Episode.32 海
「照りつける日差し!踊る白波!そして、可憐に戯れる人魚達!そう、ここは夏を楽しむ為には打ってつけの舞台…………その名も」
「海だな」
「おい、トゥーヤ!俺の台詞を取るな!!本当に卑しい奴だな、お前は」
「おい、バカ猿。恥ずかしいから動くな、話すな、息を吸うな」
「息を吐くのは許されてるのか」
「ああ。そのまま吐き続けて、苦しんだまま逝って欲しいからな」
「鬼だな」
「お前の方こそ、騒がしい奴だな」
「おい。お前の台詞、二行ぐらいズレてるぞ」
本日は日本全国で快晴となる真夏日。気温は40度越えでムシムシとしており、テレビの映像では海水浴に行く人が大勢映し出されていた。かくいう俺達もこの暑さの被害者であり、そんな中で前々から決まっていた海水浴の日取りがちょうど今日だったのはなんともまぁ、幸運だった。
「凄い人ですね〜」
突然、俺の横でそう呟くのは静だった。照りつける日差しが眩しいのか、若干目を細めながら被っている麦わら帽子を手で押さえている。ちなみに全員この前のプールの時と同じ水着を着てきていた。とはいえ、静の麦わら帽子のようにどこか一箇所は違っているようだ………………まるで間違い探しだな。
「全く……………どこが幸運なのよ。こんだけ人がいたんじゃ、動きづらいじゃない」
掛けているサングラスを外しながら言うのは美鈴だ。今のはおそらく俺の心の声に反応したな。
「まぁ、まぁ。そう言うな。こういうのも夏の醍醐味だろう?」
落ち着いた声で美鈴を諭すのは綾乃さんだった。この前と違うところでいえば、腰に花が描かれた白いパレオを巻いていることか。
「光、海だよ!海!来れて良かったね!」
「うん!玲華、楽しみにしてたもんね!!」
少し離れたところでは玲華と光が子供のようにはしゃいでいた。しかもそれがいつも以上に可愛いらしく見える。なんせ、玲華は自分の身長程もあるイルカの浮き輪を大事そうにギュッと抱え込み、光も光でラジオ体操のアキレス腱を伸ばすようなポーズと共にスイカを嬉々として掲げている。
「いや、ライ○ンキ○グかよ」
「おーい。著作権切れてるのは蒸○船ウィ○ーだけだぞ」
「だから、規制かけてんだろうが。人の気遣いを台無しにすんな。つうか、お前もビビって規制かけてるじゃねーか」
兎にも角にもまだまだ俺達の夏は始まったばかりだった。
「凄いです…………寄せては返っていきますよ」
「まぁ、波だからな」
「ふふっ。おかしいですよね」
「何が?」
「私、そんなことも知らなかったんです」
「?」
「もちろん、知識としては海がどういうものかは知っています。ですが、こうして実際に見たり触れたりするのは初めてなんです。私にとって"知る"ということは知識として理解するというだけではなく、実際に体験してみるというところまでできて初めてその意味を為すんです」
「………………」
「だから、今日はこうして皆さんと一緒に海を知れて嬉しいです」
「他の街にいたときは行かなかったのか?」
「はい。私のいたところは内陸の地が多かったのと私自身、あまり外に出るタイプではなかったので」
「そっか……………じゃあ、今日はとことんまで楽しまないとな!」
「はい!!」
それから、しばらくの間、俺と静は笑顔で波を互いにかけ合うという例の青春イベントを行った。間違いなく、ここは青春の1ページとして、俺の心の日記に刻まれたことだろう。
「そんなこと言わずに付き合ってくれよ」
「そうそう。マジやばい場所、知ってんだわ〜俺達」
「だから、行かないって言ってるでしょ!!それに私、これから待ち合わせだから」
遠くで和気藹々と泳ぐ光と玲華を微笑ましく眺めていたら、どこからか声が聞こえた。そして、声の元を辿るとそれはもしかしなくても美鈴だった。
「待ち合わせ?それって、彼氏?」
「いやいや、それないわ〜。こんな可愛い子を放っておく彼氏とかないわ〜。嘘なら、もうちょっとマシなもんついてよ」
「う、嘘じゃない!本当に待ち合わせしてて……………」
「じゃあ、そんなダメ男放っておいて、俺らと遊ばない?」
「そうそう。俺が君の彼氏だったら絶対に放っておかないもんね〜…………てことで俺らと」
これはあれだな。いわゆる、ナンパだ。といっても船の方のじゃなくて…………まぁ、こいつら人生が難破してそうで舞台もちょうど海だから、ある意味ダブル、トリプルミーニングとして上手いこと言……………いや、つまらん。こんなくだらないこと考えてないでさっさと助けに行くか。
「あいつは……………塔矢はダメな奴なんかじゃない!!いつも私のことを真剣に考えてくれるし、今はそれぞれが別で楽しんでるから、一緒にいないってだけで……………本当に私が困った時はいつだって助けに来てくれるんだから!!」
って、おいおい。何小っ恥ずかしいこと言ってんだ!!出ていくタイミング、見失っただろ!!
