Episode.75 武人
「のおっ!!」
「……………」
変な掛け声と共に爺さんが鋭い突きを放ってくる。俺はそれをただただ黙って避けながら、相手の動きを観察することに留めた。これは純然たる武の試合ではない。よって審判はおらず、明確なルールもない。この戦いを申し込んできたのは爺さんの方だった。なんでも俺の実力が知りたいということらしい。その為にこういった形式で戦うことになったのだ。おそらく、前回綾乃さんとの試合で俺がやりづらそうにしていたのを見ていたからだろう。やるのならば、俺が最も力を発揮できる環境を整えたかったのだそうだ。
「ちょえい!!」
だが、それは自分の手で自分の首を締めているに過ぎない。俺は相手の回し蹴りを避けながら思った。もう、いいだろう。これ以上何か出てくることはないのだからと。爺さんは間違いなく武の達人だ。そして、その強さはこの世の達人達の中でも確実に五本の指には入っている。流石は門下生500名を抱える天下の紫風道場の師範を務めていただけのことはある。しかし、それはあくまでも常人の中での話……………所詮はそこまでだった。
「ぐぬっ!?」
どこまでいっても俺達のようなタイプの者には追いつけず、その差が浮き彫りとなってしまうのだ。それが趣味として仕事として武を極めた者の限界。つまり、それはどのような目的で戦ってきたのかの違いである。そして、それが一番大きな要因なのだ。そこから先には決して越えられない壁が確かに存在している。
「っ!?なんだと!?」
俺はこんなくだらない茶番を終わらせるべく、少々強引な手を使った。爺さんの拳を右腕でガードした後、左手で爺さんの空いている方の腕を掴んだのだ。
「ぐわああああっ!?」
そして、万力のような力を加えて握力を強めていき、一気に爺さんの戦意を削ぎにいった。武道家の弱点、それはトリッキーな攻撃に慣れていないこと、あと何より耐性のない痛みが分かりやすく存在することだ。今回はそれがたまたま腕を強く握られることだっただけだ。仮にこれが失敗したとしてもやりようはいくらでもある。さぁ、あとはこれで爺さんの降参を待……………っ!?
「ほい!!」
「っと」
ここで予想外なことが起きた。なんと爺さんは戦意がなくなるどころか、より増してこちらへ反撃をかけてきたのだ。そんな爺さんの急襲に対して、俺は咄嗟に身体を捻らせることで危なげなく躱していった。この程度の武道家の攻撃ならば、いくら突然であろうと反射神経で避けることはそう難しくない。問題は別のところにあった。それは目の前に立つ爺さんの勝利への執念深さだった。
「ふ〜っ…………やってくれたの」
本来ならば、ここで終わっているはずだったのだ。よしんば、数秒のズレが生じたとて力の調整をすれば、相手を屈服させ降伏を促すことなど造作もない。ところが、この爺さんときたら往生際が悪いというか……………達人ならば分かるはずだ。己と相手との力量差が。それを何故……………
「こんな強敵との戦い、やめてしまうのは実にもったいない」
このジジイ、ただの戦闘狂だった。にしても異常だ。腕はまるで毒を浴びたように変色しているし、痛みも未だ続いているはず……………綾乃が悲痛そうな顔をしているのが良くか悪くか、ジジイが受けたダメージの大きさを表しており、圧倒的に不利な状況には変わりない。それでもこいつは目の前に立つことをやめない。決してその闘志が、炎が消えることはない。
「面白ぇ」
久々に疼いてきた。一体いつぶりだ?俺の相手をまともに務められるような奴に出会うのは……………この間の雑草共じゃ食っても腹が膨れることはなかった。だが、このジジイならば、もしかしたら……………
「簡単にくたばるなよ?ジジイ」
「やっと本気になってくれたか!来い!!」
今度はこちらから仕掛けた。真正面からいきなり距離をつめ、左のボディーブローを決める。
「ぐおおおっ」
ジジイの身体がくの字に曲がり、痛みにうめくのにも構わず、俺は次の手に移る。今度はジジイの真横へ向けて、ミドルキックを放った。体重の乗りや腰の捻りなど共に最も威力が出る最高効率で行った為、流石のジジイもかなり苦しそうにしている。しかし、これで終わる訳がない。そこから流れるように回し蹴りの要領で一回転しながら左脚を同じ場所へと叩き込んだ。
