泉の中の月
魔力が高ければ、人間の姿になれる、と聞いた。ブルークだって人間の姿だし、これは答えても大丈夫だろう、と判断して肯定しておく。
「やっぱりな。で? 人間になったフィノは、どんな感じなんだ? 美人なのは当然として」
「どんなって言われても」
こういう質問には、どう答えればいいのだろう。女性の容姿なんて、グレイヴァには表現できない。
「髪型はこんなふう、とか」
「えっと……少しくせのある黒髪で、胸元……もう少し長いかな。見た感じ、俺より少し年上くらいの顔付きで……えーと、性格は全然変わらないな。指があるだけ、厄介だ」
ちょっと口答えすると、その手がグレイヴァの頬へ伸びてきて引っ張る。ねこの時はねこパンチやキックなのだが、人間になるとそれにヘッドロックなどが加わるため、近付くとろくなことがない。
悔しいが、拘束されると動けなくなる。普通の女性ではないから、とんでもなく剛力。グレイヴァが腕力で(腕力だけではないが)勝てることは、まずない。
「目は?」
「目?」
「あのエメラルドのような、美しい緑の瞳。人間の姿でも、やっぱりきらめいているんだろ」
「んー、きらめいてるのかな。ちょっとつり目で、性格が悪そうに見えるけど」
フィノがいれば、間違いなくねこキックで攻撃されているであろう発言。
「見てみたいな。人間の姿でも、魅力的なのは健在のはずだし」
グレイヴァがどう話そうと、ブルークはフィノの美しさを信じて疑わない。美女と言ってもいいのだろうが、きっとブルークの中では二倍増しになっているだろう。
「あの……さ、ブルーク。一応、言っとくけど、フィノはアルテ一筋だぜ」
盛り上がってるのに水をさすようで悪いと思ったが、後でショックを受けるよりはいい。
「あら、フィノって、魔法使いが好きだったの? そっか、仲よさそうだったもんね」
「魔性が人間にひかれることはある。俺のじいさんが実際そうだったしな。それはいいとして……で、アルテの方はどうなんだ? あいつは、フィノを受け入れてるのか?」
「さぁな。仲はいいけど。そんなややこしいこと、俺にはわからない」
他者の恋愛のことなど、グレイヴァに聞く方が間違っているのである。興味のある年頃だが、詳しいかどうかは別の話だ。
「フィノがケガしてた時にアルテが助けてやって、それからの付き合いらしいぞ。たぶん、二十年以上かな」
「ほう……命の恩人ってところか。どこまでが恋愛感情か、そこが問題だな」
ライバルがいると聞いても、ブルークは全くくじける様子はなかった。
「ん? 二十年以上? アルテはあのなりで、そんな歳なのか?」
「まあ……そうみたいだ」
余計なことを言ったかな、と反省。
「ああ、魔法使いでたまにいる、若作りのタイプか」
若作りとは違うのだが、ブルークの言いたいことは何となくわかる気がした。
魔法を使う存在なら、歳を取るのが遅くなる魔法使いがいる、ということは知っているのだろう。
「……あ、ねぇねぇ。グレイヴァ、ブルーク、あそこで何か光ってるわ」
グレイヴァの肩にいるシャールメイが、進行方向に光る何かを発見した。
「何だ、あれ。炎の光……じゃないよな」
まるで曇り空の下を歩いているようなこの空間で、それはトンネルの出口の明かりのようにも思われる。
「罠でなければいいが……行ってみるか」
「ああ。ずっと同じ光景を見てるよりいいよな」
話はすぐにまとまり、そちらへと向かう。遠くに見えたように思えた割に、歩くとすぐにその光の近くへ来られた。
光の元は、小さな泉だ。グレイヴァが少しばかり勢いをつければ、軽々と飛び越えられそうな幅しかなかった。
その水面が光っていたようなのだが、考えてみれば水そのものが光るはずはない。普通であれば、太陽などの光を反射するものである。
空を改めて見上げてみるが、光の根源は見当たらない。
もっとも、ここは普通の空間ではないのだから……何でもあり、なのだろう。
「砂漠の中の、オアシスみたいなものだな」
「本物……みたいだな。すごく冷たいし、ちゃんと感覚もある」
グレイヴァは、泉に手をひたした。ずっと歩くばかりだったので、違う刺激が心地いい。
「グレイヴァ、お前……結構大胆なことする奴なんだな」
「え?」
ブルークの言葉に、グレイヴァは首をかしげた。そんなすごいことをしたつもりはない。
「こんな異常な空間だぞ。泉ったって、どこまでまともなものかなんて、見ただけじゃわからない。なのに、何の迷いもなく、手なんか突っ込みやがって」
フィノがいれば、大胆じゃなくバカなのよ、と言うはず。
「……そんなこと、全然考えてなかった。俺、もしかしてすっげーやばいこと、したとか?」
グレイヴァとしては、水は冷たいのかな、と思って手を入れた程度のことだったのだが……。
