Episode.50 春光
「話したいことって、例のことだよな?」
「…………うん」
俺の問いに対して、やや躊躇いがちに頷く美鈴…………… ことの始まりは美鈴からの一本の電話だった。普段ならば気にならないが静かな夜においてはよく響く着信音と共に画面が淡く光り、そこに表示された名前を見た瞬間、俺はすぐさま携帯を手に取っていた。そして、そこで聞いた第一声が……………"話したいことがあるから、例の公園に来て欲しい"だった。俺としてはあまりにも突然のことで光の美味しいご飯を頂いた直後なのもあって、正直動きたくはなかったが電話越しにも美鈴の真剣さが伝わってきた為、断ることが出来なかった。そうして俺が向かったのは以前、下校途中に美鈴と一緒に訪れた公園だった。すると、どうやら美鈴の方が早く着いていたらしく、後から来た俺の姿を確認するとほっと一息つくような動作をしてから、徐に頭を下げて謝罪をしてきた。俺はそれをしっかり受け入れた後、"大丈夫だ"と一言返し、そこからはいつもの俺達らしく世間話やらなんやらから入って今に至るという訳だ。
「私……………このままじゃ静に悪いなって思ったの」
「?」
「うん……………私はあの日、地元へ向かう列車の中で特別な時間を過ごした」
「なんだ、そのラブソングの歌詞みたいなやつ」
「それから、ずっとそのことが引っかかってて……………私、ホテルで静と塔矢が二人きりでいるのを見た時、ショックを受けた。でも、私がしていることって結局それと同じことよね………いいや、私の方がもっと酷いかも。だって、勝手に団体行動から外れてみんなや…………特に塔矢に迷惑かけた上でああなったんだもん」
「……………」
「だから、静には悪いなって…………きっと静のことだから私と塔矢がどうやって帰ってきたのか想像ついてるはずだし」
「…………よく分からんが、俺は美鈴が静に対して負い目を感じるようなことをしていたとは思えない。だって、あれは仕方のないことだろう?誰が俺達の立場でもああなってたさ」
「……………そういうところよ。あんたが無意識のうちにそう優しくするから、つけ上がるのよ」
「誰が?」
「私が」
「おい」
「私は真剣に言ってんの……………確かに他の人が私と同じ立場ならまったく同じことをしたかもしれない。でもね、塔矢……………あなたがしてくれたことはそうそう他の人が真似できるようなことじゃないの。だから…………お願いだから、もっと自分のことを高く見積もって」
「いや、俺なんて……………」
「私はあの日、あんたに救われたの…………多分、それは私がどんだけ力説しようとあんたには理解できないわ。でも、今はこれだけ分かって……………春日伊塔矢は大したことないやつなんかじゃない」
美鈴の真剣な想い…………そこからは彼女が一体どれだけ俺のことを信頼し理解してくれているかが伝わってきた。それに引き換え、俺はどうだ?果たして、美鈴のことをどこまで計れているのか。正直、彼女と同じレベルでとは言いづらい……………いや、今はよそう。大事なポイントはそこではないはずだ。もっと明らかに明白で美鈴が無意識のうちに分かって欲しいと思っていることがきっとある……………と俺はそこまで考えて、一つ分かったことがあった。それは美鈴が今日までどれだけ葛藤と反省の日々を過ごしてきたのかだった。
「それで……………美鈴はどうしたいんだ?」
「私は……………クリスマスパーティーに出たい……………できれば静も一緒に」
「っ!?お前、それは!?」
「うん。随分と自分勝手だよね。自分で参加を断っておいて、今度はやっぱり出たいだなんて…………でも、ごめん。これが今の私の正直な気持ちなの」
「いや、自分勝手とかそういうことが言いたいんじゃなくて……………俺は単純に美鈴がそう思うようになったことに驚いてたんだよ。一体、どんな心境の変化があったんだ?」
「う〜ん…………こればっかりは自分でもよく分からないや。ただ、あれから色々と考えて色んなものをどけていって最終的に残ったのが今の気持ちだったの……………でね、そうしたら、すっごくスッキリしたよ?だから、これはたぶん私の本当の気持ちなんだと思う」
「………………」
「ごめんね。色々とわがままで」
「いや……………たださ」
「ん?」
「水を差すようで悪いんだけど、その……………静はどうなんだろ」
「………………」
「ほら、静とはあの日以来あまり話してないだろ?だから、どう思ってるのかなって……………美鈴が………俺達が誘えば来てくれるかな」
「来る」
「っ!?」
「静は絶対来るよ……………だから、安心して」
美鈴ははっきりと力強くそう言い切った。それは静に対する絶対的な信頼からくるものだった。出会ってまだ一年は経っていない。なのにどうしてここまで信頼できるのか……………確かに彼女達は今日まで共に濃い時間を過ごしてきた。でも、それは俺や綾乃さん、玲華、光も同じこと。みんなで色んな場所に行ったし、色んなことを楽しんだのだ。とすると俺達の仲はみな均等に仲良くなっているものだとばかり思っていた………………というよりもそのはずだった。
「………………」
