生葉石と魔物
後ろで控えているアルテやフィノには、今の様子がちゃんと見えていない。
慌てるグレイヴァの手の平で、緑の花が転がる。
まさか花そのものが探していた石なのか、と思いながら見ているうちに、その花びらが砂のように消え始めた。
風もないのにチリのように飛ばされ、後にはなぜか花よりも大きな緑の石が残る。転がり落ちた花の、たぶん五倍以上はありそうな大きさだ。
「おーい、うそだろ。どうして花よりもデカい石が出て来るんだよ」
アルテ達の方を向き、首をかしげながら自分の手の平にある石を見せる。握りやすいサイズではあるが、なぜこんなことになるのだろう。
「へぇ、なかなかなきれいな石ね。こんな濃い緑の石って、初めて見るわ」
「これが生葉石ですか。翡翠みたいですね」
「いや、あの、そうじゃなくてさ……」
グレイヴァは言い掛けて、もういいやと思った。さっきの様子をちゃんと見ていなければ、妙に思うことなどないのだろう。
「じゃあ、これはもらって行っていいんだよな?」
「ええ。この石を守っていた緑が、自ら差し出してくれたものですからね」
これで、石は手に入った。
マグノの所へ戻り、彼がこの石で力を取り戻せば、今回の件はそこでひとまず終了となる。魔物がまたマグノのそばへ現れないうちに、早く戻った方がいいだろう。
「あの花……もうあれで終わりなのかな。花の部分が全部取れたけど」
グレイヴァが言いながら振り返ると、もうそこに花はなかった。
石に気を取られて目を離している間に、地面に伏せていた緑は再び真っ直ぐになって、花を隠してしまっていたのだ。
あの花がどこにあったのか、もうわからない。いや、茎しか残っていなかったから、見付けるなんてまず不可能。
「役目が終わって、休んでるんじゃない?」
石をグレイヴァに渡して、あの緑に囲まれてのんびりしているのだろうか。次に備えて、新しい花をこれから育てるのだろう。
「じゃあ、戻りましょうか。あ、その前に、薬草を探さないといけませんね」
「あ、まだそれがあったっけ。すっかり忘れてた」
言われるまで、グレイヴァは薬草のことなんか頭から抜けていた。
「グレイヴァ、あんたねぇ……。自分のことでしょう。ちゃんと覚えておきなさいよね」
「泉の近くまで行けば、思い出してたって。今はこの石に集中してたから」
「ふぅーん。どうだか。それだって怪しいもんよ」
☆☆☆
グレイヴァ達は、泉のそばまで戻って来た。今はさっきのように、一休みしている人の姿もない。
「ねぇ、あれじゃないの? 赤いのが見えたから」
地面に一番近いフィノの目が、薬草らしきものを見付けた。
「目立つ色で助かったな。薬草探しにまで時間かけられないし」
マグノは、泉のふちに薄い赤の葉が生えている、と教えてくれた。
小指の爪くらいのサイズだと言っていたが、周りが緑だの土色だのしかなければ、多少薄い色でも赤なら目立って探しやすくなる。さっきの生葉石よりはずっと楽というものだ。
泉の周りには、緑が小さなかたまりを作って点在している。足首くらいの高さしかない、名前も知らない植物の群れだ。
そんな緑のかたまりの一つに、まるで花のように赤が点々と混じっているものがあった。赤と言うより、桃色をやや濃くしたような色だ。
花のように見えたそれは、しずく形に近い丸い葉だった。見た目の表面は、つるんとした感じだ。マグノが話していた通り、本当に小指の爪くらいの大きさしかない。
「小さい葉ですね。見たところ、何の魔力も感じませんが……。マグノは三枚もあれば間に合う、と話していましたね。じゃあ、必要な分だけもらいましょうか」
こんな小さな葉でグレイヴァの傷が治るとしたら、すごい薬草だ。
他を見回しても、この赤い葉以外にそれらしいものはない。色や大きさから考えて、これに間違いないだろう。
「待って、アルテ」
フィノが急に緊張した声で、葉を摘もうと手を伸ばしたアルテの動きを止めた。
最初は「え?」という顔をしたアルテだが、すぐにその理由を悟り、真剣な表情になる。
「こんな所にまで来るなんて、しつこいですね」
「しつこいって……魔物が来たのか?」
気配を読めないグレイヴァだが、返事を聞くまでに答えは現れた。
上空に魔物が姿を現したのだ。
しかも、マグノの所で見た魔物と全く同じ顔をしている。
「あいつ、アルテとフィノが消したんじゃ……」
「同族ってことでしょ。消された奴の仲間よ」
もっとも、あいつらに仲間意識があるのかどうかは知らないけどね、と付け加える。
とにかく、そこに現れたのは、人間に近い形をした黒いもやの身体の魔物だった。
言葉を発する様子がないので、何をするために現れたのかわからない。
仲間を消された報復か、通りすがりか、妖精を助けようとする邪魔者を消すためか。
何にしろ、とてもじゃないが友好的な雰囲気は見当たらなかった。
裂けた口が笑っているように見えるが、本当に笑っている訳じゃない。その表情は、かたまったままだ。
それがなおさら、不気味に見える。
「もしかして……生葉石が狙いかしら。アルテ、ちょっとまずいわよ」
宙に浮かぶ魔物が、いきなり分裂を始めたのだ。一体で現れた魔物が、見ている間に何体も現れる。
