Episode.31 暖かい音色を
そこは一種のコンサートホール…………そう錯覚してしまう程、臨場感と緊張感が入り混じっていた。規則正しく並べられた白と黒の私道を美しく滑らかな白鳥が横切っていく。また天窓から差し込んだ陽の光がちょうどスポットライトように彼女を照らし、それはそれはとても神聖な光景だった。目を閉じながら調べを奏でる彼女はまるでこの世の全てを憂う天上からの使いのようで何故かは分からないが、聴いていると涙が溢れて止まらなかった。
「「……………」」
しかし、それはどうやら俺だけではなかったらしい。チラリと横を見やると彼女の両親もまた自然と涙を流していた。
「…………美しい」
ここはもはや彼女だけの場所。他の者は同席することすら烏滸がましい。ましてや、声を発することなど以ての外……………そう感じてしまう程、ここは彼女の独壇場だった。そんな中で俺は思わず、声を発していた。発さずにはいられなかった。今まで彼女と一緒にいて、こんな感情になったことはあるのか?これだけ近くにいて、どうして気付かなかった?何故、平常心を保っていられた?様々な感情が渦巻いては消え、ただ一つの事実へと帰結する……………そう。俺は彼女のことを分かった気になっていて、その実…………本質をまるで理解していなかったのだ。彼女にこんな一面があることが意外だった。彼女がこれほどの想いを抱えているとは思わなかった。
「………………」
とはいえ、今まで彼女と過ごした全ての時間が無駄だったとは思わない。旋律に乗って、彼女から伝わる想いがそれを証明してくれている。
「「玲華…………」」
彼女の両親も何か感じるところがあったのだろう。先程とは打って変わった視線を彼女に向けていた。しかし、そこにはどんな想いがあるのか……………今の俺に推し量ることはできなかった。
「お父さん、お母さん……………」
どのくらいその時間が続いたのか……………夢のようなそれは気付けば、唐突に終わりを迎えていた。
「「「………………」」」
この時、俺と彼女の両親は驚きで一切動くことができなかった。まだ曲は終わっていない。この後もまだまだ続くはずであった。それは素人である俺ですら分かること………………なのに玲華は急に手を止めて、両親を見つめていた。
「私は操り人形だった。小さい頃から二人に言われるがままのことをして、それを何ら不思議に思わず生きてきた。でも、別にそれを不満に思うこともなかった。だって、そうするのが当然だったから。言い換えれば、私は……………それ以外の生き方を知らなかったから」
「「………………」」
静まり返った空間に玲華の小さいながらもはっきりとしたよく通る声が響き渡る。あの人見知りなはずの玲華が…………人に意見を言ったりするのが苦手な玲華が……………今では最も苦手とする二人に対し、これほどの意思表示をしている。それは一体どれほどの覚悟なのだろうか。
「でもね……………私、見つけたんだ……………本当にやりたいこと」
「やりたいこと…………?」
「それって一体……………」
「私は………………自分だけの、自分にしか書けない小説が書きたい……………そして、将来は小説家としての仕事がしたいの。もちろん、才能が必要な世界だってことは知ってる。そんな甘くないし、どんだけ頑張ったって、上手くいかないかもしれない。でも……………」
そこまで言って、俺の方をチラリと見る玲華。俺がそれに対して、頷いて反応を示すと軽く微笑んでから、再び両親へと向き直った。
「中学生の時に過ごしたあの三年間で私はこの想いが強くなったの…………やっぱり、私は自分だけの物語を書きたいんだって」
「「玲華……………」」
「だから、ごめんなさい。私は音楽の道に進むことはできない………………本当にごめんなさい」
頭を深く下げる玲華。彼女から放たれたのは強い意志の篭った言葉だった。しかし、それとは裏腹に彼女の身体は震えていた。そこからは両親に意見することの恐怖……………というよりは両親に対する申し訳なさのようなものが伝わってきた。
「顔を上げなさい、玲華」
今度は父の穏やかな声が玲華の頭上へと掛けられる。それに対して、驚きつつもゆっくりと顔を上げる玲華。気付けば、彼女の瞳は少し濡れていた。
「私達の方こそ、すまなかった」
「今までごめんなさいね」
玲華が顔を上げるとほぼ同時に頭を下げる両親。これには玲華も想定していなかったようで驚きで目を見開いたまま、固まっていた。
「お前の想いは演奏と言葉、その両方から伝わってきた。そこで分かったよ。私達がどれだけ未熟だったか」
「お父さん……………」
「ピアノ、見事だったわ。いくら嫌なことだからって、あそこまで美しくは弾けないものよ……………多少なりとも気にかけてくれていたってことかしら」
「お母さん……………うん。別に嫌ではなかったよ。ただ、他にやりたいことがあったってだけ」
「見つけたんだな、お前にとっての光を」
「うん……………」
おい!そこで何故、俺の方を見る!?
「お、お前!!そういう意味で言ったのではない!!だ、大体、彼とは一体どういう関係なんだ!!」
「数年に渡る先輩と後輩」
「い、いや、それは聞いたが…………しかし!」
「あなた……………見苦しいわよ。やめなさい」
「し、しかしだな!」
「玲華ももう高校生なんだから。いつまでも子離れできないのは痛いわよ……………てか、キモい」
「おい!今、何て言った!?キモいって言ったよね!?確実に言ったよね!?」
「塔矢くん。これから、お昼ご飯を作るつもりなんだけど、一緒にどう?玲華もその方が嬉しいわよね?」
「う、うん…………」
「いいんですかね?家族水入らずに割って入っちゃって。お邪魔じゃないですか?」
「いいや、邪魔だ!入ってくるな!しっ、しっ!今すぐこの場から去……………ぐえぇぇっ!!や、やめてくれ母さん!目は!目は!!」
「全然!むしろ、大歓迎よ!!」
「あ、あはは。ではご相伴に預かります」
どうやら、どこの家もその内情は大差ないようだった。




