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Episode.94 過去4

「塔矢!大変だ!!お師匠様が!!」


「っ!?」


その日の朝は凛の切羽詰まったような声によって始まった。この様子からして只事ではない。その声は今まで聞いたどんなものよりも慌てており、その表情は今まで見たどんなものよりも深刻そうであった。


「「……………」」


まだまだ覚醒しきっていない頭と身体を無理矢理に動かし、急いで凛の後を追っていく。にしても速い。こんなに速く長距離を移動する凛は久々かもしれない。つまり、それだけの大事ということだ。


「「お師匠様っ!!」」


そこへ辿り着いた僕達が見たのは身体を無造作に敷いた藁の上に横たえたお師匠様の姿だった。その姿はいつも目にするお師匠様のものとはかけ離れていた。浅い呼吸を繰り返しながら、弱々しく上下するお師匠様の身体……………それを見ているだけで僕の胸の奥からは何かが顔を出してきそうだった。


「ん?…………凛に塔矢かい……………ちょっと待ってな。今から訓練メニューを……………」


そう言って、無理矢理にでも起き上がろうとするお師匠様。凛はそんなお師匠様に驚きつつもその弱く細った身体へ手を添えて再び藁の上へと導いた。


「何言ってるんですか、もう。今はゆっくりと身体を休める時でしょ?」


「馬鹿言うんじゃないよ!!アタシを年寄り扱いするな!!アタシはまだまだ元気だよ!!」


お師匠様はそう言って、凛の手を振り払おうとする。すると、その瞬間、なんとも言えない匂いが鼻をついた。


「っ!?」


それは主にお師匠様の下半身の方から匂い、そこへ目をやるとなんとお師匠様は失禁していたのだった。


「はいはい……………ごめん、塔矢。ちょっとあっち行っててくれる?」


「う、うん…………」


ここから先は凛に任せた方がいいだろう。そう思った僕は素直に凛の指示に従い、その場から離れた。







「いいよ」


「うん……………っ!?」


凛の許しを得た僕が再び、例の場所へと戻るとそこには先程よりも更に弱った様子のお師匠様がいた。僕は思わず、それを見ていられなくて目を背けてしまった。


「老衰に持病の悪化……………そして、さらには」


「うん…………分かってるよ」


少し深呼吸をしてから、お師匠様へと目をやった僕は続く凛の言葉を遮った。そこから先は僕が言わなければならないと感じたからだ。


「……………記憶がないんでしょ?」


「…………認知症っていってね、特に高齢者を中心に発症する病で段々と記憶がなくなっていくんだ……………にしてもよく気が付いたね」


「だって、さっきのお師匠様はおかしなことを言っていたから…………訓練メニューなんて、お師匠様はもう随分とノータッチじゃないか。今じゃ僕達で考えてるし」


「………………」


「ねぇ、お師匠様は一体どこまで……………」


「んぅ?」


僕がそう言葉を紡ごうとした瞬間、目の前に横たわるお師匠様がゆっくりと目を開けた。おかげでその先を言うことは叶わなかった。


「お師匠様……………」


「気が付いたんだね!」


お師匠様は不思議そうな顔をしながら、ひとしきり辺りを見渡すと最後に僕らへと視線を固定して、こう言った。


「ん?アンタ達は一体誰なんだい?」


「「っ!?」」


その瞬間、淡い希望は脆くも崩れ去った。なんとお師匠様は僕らのことまで忘れてしまったのだ。


「どうして!!さっきまではちゃんと覚えていたのに!!」


「塔矢……………」


「なんで!?お師匠様!!ほら!!僕だよ!!」


「っ!?こら、塔矢!!強く揺するな!!今のお師匠様は……………」


「お師匠様!!思い出して!!出会った頃は泣き虫でどうしようもなかったけど、今じゃほとんど泣かなくなった僕だよ!!前は何にも知らないただの小僧だったけど、今じゃある程度のことは一人でもできる僕だよ!!それもこれも全部お師匠様のおかげさ!!ねっ!?思い出したでしょ!?」


僕の必死の問いかけにまたもや不思議そうな顔をするお師匠様。その顔は心底、この状況が分かっていないというものだった。


「っ!?なんで!?なんでなのさ!!ついこの間までピンピンしていたじゃないか!!それがなんだって、こんな…………」


「……………」


「ふざけるな!!僕は絶対に認めないぞ!!あの強くて凛々しいお師匠様がこうなる訳ないんだ!!そうか!!お前、お師匠様の偽物だな!?おい、偽物!!お師匠様を返せ!!早くしろ!!さもないとお前を…………」


「塔矢!!」


その音は静かな森の中において、よく響いた。と同時に僕の頬はジンジンと痛んだ。そう、僕は凛に頬を平手打ちをされたのだ。


「……………」


「物分かりのいいお前のことだ。分かっているはずだろ!これは人間という種の特性上、仕方のないことなんだ。そして、それはお師匠様であっても例外ではない。あんなに強くて凛々しくて色んなことを知っているお師匠様であっても歳は取るし、病にもかかるし、色んなことを忘れていくんだ」


「……………だからって、こんな」


僕の目からは自然と涙が溢れていた。それは数秒ごとに勢いを増し、次から次へとこぼれ落ちていく。


「こんなことってないよ……………」


「塔矢……………」


「凛は僕のことを物分かりがいいって言ったけど…………もしも、こういうことを受け入れていくっていうのがそうだっていうのなら、僕はただの馬鹿でいい。何も知らずに毎日を楽しく生きていたい。僕はただ、それだけでいいんだ。だから……………物分かりがよくなんてなりたくないよぅ」


「っ!?ううっ、塔矢!!」


僕の言葉に凛もまた涙を流しながら、僕のことをきつく抱き締めた。それはいつもと変わらない……………いや、いつも以上に温かくも少し痛い時間だった。









「「……………」」


程なくして、お師匠様は僕らよりも早く遠いところへ旅立っていった。僕は決して忘れない。ここで過ごしたことの全てを、お師匠様の最期の顔を…………それは僕がどうしようもない病に罹ってもだ。持てる力の全てを使って抗ってやる。人間の限界を超えてやる。降りかかる理不尽を跳ね除けてやる。僕は僕が本当に大切に思う者だけを大切にする。だから、それ以外はどうだっていい。


「……………塔矢、行こうか」


「…………うん」


僕らは合わせていた手を解いて頷き合った。お師匠様を埋め、即席で作ったお墓はこんもりと土が盛り上がり、お師匠様が寝ていた藁で編んだ十字架がそこに刺さっていた。それは遠くから見てもちょっと不恰好で今の僕らにはちょうど良かったのだった。







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