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パトルジャンとミュスカ

「お前が助けてくれたのか?」

「ああ。河原で倒れてたのを、たまたま見付けたんだ」

 服を脱がせたのは、彼らしい。

「そっか。放っておかれてたら、かなりまずいことになってたかも。助かったよ、ありがと。俺はグレイヴァ」

「オレはパトルジャン。グレイヴァ……お前、人間だよな?」

「? そうだけど」

 以前にも、こんなことを聞かれたような気がする。……気、だけだろうか。

 それにしても、そんなことを聞かれるような要素が、自分にあるのだろうか。グレイヴァとしては、自分が人間離れしている、とは思っていないのだが。

「オレさ、お前が目を覚ましたら、きっとここから叫び声が聞こえるだろうなって思ってたんだ。けど、ずっと静かだしさ。……驚かないのか?」

 くいっとあごでしゃくられ、グレイヴァは後ろを振り向く。目を覚まして頭を上げているキツネが、こちらを見ていた。

「普通、あんな大きなキツネを見たら、人間なら叫びそうなもんだと思ってたけど」

 絶対に、通常ではありえない大きさのキツネ。そのキツネに抱かれて、眠っていたのだ。

 目を覚ましてそのことを自覚すれば、驚くのが普通の反応のはず。これだけ大きければ、喰われるのでは、と考えても不思議ではない。

 穴の外にいたパトルジャンはそう思っていたから、声が聞こえたらすぐに中へ入るつもりでいたのだ。

 自分も人間とは少し違う姿だが、あのサイズのキツネよりかは話しやすいだろうから。

 なのに、いつまで経っても声は聞こえない。普通に歩くかすかな音だけがして、覗いてみればグレイヴァは起き上がっていた。

 逃げようとしていた様子もなく、驚いたのはパトルジャンの方だったのだ。

「フィノで見慣れてるからな」

 そう言ってからグレイヴァは、どうして「見慣れてるんだろう」と考え込む。

 フィノは小さなねこなのに、見慣れているからこんな大きなキツネを見ても平気、というのは、つじつまが合わないではないか。

「っつう……」

 考え込むと、頭が痛くなる。その痛みで、顔をしかめた。

「おい、大丈夫か? 川を流されている時に、頭でも打ったんじゃないのか?」

「……いや、頭を打ったのはもっと前」

「へ? 本当に打ってるのかよ。とにかく、座れ」

 パトルジャンに壁際へ行くように(うなが)され、座らされる。壁にもたれて無理に考えるのをやめると、頭痛はすぐに消えた。

「ミュスカ、ありがとな」

 パトルジャンはそう言いながら、キツネのそばへ行ってその首筋をなでた。

「ミュスカっていうのか、そのキツネ」

「ああ、オレのおふくろみたいなもんさ」

 ミュスカは、その鼻面を少年の顔にすりつける。

「……お前、ミュスカを見ても、本当に声一つあげなかったんだって?」

「ミュスカが言ってるのか?」

「ああ。目を覚ましても、落ち着いたもんだったって。恐怖で声も出ないのかって、最初はそう思ったみたいだぜ。けど、こそこそ逃げるでもなく、何でもない顔で起き出したって」

 眠っていると思っていたが、ミュスカはずっとグレイヴァを見ていたのだ。

「やっぱりお前、妙な奴だ」

「何だよ、そのやっぱりってのは」

 むっとするグレイヴァとは対照的に、パトルジャンはくすくすと笑った。

☆☆☆

 パトルジャンは、魔性だ。たぶん、キツネの魔獣の血が入っている。

 まだ子どもで、魔力もいわゆる半人前。だから、人間の姿になっても、耳が完全に隠せない。よく見れば、ふさふさしたしっぽもある。これも隠しきれないらしい。

 ここでは隠す必要もないので、無理に隠そうとしていないせいもある。

 何年前かわからない、夏頃。パトルジャンは、気が付くと森の中を彷徨(さまよ)っていたらしい。

 幼かった彼は、どうやら親に捨てられたらしかった。もしくは、別の獣にさらわれたか。

 親の顔を覚えていないから、生まれてそんなに間がなかったのかも知れない。

 たぶん、キツネの魔獣の血が……というのも、パトルジャン自身がよくわかっていないためだ。キツネに変わるから、そうなのだろう、と。

 パトルジャンは小さなキツネの姿で、森を歩き回っていた。

 どこをどう歩いたのか。空腹でふらふらしていたパトルジャンの目の前に、いきなり牙をむいた魔物が現れた。

 二足歩行のトカゲのような魔物で、小さな彼からすれば四肢のある大岩のようにも見える。

 必死で逃げたが、その小さな身体ではとても魔物から逃げ切れるものではない。そうでなくても、空腹でもう体力もなかった。

 大した距離を進まないうちに、踏み付けられてしまう。

「けっ。こんなちびでも、腹の足しくらいにはなるか」

 喰われる、と思った。逃げようと脚をばたつかせても、背中を踏みつけられているので宙をかくだけだ。

 何もしてないのに。気が付けば、目的地もなく歩いていただけ。何かを食べた覚えもない。ふらふら歩いて、誰かのエサになってしまっておしまい。どうしてこんなことになったのだろう。

