すり抜けた壁と声の主
「そ、そうか?」
「だって、今の状況なら普通は、どうやってこの壁を壊すか、とか、この先への進み方を考えそうなものじゃない? なのに、壁が来る者を脅かしてる、なんて言うんだもん。もしかして、グレイヴァはこの壁が鳥カゴみたいなものじゃないかって思ってるの?」
「鳥カゴって……どこが」
この壁が鳥カゴには、とても見えないが。
「中にいる鳥は自由ではないけれど、カゴの外にいるねこや外敵から身を守ってもらえる。そういう意味ですよ。この奥にいる誰かは、何かから身を守るためにこの壁を造ったけれど、自らの自由を失う状態も作ってしまった。……なるほど、考えられないことじゃないですね。グレイヴァが聞いた声の主がこの奥にいて、そういう状態になっているのなら、ここから出たい、という言葉の意味もわかります」
声は、グレイヴァの覚え違いでなければ、確かに「ここから出たい」と言ったのだ。
「ここから出して」ではなく。
もちろん、だからと言って、声の主が自分で自分を閉じ込める状況をつくった、とは断定できない。
「真実のところはその声の主に聞くとして……どうする? 誰が造った壁にしろ、へたな壊し方をすると、洞窟そのものが崩れちゃうことだってあるわよ」
フィノが爪を出して軽く引っ掻いてみるが、傷は全くつかない。
「ダイヤモンド、とまではいかなくても、かなり硬い石みたいね」
「魔法でさっと消す訳にはいかないのか?」
「そう都合よくは……。フィノも言いましたが、おかしな壊し方をすると洞窟が崩れたり、衝撃で中の誰かまで傷付けたりしますからね。それに、普通の石じゃありませんから魔力を跳ね返されたり、わずかな力で過剰に反応するかも知れません。うかつなことをしたら、ぼく達まで巻き添えを食らいますよ」
行き詰まり、ということか。物が物だけに、一筋縄ではいかないらしい。
「物理的に俺がノミで穴をあける……フィノが硬いって言ってたんだよな」
地道に作業するとしても、かなりの時間がかかってしまうだろう。そんなのんきなことをしている余裕はあるだろうか。
ここは夜になって現れた滝の、裏にある洞窟。朝になったら、消えてしまうかも知れない。
その時、グレイヴァ達はどこへ行くのか。どうなるのか。
時間を見計らって夜明けに外へ出たとして、次の夜にもこの滝が現れるかも定かではない。
「案外、軽く押してみたら動いたりしてな」
「まさか。だったら、楽でいいわよ」
「でもさ、もしかしたら、すっげー単純かも知れないだろ」
物は試し、とばかりにグレイヴァは壁に手を当て、押そうとして……その手が壁の中に吸い込まれてゆく。
「ええっ、何だよ、これ。わああっ、ちょっ、ちょっと待てっ」
「グレイヴァ!」
予想外のことに、グレイヴァは慌てて手を引っ込めようとした。だが、まるで飲み込まれるようにして、グレイヴァの手はさらに深く壁の中へと吸い込まれる。
それを見て、アルテとフィノがグレイヴァの身体を引き戻そうとするが、びくともしない。それどころか、自分達まで同じように壁の中へ入って行く。
そして、その場には滝の水が落ちる音だけが残った。
☆☆☆
どさっという音が、間近で聞こえた気がする。
目を開けると、グレイヴァは地面に転がっていた。隣りには、同じような状態のアルテがいる。
フィノは……転がってはいないが、それでもきょとんとしたように座り込んでいた。
「てて……。な、何が起きたんだ?」
起き上がって振り返ると、あの石の壁が何事もなかったかのようにそこにある。
「……どうやらぼく達は、この壁をすり抜けたようですね」
壁と反対方向を向いても、滝の水が見えない。音は聞こえているが、さっきよりずっと小さくなっている。何かに遮られているような音だ。
となれば、壁の向こう側へ来た、と考えるしかないだろう。
「石の壁を? アルテ、何か魔法を使ったのか?」
「いいえ。使う前に、グレイヴァが吸い込まれてましたから」
グレイヴァを止めようとして一緒に壁に吸い込まれ、一瞬全てが真っ白になった。
そして、気付くと地面に転がっていたのだ。
壁を抜け、勢いづいて倒れ込んだところで意識が戻った、という状態だろうか。
魔法を使っているような余裕など、まるでなかった。全ては、あっという間のできごと。
「ちょっとぉ……どうしてグレイヴァが触れたら、こんなことになる訳? アルテやあたしが触った時は、何も起きなかったじゃない」
「そんなこと言われたって……俺だって知るかよ」
アルテは、壁を爪で弾いた。フィノは、爪で引っ掻いた。でも、何も起こらなかった。
なのに、グレイヴァが触れたら、いきなりこんなことになった。
こうなっては、フィノでなくても疑問がわく。グレイヴァに魔法は使えないし、特別な細工をしたのでもない。
だが、壁はグレイヴァにだけ、反応を示したのだ。
「やはり、グレイヴァが呼ばれている、ということなんでしょうね」
壁と同じと思われる、石のかけら。グレイヴァとアルテやフィノとの違いは、その石を持っているか否かだ。
「俺が呼ばれてるって……本当にこの石に?」
