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その時僕は、この胸が自分を震わせるほど高鳴っているのを確かに感じていた。いつもは人気のないはずの山奥の道が、今は屋台の看板や光る提灯の色で彩られている。これから好きな人に会うということと、普段の高校生活とはかけ離れたイレギュラーな感じが相まって、凄くソワソワしていた気がする。ふと自分の足元を見ると、視界に灰色の浴衣が映った。もう少し柄があるものを選んでもよかったかとも思ったが、こっちの方がむしろ、色鮮やかな風景には似合う気がした。なんというか、周りの色をより引き立てるような。そのための暗い色みたいな。そんな僕の傍にもっと近くに美しい色があれば、その色はどこにあるそれよりも綺麗なんだろうなとくだらないことを考えて、騒がしくなる祭囃子の中で一人こっそりと口角を上げた。
「奏音くん!」
名前を呼ばれて咄嗟に振り向くと、僕が求めていた、何より美しい色がそこにあった。僕の目は一眼レフカメラのように、焦点を当てている彼女以外のものがボケて見える気がした。きっとこの時の僕は、とても間抜けな顔をしていたと思う。あまりに綺麗で、言葉が出なかった。
「変・・・かな?浴衣・・・。」
彼女は丁寧に結われたポニーテールをなぞるように手を滑らせた。問いかけられてなんとか我にもどった僕は、返事をした。
「似合ってるじゃん、ひかり。」
”凄く綺麗だよ”の一言ぐらい添えればいいものを。思春期だった僕には恥ずかしくて、そのまま言葉を飲み込んでしまった。
「ありがとう。奏音くんも凄く似合ってるよ。」
「ん。ありがとう。」
恥ずかしいから、嬉しい気持ちを隠して澄ました返事をしてしまった。お互いにそんな気持ちがあるのか、沈黙がうまれた。それを打ち消すように、ひかりが話し始めた。
「屋台、見に行かない?」
「そうだな。」
「やった!あ、そうだ。あのさ…。」
「ん?」
「花火も…一緒に見てくれるの…?」
身長の低いひかりは、上目遣いでこちらを見つめてきた。
「当たり前だろ。せっかく一緒に来たんだから。」
「やったー!じゃあ私、金魚すくいしたーい!」
そういって、彼女は僕の手首を掴んで走り出した。幼稚園児のようにはしゃぐひかりは、同い年なのに年下のように見えることがある。そんな彼女に振り回されることもあるが、まぁ、嫌いじゃない。
「見て!取れた!!」
後ろで見てると言った僕に、嬉しそうな表情で金魚が入った器を見せつけてきた。
「すごいな。」
と返してあげると、ドヤ顔を決めてまた金魚と向き合う姿勢に戻った。彼女のこういうところも好きだ。可愛くてたまらない。
一通り屋台を満喫して、花火が打ちあがるまで10分を切った頃、僕達は一足早く、花火が良く見える場所へ来ていた。蒸し暑さと人がごったがえしていて、普段ならイライラしてしまうような状況だったが、ひかりのワクワクした表情を見た瞬間どこかへ消えてしまった。横目でちらちらとひかりを見ていると、嬉しそうに花火を待つ彼女が、突然ひらめいた顔をしてこっちを向いた。
「ねぇ、奏音くん!」
「ん?」
「奏音くんって、奏音くんだよね?」
「ふっ。どうしたんだ、急に。」
意味の分からない質問に思わず噴き出してしまったが、彼女は構わず話を続けた。
「で、私はひかりでしょ?」
「うん・・・。そうだな。」
「なんかさ、花火みたいだね!」
「どういうこと?」
「奏音くんは音で、私は光!なんか可愛いよね!」
ジェスチャーを交えながら懸命に自分の考えを話すところは本当に子どものようだったが、なかなか面白いことを考えるじゃないか。
「なるほどな。」
納得した気持ちを言葉に変えてこぼすと、ピューと掠れるような音が聞こえた。ひかりもその音を聞いたのか、空に目を向けた。僕はもう少しひかりと目を合わせていたかったので名残惜しかったが、同じように上に視線を変えた。真っ黒の中に色とりどりの光が咲くのが見えてから、地面を震わせてドン!と大きな音が聞こえてくる。
「わぁー、綺麗ー!」
さっきまで空を見上げていたはずなのに、僕はつい、彼女の方を向いていた。美しい横顔は花火の光に照らされて、いろんな色に輝いていた。僕にとっては、空を舞う光の玉よりも、こっちの方がずっと綺麗だと思った。
「花火ってさ、パって光ってから音が聞こえるよね!光の方が音より早いんだね!」
顔を上げていたひかりは、そういいながら急にこっちへ顔を向けてきた。そのせいでずっと彼女を見ていた僕は不意に目を合わせることになり、お互いにそれが恥ずかしくなったのか、同時に目を逸らしてしまった。視線のやり場がなくなって、僕はやっと花火を見ることにした。一輪、二輪と咲く花は、本物の花より儚く、一瞬で消えていく。色鮮やかな光の粒は夜空に飛び散り、そのたびに、ドン、ドン、と地面が震えている。先程まで騒がしかったひかりが何故か静かになったのに気づいているが、また目を合わせることになると気まずいので、あえて花火に集中しているフリをすることにした。
「ねぇ、奏音くん。」
名前を呼ばれたので、彼女の方を向く。さっきまで花火をみてはしゃいでいたのが嘘のように、今は少し俯き気味に僕の方を向いていた。気分でも悪いのかと思って、声をかける。
「どうした?」
「私・・・、奏音くんのことが好き。」
人混みから聞こえてくる会話も、花火の音も、あれもこれも、どうでもよくなった。
「え?」
「ずっと好きだったの。だからお祭りに来れるのも、花火を一緒に見てくれるっていってくれたのも、凄く嬉しかった。女の子の方から告白されるのって男の子は嫌がるって聞いたことあったからずっと言うの我慢してたけど、もうできないよ。そんなカッコイイ浴衣姿見たら・・・」
心なしか、彼女の瞳が潤んでいる気がした。素直に感情を表現する、彼女らしい告白だと思った。
「ごめんね、急に・・・」
「いいじゃん、花火みたいで。」
続きを話そうとしたひかりの言葉を遮って、僕はそう言った。
「え?」
ひかりは不思議そうな表情を浮かべて、少し顔を傾けながらこちらを向いていた。気づかないフリをして、僕は話を続ける。
「音より光の方が早かったな。」
「どういうこと?」
「僕も好きだよ。ひかりのことが。ずっと好きだった。」
しっかり彼女を見つめてそういうと、彼女はこの暗がりを照らすような嬉しそうな表情を向けてくれて、これが花火より何より美しい光だと思った。