「んじゃ、今がその時じゃん。ではその塔矢くんにご登場願おうか…………ね!!」
そう言うとナンパ男その1が美鈴の手を掴もうと手を伸ばす。しかし、その手が美鈴へと触れる寸前、美鈴の身体は後ろへとズレ、ナンパ男の手は空を切った。
「あれ?」
「何だ?」
ナンパ男達が不思議がって顔を上げた時、その元凶となったであろう人物と目が合う。そう、それは俺だった。
「塔矢…………」
身体を震わせながらも必死に俺へとしがみつく美鈴。そこからは彼女がいかに不安だったのか、痛いほど伝わってきた。
「何だ、テメェ!!」
「一体、何をした!?」
「理解力が乏しい奴だな。この状況からして、俺がその"塔矢くん"に決まってるだろ」
「な、何だと!!」
「それから、"何をしたのか"だが、俺はただ愛しい彼女の肩を抱き寄せただけだ。恋人ならば、当然の行いだろう?」
「はぁ?ふざけたこと抜かしてんじゃねぇよ!!」
「おりゃっ!!」
直後、変な掛け声と共に襲いかかってくるナンパ男達。俺は美鈴に少し後ろへ下がるように言うとナンパ男1の拳を掌底でいなすと同時にナンパ男2の足を払う。途端、体勢を崩すナンパ男達。しかし、それで終わりではない。俺は砂浜の上で蹲るナンパ男2の顔面近くへと足を踏み下ろし、よろけたナンパ男1の顎、そのスレスレの場所へと拳を当てた。
「なぁ……………これって、正当防衛だよな?」
「「っ!?は、はい!!誠にすみませんでした!!」」
俺が笑顔で言った台詞に対し、大慌てなナンパ男達は俺と美鈴へ深く頭を下げると急いでどこかへと消えていった。
「……………」
「……………ありがとう。それから、ごめん」
「気を付けろよ。人が大勢いると色んなことが起こるんだから」
「……………うん」
「にしても…………あれだな」
「?」
「彼氏って言われて、咄嗟に俺のことが出てくるんだな」
「っ!?ち、違うわよ!!馬鹿!!」
俺の言葉に真っ赤になった美鈴は何かを誤魔化すように光達の方へと駆けていった。俺がそれを見送っているとビーチパラソルの下にデッキチェアを出して寛いでいる見知った顔が視界に入った。
「あれは……………」
「こんなところでどうしたんですか?」
「うん?あぁ、塔矢くんか」
それは綾乃さんだった。おそらく美鈴から借りたであろうサングラスを掛けながら、優雅に寛いでいる。
「海には入らないんですか?」
「まぁ、気が向いたら入るさ」
「……………」
「見てたよ。まさか、あんな一面があるとはね」
「はい?」
「さっきのあれさ。何かやっているのかな?」
「よく意味が分からないんですが」
「隠すこともないだろう。君は立派だよ。自分の実力で大切な人を守ったんだ」
「必死だっただけですよ。もし、あれ以上攻めてこられてたら、お手上げでした」
「…………まぁ、そういうことにしておいてやるか」
「てか、見ていたんなら助けに来て下さいよ」
「ここからじゃ、距離があるからな。どのみち間に合わなかったさ」
「まぁ、普通の人ならばそうでしょうね。でも、あなたは違う。あの現場を目撃したのが途中からでも………なんなら最後の方でも間に合う」
「ほぅ?」
「つうか、最初から気付いてましたよね?」
「……………くくっ。やはり、初対面の時の印象は間違っていなかったようだな。君は私が見込んだ通りの男だ」
「は〜い。お眼鏡にかなって嬉しいでーす」
「んんっ〜…………ふぅ。そんじゃ、そろそろ動くとしますか」
「おっ!何するんですか?俺も付き合いますよ」
「決まっているだろう!砂のお城作りだ!!」
「あっ、用事があるんで失礼しまーす」
「おおっ〜!結構浮くんだな」
「そう………ですね」
綾乃さんの元から無事に脱出した俺はその足で玲華のところまでやってきた。そこでは美鈴と光も仲良く泳いでいるものかと思いきや、彼女達はかき氷を買いに向かってしまったらしい。そこでどうせならと俺は玲華が跨るイルカの浮き輪に乗せてもらったのだ。ちなみに前が俺で俺の腰にしがみ付く形で後ろに玲華が乗っている。
