Episode.46 修学旅行2日目③
「なるほどな…………そんなことが」
俺の話を聞いた担任の第一声がそれだった。その後、彼女はどこか遠くを見るような目つきをしてから、徐に胸ポケットに入ったタバコを取り出して先っぽに火をつけた。
「で?お前はどうしたいんだよ」
「俺…………ですか?」
「そう。今、お前からされたのは単純な状況説明だけだ。そこには肝心のお前がどうしたいかっていう部分が抜けている」
タバコからゆらゆらと立ち昇る煙。それは非常にゆっくりで頼りなくいつ消えてしまってもおかしくはない。しかし、少しづつではあるが着実に上へと向かっている。今の俺とは正反対だった。
「俺は…………どうしたいんでしょうかね」
それを見ていたくなくて思わず目を逸らした。すると、逸らしたその先には担任の鋭い視線があり、それは俺を鋭く射抜いていた。
「しっかり考えろよ?おそらく、今回の一件はお前達にとって、とても意味のある大きな出来事だ。中でもお前の選択がお前達の今後を左右すると言っても過言ではない……………分かるか?ここが正念場ってことだ」
「……………」
そう言われても俺の中ではいまいちピンとはきていなかった。たかが俺の選択一つでどうにかなるものなのか?そんなの大袈裟だろ…………しかし、日中の二人の様子を思い出すとそう決め付けてしまうにはあまりにも失礼な気がした。
「お前は二人にどうなって欲しいんだ?」
「もちろん、仲直りして欲しいですよ」
「だが、お前の話を聞く限りだとそれは近いうちに実現するんじゃないのか?二人ともお前の話を受けて、関係修復には前向きみたいだし」
「それは…………そうなんですけど…………二人ともあの後も何か一人で考えたいことがあるとか言ってたし」
「それは今のお前も同じだろ」
「……………」
「何?お前は良くて何であの二人が駄目な訳?」
「まだ不安なんですよ…………確かにあの場では仲直りに積極的に見えました。でも、実際のところ何を考えてるかなんて分からない訳だし」
俺がそう言った途端、担任はタバコを深く吸って重い煙を吐き出した。それはどんよりと鈍く沈み、まるで俺の足にへばりついてくるかのようだった。
「人間、誰しもが他人の思考なんて読めやしない。長年連れ添った夫婦だって、小さい頃から隣にいる幼馴染みだって、ましてや親子や兄弟だってそうだ」
「……………」
「大切な人が今何を思ってどう過ごしているのか知りたい……………それはな、ひどく傲慢で強欲で自分勝手だ。おっ、凄いな。大罪を二つも犯しているぞ…………考えてもみろ。相手が誰でどんな関係性であろうがそんなのは脳内ストーカーと一緒だ」
「そんなの俺だって分かってますよ」
「だがな、それでいいんだ!」
「?」
「人間ってのはそういう生き物だ!生きることに貪欲で利己的で冷徹で卑しい……………だけど、それ以上に愛がある。このたった一つの真実だけで他のもんは帳消しになっちまう……………ま、その愛が捻じ曲がったものでなければだが」
「あ、愛っ!?」
「お前が今感じているそれがどういった種類のもんかは知らん。だが、二人を大切に想っていることは事実なんだろう?」
「そ、それはもちろん!」
「じゃあ、ちゃんと考えるこったな。そのない頭が熱で焼け焦げるんじゃないかってぐらいに」
「……………」
「あたしから言えるのなんてそんなことぐらいだ。結局のところ、これはお前の問題であり、お前が考えるしかないんだ。いいか?忘れるなよ?大事なのはお前がどうしたいか、だ。それを念頭に置いて悔いのないように行動するんだな」
そう言って颯爽と去っていく担任。思えば、この間の進路希望の件でも同じようなこと言われたっけ……………本当にあの人には頭が上がらないな。
「よし!そんじゃ、いっちょ考えてみますか」
俺は膝に置いた手に力を込めるとそのまま勢いよく立ち上がった。
「きゃっ!?」
すると、たまたま近くに誰かが来ていたらしく、その誰かを俺の急な行動のせいで驚かせてしまった。
「わ、悪い!俺、全然気が付かなくて…………って!?」
そうして改めて相手の顔を見て、今度は俺の方が心臓が飛び出るんじゃないかってぐらいに驚いた。