「うぐおおおおっ!?」
ボールかと思うぐらい、面白いほど吹っ飛ぶジジイ。するとその直後、視界の隅で綾乃が何やら動く気配を見せたのが分かった。そこで俺は綾乃をただ黙ってじっと見据えると彼女はビクッと身体を震わせながら徐に構えを取り始めた。
「綾乃、やめなさい」
ところが、ここで制止の声が掛かる。声の主は綾乃の父だった。
「だ、だが…………」
「そんなことをしたら、親父が余計に苦しむのが分からないか?男にはな、最低限プライドってもんがあるんだ」
「いや、それは…………」
「それにこれは親父も納得した上での戦いだ。だから、始める前にお互いが確認し合ったのだ。手加減ができないかもしれん、と」
「だ、だか、このままではお祖父様が……………最悪死んじゃうかもしれないんだぞ」
「分かっている!俺だって、許可さえでれば今すぐにでも親父を助け起こし、代わりにあの小僧を八つ裂きにしてやりたい!だが、これはそういう問題ではないんだ!!親父の武人としての誇りがかかっているんだ!!」
「お父様…………」
「綾乃、康二の言う通りじゃ」
二人の会話に割り込むようにして入るジジイ。つか、もうやめとけよ。綾乃の言ったことが本当になるかもしれんぞ。
「どんな結果になろうとも戦いの前にお互いの意思は確認している。それに背を向けて逃げるなど武人として、あってはならん。それにな……………ワシはたとえ命が尽きようとも強い武人に出会えれば、それで幸せなんじゃ」
「お祖父様……………」
「親父…………………」
そう言って二人に笑顔を向けるジジイ。あの〜そんなの見せられたら、やりづらいんですけど〜?
「すまんなかったな、待たせて」
「いや」
「くそっ!!無理矢理にでも割り込めさえすれば、今頃は……………」
「別にそれでもいいが…………」
「なんだと、小僧!偉そうなことを言うな!!」
「お前にその覚悟があるのか?」
「っ!?」
「見たところ、こいつよりも弱そうだが…………なんでシャシャリでようとしてんの?死にたいの?」
「くっ…………俺ならば、差し違えてでも」
「できると思ってんの?俺なら、自分だけが無事で確実にお前だけを潰すことができるけど」
「っ!?」
俺の殺気を浴びてハッタリなどではないと分かったのだろう。綾乃の父は冷や汗を流しながら下唇を噛み締めた。
「そこまでだ、塔矢くん!!さっきから、人が変わったような君の行動は目に余るぞ!!」
「……………」
「こ、これ以上変なことを言うようなら、私が……………」
「…………あのさ」
ここで俺はため息を吐きながら、一緒に何もかもを吐き出してしまいたい気持ちになった。俺、こんなところで何してんだろう。
「今日はそこのジジイが戦いたいって言うから、休みを返上して駆けつけてきてあげた訳。だからって別に報酬が欲しいとか、何かしてくれとかそんなことが言いたいんじゃない。せめて、こっちに寄り添って欲しいってだけなの。なのにお前達ときたら、納得して進められている戦いに割り込もうとするわ、俺に対して敵意を向けてくるわ…………無茶苦茶だわ。お前達、結局はあれだろ?最強だと思っていたジジイが負けるのが嫌なんだろ?この世にこいつよりも強い奴がいるって認めたくないんだろ?元々見上げていた壁よりも更に高い壁なんてもう見たくもないんだろ?」
「「ぐっ!?」」
「おいおい。図星かよ…………」
俺の言葉にバツが悪そうな顔をする二人。ここで責めるのをやめても良かったんだが、俺に止める意思はなく、遂に決定的な一言を告げてしまうのだった。
「あと何か勘違いしているようだから、言っておくが……………俺、まだ本気出してないから」
「「「……………へ?」」」
「で?まだ続けんの?」
「……………すまん。ワシの負けだ」
「「……………」」
降伏を宣言する爺さん。それと複雑そうな表情で項垂れる二人。俺はそれらを見ながら、一言こう呟いたのだった。
「結局、こうなるのか」




