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Episode.60 直談判

「話は分かってる。美鈴の転校についてだろう?」


挨拶もそこそこに一口茶を飲んで喉を潤した堅治さんはそう言った。その顔つきは険しい…………とまではいかないまでもこちらが何を言っても受け入れてくれる程の優しさを含んではいなかった。それを見た俺は改めて、少しでもこの場に相応しくあろうと居住まいを正した。


「はい。美鈴の転校をどうにか取りやめて頂きたいんです」


「ストレートにきたな〜……………これは困った」


俺の言葉を聞いて困ったように頭を掻きながら優しげな表情を浮かべる堅治さん。どうやら気分を害してはいないようだ。


「お仕事の都合や美鈴のこれからを考えての決断なのは十分承知の上で言わせて頂きますと前者の方は当然仕方のないことです。しかし、後者に関して言えば、まだ再考の余地はあるかと」


「というと?」


「美鈴はもう陸上に未練がないと言っていました。私はあの時、全力で陸上と向き合い100%の気持ちをぶつけたから、と」


「それは本当かい?」


「本当だよ」


突然、ここであらぬ方から声が聞こえた。と同時に俺達のいる部屋へと新たな人物が入ってきた。


「美鈴……………」


「私、陸上にはもう未練がないし、ここから離れたくない……………ここには絶対に失いたくない大切な人達がいるから」


「……………」


美鈴の言葉をただ黙って聞く堅治さん。昔から何も変わらない。この人はいつだって、相手の年齢・境遇に関わらず、まずは素直に話を聞こうとする。とても穏やかで優しい人だ。だからこそ、伝わるものがある。きっと美鈴の言葉を聞けば、分かってくれるはず……………


「美鈴」


そう思っていたのだが、今回ばかりは勝手が違った。堅治さんは急に真面目な顔つきになると静かに口を開いた。


「その大切な人達とやらはここから離れてしまえば失ってしまうのかい?」


「…………うん」


「…………お父さんも昔ね、お前ぐらいの頃は色々と悩んだものさ。親の都合に振り回されて数々転校を繰り返してきた。その度に何度も悲しい思いをしたし、親を恨んだりもした」


「お父さん……………」


「でもね、いざ離れてみると分かるんだ。どれだけ遠く離れていても僕達はどこかで繋がってる。その絆が切れることなんて早々ありはしないのさ。現に各地でできた友人とは大人になった今でも時々会うよ」


「…………それはお父さんの場合でしょ。私はそんな後々のことなんて考えたくない。私にとっては今が大事なの」


「美鈴……………」


「お父さん、お願い。私はここを離れたくないの。大好きな友達と……………そして、何より塔矢と」


「俺からもお願い致します。俺は美鈴にどこか行って欲しくない。できれば、ずっとここで一緒に過ごしていきたいんです」


「……………」


俺達の言葉を受けて、しばらく目を瞑る堅治さん。きっと頭の中では色々なことが駆け巡っているのだろう。それは俺達では想像もつかないことだろうが……………と、ここで右手に何やら感触があった。ふと隣を見ると美鈴が無意識のうちに俺の手を握っているのが分かった。彼女は昔から不安がるとこうして手を繋いでくるのが癖だった。おそらく今も不安…………というよりは恐怖に近い感情を抱いているのだろう。当然だ。なんせ住み慣れた土地や大好きな人達から離れなければならないのだ。その際に彼女は一体どれだけのものを失うか分かったものではない。堅治さんは為になる話をしてくれたが、美鈴の言う通りであくまでもそれは堅治さんの場合だ。美鈴まで上手くいくとは限らない。ここは現実なのだ。創作物の中とは訳が違う。一つ一つの行動が及ぼす影響力はチリ積もも相まって、相対的に大きくなり、やがては取り返しのつかないことになってしまうのだ。


「……………」


俺がそんな益体もないことをつらつらと考えている間も堅治さんは一言も発しなかった。目を瞑り、まるで眠ってしまったかに見えるが時折ピクピクと動く眉毛のおかげで彼が今もなお思考の渦に囚われてしまっていることが分かる。おそらく、彼の中で様々な葛藤があるのだろう。そう思うとなんだか俺がその元凶となってしまっていることが段々と申し訳なくなってくる。


「塔矢、自分を責めないで……………あんたが悪い訳じゃないから」


美鈴はそんな俺の気持ちを察したのか、そう声を掛けて強く手を握ってくれた。


「…………ありがとう」


うん、そうだ。きっと大丈夫だ。なんだかんだ言ったって堅治さんはとても聡明で優しい人だ。子供のわがままをそのまま放置して平気でいられるはずがない。


「「……………」」


俺達は堅治さんのそんな良心に対して、ただ立場と特権を活かして正直な気持ちをぶつけるだけだ。


「……………分かった」


ややあって、堅治さんはそう呟くと再び湯呑みを手に取って、熱を冷ましながらお茶を口に含んだ。


「仕事のことは……………なんとかしよう。まぁ、最悪なんとかできなかったとしてもまだ手はある。どちらにしても君達の望まない結果にはならないということだけ今は伝えておく」


「「…………ということは?」」


「転校は白紙ということさ」


「「っ!?ありがとうございます!!」」


その言葉を聞いた瞬間、俺達は互いに飛び上がって抱き合い、健闘を称え合った。


「全く…………若いって素晴らしいね」


「改めてありがとうございます、堅治さん!!」


「お父さん、ありがとう!!」


「いやいや、お礼を言うのはこっちの方だよ……………なんだか君達を見ていたら、久々に熱い気持ちが蘇ってきたよ」


どこまで良い人なのだろうか、この人は……………その後も喜びに舞い上がる俺達のことを堅治さんは優しく微笑みながら見つめていたのだった。









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