Episode.54 例の日②
「おはよう」
「おはよー」
朝、いつも通りリビングへと下りた俺はいつも通りの挨拶を交わし、これまたいつも通りにコーヒーをすする。
「「……………」」
そうして、しばらく無言の時間が過ぎ、時計の音がやけに大きく聞こえ出したタイミングで……………
「ほい、これ」
「ん?…………ああっ、そっか…………ありがとう」
俺は光の好きな板チョコを差し出した。なんてことはない。どこにでもある市販のチョコだ。しかし、光のその顔は随分と嬉しそうだった。
「悪いな。いつものやつで」
「ううん。だって、私これ好きだもん」
「……………」
「それにこういうのは気持ちが嬉しいんだよ。だって、これはアレでしょ?あの時のお返し的な」
「まぁ、そうだな」
「だったら、尚更だよ……………ありがとうね、お兄ちゃん」
「いや…………どういたしまして」
俺は光のその笑顔を見て、これ以上は何も言うまいと再びコーヒーをすすった。さて……………
「勝負はこれからだね」
横で静かにそう言う光。相変わらず、妹様は俺の考えていることが手に取るように分かるらしい。
「「おはよう」」
「お、おはよう…………」
こちらがいつも通りの挨拶なのに対して、ややぎこちない感じの挨拶を返してきた美鈴。よく見れば、彼女の身体は若干震えていた。
「おいおい。また風邪か?」
「ま、またって何よ!今年になってからはまだ引いてないわよ!!」
「あ、そうか」
「あんた、どんだけ記憶力ないのよ」
「普通そんなのいちいち憶えてないだろ」
「言っておくけど、私はあんたのことだったら何だって憶えてるから。昨日はどこでお昼を食べただとか、この授業は居眠りしてたなとか、それに昨晩は何時まで部屋の明かりがついていただとかまで」
「へー俺のこと、よく見てんだな」
「そうそう。あんたのことはずっと見て……………って!!そんな訳ないじゃない!!はっ倒すわよ!!」
「いや、なんでだよ……………あと、生活習慣を把握するのだけはやめて下さい。怖いから」
「そ、そんなストーカーみたいなマネする訳ないじゃない!!この私よ!?」
「いや、どの私だよ」
「あと美鈴ちゃんの行いはしっかりストーカーさんだから」
「ぐはっ!?」
俺と光による度重なる口撃により、腹に銃弾でも撃ち込まれたようなリアクションをする美鈴。それを気の毒に思った俺は次の瞬間、こう言った。
「美鈴、これ良かったら……………きっと食べればヒットポイントが回復するはずだ」
「ありがとう!!でも、絶対今のタイミングじゃないわよね!!まぁ、後で頂くんだけど!!」
美鈴はそう言ってよろよろとしながらも立ち上がり、俺から綺麗なラッピングの施された青い箱を受け取った。その後は機嫌の直った…………どころか、妙に上機嫌な美鈴を伴っての登校となるのだった。
「先輩、おはようございます」
「お、おぅ…………」
下駄箱で靴を履き替えていた俺の元に突如として掛けられた声。それは子犬のように軽くハフハフとしながら、こちらに駆け寄ってくる玲華のものだった。
「くんくん」
「おいおい。本格的にそっち側になるのか?月はまだ出ていないぞ」
「月がきれいですね」
「何を言っとんじゃ、お前は」
「それは私の台詞です。月を見て変身するのは狼ですから。そこんとこ、履き違えないで下さい」
「んなのどっちだっていいだろ」
「まぁ、そうですね。今の私にとっては別のことが気になりますから」
「ん?」
「なんだか甘い香りがします……………主に先輩の身体から」
「いちいち台詞回しが気になる奴だな……………それは一旦置いておくとして…………まぁ、それはするかもな」
「ビンゴ」
「両方の親指を立てるそのポーズやめろ。なんか腹立つから」
「はぐらかさないで下さい。もう調べはついているんですから」
「あーはいはい。じゃあ…………はい。この間はありがとうな」
そう言いながら、綺麗なラッピングの施された赤い箱を玲華へと手渡す。すると、それを受け取った彼女はというと……………
「っ!?やったー!!わーいわーい!先輩からのお返しだ!!」
「おい、馬鹿!そんなはしゃぐな!恥ずかしいだろ!!」
