Episode.53 例の日
「はい、これ」
「ん?」
朝、リビングに下りた俺は軽い感じで光に何かを手渡された。それがあまりにも軽い感じだった為、朝食でも用意してくれたのかと思い、よく見てみるとそれは板チョコだった。
「悪いな。朝はこういうの食べないんだ」
「は?そんなの分かってるよ。これはそういう意味で渡したんじゃないの」
「ん?じゃあ、どういう意味だ?」
「今日が何月何日か分かる?」
「えっーと…………2月14日だから………………って、え!?もしかして!?」
「うん、そう」
またもや軽い感じでそっぽを向きながら答える光。その目はリビングにあるテレビへと向けられており、この会話など日常のごくごく些細な出来事の一つでしかないことを物語っていた。
「うわ、まじか。今日はそうか……………とりあえず、光。ありがとう」
「どういたしまして〜」
「お前から貰えなければ寂しい思いをするところだったわ」
「それはないんじゃない?」
「いや!ゼロだぞ!ゼロ!悲しみのな!!」
「お兄ちゃん、間違ってもその発言は学校ではしないでね」
「へ?」
「「おはよう」」
「……………おはよう」
いつもの三人で登校をしようと家を出るとそこには若干、顔を赤らめた状態の美鈴が立っていた。やばいな。この寒さだ。もしかしたら、風邪を引いているのかもしれない。
「美鈴、顔が赤いようだけど大丈夫か?医者には診てもらったのか?」
「だ、大丈夫よ!風邪なんて引いてないし!!」
「本当か?…………なんか両手に隠し持ってモジモジとしてるから、てっきり寒さを堪えているのかと」
「こ、これは……………はい!あげる!!」
そう言って勢いよく美鈴が手渡してきたのは綺麗なラッピングの施された赤い箱だった。よく見るとValentineDayと筆記体で書いてあり、箱はハートの形をしていた。
「えっ、これってもしかして……………」
「ふ、ふんっ!今日はちょうどそういう日だしね」
「ありがとう!とても嬉しいよ!!」
「そ、そう?なら良かったわ」
俺の言葉に安心したようなため息を吐いた美鈴は次の瞬間には笑顔になっていた。どうやら、これを渡すのが彼女の中で一つのミッションとなっていたらしい。無事に達成できて何よりだ。
「いや、何で他人事なの?」
光の鋭いツッコミが脇腹へと突き刺さる。どうやら、彼女には俺の考えていることなどお見通しのようだった。
「先輩、おはようございます」
「おはよう」
「あの、これ良かったら受け取って下さい」
「ん?…………ああ、ありがとう」
昇降口で玲華と挨拶を交わした際、またもや綺麗なラッピングの施された箱を受け取った。それは正方形の形をした青い箱で中央に赤いリボンがついていた。
「とても嬉しいよ。家に帰って食べるのが楽しみだ」
「ここで食べてはくれないんですか?」
「ここだと流石にな…………静かなところでじっくりと頂きたいんだ」
「そうですか……………では感想は後日で。立派な食レポを期待していますよ」
「おいおい。これは困ったな」
「ふふふ」
その後も軽いやり取りを交わした俺達はそれぞれの教室へと赴く為に別れた。そして、気が付けば光と美鈴はいなくなっていた。ちなみにそれがいつからかは分からないのだった。
「やぁ」
「綾乃さん」
昼休み。教室へとやってきた綾乃さんは軽く手を挙げながら俺の席まで近付いてきた。そして、徐に制服の内側をゴソゴソやったかと思うと自然な動作で俺に何かを手渡してきた。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「それが何かは訊かないんだな」
「まぁ、この展開は朝からあったんで」
「だろうな。やけに手慣れていたしな。それこそ、私が教室へとやってきた時点で勘付いていたのだろう?」
「買い被りすぎですよ。現に多少は驚いていますから」
「多少は…………か」
「?」
「とにかく、受け取ってくれてありがとう」
「綾乃さんからのものならば、それがどんなものであれ受け取りたいって人は多いでしょう?それが男子であれ、女子であれ」
「果たして、それはどうかな?」
「いや、だって……………ほら」
俺がそう言って廊下の方へと目をやるとそこには綾乃さんを見て今にも飛び掛からんとする大勢の女子達がいた。
