そのろく
人生。生活。日常。
私にとっては、刺激が足りなかった。平凡過ぎた。惨めさは無いが、振り返っても足跡は薄く印象に残らない。そんな人生であり、生活であり、日常であった。
刺激を求めて、親に頼んで幼少期から音楽や陸上に触れて育ってきた。走ることも目指すことも、歌うことも、かき鳴らす事も楽しいと感じていたつもりだった。
でも、いつの日にか飽きてしまった。別に周りのレベルが低くて退屈だったとか、大きな壁を目の前に挫けたとか、そんな大層な話ではない。何か“キッカケ”があった訳でも無い。いつの間にか、本来なら灯るべき炎が消えていたのだ。
それは、生き甲斐としていた趣味以外にも瞬く間に伝染していった。
友人や両親との他愛もない会話、狭いライブハウスに籠もる熱気、誰も居ない視界に真一文字に張られたゴールテープ。SNSの“イイネ”の数、他人の内なる気持ち、悲惨な事件事故の報道、ゴシップや流行りのモノ。
私は、何もかもに興奮を覚えなくなった。
『心臓の鼓動が早まり、血湧き肉躍るような興奮。』
私はソレを渇望していた。興奮のためならば、少し前なら無関係であった世界にも立ち入った。前科が付く程のスリルも、縁を切られた悲しみも、信頼を失った寂しさも、体を蝕むリスクも、痛みの先にある快楽も、私にとっては非常に退屈だった。
状況が変わったのは、全てを失った後だった。様変わりした自分の部屋で点灯する液晶の中で見つけた一言だった。
『死にたくなった』
『誰か一緒に死のうよ』
『死にたい』
“死”という言葉を網膜で捉え、認識した瞬間の事は、未だに脳裏に焼き付いている。血や肉が熱くなり、干からびた脳が潤いを取り戻し、興奮のあまり涙と鼻水を垂らして噎せ返り、私は人間らしさを取り戻した喜びに感動した。
それからは、私は死に執着した。死因や事件事故、宗教宗派による死の価値観の違い。死ぬ方法や死にまつわる事例を、かつて全力を注いだ趣味や日常を楽しむように。いや、貪る様に調べ尽くした。
やがて、“体験”したいと強く願う様になった私は、寝る間も惜しんでSNSに張り付いては同士を探して旅立とうとした。残念ながら直前で我に返って立ち去る者ばかりだったが、今回だけは違った。
『愛車も連れて行っていいですかね?』
そうメッセージを送ってきたのは、50代の男性だった。理由は語らず、SNSの投稿も「成田山」の大判ステッカーが貼られた赤いオートバイと風景の写真ばかりで、とても志願者には見えなかったが、それが私の興味を引いた。別にそれが嘘でも、性行為目的の援交でも何でもよい。もう私には何も無いのだから。所持金も底が見えていた私は、今回で“最後”と決めていた。
そんな私の目の前に現れたのは、その男性ではなく――、
『さくらさんですか?』
人違いで声をかけてきた“ゴリラ”だった。
そんな奴に声をかけられた当時の私は、50代の男性をほったらかしにし”先に逝って”しまったのを黙って見過ごした挙句、何故か一緒に遊ぶ選択肢を選んでいた。
私は、なんて酷い奴なのだろう。全てを投げ出してまで執着する程の興味深いモノと出会い、そして同じ志の者と出会い同じ目的地へと旅立つという覚悟を持っていたのに。
このゴリラと出会ってしまったために、その思いが揺らいでいた。いや、思い返すと前から揺らいでいたのかもしれない。何でもゴリラの責任にするのは良くないだろう。
そもそも、死を体験したければ、独りで実行できたはずだ。でも“それ”をやらなかった。端から見れば、単なる冷やかしに過ぎないだろう。
あの時の私は、何をしたかったのだろう。
「いやぁ、そんなの俺もわからんよ。」
土埃を両手で払いながら立ち上がった武蔵は、申し訳なさそうに答えた。どうやら自分でも意識しないうちに思いの全てを吐き出していた。不意に来た相槌に驚いた私は、滲んだ視界の先にいる武蔵を見つめた。
「まあでもさ、“とりあえず”で生きて見てもいいんじゃないかなぁ。」
武蔵の無責任な台詞を聞いた瞬間、腑抜けたようなスマートフォンの通知音が鳴った。その音に驚きながらも、私は濡れる視界を腕で拭いながら画面を点灯させてメッセージを確認した。私のスマートフォンは、既に携帯電話会社を解約しているためにWi-Fiがなければ何も鳴らないはずだ。当時は全く気が付かなかったが、近くのコンビニのFree Wi-Fiを端末が勝手に掴んでいたようで受信が出来たようだった。
『先ほど事故に合いました。会えません。ごめんなさい。』
送信時刻は14:43と表示されており、事故直後の正午頃には連絡が出来ない規模の事故だったのだと感じた。
『喧嘩別れした娘が駆けつけてくれました。そんな中で、僕はどうしても生きのびたくなってしまいました。ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕は意気地なしです。本当にごめんなさい。』
『でも貴方と話せた事で、私の気持ちは段々と軽くなっていったのは本当です。』
『ありがとう。そして、ごめんなさい。』
その時の私は、メッセージを見た瞬間に安堵していた。彼が無事である事に。そこに裏切られたという哀しみや憎しみは、微塵もなかった。
今になって振り返ってみると、おそらく私も彼も一人ぼっちで寂しかったのかもしれない。私の場合は、何事も全力で突っ走って他人と対立してばかりだったし、話のできる他人こそいれど、熱い想いをぶつけ合える仲間や、本気で説教してくれる大人は周りに一人も居なかった。
いや、作ろうとしなかった。歩み寄ろうともせず、ただ一人で勝手に呆れて、勝手に飽きていただけだった。
「生きていりゃ、色々出来るだろ?仲間とワイワイしたりさ。俺も、ただ周りに騒がれて彼女作りたいって思ってたけど、今日で分かったんだよ。」
彼は、へたり込んでいた私の前にあぐらをかくと、少し呆れたような顔でこう言った。
「俺は、ただ人と話したかっただけなんだなって。」
「他人と話をして、自分が何者なのかを確認したかったんだなって。」