何も言わないのに、思わずそんな言葉が口から出てしまった。

「がまんしろ」

 言葉遣いが変わり、え? と思って前を見ると、さっきまでペールがいた所にグルドがいた。

「父さん? あれ、どうして……いっ」

「男だったら、黙ってがまんしろ。こら、逃げるんじゃない」

 薬の痛さに、思わず頭を横に向けて逃げる。だが、グルドの大きな手が、グレイヴァの頭を元の向きに戻した。

 それから、一切の手加減なしに、薬を傷口につける。

「ってて……」

 今日の薬は、やけにしみる。

 それにしても、いつの間に母と父は入れ替わったのだろう。ほんのわずか目を離しただけで、二人が変わってしまった。

 いや、変わっているのは父だ。父の髪は短かったはず。それが……長い?

 目の錯覚なのだろうか。でも、見ているうちにグルドの髪は長くなってゆく。ペールのように、長く豊かに。

 顔立ちも雰囲気も、どんどん別人のようになってゆく。

 これが父さん? 嘘だろ。だって、どう見たって髪が……母さんより長い。目だって、こんな上がり気味のはずないし、色がこんな赤じゃなくて茶色だ。指はもっと太い。それに、こんな無表情な父さん、見たことないぞ。

 だってこれは……これは……これは父さんじゃない!

☆☆☆

 グレイヴァは、傷の痛みで目を覚ました。

 近くで水の音がする。川が近くに流れているのだろうか。

 しっかり目を開けると、そばに見たことのない人がいる。

 たった今見ていた、夢の中に出て来た誰かに似ている。

 父の姿がどんどん変わって別人になった、その誰かに。

 これ……誰だっけ。見たこと、ない。アルテじゃないよな。銀の髪じゃないし、顔立ちもまるっきり違う。それより目の前にいるこの人……人間、なのか?

 グレイヴァの前にいる人物は、深い赤色の豊かな髪と、同じ色の瞳をしていた。

 だが、その目には白目がない。まるで赤い石がはめこまれたみたいだ。

 髪や瞳と対照的に、身に着けているのは真っ白な服。ローブのようなデザイン。こんな山の中にいて、一つも汚れがない。

 目が痛くなるような白なのに、それでいて周りの景色に溶け込んでいる。

 この相手が男なのか女なのか、何とも言えない。とても中性的だ。見た感じとしては二十代半ば、といったところか。

 顔立ちも身体付きも人間と変わらないが、雰囲気が違う。

 グレイヴァは魔法使いではないし、具体的なことはわからないが、相手の持つ空気がどこか違う気がするのだ。

 精霊、という種族だろうか。

 何の知識もないグレイヴァだが、ふいにそんな言葉が頭に浮かんだ。

「あんた、誰?」

 グレイヴァは、ゆっくり起き上がった。身体を起こすと、あちこちに痛みが走る。

 特に額が、夢の中で痛いと思っていた所が一番痛む。思わずそこに手をやると、何かがべたっと手に付いた。

 その手を見ると、草の汁のような緑の液体が付いている。わずかに、血も混じっていた。

「汚い手で触るんじゃない」

 その声も、やはり中性的だった。口調は、夢の中のグルドのものに似ている。

 言われて改めて自分を見ると、泥の斜面を転がって来たせいですっかり汚れてしまっている。こんな手で傷口を触れば、化膿しかねない。

 ふいにグレイヴァは、もう一度自分の右手を見た。

 ここへ落ちてしまうまでは、確かに水晶玉を掴んでいたはず。それが今はない。傷に触れた時に付いた、緑の液体と自分の血だけ。

「水晶!」

 グレイヴァは、慌てて自分の周りを探す。

 が、その視線が精霊の手に向いた時、グレイヴァの動きが止まった。

 その手に、水晶玉を見付けたのだ。

「それ、俺のだっ」

 取り戻そうと、精霊に飛び掛かろうとした。が、足首に痛みが走り、グレイヴァは体勢を崩す。

 やはり水晶玉を掴むために飛んだ時、かなりひどくひねっていたらしい。

「これがお前のもの?」

 赤い髪の精霊は、いぶかしげに聞く。

「っつう……。そうだよ」

 足に触れると、熱を持っている。その足に触れている手も、すり傷だらけ。

「お前は人間だろう。なぜ妖精を水晶に封じた」

「俺が封じたんじゃない。あんたには関係ないだろ。返せ」

 グレイヴァが伸ばした手を、精霊はあっさりとよける。よけると言うよりは、ほんのわずか身体を横にずらしただけ。

 グレイヴァとしては相手を捕まえるつもりだったのだが、痛みでまた身体が(かしい)いでしまったのだ。

「関係なくはない」

 その声に、グレイヴァはそちらを向いた。

「種族は違うが、人間より近しい仲間だ」

 やはり、妖精だか精霊だかの種族らしい。でも、あの妖精がこうなった経過を、勝手に話してもいいのだろうか。

 いくら近しい存在でも、彼女の「親しい仲間」ではない。さらには、グレイヴァの味方と言えるかどうか、の判断も難しい。

 見たところ「敵意」はないようだが、心を許していいのかどうか、悩むところだ。妖精を封じ込めたのはグレイヴァだ、と誤解しているとすれば、表情には出していなくても、敵意を持っているかも知れない。

 さらに付け加えるならば、頭や身体が痛くて細かな説明するのがとてもおっくうだった。見なかったことにして返してくれ、と言いたいのだが、そうはいかないだろう。

 しばらく、グレイヴァと精霊は黙ったまま睨み合う。

「……ヴァ。グレイヴァ……」

 どこかから声が聞こえた。あれはアルテの声だ。斜面を転がり落ちたグレイヴァを捜してくれているのだ。

「アルテーッ」

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