動けないグレイヴァ
「え……」
グレイヴァは拍子抜けしたような顔で、精霊と自分の手の中の水晶玉を交互に見る。
「それって……それじゃ、彼女は俺のことがわかってるのか? けど、アルテと違って、俺はウインデと話をしたことなんてないんだぞ」
ウインデは、夢を通じてアルテに話し掛けた。アルテが水晶玉を見付けてからは、幻の姿ではあるが直接話をしている。
でも、グレイヴァは何も話していない。グレイヴァと少し会う前から、アルテも妖精と会話を交わすことはなかった。ウインデがあまり反応しなくなっていたし、弱っているとわかっているから、休ませるつもりで会話はやめておいたのだ。
眠っているはずの妖精は、それでもグレイヴァの存在を知っていた。
「彼女の中に、心が流れ込んでいる。強い想いが。だから、彼女は誰が自分を守ろうとしてくれているのかを、ちゃんと知っている」
精霊の言葉に、グレイヴァの頬の色が変わる。まさか自分の存在を妖精に知られている、とは思っていなかったのだ。
「よかったじゃない、彼女に知ってもらえてるなんて」
本気かからかっているのか、フィノが言った。
「だ、だけど、あんたは俺のことを疑ってたろ」
「その声を聞かなければ、放っておいた」
「ひっくり返った俺を、眺めてただけじゃないか」
「グレイヴァ、そんなことはありませんよ。ちゃんと額の手当てがされてますから」
「額って……これ?」
さっき痛みで思わず手をやった額の傷。緑の汁が付いたのは、転がってくる時にどこかで付けたものだと思っていたが、薬草で手当てされたものだったのだ。
他の傷の手当てをしているところでグレイヴァが目を覚まし、アルテが現れた、という流れである。
「そ、そうか。ありがとう」
手当ての礼を、言っておく。赤い瞳には、何の表情も浮かばない。
「あれ……? なあ、昨日、俺達のそばを通り掛からなかったか?」
火を焚くための小枝を集めていた時。グレイヴァは人の形をした、白と赤の人影のようなものを見た。
その色や形が、目の前の精霊にとても似ていたような。
「……珍しい気配がしたので、少し歩き回った」
「やっぱそうか。だから、すぐに俺のことも見付けられたんだな」
「そんなことがあったんですか? グレイヴァ、昨日は何も話してなかったじゃないですか」
「見間違いだと思ったから。ほんの一瞬で、俺もよく見えなかったし」
それに、そんな話をしたらフィノに「山の中が怖いんじゃないの?」などとバカにされそうな気がしたので、黙っていたのだ。
「とりあえず、水晶玉は戻ったからよかったわね」
「ええ。後は、鼓動石のある所を探さなければ」
「鼓動石があれば……彼女は元に戻るのか? 本当に」
「彼女自身がそう言っていましたし、ぼくとしても鼓動石が一番有効だと思っています」
アルテが言うと精霊は立ち上がり、音もなく歩き出した。
「石が欲しければ、ついて来るがいい」
「え、ある場所をご存じなんですか」
アルテの問いに答えることなく、精霊は歩いて行く。早く追わないと、そのまま消えてしまいそうだ。
「待ってください。グレイヴァ、立てますか」
アルテの手を借りてグレイヴァは立ち上がったが、あちこち痛くてやはり歩くには無理がある。
座り込んだグレイヴァは、持っていた水晶玉をアルテに渡した。
「アルテ、あいつの後を追ってくれ。このままじゃ、見失っちまう」
「ですが、グレイヴァを置いては」
「いいから。今は石を見付ける方が先だ。何か目印になるような物残してくれたら、俺も後を追うから」
アルテがグレイヴァのペースに合わせていれば、精霊からどんどん離れてしまう。せっかく教えてもらえるのなら、ここで逃す訳にはいかない。
「せっかくだからさ、珍しい物、残してくれよな。歩いた後に光る花が点々と咲く、とか。ほら、早く行かないと、あいつ、何も気にしないで進んでるぜ」
「……わかりました」
グレイヴァに背中を押され、アルテは心残りという顔をしながらも歩き出した。
「では、先に行きます。グレイヴァ、無理はしないでくださいね。石を見付けたら、すぐにこちらへ戻って来ますから。何か目印は残しておきますが、身体がつらいようなら休んでいてください」
「過保護だぜ、アルテ」
笑いながら、グレイヴァはアルテを見送る。
それから、ふうっとため息をついた。
ちぇっ。アルテがどうやってあの妖精を助けるか、見たかったんだけどな。
グレイヴァの、建前の目的としては。
魔法使いがどんな魔法を使い、水晶玉に封じ込められた妖精を救うのかを見たい、というものだった。
これまでの経過は順調だったのに、どうやら結果には結び付かなかったようだ。でも、妖精は救われるのだから、それでいい。
グレイヴァは痛みをがまんして、もう一度立ち上がった。
骨は折れていないが、やはり足首を傷めてしまっているようだ。足を地面に着ける度に、顔をしかめる。
十歩と進まないうちに、グレイヴァはひざをついた。再びその場に座り込むと、汗が首筋を流れる。
くっそぉ。邪魔な痛みだな。
足だけじゃない。身体のあちこちがつらかった。袖をまくってみると、いくつも青アザができている。足にも。この分では、服を脱いだらどれだけになるやら。
