Episode.69 不協和音
「玲華からの呼び出しなんて珍しいこともあるもんだな」
季節はすっかり夏めいていた。だが、それもそのはずだ。なんせ、今は夏休み真っ只中なのだ。そこら中で蝉や子供達がはしゃぐ声が聞こえ、俺達が落ち合ったこの公園もそれは例外ではなかった。そうして俺達は揃って、木陰のあるベンチに並んで座っていた。ここからは噴水で水遊びをするいきのいい子供と常に危険がないか、周りや自分の子供に目を走らせる母親の姿がよく見えた。
「すみません。お休み中にわざわざ……………まだ、ちゃんとしたお礼ができていないと思ったので」
「いや、お礼ならもう言ってもらったと思うけど……………そんなことより、例の元婚約者から謝罪をちゃんと受けたらしいな。光から聞いたよ」
「はい。ちょうど2人でいる時に…………まるで人が変わったかのようでした。あの嫌な目もしてなかったですし」
「油断はするなよ?また何か言ってくるかもしれないだろ」
「そう…………ですね」
そう。人はそう簡単に変わりはしない。昨日、悪人だった奴が今日は善人になっている……………みんながみんな、そんな世界であったなら、どれだけの犯罪がこの世からなくなっているか。仮にもしも、そんなすぐに変わるのだとしたら、その人は元々素質があったのだろう。何らかのキッカケで善人側から悪人側へと転げ落ちてしまったがほんの少しのキッカケさえあれば、いつでも元に戻れるはずだった。むしろ、そのキッカケを待っていたとすら考えられはしないか。まぁ、そもそも本当の悪人などそうそういはしないと思うが。
「彼とはあれから会いましたか?」
「いいや。気付いたら、本国へと帰ってたな」
「そうですか」
「まぁ、もしもまたちょっかいかけてくるようだったら、いつでも言ってくれ。その時は……………」
「また助けるって言いたいんですか?」
「ん?ああ。そのつもりで…………」
「やめて下さい」
「玲華?」
「今回のことは大変ありがとうございました。そして、ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「いや」
「ですが、今後は私に何かあっても助けて頂かなくて結構です」
「おいおい。一体どうしたんだ?」
「私はっ!!」
それは公園中に響き渡るかと思うほど大きな声だった。現にさっきまで遊んでいた子供達とその親が遠くから、こちらを訝しげに見ている。
「私は…………知りませんでした。先輩があんなにも強いこと、さらには音楽にまで精通していることを」
「いや、あれは相手が弱かったからで……………それに音楽って大袈裟だな。俺が弾いていたのはピアノだけだろ?それ以外は何もできないよ」
「相手が弱い………それって先輩からしたらですよね?あとピアノ以外はできないって、本当ですか?」
「本当だよ。たまたま習う機会があって、ある程度は形になったってだけ」
「……………」
「疑ってるのか?こんなことで嘘をついても仕方ないだろ」
「……………他に私になんか隠してる事とかありますか?」
「ないよ………てか、その言い方ってまるでお前は俺の彼女か何かか?」
「……………そうですよね。おかしいですよね。私は彼女でもそれ以前に先輩の大切な人ですらないのにこんなこと…………」
「いや、お前は俺にとって大切な友人で…………」
「じゃあ、何で今まで黙っていたんですか!!あんなに強いのに!!あんなの物語の主人公じゃないですか!!私が小説家志望だって知ってますよね?そういうの気になるって分かるじゃないですか!!」
「いや、俺なんて小説のネタには……………」
「それ本気で言ってます?言っておきますけど、あんな動き、リアルで見たことないですよ。それこそ、創作物の中でしか……………でも、それよりも問題なのはピアノの方です」
「ピアノの方?」
「ちょうど一年前、私は両親の前でピアノを弾きました……………覚えていますか?」
「もちろん。あんな出来事、忘れろって方が逆に無理だろ」
「あの時、先輩には一緒にいてもらいました。そして、成り行きで両親と共に私の演奏を聞き、涙まで流して感動してくれました」
「ああ。あれは良かったな」
「白々しい演技はよして下さい。その気になれば、先輩だって、あのぐらい弾けるでしょう?それなのに自分はズブの素人みたいな顔をして、感動したフリなんてしちゃって……………先輩は一体何がしたいんですか?」
「……………お前のその言い方だとその道に進む者は同じ道を進む者に心を動かされないと言っているのと同じだぞ?今回でいえば、ピアノを齧っている者は他の演奏では感動しない…………じゃあ、何か?ショパンとリストはお互いの演奏に何も感じなかったと?」
「それは…………例が極端すぎます」
「奏でる者によって、どんな色にもなるのが音楽の良いところだろ?お前にはお前の、俺には俺独自の色がある。それは他の誰にでも真似できるものじゃないし、するべきじゃないと思う」
「……………嘲笑っていたんですか?」
「は?」
「私がピアノを弾いている時、本当は心の奥底で馬鹿にしていたんでしょう?だって、あのぐらい先輩にもできますもん。今、言ったじゃないですか。独自の色が出るって…………先輩の色の方が鮮やかで綺麗ですよ」
「…………玲華、お前一体どうしたんだ?なんか変だぞ」
「だって!この間から先輩のこと、分からなくなっちゃったんですもん!!中学の時から一緒であんなに近くにいたのに!!それなのに先輩には私の知らない顔があって。きっとそれを知っているのは私以外の誰かで…………」
「玲華……………」
「せめて、ピアノのことぐらいは言って欲しかった…………弾く前でも弾いた後でもいい。"俺もピアノ弾いてたんだ"……………たった、これぐらいの一言が欲しかった…………いくら今は小説家志望でも完全にピアノが嫌いになった訳じゃないから」
「……………」
「先輩とは共通の趣味とか好きなものがあまりないから、ピアノのことだったら語り合えた気がするんです……………でも、まぁそれは私の一方通行のわがままですね」
「いや、そんなことは…………」
「いいんです。これ以上、先輩にしつこくして嫌われたくないんで」
「嫌うって、おいおい。話が飛躍しすぎだ…………」
「先輩、最後に一つだけ訊いてもいいですか?」
「?」
「さっき、私が元婚約者のことで"彼とはあれから会いましたか?"と質問したじゃないですか」
「ん?…………ああ、そうだな」
そこで一旦言葉を切った玲華は真っ直ぐ俺を見据えると静かにこう言い放った。
「その時、何で嘘の答えを言ったんですか?」