「まだそれは何とも。ですが、この滝へ来たのも、壁を抜けたのも、言うなればグレイヴァが先頭になってますからね。事情はどうあれ、呼ばれたと思って間違いないでしょう」
「最初にこの滝のそばへ来た時点で、もう目はつけられてたのかもね」
薪を集めながらグレイヴァがこの滝へ近付いたのは、ほんの偶然だったかも知れない。
だが、その後のことは、偶然で片付けられるものではない。明らかに、グレイヴァは特別な存在なのだ。
もっとも、それがいいのか悪いのかは、まだわからない。
「不安になるようなこと、言うなよ」
「あんたが巻き込まれるからでしょ」
「好きで巻き込まれたんじゃないぞ。俺にすれば、巻き込まれたって自覚もないし」
グレイヴァにとってみれば、知らないうちに事態が勝手に進んでゆく、という感じだ。
「まあまあ。とにかく、超えたいと思っていた壁は越えてしまった訳ですし、奥へ進みましょう。フィノ、何があるかわかりませんから、油断しないように」
予想もしなかった方法で、壁のこちら側へ来た。不安要素は山のようにあるが、とにかく動かなければ事態は進まない。
「まかせといて。こっちへ来て、空気も濃くなってるもんね」
「空気が濃いって……何?」
グレイヴァが首をかしげる。
「さっきも言ったけど、グレイヴァが拾った石と、この辺りの空気は同じ気配なの。壁を抜けて、さらにその気配が濃くなってる。さっきその石から漂ってる気配って言ったけど、これは石そのものじゃなくて石を持ってた誰かの気配なんだわ。で、濃くなってるってことは、その誰かが近くにいるってことになる訳。核心に迫ってるってことよ。わかった?」
「……ていねいな説明、ありがとさん」
雑なのは困るが、こうしてフィノにちゃんと説明されると、やけに子ども扱いされてる気がするのは、なぜなんだろう。
「どういたしまして。じゃ、グレイヴァは真ん中ね」
「俺が真ん中って……何が真ん中なんだよ?」
「歩く順番よ。あたしが先に行くから。アルテ、援護はよろしく」
「わかりました。でも気を付けてくださいね、フィノ。無理はしないように」
「うん。でも、ピリピリした空気じゃないから、そんなに危険はないと思うわ」
言いながら、フィノは歩き出した。アルテに促され、グレイヴァもその後を追う。
「別に横並びに歩いたって、いいんじゃないか? どうして俺の後ろに、アルテが来るんだよ」
並んで歩けるだけの道幅はあるのに、縦一列で進む形だ。
「後ろから手を出された時、対処しにくくなりますから。フィノは危険がなさそうだと言ってますが、場所が場所ですからね。とりあえず、最悪のことも考えて行動しないと」
こういうところは、慎重派のアルテらしい。
フィノも自分で「大丈夫だろう」と言っておきながらこういう態勢を組むのは、魔法使いの性格をちゃんと把握しているからだろう。
ここでできる、一番グレイヴァを守りやすい態勢になっているのだ。
俺、よっぽど危なっかしいこと、してたのかなぁ……。
どうやら、自分は守られてるらしい。
そのことに気付き、意識がなかった時のこととは言え、ちょっとばかり恐縮してしまうグレイヴァだった。
「なぁ、アルテ……」
グレイヴァが話しかけようとした時。
「だれっ?」
突然、女性の緊張した声が響いた。
「誰って……今の、誰だ?」
まださほど進んでいないうちから、お迎えが来たらしい。思ったより、展開が早そうだ。
女性の声だが、もちろんフィノのものではなかった。
グレイヴァにとって妙に聞き覚えのあるその声は、グレイヴァが石を拾った時に聞いた、母によく似たもの。
ただ、グレイヴァは母がこんな切羽詰まったような声を出しているのを、聞いた覚えがない。
「あそこよ」
フィノが視線で教える。その視線を目で追って行くと、グレイヴァの身長よりわずかに高い位置で、薄く青みがかった丸い光がふわふわと浮いていた。それが、声の主らしい。
「あなた達、何者? どうやってここへ入って来たの」
事情がわからないのはお互い様だが、かなり警戒している口調だ。
「どうやってって……呼んだのはそっちじゃないの?」
「知らない……知らないわっ」
その口調は、少々ヒステリックになっている。グレイヴァ達の登場が、相当な恐怖を駆り立てているのだろう。
「だけど……俺、滝の外であんたの声、聞いたぞ」
「私の声を? どうして滝の外なんかで……」
そう問われても、グレイヴァとしては困るのだが。
でも、間違いない。自分のとてもよく知っている人に似た声だから、はっきり覚えている。
その少しばかりヒステリックな口調も、声そのものも、石を拾ってから聞いた声と同じものだ。
「……。私、何て言ってた?」
こちらを試すつもりだろうか。問いかける声には、まだ疑いの色が濃かった。
でも、こちらは嘘をついていない。隠すようなことでもないので、グレイヴァは聞いた通りの言葉を口にする。
「もういや。誰か助けて。ここから出たい。……俺が聞いたのは、そんな言葉だった」
「そう……。私、何度もその言葉を叫んでたわ」
半ばあきらめたように、声は認めた。