痛みを引きはがして捨てられるのなら、今すぐにでもそうしたかった。
水晶玉を掴もうと飛んだあの時の状態では、体勢に無理があるとわかっていてもどうしようもなかった。こうしてくじいてしまっても、仕方ないとは思う。
むしろこの程度でよく済んだものだ、と言うべきか。斜面を転がった時の状況によっては、もっと強く頭を打っていたかも知れないのだから。
でも、やっぱりこうもうっとうしいと、腹が立つ。
「痛いの痛いの、飛んで行けー、で本当に飛んでってくれればいいんだけどなぁ」
さっき夢の中に現れた母を思い出し、子どもの頃に母がしてくれたおまじないをため息混じりにつぶやいた。
どうしてあんな夢を見たのだろう。これまでにも、一度だって母の夢は見たことがなかったのに。
母に比べれば短い時間の登場ではあったが、父もいた。二人の夢を見たのは、実は心の中で淋しいと思っているせいだろうか。
ま、何でもいいか。久し振りに会えたってことでよしとしておこう。
☆☆☆
ふと気配がしてグレイヴァが頭を上げると、フィノがいた。彼女はさっき、アルテと一緒に行ったはずである。
「どうしたんだよ。忘れ物か?」
荷物を持たないフィノに、忘れる物が存在する訳がないのだが。
しばらく黙っていたフィノだが、くるっと後ろを向いた。さっきあった背中の翼は、なくなっている。たたんでいたのは見た気がするが、今はその存在がわからない。どういう仕組みなのだろう。
「乗りたきゃ、乗りなさいよ」
「へ?」
きょとんとなって聞き返す。
「歩けないんでしょ。このあたしが特別に、ほんっとーに特別に、乗せてあげるって言ってんの。乗らないんなら、放っとくわよ」
「あ、ま、待てよ。乗る」
どういう風の吹き回しか、普段なら知らん顔でいそうなフィノが、乗せてくれると言っているのだ。これなら、痛む足を引きずることもしなくていい。
グレイヴァは、急いでフィノの背中に乗った。
「落ちても知らないからね。自分でバランス取りなさいよ」
「わかった」
「ちょっとっ。あんまり毛を引っ張らないでよ」
「わ、悪い。俺、馬にしか乗ったことないし、勝手がわからないんだよ」
何だかんだ言いながら、それでもフィノはグレイヴァの体勢が安定したのを見計らって、アルテが向かった方へと歩き出す。
道とは言えないような道に、ぼんやり光る小さな花が点々と咲いていた。グレイヴァが言った通りに、アルテが出して行ったらしい。
真面目っつーか、律儀っつーか。俺の言ったままでなくたっていいのに。
それでも、アルテがちゃんと目印を残してくれていることが、グレイヴァは嬉しかった。
鼓動石が見付かれば、それで妖精は助かる。そうなれば、グレイヴァなど勝手にくっついてきたも同然だから、放っておかれても仕方がない。
一緒に行動する理由は、これでもうなくなるのだから。
でも、この光る花が、アルテがグレイヴァを放っておく気はないのだ、ということを教えてくれている。
この目印があればグレイヴァはアルテを追って行けるし、逆に言えばアルテがグレイヴァの元へ戻って来るための道しるべにもなるのだ。
アルテの性格でグレイヴァを置いて行くことはない、とは思うが、それがはっきりわかるとやっぱり嬉しい。
フィノの背中は、想像よりずっと乗り心地のいいものだった。馬とは違い、蹄の音がなくて静かだ。さすがに、大きくなってもねこ、というところか。
それに、自分で歩かなくていい分、今のグレイヴァにはとても楽だ。
「なぁ、フィノ」
「何?」
「どうして急に乗せてやる、なんて言ったんだ?」
「別に」
言ってから、いやなら降りなさいよ、などと言われるかと思ったが、そっけない返事。
だが、少し間を置いてフィノは答えた。
「アルテがすっごく気にしていたからよ。グレイヴァが見えなくなっても、ずっと後ろを気にして歩いてるんだもん、危なっかしくて。それに、そんなことで案内役に置いて行かれたりしたら、意味ないでしょ」
要するにフィノは、戻って来たのはアルテのためだ、と言いたい訳である。どこまでいっても、彼女にとってはアルテが一番なのだ。
「そっか。まぁ、何でもいいや」
言いながら、グレイヴァはフィノの背中に倒れ込む。温かい。
「どうしたの? 気分悪いの? 背中で吐いたりしないでよ」
言葉だけだと迷惑そうに聞こえるのだが、フィノの声のトーンは背中の少年を心配していた。
「気が抜けちまった。はは……」
実際、グレイヴァは身体から力が抜けてしまっていた。
水晶玉はちゃんと取り戻せたし、ウインデも助かりそうだ。フィノが迎えに来てくれたおかげで、じきアルテの所まで行ける。
張り詰めていたものが、全て切れたのだ。
「フィノは……ほんとーにアルテのためなら、何でもするんだな」
「何言ってんのよ。当たり前でしょ。アルテがいなかったら、今のあたしはいなかったんだから」
「ケガしてたところを助けられたって話か。魔物もケガするんだな」
「魔物じゃなく、魔獣って言いなさい。今のあたしなら、多少のことではケガなんかしないわよ。その時は小さかったから」
次第に揺れが、とても心地いいものになってくる。
まぶたが重くなるのを感じながら、グレイヴァはフィノの話を聞いた。