魔法使いとねこ
ウインデの話によると、仲間達と野原で遊んでいた時、恐ろしい形相の魔物が現れた。
見た目は、よく覚えていない。怖い、という記憶しかないのだ。かろうじて思い出せるとすれば、黒かったということくらい。
魔物の一番近くにいた仲間が、捕まえられた。それを助けようとして彼女が逆に捕まってしまい、水晶玉に封じられてしまったのだ。
気付くと、自分達がいた野原の近くに建っている、人間の家の庭に転がっていた。身体は動かず、意識もはっきりしない。
かろうじて、誰かに助けを訴えかける力は残っていた。
だが、それもわずかなものだ。気を抜くと、すぐに途切れてしまう。
おまけに、彼女の声を受け取るには、普通の人間では力がなさすぎた。受け取っても、夢で片付けられてしまう。
魔法使いのように、魔力に反応できる力がなければ、妖精の声は届かない。
もう、ほとんどあきらめていた。
人間の夢の中へ入るにも、かなりの力を使う。意識を保つのがやっとだった。それすらも、怪しい時はよくある。
恐らく、もう一度夢へ入れば、力はなくなってしまうだろう。偶然か奇跡でも起きない限り、この水晶玉の中で眠り続けるだけになる。
そんなウインデの最後の力を受け取ったのが、アルテだったのだ。
☆☆☆
小さい頃、夜眠る前に母が枕元で読んでくれた昔話のようだ。
グレイヴァはあいづちを打つこともなく、アルテの話を聞いていた。
「ぼくが彼女を見付けてから、ほんのわずか力を取り戻せたようですが……最近はぼくの呼び掛けにもほとんど応えてくれません。早くここから解放してあげたいんです」
「……」
グレイヴァは、改めて水晶玉の中にいる妖精を見た。眠る少女の顔は、とてもかわいい。
「ひどいこと、しやがるんだな」
頼まれてもいないのに、グレイヴァはその少女を助けてあげたい気持ちになった。この透明な石の牢獄から解放してやりたい、と。
彼女が自由に空を飛ぶところを見たい、と思った。
「……信じてくれるんですね、ぼくの話を」
水晶玉を見詰めるグレイヴァを見て、アルテがつぶやいた。
「え? あ、お前……まさか嘘でした、なんて言うんじゃないだろうな」
「ち、違いますよ。ぼくが魔法使いだと言った時点で、これは魔法で細工されたものだと疑われるのではないか、と思っていたので」
言われて、そういうことをされる可能性もあり、と気付く。
だが、グレイヴァはそんなことなど、全く思い付きもしなかった。
「でも、あなたは信じてくれている。よかったです、ちゃんとお話しして。それに、あなたがこの水晶玉を見て叫んだりしないか、少し心配でした。ですが、余計なことだったようですね」
妖精の封じられた水晶玉を見せられて、グレイヴァがパニックになったりするのでは、とアルテは少し思っていたのだ。
その場で腰を抜かす程度ならいいが、いきなり走り出したりすれば。
人通りの多い所だと、道行く人に当たってしまったり、馬車などに当たりでもしたら大変なことになる。
だから、人通りの少ない所へ来て、何かあっても被害が少なくてすむようにしたのだ。
黒ねこが、二人の足下でニャーと鳴いた。
「あ、そうだ。忘れかけていました。あなたは鼓動石のある所を、ご存じなんですか?」
「え……だから、知ってるって言うか……」
グレイヴァの言葉は、歯切れが悪い。
ひょい、と黒ねこがアルテの肩へ飛び乗った。二つの緑色の瞳が、じっとグレイヴァを見据える。
あんた、人には話をさせといて、自分は黙ってるつもりなの……とでも言っているような気になってしまう。
成猫と言うには、やや小柄。おとなになるかならないかくらいだろうが、そのねこの方が、人間のアルテより余程迫力があった。
「確かな情報じゃないぞ」
「構いません。可能性のある所なら」
「以前、親父に聞いたことがあるんだ。ネイバーの街をずっと北へ進んだら、テアって山がある。この界隈だと、鼓動石はそこで掘られていたって」
石についてのことなら、グルドからたくさん話は聞いた。件の鼓動石は、テアの山でよく採れたという。
ただ、価値が低いのは昔も今と同じで、盛んに掘られていた訳ではなかったらしい。
グレイヴァ自身、鼓動石の現物は小さなかけらしか見たことがなかった。
「テアの山、ですか。そうか、人間に掘られる前の状態でも問題ないですね。むしろ、その方が」
「お、おい。その話って、かなり昔だって聞いたぞ。今テアの山へ行っても、石があるかどうかなんて、わからないからな」
「いいですよ。駄目なら、次をあたりますから」
どうやらアルテは、前向きな性格らしい。
「なぁ。鼓動石で、どうやってこの妖精を起こすんだ?」
グレイヴァの鼓動石についての知識は「濃い赤の石で、割れやすく、価値が低い」という程度。
でも、これは一般的にも言われていることだ。こんな石で、どうやって妖精を助けるのだろう。
「もちろん、魔法でですよ」
アルテは、当然のように答えた。
「魔法でどうやって?」
「……たぶん、石が導いてくれます」
頼りない返事だ。
でも、グレイヴァは興味をそそられた。
石と魔法の力で、どうやって妖精をこの水晶玉から助けるのか、見てみたい。
「なぁなぁ、俺も一緒に行っていいか?」
「え……一緒にって?」
急なグレイヴァの申し出に、アルテはきょとんとなる。肩に乗ったままの黒ねこも。
「俺、魔法も妖精も見るのは初めてだし、どうやってお前がこの妖精を解放するのか、見たいんだ」