しかし、どうにも二人の関係はそれを超えているらしかった。といっても変な意味ではなく純粋に昔から一緒にいる親友というか、二人にしかない特別な関係というか……………それに近しいものを感じた。そして本来、それはとても喜ばしいことだ…………ことのはずだ。だが、この時の俺にはそれが少し悔しくてなんともいえない気持ちになっていた。そう。俺は二人の間には決して割って入れないものがあるというのがなんか嫌だったのだ。
「はぁ…………何様だよ。俺はいつからそんなに偉くなったんだ?」
「え?」
「いや…………なんでもない」
俺は一呼吸おき、気持ちを入れ替えてから再度、美鈴へと向き直った。
「お前の気持ちは分かった。みんなには俺の方から伝えておく」
「…………ありがとう。それから色々とごめんね」
「謝罪はもういい…………で、静のことなんだが……………」
「それは待って……………できれば静には今日のこと言わないで欲しいの……………もちろん、塔矢が静の為に言うべきだと思ったら、言ってくれて構わない……………ううん。その時は是非言って欲しいんだけど」
「分かった」
「じゃあ、お願いね」
「っ!?塔矢さん、すみません!!私、急用ができたのでこれで失礼させて頂きます」
「…………とても大事な急用なんだな?」
「ええ……………なんせ、私の大親友に関することですから!」
「そうか…………頑張れよ」
「はい!!」
俺から昨日の話を聞いた静は弾かれたようにこの場から駆け出した。奇しくもその走り方は修学旅行中に美鈴を探しに行った時の俺のと同じものだった。
「ただの偶然?……………いや、静の走りは違ったはずだ。となると…………あれが最効率の走り方だと瞬時に理解し、俺の動きを真似たのか?あの時、あの一瞬しか見ていないのに?…………とんでもない観察眼と運動神経だな」
まだまだ拙くはあったものの、初めてにしては上出来すぎるぐらいだと遠ざかっていく静の背中を見て、そう思った。
「はぁ……………にしても何故、あそこで話を止めてしまったのだろうか」
俺は自分で理解できない気持ちに悩まされながらも昨日のことを再び思い出す。実は静にした話には続きがあったのだ。
「それは待って……………できれば静には今日のこと言わないで欲しいの……………もちろん、塔矢が静の為に言うべきだと思ったら、言ってくれて構わない……………ううん。その時は是非言って欲しいんだけど」
「分かった」
「じゃあ、お願いね」
美鈴の真摯なお願いに俺は自然と背筋が伸びる思いだった。彼女はこうしている今でさえ静のことを考え気遣っている。一方の俺はどうだ?美鈴達のことをそこまで真剣に考えていたか?きっと時間が解決してくれるとか、俺が出る幕じゃないとか……………そんな悠長なことを考えていたんじゃないか?……………そもそも俺にとって二人とはその程度の存在なのか?
「……………」
分からない。俺は二人のことをどう思っている?
「塔矢?」
俺は美鈴に対する返答を置き去りにしたまま、気が付けば思考の海に潜っていた。この海は非常に深い。一度潜ってしまえば帰ってこられないほどに……………だからこそ、次の美鈴の行動は俺にとってとてもありがたかった。
「塔矢!!」
「っ!?」
美鈴の取った行動は驚くべきものだった。なんと俺の両頬を自身の両手で張り手をするようにして挟み、至近距離から俺の顔を覗き込んできたのだ。
「「……………」」
これは…………非常に照れる。あと、どうでもいいんだが、俺の顔がタコ入道のようになってしまっているのでそろそろ離して欲しい。
「…………ぷっ」
しばらくそのままでいると突然、美鈴が吹き出し、と同時に俺はそこから解放された。
「おい、顔が戻らなくなったらどう責任を取ってくれるんだ?」
「そんな大袈裟な…………ちょっと顔を挟んだだけだよ」
「どこが"ちょっと"だ!!結構痛かったぞ!!」
その後も俺の顔を見てはしきりに笑う美鈴。俺は勘弁してくれという気持ちで額を押さえながら項垂れていた。それがどのくらい続いたか……………ひとしきり笑った美鈴は次の瞬間には今度は別の笑みを浮かべてこう言った。
「責任…………取ってあげようか?」
「っ!?」
その普段とは違う表情の美鈴に俺はびっくりして固まってしまった。鼓動は速くなり、心臓の音が周囲に漏れてしまうのではと錯覚してしまうほどだった…………なんだろう。まるで俺の知っている美鈴じゃないみたいだ。もちろん、美鈴の外見が整っていることなどは周知の事実だ。しかし、今の美鈴の表情は可愛いだとか綺麗だとか、そう単純に言い表せるものではなかった……………なんといえば、いいのだろうか……………そうして考えを巡らせて頭の中にまず出てきた言葉は"艶かしい"だった。
「……………」
俺は情けなくも目の前にいる美鈴をただ黙って見つめていることしか出来なかった……………あれ?美鈴って、こんなにまつげ長かったっけ…………それに髪もサラサラで触れたらどれだけ……………頬が若干赤らんでいるのもいいな……………すっと通った綺麗な鼻筋もまた……………それに小さく開かれた唇が今日に限ってテカッているように見えて、これまたなんとも……………
「塔矢?」
それからどう帰ったのかは覚えていない。気が付けば、俺はベッドに横になり朝を迎えていた。朝の光は非常に眩しく、それは美鈴に感じていた変な胸の高鳴りを忘れさせてくれた。と同時に俺がこれから行おうとしていることを後押ししてくれているように感じたのだった。