「あれは受け取りたいっていうより、渡したいって方だな。逆だよ、逆」
「いいじゃないですか。あんなに慕われているって羨ましいですよ」
「本当にそう思っているか?」
「いや、全然」
「全く…………君というやつは」
やれやれとばかりに肩をすくませた綾乃さんはその後、渋々といった感じで教室を後にした。一方の俺はというとクラスメイト(主に男子達)から何故か、尋問を受けることになった。いやいや、普段から一緒にいるところを見ているだろう。それで言ったら美鈴達も一緒にいるし…………こんなようなことを弁明として言ったが聞き入れてもらえず………………なんでも一緒にいるのとアレを受け取るのは違うと。いや、そんなの知らんがな!なんで俺がお前らのご機嫌を取らなきゃいけないんだよ!!とか言ったら、"は?"と怖い顔で凄まれたので大人しく引き下がったが……………この様子じゃ、美鈴や玲華からも受け取ったことがバレたらまずいなと内心で冷や汗をかきつつ、俺は無事に放課後を迎えることとなったのであった。
「すみません。わざわざお呼びだてして」
「いや、大丈夫だ」
放課後、静に屋上へと呼び出された。この流れでいくとおそらく、アレのことだろう。
「まだ風が冷たいですね」
「…………ああ」
風で靡く綺麗な黒髪を手で軽く抑えつつ、どこか遠くを見るような目をする静。おそらく、切り出すタイミングを計っているのだろう。でも、時間なら、たっぷりとある。大丈夫だ……………いや、嘘です。光が美味しいご飯を作って待っててくれているから、できればそれが冷めないうちがいいです。
「あの…………今日は、その……………例の特別な日じゃないですか」
「ああ。そうだな」
「私もその…………それにあやかって塔矢さんにお渡ししたいなと」
「ありがとう。とても嬉しいよ」
「…………思ってたんですが」
「ん?」
その時、空気が変わった気がした。さっきまでとは違う緊張感が漂っているような、そんな気配がする。
「ごめんなさい。今年は渡せそうにないんです」
「……………そうか」
「すみません。原因ははっきりしています。私の気持ちの問題で……………こんな中途半端な気持ちのままじゃ渡せないなって」
「それが静の正直な気持ちなんだろ?だったら、それでいいと思うぞ。そんなに自分を責めるな」
「……………はい。ありがとうございます」
「ただ」
「?」
「美鈴からは受け取った。あの時、静と同じような想いを抱いていた彼女からは」
「……………」
「ごめんな。本当はこんなこと言ったらいけないよな。美鈴にも静にも失礼だ。俺って最低だな」
「いいえ。だって、それは美鈴さんの為を思っての発言でしょう?彼女の頑張りを、強さを私に知ってもらいたいって」
「……………」
「私は美鈴さんみたいに強くはなれないんです……………だから、今回のことはすみません」
「いや」
「もし、私に彼女と同じ強さが持てたなら、その時は是非……………塔矢さんに受け取って頂きたいです」
「ああ。その時に両手が塞がっていなかったらな」
「ふふっ。なんですか、それ」
「いや、俺にも分からん」
屋上に俺達の笑い声が響く。幸い、近くに人がいることはない。誰にも迷惑が掛かることはないだろう。
「おかえり〜」
「ただいま」
「はい、これ」
「ん?」
光の料理にウキウキとしながら帰宅した俺は何かの箱によって視界を塞がれてしまった。一体これは……………え、まさか?
「いや、朝にも受け取ったような」
「あれが私の本気だと思わないで」
「いや、どんなプライドだよ」
「これぞ、いわばシスタープライド」
「なんか、カッコよく言ったな」
「そういう映画ありそうでしょ?」
「俺なら絶対見に行かないけどな」
そんな軽口を言い合いつつ、ゆっくりとラッピングを取り箱を開いていった。そうして出てきたのは明らかに手作りと分かる代物だった。
「…………ありがとう。凄く嬉しい」
「お兄ちゃん、私の手作りに目がないでしょ?これなら、涎を垂らしながら欲しがるもんね」
「ああ。お前が作ったものならば、紙飛行機ですら、犬のように吠えて欲しがるぞ」
「うん。それはご近所迷惑だからやめて。あと紙飛行機ごときでそれは引くわ」
その後、光の温かい料理に舌鼓を打ちつつ、その日を終えた。心なしか、その日の夕餉はいつもよりも暖かく感じたのだった。