「それは……まぁ、かまいませんが。あなたこそ、予定はいいんですか? 解放すると言っても、いつできるかなんてぼくにもわからないんですよ」
「何も問題ないよ。俺、天涯孤独の身なんだ。どこへ行こうが、誰も心配したり怒ったりすることはないから。それに、山に石がなくても、二人で探せば早く見付かるかも知れないしな」
ちょっとわくわくしてきた。
別に、どこかの石工に慌てて弟子入りする必要はないのだ。それまでに、ちょっと寄り道するのも悪くない。
「そうですね。一緒に探してくれる人がいれば、ぼくも心強いです」
アルテはそう言って、グレイヴァに手を差し出した。
☆☆☆
太陽が沈み、二人はネイバーの街の宿へ入った。
アルテの話ですっかり時間が経ってしまい、テアの山へ向かうには時間が遅い。
なので、街の中心から少し外れた所まで行って宿を取り、明日に備えることにしたのだ。
部屋へ入り、ベッドに腰掛けたアルテのひざにフィノがちょこんと乗る。
「なぁ。そいつ、アルテの飼いねこなのか? 旅にまで連れて来るなんて、ずいぶん気に入ってるんだな」
「いえ、飼いねこでは」
「失礼ね。あたしはペットなんかじゃないわよ」
アルテが否定するより早く、聞き覚えのない女性の声がした。
「誰だ、今の」
グレイヴァは目が点になりながら、かろうじて聞き返す。
「あたしよ、あたし。どこに目、つけてんの」
「こら、フィノ」
アルテが軽くいさめているのは、間違いなく彼のひざの上にいる黒ねこだった。
「魔法使いの飼うねこって……しゃべるのか?」
「まさか。普通はしゃべったりしませんよ。フィノ、いきなりしゃべり出したら、グレイヴァが驚くじゃないですか」
もう十分に驚いた。叫び出したりしないのが不思議だ。
「だぁってぇ、ほんのわずかな時間だろうけど、アルテと旅するんでしょ。だったら、早いうちにあたしのことを知っておいてもらわないと、あたしがアルテとおしゃべりできないのよ。そんなの、いやだもん」
甘ったれた少女のようなしゃべり方だ。
「そいつ……何なんだよ」
「えっとですね、まぁ、ご覧のように、しゃべるねこです。普段はしゃべる以外、これといって何もしませんから。あ、もちろん、人前にいる時はしゃべったりしません」
「そんなことになったら、みんな逃げるだろーが。あ、本なんかで見たことあるぞ。化けねことかいう奴だろ」
「ちょっとっ! もう一度化けねこなんて言ったら、引っかいてやるからねっ」
フィノが背中の毛を逆立て、飛び掛かる体勢に入る。
「……何もしないこと、ないじゃん」
「彼女の機嫌を損ねるようなことを言うからですよ」
「それだけじゃないわ。昼間、横で聞いてたら、アルテに偉そうな口のきき方してるんだもん」
「偉そうって……俺、そんなに偉そうにした覚えは」
「アルテに向かって、お前って言ったじゃない」
初対面の相手に向かって「お前」と言うのは、確かに偉そうに聞こえるかも知れない。
でも、そんなに毛を逆立ててまで怒ることだろうか。
年齢の近い相手なら、こういう言い方はおかしくない、とグレイヴァは思う。
逆に、アルテがグレイヴァを「あなた」と呼ぶ方が、余程変に感じる。
「年上に対しては、もう少し礼儀ってものを知りなさいよね。人間は、そういうのって大切にするんじゃないの」
「アルテが年上って……そんなに変わらないだろ」
「あんたなんかより、ずっと上よ」
「フィノ、あまりそういうことを大きな声で言われても……」
明らかに、アルテは困惑している。だが、フィノは構っちゃいない。
「ずっと上って、せいぜい二つか三つだろ」
「じゃあ、聞くけど。あんたはいくつなのよ」
どうしてねこにここまで偉そうに言われなきゃいけないんだ、と思いながら、グレイヴァは十五だと答えた。
「じゃあ、アルテはあんたの倍以上よ」
フィノは自慢げに言った。
「倍? って、つまり……さんじゅうっ?」
ベッドに座っていたグレイヴァは、ベッドのあちら側に転がり落ちた。
「ああっ、グレイヴァ。大丈夫ですか」
アルテが慌てて駆け寄る。
「放っときなさいよ」
ひざから降ろされ、フィノはフンと鼻をならす。
「今の……冗談だろ。アルテが俺の倍って」
「すみません、本当なんです」
起こされたグレイヴァは目を白黒させ、なぜかアルテがとても申し訳なさそうに答えた。
「先日、三十三になりました」
「魔法使いってのは、若返りの術でも使ってるのか」
「変身するならいざ知らず、若返りの術なんて魔性にだって簡単にできないわよ」
フィノが答える。アルテを見ると、彼もうなずいた。
「魔法使いは年をとるのが、つまり成長や老化が著しく遅くなる場合があるんです。魔法は自然の力を自分の身体を通し、別の形で外に放出するようなものですから。その自然の力が、何らかの作用を及ぼしているのだと思います」
「からかってる……んじゃないよな」
どう見ても、真面目そのもの、という顔のアルテ。とてもからかっているようには思えない。
「これでわかったでしょ。アルテはあんたよりずーっと偉いのよ」
そう言われても、やっぱり自分と近い年代に見える。
だが、彼の落ち着きは確かに十五、六の少年のものとは違うように感じた。
「いいですよ、ぼくは気にしていませんから。妙に改まってしゃべられたりすると、こちらも気を使ってしまいますからね」
「もう、アルテったら優しいんだか、人がよすぎるんだか」
フィノが軽くため息をつく。グレイヴァは、ねこのため息を初めて聞いた。