 あまりに(むな)しすぎて、涙も出ない。

 魔物の牙が、生きることをあきらめたパトルジャンの首へ今にも食い込もうとした時。

 魔物の身体が、木の陰から飛び出したものに突き飛ばされた。

 背中を押さえ付けられていた脚がなくなり、身体が軽くなる。自由になったと思ったが、すぐに首筋をくわえられてそのままどこかへ連れて行かれた。

 誰かがあの魔物から自分(えもの)を横取りしただけか。

 連れて行かれながら、パトルジャンはそんなことを考えた。

 自分を喰う対象が変わっただけで、自分が置かれた状況にそう大差はないのだ、と。

 突き飛ばされた魔物は、後ろから追って来たようだ。気配でそうだとわかる。

 追いつかれそうだと悟った新手の誰かは、パトルジャンを木の根の陰に隠すと、追って来た魔物と対峙した。

 木の陰からそっと顔を出したパトルジャンは、自分を隠したのがメスのキツネだと知る。同時に、キツネは自分を助けようとしてくれているのだとも。

 見ていると、キツネはその身体を大きくし、追って来た魔物に襲いかかる。

 キツネより大きくなれないが、相手も対抗するべく、牙をむいた。

「どけっ、このクソギツネ」

「お黙り。お前みたいな薄汚い奴に、あの子は渡さないわっ」

 戦闘の合間に、そんな言葉のやりとりが聞き取れた。

 やがて、お互い傷付きながらも、一瞬の隙を狙ってキツネが魔物の首に噛み付いた。

 あんな小さなキツネのために命を落とすのはごめんだ、とばかりに、魔物は必死にキツネをふりほどく。未練のかけらもなく、一目散に逃げて行った。

「ぼうや、ケガはしてないかい?」

 陰で震えながら見ていたパトルジャンに、傷付きながらも優しく声をかけてくれたメスのキツネ。

 それが、ミュスカだった。

 ミュスカは、元は普通のキツネだったのだが、長生きしすぎることで魔力を得たらしい。化けねこならぬ、化けギツネになったのだ。

 もっとも、これという魔法はできず、さっきのように身体の大きさを変えられる程度だ。

 ミュスカは昔、自分の子どもを魔物に喰われたことがある。それがパトルジャンくらいの年頃だった。親離れにはまだ間がある、かわいい盛りの子ども達だ。

 当時は普通のキツネだったミュスカでは、魔物にかなわない。三匹いた子ども達を、誰も助けることはできなかった。

 この日はたまたま、その場を通りかかっただけ。だが、気が付けばパトルジャンを助け出していた。

 自分の子と重なって、放っておけなかったのだ。

 助けてもらい、温めてもらって離れられるはずもない。本当の親子のようになるのに、何の抵抗もなかった。

 今は別々に暮らしてはいるが、パトルジャンがミュスカの所へ来るのはほぼ毎日。

 人間の子どもが、実家へ帰るようなもの。普通の獣ならありえないだろうが、どちらも普通の獣ではないので成り立つ関係なのだろう。

 今日もパトルジャンは、いい獲物が手に入ったのでミュスカの所へ行く途中だった。

 走ってる途中でのどが渇き、川へと寄り道する。その時、河原で見慣れない何かが倒れているのを見付けた。

 それが、グレイヴァだったのだ。

 ここは、人間がそうそう簡単に入って来られるような場所ではない。気を失っているようだし、それなら自分の姿は見られていないはず。

 厄介なことはゴメンだ。関わらない方がいい。

 そうは思ったのだが、滅多に見ることのない人間。どうしても好奇心の方が勝っていた。

 そうっと近付いてみる。足音をたてないようにはしているが、全くの無音という訳ではない。

 だが、人間が目を覚ます様子はなかった。パトルジャンが顔を覗き込んでいても、何の気配も感じていないようだ。

 人間に深入りしても、あまりいいことはない。

 いつだったか、ミュスカがそんなことを言っていたのを思い出す。

 自分達が暮らしている森は、人間が滅多に入れない所だから安全だが、他の森では仲間達は人間に狩られるのだ、と教えられた。

 食糧として、暖をとる毛皮を目的として。ひどい時は、ただ殺しを楽しみとして。

 この森には魔物がいるので、狩られる危険はある。自分より強い獣がいれば、やはり危険だ。

 それでも、自然界では弱ければ死ぬ、というのは当たり前のこと。

 だが、人間は汚い罠を張ることがあるから、そういう点では魔物よりも(たち)が悪い。

 そんなことを聞かされていたパトルジャンが、人間に好印象を持つはずもないのだが、なぜか目の前にいる人間を放っておく気になれなかった。

 ずぶ濡れの格好からして、川に落ちたのだな、くらいはわかる。だが、それくらいのことで助けようとは思わない……はずなのに、どうしてだかこの場を離れられない。

 自分でも理由がわからなかった。何が自分の足をここに留めているのか。

 その場でしばらく悩んでいたパトルジャンだったが、結局自分の気持ちを解明できないまま、グレイヴァをミュスカの所へ連れて行った。

 放っておけない、と感じるものの、何をどうすればいいのかわからなかったからだ。

 ミュスカはパトルジャンが連れて来た人間を見て、何か言おうとしたが、(とが)めるような言葉は口にしなかった。とりあえず、濡れた服を脱がせてやるように指示する。

 ミュスカもパトルジャンと同じように、なぜか放っておく気になれなかったのだ。

 人間に変化(へんげ)したパトルジャンの背格好に、グレイヴァが似ていたせいもあるのだろう。

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