箱を両手で抱えて、トリプルトーループまで決めていたのだった。
「やぁ」
「どうも」
昼休み。綾乃さんが軽く手を挙げながら屋上へとやってきた。彼女がここへ来るのは当然のことだった。なんせ俺が呼び出したのだから。
「教室でやりとりをしないところを見るにちゃんと前回から学んでいるみたいだ。賢いな」
「他人事のように…………あの後、大変だったんですからね」
「そうか。それは悪いことをしてしまったようだ。すまない」
「絶対、そんなこと思ってないですよね」
「ふふふ。バレたか」
「胸を張るところじゃないですよ」
「そうだな。私が胸を張ってしまったら、学校中の男子達が血眼になって押し寄せてくるからな」
「いや、物理的な意味じゃないから。日本語の妙をついてこないで下さい」
「ふふふ」
くだらないやり取りを交わしながらも俺は本来の目的を忘れてはいなかった。さっきから、チラチラと俺の手元へ視線を送る綾乃さんも気になるし……………そろそろだろう。
「全く。それはそうと…………はい、これ。お返しです。あの時はありがとうございました」
「ん?………ああ」
まるで今、気が付いたと言わんばかりのリアクションをする綾乃さん。しかし、そのキョロキョロとし目線は誤魔化せませんよ。
「お口に合えばいいのですが」
「いや、とんでもない。君がくれたものならば、どんなものでも…………それこそ、その辺に落ちている髪の毛ですら宝石へと変わるだろう」
「からかわないで下さい……………まぁ、照れ隠しか」
「っ!?おい!!そういうのは気付いても言わないもんじゃないのか!!」
「あ、すみません」
その後も他愛ないやりとりを昼休みが終わるギリギリまで続けた。その間、綾乃さんは俺があげた綺麗なラッピングの施された紫色の箱を大事そうに抱えていたのだった。
「おかえり〜」
「ただいま」
家に帰るとカレーの良い香りがした。香辛料や福神漬けがふんだんに盛り込まれた光お手製のスパイスカレーは俺の大好物だった。
「はい、これ」
「えっ!?いいの!?」
「何言ってんだ。お前もくれただろうが」
「いや、それは朝の分で終わったかと」
「おいおい。俺を誰だと思ってる?やるなら、ちゃんとあの時のを完全再現しないとな」
光に手渡したのはあの時、彼女がくれたのと全く同じ箱だった。ちなみにラッピングの仕方も一緒だし、むしろ違うところを探す方が難しい。
「…………ありがとう」
「やっぱり、一緒のとか嫌だったか?冷静に考えたら、かなりキモいよな」
「ううん。すっごく嬉しい」
光はその言葉の意味通り、目を閉じながらとても大切そうに箱を抱き締めていた。カレーの香り漂うキッチンというなんとも言えない場所ではあるのだが、これが俺達のスタイルだ。本人達がそれで満足していればそれでいいのだ。
「さて、手を洗ってくるわ。早く光のカレー食べたいし」
「……………あのさ」
「ん?」
「私の気のせいだったら、それでいいんだけど」
そう前置きした上で光はこう言った。
「学校で何かあった?」
光にそう言われ、思い出していたのは放課後のことだった。俺はとある人物を屋上へと呼び出していたのだ。
「すみません。遅くなりました」
「いや、大丈夫だ」
それは静だった。若干、強張った顔をしつつやってきたところを見るにかなり緊張…………というか覚悟を持っているようだ。まぁ、それはそうだろう。彼女からしたら、あの時自分だけが渡せなかったのだ。だから、お返しがないとは分かっている。それは当然のことだ。しかし、面と向かってその事実を告げられるのはかなり心にくるものがあるのだろう。
「あの…………例のことですよね?」
「……………」
「私、分かってますから。あげてもいないのに貰おうだなんて、そんな図々しいこと考えません」
「……………逃げるな」
「っ!?塔矢さん……………何で……………私、本当にそんなこと考えてないのに……………ちゃんと分かっているのに」
「違う」
「え?」
「今の俺の言葉はあらかじめ言っておいたんだ…………これから俺がする話を聞いてもそうしないようにな」
そうして次の瞬間、俺が口にした内容は静の予想だにしないものだった。




