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山の中で

 季節が春なので、山の中へ入ると緑の匂いや花の匂いがずっと濃くなる。坂はなだらかで、歩くのにさして苦労はしない。

 山全体を遠くから見た時も、そんなに高くなかったから頂上へはすぐに行けるだろう、と二人は思っていた。

 だが、歩き続けるうちに、道がなくなってしまう。いきなりぷっつりと途切れた訳ではなく、それまで確かに人が踏みしめた道が続いていたのに、次第にその存在がはっきりしなくなってきた。

 草が生え、木の葉が落ち、道を隠してしまっているのだ。

「もう道なんてないぞ。どっちへ行けばいいんだ?」

 あっちもこっちもない。周囲はただ木が無秩序に生え、目を閉じて一回転させられたら、自分がどっちから来たのかすらもわからなくなりそうだ。

 道が消えてからはやたらと上がり下がりが多くなってきたし、小さな崖のようなものもあちこちに現れる。

「あのおじさんが言ったことは、正しかったようですね。上へ続く道が残っているかどうか、というのは」

 困ったことに、道は残っていなかった。三十年以上経っている、と言っていたから、それも仕方ないだろう。

「感心してる場合かよ。これからどう歩けばいいのか、わからないだろ」

 すっかり立ち往生してしまった。

「道がないなら、適当に進めば? どうせ地図も何もないんだし、ここに突っ立ってても頂上が向こうから来てくれるんじゃないもん」

「そりゃそうだけど」

 フィノに文句を言い掛けたグレイヴァの鼻に、水がかかった。

 最初一粒だったそれは、額に、頬に、頭や身体にどんどん落ちてくる。

「雨か。さっきまで晴れてたくせに」

「山の天気は変わりやすいですからね」

「やーん、毛がぬれちゃう」

 言ってる間に、雨はどんどん強くなる。雷の音が、遠くで聞こえた。

「これ以上、歩き回るのは危険ですね。雨やどりできるような場所を、どこか探しましょう」

 この際、方向なんてものは関係なく、雨をしのげそうな場所を求めて進む。

「ねぇ、アルテ。こっちよ。穴があるわ」

 身軽に飛び跳ねていたフィノが、振り返って呼び掛ける。二人がそちらへ行くと、熊でもいそうな大きい穴があった。

 二人が並んで入っても十分に幅はあり、足を伸ばして横たわっても、壁に届きそうにない程奥行きがありそうだ。

「先客はいないだろうな」

 うさぎやキツネの(たぐい)ならどうにか対処できるだろうが、肉食で牙を持つ獣だったりすると困る。

 アルテはどうか知らないが、グレイヴァは石を彫るためのノミくらいしか持っていない。それだって、剣のようにさっと出せる訳ではないし、ナイフ程度の小さなものだ。

「いやなら、そこで雨に打たれてれば?」

 フンと鼻をならして、フィノはさっさと中へ入る。人間より鼻がきくであろうフィノがこうして中へ入るのだから、熊や危険な獣はいないだろう。

「大丈夫ですよ、グレイヴァ。何もいないようですから」

 考えてみれば、アルテを危険にさらすようなことをフィノがするはずないのだ。なら、ここは安全だ、ということ。

 中は、外から見たよりもずっと広かった。高さはそんなにない。会釈するように腰を曲げないと入れないが、座ってしまえばそれも気にならなかった。

「しばらくやみそうにないわね」

 穴の入口で、空を見上げていたフィノがつぶやいた。

「やんだとしても、夕方ね。今日はもう、鼓動石を探すのは無理みたい」

「仕方ないですね、自然が相手では」

 暗くなりだしてから山で動き出すのは、危険だ。ただでさえ、道がなくなって自分達がどこの辺りにいるのかわからなくなっているのだ。

 うろうろと歩いてぬかるみに足をすべらせるより、ここで朝を待つ方がいい。

「ちぇっ、間の悪い時に降り出したもんだ」

「まぁまぁ。スムーズに頂上付近へ行けたとしても、すぐに石が見付かるとは限りませんし、見付かったとしても今日中に山を降りるのは無理でしょう。どちらにしろ、この山で一晩はすごさなければならないですから」

 確かに、今日山へ入ってその日のうちに山を出られる、とは考えていなかった。だから、空腹をしのげる程度の食料も持って来ている。

「なぁ、アルテ。えっと……あの、妖精の様子は変わりないよな?」

 言われてアルテは、ウインデが封じられた水晶玉を取り出した。中に閉じ込められたたんぽぽの妖精は、前に見た時と同じ格好でそこにいる。

「何も変化はないようですね」

 グレイヴァも水晶玉を覗き込み、その姿を確認する。

「……そっか」

「鼓動石の力が送り込まれなければ、彼女はこの水晶玉の中で眠り続けるだけです。時間が長く経てば、今よりさらに自分の力で誰かに助けを求めることはできなくなるでしょうが、これ以上悪くなることはないと思いますよ」

「気にするふりして、実は彼女の顔を見たかっただけじゃないの?」

「う、うるせ。俺は石の近くへ来たら、何か変化があるんじゃないかって思っただけだ」

 頬をわずかに染めながら、グレイヴァはフィノの言葉を否定する。

「へぇぇぇぇ。本当かしら」

 フィノはちょっぴり疑いのまなざし。と言うより、冷やかしの目付きだ。

「お前なぁ、どうしてそういう言い方するんだよ」

「そういうって、どういう?」

 フィノは意地悪に聞き返す。

「どういうって……その、俺が……妖精に気があるような言い方だよ」

 グレイヴァの口調は、ちょっと口ごもっている。

「あらぁ、違うの?」

「違うっ」

「そう? あたし、てーっきりそうだと思ってたわ。田舎には彼女みたいにかわいー子がいなくて、ううん、もしかしたら自分に近い歳の女の子がいなくて免疫がないもんだから、それがいきなりあの子を見ちゃって一目惚れでもしたんだ、とばっかり」

