Episode.30 救いを求める者に
夏休みのとある日、玲華の家に呼び出された俺はそこで彼女の過去、そして今の状況を知ることとなる。そして、それらは帰宅してからも俺の頭の中をぐるぐると回り続けていたのだった。
「…………………」
ほんの少し前には分からなかったことが今なら分かる。ここ最近、彼女が何故浮かない顔をしていたのか。おそらく、彼女はずっと苦しんでいたのだろう。一旦は自分を縛る過去から逃げることに成功した。しかし、それは一時的な撤退でしかない。過去からはそう簡単に逃げられはしないのだ。もう解決したと思っても…………または吹っ切れたと思っても決して消える訳ではない。それは返しのついた棘となり、いつまでも当人の心の奥深くに残り続ける。彼女が今日までどんな気持ちでそれと向き合ってきたのか、俺には分からないし、苦しみを肩代わりすることもできない。少なくとも二年は一緒に過ごした。なのに彼女の痛みや苦しみに気付かなかった。そんな自分に腹が立つ。だが、こんな不甲斐ない俺にも湧き上がる感情があった。
「俺に何かできることはないんだろうか」
それは彼女を…………玲華を縛りつける問題を何とかしてあげたいというものだった。確かに玲華は他の人よりは感情の起伏がそこまで激しくない。しかし、そんな玲華であっても…………いや、そんな玲華だからこそ、今回の一件がどれほど表情を曇らせているのか、はっきりと分かる。俺はその表情をできれば晴れさせてやりたいと感じていたのだ。
「かっこいいこと言うじゃん」
「からかうなよ、光」
「いやさ、からかってる訳じゃなくてさ……………私も玲華のことは何とかしてあげたいなって思ってたからさ」
「光……………お前は一体いつから……………」
「?」
「いや、なんでもない」
「お兄ちゃん」
「ん?」
「玲華のこと、お願いね」
「何だよ、改まって」
「私じゃ玲華の支えになるのは無理だから」
「何言ってんだよ。お前だって、十分仲良いだろ。それに俺達の他にも美鈴や静、綾乃さんだっている。別に俺じゃなくたって…………」
「それは違うよ」
光のその一言はいつもの彼女からは考えられない程、真剣味を帯びたものだった。そして、小さい声ながらもそれは静まり返ったリビングによく響いた。
「そういう問題じゃないの。これは他の誰にもできない。お兄ちゃんにしかできないことなの」
「光…………」
「だから…………お願いね」
妹にここまで言わせて、断れるはずなどないのだった。
そして、迎えた玲華の両親の帰国日当日。俺と玲華は揃って、とある一室にいた。そこは完全防音されており、真ん中に大きなピアノが一台あるだけのとても簡素な一室だった。
「「「「……………」」」」
現在、その一室を占めているのはとてつもなく重い空気だった。しかし、それもそのはずだった。なんせ、待ち構えているのが玲華だけだと思っていた彼女の両親にとって、横に訳の分からん同世代の男がいれば警戒もするだろう。とはいえ、玄関でそのまま硬直している訳にもいかない。だから、玲華が一声かけ、この場所までやってきたのだ。ちなみにその間、お互い一切の会話はなかった。
「初めまして。私は春日伊塔矢と申します。玲華さんと同じ高校に通う二年生であり、彼女とは先輩・後輩の関係にあたります。本日は見届け人という立場でこちらにお邪魔させて頂いております。何卒、ご容赦下さい」
とはいえ、ずっと黙っている訳にもいかない。そう感じた俺はゆっくりと口を開き、丁寧に自己紹介を始めた。
「……………見届け人?」
すると、やや間を空けて玲華の父もまた口を開く。俺を見つめる視線は相変わらず、不審者を見つめるようなものだった。
「はい。彼女と私、双方が望んだことです」
「ということはこちらの事情もある程度は把握しているということかしら?」
今度は玲華の母が口を開く。彼女に関しては不審者に向ける視線というよりはどちらかというとこちらを試すような視線だった。
「はい。しかし、勘違いして欲しくないのは私はどちらの味方でも敵でもないということ……………いわば、中立の立場として、ここに立っているということです」
俺がそう言った瞬間、鋭さを増した二人の目がこちらを射抜いてきた。
「そんな戯言を信じろと?」
「戯言ではございません。ただの事実です」
「馬鹿馬鹿しい。玲華が選んだ者ならば相当、信頼されているはずだ。となると色々と私達のことを悪いように吹き込まれていてもおかしくはない。そんな状態で私情を挟まずにいられるのか?」
「はい」
「その根拠は…………何かしら?」
「私が…………玲華さんだけではなく、あなた達も救われて欲しいと願っているからです」
「「……………」」
俺の言葉に静まり返る一室。直後、玲華が一歩前へと進み出て、こう言った。
「お父さん、お母さん……………今から伝える私の想いを聴いていて欲しい。そして、できれば、あなた達の想いも聴かせて欲しい」
玲華のその言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に懐かしい思い出が浮かび上がった。
「もう、ここには来られない……………お父さん達に叱られちゃったから」
「そうか」
「……………いつか」
「ん?」
「いつかさ、私の音色を……………想いを聴いて欲しい」
「………………」
「やっぱり、駄目かな?」
「ううん。駄目じゃないぞ」
「本当っ!?」
「ああ。今度会ったら、是非聴かせてくれ」
「うん!だから……………」
その少女はその時、満面の笑みでこう言ったのだった。
「私のこと、忘れないでね」