「うおっ!これ、本当に凄いな!!」
「ふふっ。先輩、子供みたいですね」
「へ?そう?」
「はい」
「…………なんか、のんびりとしてて平和だよな〜」
「そうですね」
「……………」
「…………あの」
「ん?」
「この前はありがとうございました」
「おいおい。お礼なら、あの時いっぱい言ってもらったぞ」
「そうなんですけど…………私にとっては大きなことなのでまだまだ言い足りないなと思って」
「はぁ〜…………律儀過ぎるというか、何というか…………そんなんじゃ、これから先もっと大きなことをしてもらった時に大変だぞ?」
「そうなったら、一生をかけて感謝を伝え続けます」
「やめてくれ、重いから」
「へっ!?私、重いですか!?昨日、体重計に乗った時はむしろ減っていたような…………」
「いや、そっちの意味じゃねーわ!!」
「っ!?」
その後、美鈴と同じように顔を真っ赤にした玲華は戻ってきた光達と入れ替わるようにどこかへ向かった。後で聞いたところによるとどうやらデッキチェアに座りながら頭を冷やしていたらしい。俺としては体調が悪くなった訳ではないと分かってホッとしたのだった。
「ありがとね、玲華のこと」
「別にお前に頼まれたからじゃないよ」
夕暮れ時の海岸。俺と光は並んで砂浜に腰を下ろしていた。昼間とは違い、静けさが漂うこの空間はまるでこの世界に俺達だけが取り残されてしまったかのようでとても不思議な感覚だった。寄せては返す波の音が耳を心地良く震わせ、また思わず橙に染まる水平線の向こうからは誰かが俺達を覗いているような、そんな錯覚にも陥りそうになる……………なんて考えてたら怖くなってきたので俺は軽く身体をさすりながら、チラリと横を見た。すると、俺と同じようなことでも考えていたのか、ちょうど光と目が合った。
「ふふっ」
「うん?」
「いや、やっぱり私達は兄妹なんだなぁって」
「それは一体どのことを言ってる?」
玲華への対応?それとも俺が陥りそうになった錯覚?あるいはそのどちらもか?確かに小さい頃は似た者兄妹と言われていたが…………
「さぁ?どちらだろうね〜」
そう言いながら足をプラプラさせる光。体育座りをしながらだった為か、それはまるで山小屋とかにありそうな揺れ動く木製の椅子のように見えた。
「まぁ、何にしてもお前も俺と同じ立場だったら、同じことをしたはずだ」
「それはどうかな〜……………あれはお兄ちゃんだからこそ、できたことだと思うし」
「まるで実際に見てきたような言い方をするんだな」
「いや、お兄ちゃんからも玲華からも話聞いてるし」
「じゃあ、想像力が豊かなのか」
「え?胸は豊かじゃないのに…………って?」
「言ってない」
「セクハラだよ」
「だから、言ってないって」
「私、出るとこ出れば勝てると思う」
「胸の話してる時にその言い回しはややこしいな」
「いや、裁判でって意味じゃないよ?胸が大きくなれば、今日来たメンバーに勝てるかもって」
「本当にそっちの意味だった!?ややこしいな、おい!!」
「「…………ぷっ」」
その瞬間、俺達はほぼ同時に吹き出した。そして、しばらくはそんなおかしな雰囲気が続き、そろそろ移動するかと俺が腰を上げたその時、光がこちらを見上げてこう言った。
「お兄ちゃん。もし、もしも私が……………玲華と同じように困っていたら、助けてくれる?」
その切なげに潤む瞳は何を意味しているのか、俺には分からなかった。しかし、そんなことは関係ない。だって、俺の中にははっきりとした答えがあるのだから。
「当たり前だろ」
俺のこの返答に対して、光は悲しげに瞳を伏せる。彼女がこの時、一体何を考えていたのかは分からない。しかし、これは紛れもない俺の本音なのだ。これ以上でもこれ以下でもない。
「…………みんなのところに戻ろうか」
ややあって顔を上げた光はどこか無理に笑っているように見えた。そして、そんな表情と共に発せられた光の言葉に俺はただただ静かに頷くことしか出来なかったのだった。