考えてみれば、ここは異空間。もっと安全確認をするべきなのだ。
「んー……何もおかしな変化がないなら、いいんじゃないか? それはともかくとして」
地下から水が湧き出しているのか、水面はかすかに揺れている。だが、見ている限り、あふれそうにはならない。
「ねぇ、水面に月が映ってるわ」
シャールメイに言われ、グレイヴァとブルークは水面を注意しながら見た。
すると、確かに水面に月の姿。見上げてももやがかかったような空しかないのに、水面には青白い満月が浮かんでいるのだ。
どうやら、水面が光る理由はこの月らしい。
「月が映ってるんじゃなく、泉の中にそれっぽいのがあるんじゃないのか?」
グレイヴァが泉の中を覗き込む。だが、月が沈んでいるのかは、こうして見ただけでは何とも言えない。
「あれ……? この泉の中、花が咲いてるぞ。水の中まで花畑か。花好きな空間だな」
薄い黄色の花が何本も、水の中でゆらゆらしている。一枚の花びらが筒を作るような形で、花になっているのだ。
この状態で開いているのか、まだ開く途中なのか。微妙なところだ。茎は細長く、葉はついていない。
「これって、本物の花かな。光の屈折で、そう見えてるだけとか」
どうせ、さっきも考えなしにやったのだ。今更臆病になるのもおかしいとばかりに、グレイヴァはまた泉の中へ手を入れた。
花が実物かどうかを知りたかったのだ。
「グレイヴァ、平気?」
「あまり無茶するなよ」
「うん、何もないみたいだ。……この花、本物だぞ」
水とは違う感触が、確かにある。見えている花は、本物なのだ。水の中で、生きている。
だが、月には触れられないところをみると、やはり空に浮かぶ月が映っているのか。グレイヴァ達の目には見えなくても、泉は映すことができるのだろう。
「こうしてゆらめく姿を見ていると、はかなげだな」
「あ、あれ……おい、何か出て来たっ」
花に触れているグレイヴァの手に、花から何かがこぼれ落ちた。花びらと同じ薄い黄色で、グレイヴァの手にすっぽりとおさまる大きさだ。
泉から手を出しても、それが消えることはなかった。
「グレイヴァ、それ……月待石よ」
「つきまち……ええ、これがっ?」
シャールメイの言葉に、グレイヴァはもう少しで泉に石を落としそうになった。
「これがそうだって、わかるのか?」
「うん。見たことはないけど、その石がそうだって感じるの」
妖精にとって必要な石だから、シャールメイにはわかるのだ。
「月の光を受けた花の中にある。なるほど……条件にあてはまってるな」
横でブルークが納得している。
場所が泉の中だろうと外だろうと、関係ない。花があって、その花は月の光を受けていた。そして、そこから石は転がり出たのだ。妖精の言葉は間違ってない。
環境は違うが、こうやって花の中から石が出て来たことがある。グレイヴァは一度経験しているから、こういうのもありだと思えた。
「見付かったのはいいが、元の空間へ戻った時に消えたりしないだろうな」
「怖いこと言うなよ、ブルーク。偶然とは言え、やっと石が見付かったのに」
確かに、ブルークの言葉も考えられなくはない。だが、そういうことは考えたくなかった。
「悪い悪い。見付かった場所がここじゃなかったら、素直に喜ぶところなんだけどな」
不安はグレイヴァにもある。それでも、消えずにいてほしい、と願わずにはいられない。
「きっと大丈夫よ。消えたりなんてしな……ああ、泉が消えてっちゃうわ」
石は消えていないが、今まで足下にあった泉が徐々に消えつつある。
「どういうことだ、これは……。おい、グレイヴァ。石の方はどうだ」
「ああ、ちゃんとある。消えそうな気配はないけど」
石の存在を確認している間に、泉は完全になくなってしまった。
「夢を見てた……んじゃないよな。石はちゃんと、俺の手にあるし」
泉の存在していた場所は、周囲と同じ、花畑の一部になってしまった。もう、どこに泉があったのかわからない。
「うん。本物よ、この石。守水石とは違うけど、温かい波動を感じるわ」
本当の力の根源になる石に触れ、シャールメイの顔がずっと穏やかになった。心身が満たされているのだろう。
「月の妖精がそう言うなら、信用できるか。何だかわからないうちに、とりあえず石は手に入った訳だよな」
状況は把握しきれないが、結果オーライだ。
「だったら、次は早く出口を探そうぜ。三日月池へ戻らないとな」
力を失った妖精は、シャールメイだけではない。池にはこの石を待つ妖精が、たくさんいるのだ。
とは言うものの、相変わらず見渡す限りの花畑。出口のようなものはやはり見当たらない。
とにかく、グレイヴァ達は出口を求めて、再び適当に歩き始めた。