分身の術で数を増やした魔物は、そんなに高くはない位置でぐるりとグレイヴァ達を取り囲んだ。
一体が構えると、他も全て同じように構える。腕を振ると、やはり同じように振った。
途端に、四方から冷気が襲いかかる。分身でも、力は本体と変わらない。
アルテは、魔物が腕を振る直前に結界を張っていた。恐らく、同じ魔法を使うだろうと見越して。
……ドクン……
「うわああっ!」
魔物達の力はアルテの結界に阻まれ、味方の誰にもその効力は及ばない。
だが、グレイヴァだけは。
魔法の効力ではなく、魔の気に襲われた。
一体だけの時でも苦しかったのに、それが十体を下らない魔物が同時に同じ魔法を使ったのだ。無事では済まない。
心臓をえぐられるかのような痛みに、グレイヴァはがまんできずに声を上げた。胸を押さえながら、その場にうずくまる。
「グレイヴァ! こんな所で死ぬんじゃないわよっ」
うずくまるグレイヴァに、フィノが駆け寄った。
「フィノ、グレイヴァを頼みます」
「え……? わかったわ」
グレイヴァがこんな状態では、放っておいたら魔物に襲われてもまともな防御すらできない。どちらかがかばわなければ、すぐ餌食にされてしまう。
グレイヴァは生葉石を持っているから、それを奪われることもありえた。
今は一番そばにいるフィノがグレイヴァを守り、アルテが攻撃してゆくしかない。
早くかたをつけなければ。さっきのように、氷結の魔法を同時に使われたりしたら、グレイヴァの心臓が保たなくなってしまう。
フィノは人間に姿を変え、うずくまるグレイヴァを抱え込むようにしてしゃがむと、周囲にいつもより強い結界を張った。
魔法攻撃は防げても、術から漂う魔の空気までは防げない。
それはわかっているが、まずは物理的な攻撃を確実に防がなくては。相手は数に物を言わせ、どんな攻撃をするかわからないのだ。
「グレイヴァ、生きてるわよね? 簡単に死ぬんじゃないわよっ。相手は低級の魔物なんだからね。こんな奴らにやられたら、恥だと思いなさい。しっかり気を持つのよ」
フィノは言いながらグレイヴァの顔を見るが、真っ青になって冷や汗が出ている。
この様子だと、どこまで自分の声を聞いたか、怪しいものだ。数が多い分、魔の気配が濃くなっていたのだろう。
一体が、グレイヴァへ向かって急降下してくる。本体と同じ動きだけしかしないのかと思ったが、別行動も可能らしい。さらにやっかいだ。
フィノは爪をたて、その魔物をひっかいた。仔ねこがいたずらでひっかくのとは訳が違う。
魔物はその攻撃で、あっけなく霧散した。
分裂した魔物は、二手に別れる。一方はアルテの方を、一方はグレイヴァとフィノの方を囲んだ。
フィノが爪で攻撃している間に、アルテの方でも強い風を起こして魔物を吹き飛ばす。もやのような身体はその風で形を保っていられず、かき消された。
だが、いくら彼らが攻撃しても、魔物はすぐに分裂を繰り返し、また増えてしまう。
これでは、いつまで経ってもキリがない。本体を倒さない限り、堂々巡りだ。
こちらも攻撃するが、向こうも攻撃してくる。それがわざとなのか、それしか使えないのか、全て氷結の魔法なのだ。
そうなれば、当然グレイヴァの胸の痛みは増してくる。
だが、アルテやフィノがいくら魔法の腕がよくても、気配までは消し切れない。風で周辺の空気を吹き飛ばしても、魔の気を全て吹き飛ばすことは無理だ。
……ドクン……ドクン……
「う……くっ……」
フィノにかばわれながら、グレイヴァが苦しそうにうめく。
魔物が魔法を使う度に、傷に手を突っ込まれて広げられているような、身体を引き裂かれるような痛みが走るのだ。
マグノが見付けた心臓の傷に、魔物の力は確かに影響を及ぼしている。
フィノはグレイヴァから離れる訳にはいかないから、自由に動けない。思うように攻撃ができない。
アルテは次々に魔物を蹴散らしてゆくが、消された直後に新手が現れるので、結果として事態は進展していなかった。
このままでは、グレイヴァの心臓に限界がきてしまう。何とかしなければ……。
そうは思っても、こんな状態ではいい案などなかなか浮かばない。
それに、ずっと魔法を使い続けていれば、アルテだって体力を消耗する。魔力も無限ではないのだ。
ちくしょう。よってたかって、氷結の魔法ばっかり使いやがって……。
本当に心臓をえぐられているんじゃないか、と思う痛みに耐えながら、一方でグレイヴァは動けない自分自身にいらだってもいた。
こういう時に応戦できるよう、魔法を習ったはずなのに。いざという時にこんな状態じゃ、意味がないじゃないか。
だが、どんなに悔しがっても、呼吸すら苦しいこんな身体では、とても反撃などできない。
完全に地面に倒れないのは、フィノが支えてくれているからだ。自分だけでは、もうまともに立つことすらも難しい。地面に伏してしまうのも、時間の問題だ。
魔物はどこまでそれをわかっているのか、次々に攻撃を繰り返す。
本体は、最初に現れた一体のはず。それを見付けない限り、先に倒れるのはこちらだ。
そうとわかっていても、どれが本体か区別がつけられない。
次第にアルテに疲労の、フィノに焦りの色が出て来た。