老女
グレイヴァは夢の中にいた。
目の前に夢の妖精アージュがいるから、自分が夢を見ていることを自覚できる。
もっとも、他の夢と同じように、いつの間に夢を見始めていつ終わったのか、というのはいつもあいまいだ。
だから、今も気が付けばアージュがいた、という感じ。
「何だよ、今回はずいぶん早いな。いつもは、もう少し間があくのに」
休息期間のつもりなのか、単に決まらないだけなのか。一つの依頼が片付くと、数日の間があく。
なのに、今日やっと生葉石が見付かって何とか解決したばかりなのに、アージュが現れたのだ。
「ううん、今日は、次の行き先を言いに来たんじゃないの。グレイヴァに会いたいって方がいらしてね、連れに来たのよ」
「会いたいって、夢の妖精?」
「ううん、そうじゃないの。とにかく、こっちへ来て」
グレイヴァは、アージュに手を引かれて歩いて行く。
いつもなら、夢を見る前の現実と同じ場所がよく現れるのだが、今日は違った。
村やご神木のある丘、泉のある山などではなく、今いるのは館のような所だ。
アージュは扉を開け、それまでいた部屋を出て廊下を歩く。手を引かれているグレイヴァも一緒に歩いて。
そんなに大きな館ではなく、少し歩いていくつかの扉を通り過ぎてから、アージュはある扉の前で止まった。
「なぁ、アージュ。会いたいって、誰なんだよ。俺の知ってる妖精?」
「うーん、グレイヴァはわからないかも。その姿で会ってないしね」
アージュは言葉を濁し、誰が待っているのか教えてくれなかった。
いつもとは勝手が違うが、アージュがグレイヴァを危険にさらすようなことはしないはず。もし、このアージュが夢魔だったとしても、それなら本物のアージュが助けに来てくれるはずだ。この前のように。
だから、不安はないが……疑問がずっと頭の中を行き交っていた。
アージュが扉をノックすると、中から返事が聞こえ、入るように言う。アージュはノブを回し、静かに扉を開けた。
部屋の中へ入る時も、アージュはグレイヴァの手を離さない。そのまま、一緒に入る。
入った部屋を見回すと、全体が緑の色彩で統一されていた。床や壁、カーテンやソファのクッションまで。
濃淡の差はあるが、みんな優しい緑だ。人工的な空間でありながら、森の中にいる気分になる。
扉から真っ直ぐ行った所に大きな窓があり、その脇に老女がひとり、座っていた。
「グレイヴァを連れて来ました」
「ああ、ありがとう、アージュ」
老女はにっこりと笑い、夢の妖精に礼を言った。
その姿をじっと見るグレイヴァだが、どこの誰なのか、さっぱりわからない。アージュにわからないかも、と言われたが、本当にわからなかった。
その姿で会ってない、とも言われたが、それはつまり、他の姿では会っている、ということになる。
だが、今まで老女になりえる誰かに、どこかで会っただろうか。ただでさえ、夢の中では現実の記憶があいまいになりやすいから、なかなか思い浮かばない。
アージュに頼むくらいなのだから、きっと人間ではないとして、それなら誰なのだろう。
考えても、グレイヴァの頭の中に該当しそうな妖精は出て来ない。
「こちらへ来てちょうだい、グレイヴァ」
名前を呼ばれた。こちらのことを知っている、というのは間違いないようだ。
アージュに背中をとんと押されたこともあって、グレイヴァは老女のそばへと歩いた。
近くまできてその顔を見ても、やっぱり誰かは思い出せない。
そばで見る老女は、最初に思ったよりもそんなに老けた印象ではなかった。
昔はきれいだったのであろう、濃い茶色の髪。所々に白いものが混じったそれを、背中でゆったりとまとめている。
少し上がり気味の明るい茶色の目は、きっと若い時は強い光を持っていたんだろう、と思われた。今はとても穏やかな表情で、グレイヴァを映している。
少し覇気がないような気もしたが、老人ならこんなものかな、と思い直す。
「ごめんなさいね。私の方から行けばいいのでしょうけれど、私はもう動けないの。それで、アージュにお願いして、ここまであなたを連れて来てもらったの。ありがとう、来てくれて」
「いや……その、別に断る理由もないし……」
上品な口調で礼を言われ、グレイヴァは訳もなく戸惑う。
見た目や事情はともかく、彼女は誰なんだろう。そちらの方が気になる。
「もう少しこちらへ……。あなたの顔をよく見せて」
言われてグレイヴァは何気なく振り返ったが、アージュはいつの間にかいなくなっていた。
この部屋には、彼女とグレイヴァしかいないのだ。
でも、まさかアージュが危険な所に放って行くはずはないし、グレイヴァは度胸を決めて老女のすぐそばまで寄った。
相手は椅子に座っているし、顔を見せてくれと言われたので、グレイヴァは老女の横にひざまづいた。こうした方がいいような気がして。
「いい瞳をしてるわね。やっぱり、もう一度あなたに会っておいて、よかったわ」
グレイヴァの頬に手をそえ、顔を覗き込んだ老女はそう言って笑った。
「もう一度……?」
聞き返しはしたが、グレイヴァはもうどうでもよくなってきた。
最初は「誰かわからない」ということで多少の緊張はしていたのだが、彼女のそばにいると、なぜか妙に安心できるのだ。
グレイヴァは、祖父母に会ったことがない。
母ペールの両親は、娘が結婚してすぐに亡くなった。
父グルドの両親は、グレイヴァが生まれてしばらくしてから他界した。
だから、グレイヴァは生きて、もしくは物心ついてから祖父母に会う、ということができなかったのだ。
そのせいもあるのだろうか。もし祖母が生きていればこんな感じだろうか、という気持ちになる。
「グレイヴァ。あなたの言葉、嬉しかったわ。私達にすれば当たり前のことだけど、それは子ども達でさえ口にしなかった言葉でした。それをあなたは言ってくれたわ。それを聞いただけで、私は生きてきた甲斐があった、と思えました。それを伝えておきたかったの」
「俺の……言葉? どんなこと言った? 何を話した時に?」
聞いても、答えは返って来ない。老女は優しく笑うだけだ。
「グレイヴァ、あなたは前へ進みなさい」
意味不明の言葉に、グレイヴァは首をかしげる。
「私のことは、気にしなくていいのです。あなたには受け入れられなくても、私は私の道を歩くだけですから。だから、あなたはあなたの道を、前を向いて歩いて行きなさい」
何と答えていいかわからず、グレイヴァはただ老女の顔を見詰める。
「時には、立ち止まることも必要になるでしょう。でも、あなたの道は、あなただけの道です」
頬を、髪をなでられ……気が付くと、目の前で焚き火の火がちろちろと燃えていた。