「いえ…………私ももう少し早く声を掛けていれば良かったので」
それは静だった。今まさに頭の中に浮かんでいた人物が目の前に立っていた。
「こんばんは、塔矢さん」
「……………」
それはあまりにも突然で…………まだまだ頭の中ではまとまっていないのに…………でも、現実は待ってくれなくて、こうして件の人物がやってきてしまって……………
「塔矢さん?」
「っ!?あ、ああ。悪い…………ちょっとボーッとしてた」
こちらを上目遣いで心配そうに見上げてくる静に対して、そう誤魔化しながら頭の中では大混乱が渦巻いていた。こんな状況で一体何を話せっていうんだよ。こちとら、まだ心の準備ができとらんぞ。
「…………座れば?」
「ありがとうございます。失礼致しますね」
とにかく思い浮かんだ言葉を吐いていくしかない。ということで俺はまず、静をこのまま立たせたままじゃ可哀想だと思った為、とりあえず隣に座らせた。その際、ふわっとシャンプーの甘い香りが漂ってきて若干、胸の鼓動が早まってしまった俺を一体誰が責められようか……………そういえば、風呂上がりにこうして会うなんてことはなかなかないからな。これは…………うん。貴重な経験か。
「今日はありがとうございました」
とかなんとかキモいことを考えていたら、静が小さく言葉を発した。幸い、ここには俺達以外は誰もおらず、この場が宇宙空間並みに静かな為、わざわざ聞き返す必要もなく声を拾うことができた。
「いいや…………あれから、美鈴とは?」
「まだ話せていません。おそらく、向こうも何か考えることがあるんでしょうね」
「……………」
「でも、こういうことはきっと時間が解決してくれます。私達ならば、放っておいてもまた仲良く話せる時がきますよ」
「………………そうか」
静が本来その先に続けたかった言葉はおそらくこうだろう……………"だから、心配しないで下さい"……………きっと無理に作った笑顔でそう言うのだろう。ほんの数時間前のことだ。まだあれから一日は経っていない。いくら聡く物分かりが良い二人だって飲み込んで納得して前に踏み出すまではもう少し時間がかかるはずだ。だから、静が続けたかった言葉は…………アホか。そんなの言われるまでもなく……………
「心配するっつうの!!」
「っ!?」
突然の俺の大声に驚いて目を丸くする静。だが、今は彼女のそんな様子に構っていられる余裕はなかった。なんせ理解してもらわなければいけないのだ。俺が二人をどれだけ大切に想っているかを。
「俺はな!静のことを本当に大切に想っているんだ!だから心配する!そんな顔するなって、無理するなって言いまくる!!それはこれからもそうだろう…………絶対、俺の前でくらいは取り繕わせない」
「塔矢さん……………」
「まだ気持ちの整理がつかないのかもしれないが、これだけは分かってくれ。俺はお前の味方だ。困ったら、いつでも言ってくれ。肩でも胸でも何でも貸すぞ」
「っ!?ううっ…………」
そこまで言うと静は目からボロボロと涙をこぼし始めた。俺が宣言通り、胸を貸すと彼女はそこに縋りつくように飛び込んできた為、彼女の身体に腕を回して壊れてしまわぬよう優しく抱き締めた。
「塔矢さん、私……………」
「ああ。大丈夫だ。今は何も言わなくていい」
彼女から伝わってくる体温が心地良い。まるで今が冬でこたつの中に入っているかのようで…………俺が肩をトントンと一回する度にTシャツには染みが一つずつ増えていく。肩にあった手を今度はその綺麗な黒髪へと伸ばし、撫でてみると彼女は一瞬だけくすぐったそうにした。その反応を受けた俺が慌てて手を引っ込めると彼女はその手を掴んで元の場所へと戻した。そして、俺の手を使って自身の髪を上から下へとゆっくり撫でていく。どうやら、やめないで欲しかったみたいだ。なんだか、とてもいじらしい。
「「……………」」
非常にゆったりとした時間が流れていく。その後も静の要望で二人でしばらくその場に留まった。とはいっても特別これといった何かをしたという訳ではない。単に他愛のないおしゃべりが続いただけだ。しかし、第三者の視点に今の俺達はどう映るか…………この時の俺はそこまで頭が回らなかったのだった。