「お前なぁ……」

「お前お前って言わないでよ。アルテにだって、お前って言われたことないのに」

「うるせーよ。くだらない憶測なんか、するんじゃないっ」

「あら、そうなの? じゃあ聞くけど。グレイヴァの村に、グレイヴァと近い年齢の女の子はたくさんいた?」

「それは……いなかった」

 近い年齢の少年なら、たくさんいた。でも、なぜかオタウの村には、グレイヴァと年齢の近い女の子はいなかった。

 いつ嫁入りしてもおかしくない女性と、恋心を抱くにはちょっとまだ幼い、という少女ばかりだったのだ。

「ほぉら、やっぱり。免疫ないんじゃない。かわいー女の子、知らないんでしょ」

「う……見たことくらい、あるっ」

「じゃ、話をしたことはないでしょ」

「……」

 フィノの問いに、グレイヴァはとうとう答えられなくなった。

 返事としては「ない」のだが、素直に言うのは何だか悔しい。

「フィノ、もうそこまででいいでしょう? 昨夜も言ったじゃないですか。あまり人をからかうものじゃありませんよ」

 一方的にグレイヴァが攻撃されているので、アルテもようやく止めに入ってくれた。

「んじゃ、今日はここまでにしておいてあげる」

「へーへー、そりゃどうも」

「でも、言っておくけど、あたしの方がずーっときれいなんだから」

 ふふん、という表情で、フィノが胸を張る。

「はいはい、そうだろうよ。雄ねこがフィノを見たら、みんな一目惚れしちまうよな」

「あら、ねこだけじゃないわ。人間だって、あたしにみとれない男の方が少ないわよ」

 グレイヴァがどうにかしてくれ、という表情でアルテの方を向き、アルテは苦笑するだけだった。

☆☆☆

 雨はますます強くなってきたようだ。雷も、さっきより近付いてきている。稲妻が光ってすぐ、頭のすぐ上で地響きのような雷鳴。

 グレイヴァ達のいる穴の中は、土の壁はしっとりしているが雨漏りもなく、水が染み出してくることもない。

 山小屋のように、とはいかないが、それでも快適な空間だ。

「フィノ?」

 アルテの声でグレイヴァがそちらを見ると、フィノは小さく息をつきながら背中の方を気にしている様子だ。

 でも、いくらねこが柔軟な身体を持っていても、顔が届くのには限度がある。

「蚤でもいるのか?」

「失礼ね。そんなの、あたしの身体にはいないわよ」

 露骨に気分を害した声で、フィノはきっぱり否定する。

 アルテが、指で軽く地面を叩いた。ここに来い、と言うように。

 それに気付いたフィノはアルテの横へ来て、伏せの姿勢をとる。

 何をするのかと思って見ていたグレイヴァだが、アルテは自分の横に来た黒ねこの背中をたださすってやるだけだった。

「……何やってるんだ? 何かのまじない?」

「いえ、なでているだけです」

 それは、見ればわかる。

「それで何か起こる、とか?」

「フィノが眠ってしまうくらいですかね」

 確かに、フィノは幸せそうに目を閉じている。そのうち、本当に眠ってしまいそうだ。

「ほら、昨日話したでしょう。フィノは小さかった時にケガをしていた、と。雨が強くなると、古傷が気になるらしいんです。本当は傷もちゃんと治っていて、痕も残っていませんが、彼女の中ではあの時のことがトラウマのようになっている。でも、こうしてなでてあげると安心するんですよ」

 さっきまで偉そうに言っていたが、繊細な部分もちょっとはあるようだ。

「昨日、アルテはフィノは飼いねこじゃないって言ったろ。それじゃ、何なんだよ」

「そうですね、友人、と言うんでしょうか。人でないのに友人と言うのもおかしいですけれど、そんな感じですよ」

「ねこが友達……って、アルテってすっげー暗い奴?」

 グレイヴァがアルテに対して失礼なことを言うと、すぐに突っ掛かってくるフィノが何も言わない。どうやら、アルテになでられている間に本当に眠ったらしい。

「自分ではそう思ってはいませんが……。ちゃんと、人間の友人もいますよ」

 アルテは苦笑しつつ、一応付け加えておいた。

「ぼくは、他の人よりも動物を飼う、という観念が薄いみたいですね。だから、(はた)から見れば、ぼくが彼女の世話をしているのならぼくの飼いねこだと言われますが、ぼくの中ではそういうものではないんです。何だかんだと理屈っぽい、とよく言われました」

「うん、それを言った奴の気持ちがわかる」

 言っていることがわかるような、わからないような。

「ま、いつも一緒にいるってことだな」

 ややこしいことを考えるのが嫌いなグレイヴァは、簡単にそう結論を出した。

「友人って、魔法使いの友人?」

「ええ。魔法使いも、そうでない人もいます」

「……考えてみたら、アルテって俺の前ではまだ一度も魔法を使ってないよな? どんな魔法が使えるんだ」

 魔法という言葉は何度か出たが、実際にその魔法が行われたのは見ていない。

「この雨をやむようにするとか、できないのか?」

「グレイヴァ、魔法使いを過大評価しすぎですよ。魔法使いは神様ではありませんから、自然の力をねじ曲げるなんてできません。できても、あがきのようなものだけです」

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